ずっとふたりで



「おい、希美、いくぞ。早く乗れよ」
「分かったってば。そんなに急かさないでよ」
「そんなこと言ったって早く行かなきゃaikoのコンサート間に合わねえぞ。お前のほうが行きたがってたんだろう」
「そりゃそうだけど女性が出掛けるときには美しくしなくちゃいけないのよ」
「分かったから、早く美人になって出てきてくれよ」
ややしばらくあって着飾った希美が出てきた。
「早く乗れよ」
希美は恭司の自転車の後ろに乗った。
恭司は急いで自転車を走らせた。

「こんな美人が乗るのに相応しい車を早く手に入れてよ」
「何言ってるんだ。俺は地球のために自転車に乗ってるんだぞ。都会に住んでりゃ車なんてほとんど必要ないだろ?時代はエコさ」
「そんなこと言ってるから女の子にもてないんでしょ?」
「もてなくたっていいさ。もうすぐ世界一美しい女性と結婚できるんだからな」
「もう恭司ったら」
希美が後ろから恭司を強く抱きしめた。
何だかんだ言っても希美は恭司のことを愛してるのだ。
それ以上に恭司は希美のことを愛していた。


「しっかり捕まってろよ。駅まで思いっ切り飛ばすからな」
「うん」
目の前の交差点の信号は青だ。
歩行者信号が点滅しているからもうすぐ黄色になるのだろう。
恭司は思い切りペダルをこいだ。
恭司が交差点に入ると、右折してくる対向車が突っ込んできた。
(やばい、ぶつかる!)
そう思った次の瞬間には右折してきた車にぶつかっていた。
恭司の身体が宙を舞っていた。
恭司は自分のことより希美のことが気になった。
「希美ぃぃぃぃぃ」
恭司のそんな思いが声になったかどうか分からないが、そんな心の叫びを最後に恭司は意識を失った。


気がつくと希美とものすごい霧の中を歩いていた。
「あれ?どうなったんだ?ここはどこだ?」
「わたしも分かんない。ねえ、わたしたち、死んじゃったのかな?」
「…たぶん、そうなんだろうな」
事故に遭ったことは確かなことなのに恭司も希美も何の傷も負っていなかった。
おそらく"あの世"というところに向かっているんだろう。
「ねえ、恭司。わたし、死にたくない」
「俺だって死にたくないよ」
「一緒に戻ろうよ」
「戻るって言っても何か力が働いてるみたいで戻れないんだけど」
実際足を進めている意識はないのだが、ある方向に向かわされているように感じた。
「…死にたくない……」
希美の思いつめた声が聞こえた。
「分かった…。一緒に戻ろう」
「ありがとう…」
恭司は希美の手を握り、懸命に見えない力に逆らうように元来た方向に向かっていった。
懸命の努力の甲斐があって少しずつ戻れているようだった。
(頑張れ、希美のために頑張るんだ)
自分にそう言い聞かせて恭司は一歩ずつ進んだ。
ある瞬間に白い光に包まれると、再度意識が薄れていった。
それでも希美の手をしっかり握り締めていた。



恭司の意識が戻った。
明らかに病院の治療室にいるようだ。
心臓の鼓動と同期してピッピッという音が聞こえる。
(助かったのかな)
しかし周りを見ようにも目蓋が開かなかった。
「ようやく心拍が正常に戻りつつあるし、何とかヤマを越えたみたいだな」
傍にいるであろう医者らしき男の声が聞こえた。
(とりあえず生き返ったんだ…でも希美はどうなったんだろう……)
希美のことが気掛かりではあったが、自分が生き返ったんだからきっと希美も生き返ったんだろう。
恭司はとりあえずそう考えることにした。
それにしても相変わらず意識が朦朧としている。
いろいろと考えようとするのだが、全く考えがまとまらない。
そうしてそのうちに恭司の意識は再び薄れていった。

次に気がついたときには目蓋が開くことができた。
恭司は部屋の様子を見た。
どうやら一般の病室に移されたようだ。
相変わらず口には酸素吸入のためのマスクがつけられている。
身体中が痛くてとても動かせる状態ではない。
それでも医者が言っていた通り、生命の危機は脱したんだろう。
恭司は何となくだが、そんなふうに感じた。
(俺は生き返ったみたいだけど希美はどうなったんだ?)
恭司が心の中で呟いた。
『恭司、わたしはここよ』
急に希美の声が頭の中に響いた。
(ここってどこだよ)
『恭司と同じ身体の中よ』
(身体の中?)
『だって恭司がずっと手を握ってるから離れられなかったんだもん』
(だからって俺の身体に戻ったりしたら希美の身体はどうなるんだ?死んじゃうんじゃないのか?)
『そんなこと言ったってどうすれば離れられるか分かんないんだもん』
(念じれば何とかなるんじゃないか?)
『念じるって何?意味分かんないし』
希美がいらついているの伝わってきた。
恭司はとりあえず希美には何も言わないことにした。

恭司は右手を動かそうとした。
長時間動かしていないせいで痺れたような感じになっていたのだ。
あまりうまく動かせず、たまたま股間辺りに動かした。
尿道にカテーテルが挿入されているようだ。
しかし手に触れる感触では明らかにペニスの存在は感じられない。
(事故のせいでペニスが千切れたのか?)
恭司はややパニックになっていた。
(…落ち着け。落ち着け)
恭司は自分自身を落ち着かせようと必死だった。

そんなとき希美の両親が部屋に入ってきた。
(希美のお父さんとお母さんだ。俺の様子を見に来てくれたんだ)
しかし希美の父から出た言葉は恭司の期待に反したものだった。
「希美!大丈夫か?」
希美の父親がそう叫んだ。
(えっ!希美?希美って?)

そのとき医者が入ってきた。
「先生、希美はどうなんですか?」
「患者のお父さんですか?」
「はい、娘はどういう状況なんでしょうか?」
「昨夜は予断を許さない状況でしたが、おそらくもう大丈夫です」
それからも医者と希美の父親との話は続いた。
恭司の頭には恐ろしい考えが浮かんでいた。
確かめるのが恐い。
でも確かめる必要がある。
恭司は意を決して傍に立っている希美の母親に話しかけた。
しかし酸素マスクをしているためうまく言葉が発することができない。
そんな様子に気づいて、希美の母親が恭司の顔に耳を近づけてくれた。
「なあに、希美ちゃん」
希美の母親の言葉は恭司をより絶望の淵に追い込んだ。
それでも確認しなければいけない。
「顔が…見たい……」
「顔はとくに怪我はしてないわよ、ほら」
希美の母親はバッグから手鏡を取り出し、恭司の顔の前にかざした。
その鏡に映っていたのは、希美の顔だった。
「うわあああああああ」
恭司は完全にパニックに陥り、訳の分からないことを叫んだ。
「北川さん、大丈夫?どうしたの?」
看護師が必死に落ち着かせようとした。
その横で医者が何か指示している。
「希美、希美……」
傍で希美の母親がおろおろしている。
身体の内側から希美が何か言っている。
恭司はそんな様子を感じながらも声を抑えることができなかった。
そうでないとおかしくなりそうな気がした。
次の瞬間、恭司は腕に鋭い痛みを感じた。
医者が鎮静剤を注射したらしい。
恭司はゆっくりと意識を失っていった。


恭司はどこか知らないところを一人で歩いていた。
(あれ、希美はどこに行ったんだろう?)
ふと前方を見ると、女性が歩いている。
(希美だ!)
後ろ姿で希美だと分かった。
恭司は必死に希美を追いかけた。
追いつきそうになるとふっとかわされ、なかなか追いつけなかった。
そうしてやっとの思いで希美を捕まえることができた。
「希美!」
恭司が女性の腕を掴み叫ぶと、女性が振り返った。
確かに希美だった。
「希美、やっと捕まえた!」
「何を言ってるの?希美はあなたでしょ?」
「えっ?」
恭司は自分の身体を見た。
いつの間にか全裸になっていた。
形のいい乳房。
細く縊れたウエスト。
素晴らしいプロポーションの女性だ。

急に四方を鏡に囲まれた。
そこに映っているのは全裸の希美だった。
(俺は希美じゃない!恭司だ!)
そう叫ぼうとしたが声にならなかった。

どこからか目の前に男が現れた。
恭司だった。
その顔がゆっくりと近づいてくる。
恭司は目を閉じた。
唇に触れるものがある。
(やめろぉ。俺は男なんかとキスしたくなぁい。いやだぁ、やめてくれぇぇぇぇぇ)


そう強く思ったときに目が覚めた。
目の前に希美の母親の顔があった。
心配そうに恭司の顔を覗き込んでいた。

『恭司、大丈夫?』
頭の中に希美の声が響いた。
(ああ、何とか。それにしても身体に潜り込んだのは俺のほうだったんだな)
『うん、恭司ったらパニクちゃってわたしが何を言ったって聞く耳持たないんだもん』
(そりゃそうだろう。気がついたら希美になってたりしたら普通おかしくなるよ)
『でも今は少し落ち着いたみたいね』
(落ち着いたっていうか相変わらず頭の中はパニックだよ。訳分かんねえ)
『さっきからママが話しかけてるわ。返事したほうがいいわよ』
(希美じゃダメなのか?)
『身体をコントロールできるのは恭司みたいよ。わたしは感覚の共有はできるけど、自分から行動するってことは無理みたいなの』
(なら仕方ないな。どういうふうに言えばいいかフォローしてくれよな)
『分かったわ。わたしの言う通り話してね』

「あっ、ママ、ごめん。何か言った?」
恭司は希美が伝えてくる通りのことを言った。
いつもの希美の口調をできるだけ真似るように意識をしながら。
「希美ちゃん、本当に大丈夫なの?今もボォーッとしてたみたいだけど」
「うん、大丈夫よ」
「頭やあっちこち打ったらしいから、入院してる間に見てもらったら?」
「本当に大丈夫だってば。もし痛みなんかがあればちゃんと言うから」
「そう。それならいいんだけど」
希美の母親はこれ以上言っても無駄だと思っているかのようだった。

「ところで恭司さんはどうなったの?」
恭司は希美の言葉を待たずに自らの意志で聞いた。
希美の母親の表情が変わった。

「…恭司さんは……死んだわ……」
希美の母親は恭司に目を合わさなかった。
「やっぱり…」
自分の魂が希美の身体に入り込んでしまっている状態で、自分がまだ生きているとは思えなかったのだ。
そんな思いがあったため、恭司は思わず言ってしまった。
「やっぱりってどういうこと?希美ちゃん!」
「あ…だって…」
恭司は必死に頭を巡らせた。
「あんなひどい事故だったんだもの。わたしがこうして生きてることだって不思議なのよ」
「あ…それはそうね」
何とか希美の母親が納得する理由をつけることに成功した。


恭司の体調は少しずつだが確実に回復に向かい、尿道カテーテルが外された。
体力回復のためトイレくらいは自分の脚で行くように言われた。
実際事故に遭ってから、ずっとベッドで寝ていたため、歩くことすら困難になっていた。

それほど時間が経たないうちに尿意を催してきた。
(希美、…トイレ行きたいんだけど)
『…分かってるわよ』
(いいか?)
『そんなこと聞かないでよ』
恭司はベッドに手をつきながら何とか立ち上がった。
そして壁に取り付けられている手摺りに掴まりながら何とかトイレに辿り着いた。
(こんなに歩くのが大変なことだとは思わなかったな)
希美からの返事はなかった。

トイレの個室に入り、便座を下ろした。
そして入院服を捲り上げ、ショーツを下ろし、便座に腰をかけた。
するとシャーとおしっこが噴き出した。
「ふぅ」
恭司は溜息をついた。

(意外と簡単だったな)
希美からの反応はやはりなかった。
息をひそめている様子が伝わってきた。
(拭かなくちゃいけないんだよな)
恭司はトイレットペーパーに手を伸ばした。
『……ぃゃ……』
希美の小さな声が聞こえた。
(いやって言ったって拭かなきゃいけないんだろ?)
『そりゃそうなんだけど…』
《ガラガラガラガラガラ》
恭司はトイレットペーパーを巻き取った。
『そんなに音を立てないでよ』
(そんなこと言ったって普通に取れば音はするもんだろ)
『ホルダーを持ち上げればそんなに音がしないわよ』
(やだよ、そんなの。面倒くさい)
恭司は手に取ったトイレットペーパーをクシャクシャと小さくした。
『もっと丁寧にしてよ。女性のデリケートな部分なんだから』
(いいじゃないか、これで)
『ダメよ。やり直し!』
(邪魔くせえなぁ)

恭司はホルダーを持ち上げてゆっくりとトイレットペーパーを取った。
そうして恭司は拭きやすいような大きさに折りたたんだ。
『そう。やればできるじゃない』
希美の褒める声が聞こえた。
(当然だろ、こんなの簡単さ)
恭司は折りたたんだトイレットペーパーを股間にあてがった。
『…ぃゃょ……』
(でも…仕方ないだろ…)
『そうなんだけど…』
(希美も分かってるんだろ?)
『…ぅん…』
恭司は尿が出た辺りにトイレットペーパーを押し当てた。
(こんな感じでいいのかな?)
『…ぅん…』
恭司はトイレットペーパーを便器に捨て、立ち上がった。
そしてショーツを上げ、水を流した。
(女性のトイレってやっぱり邪魔くさいな)
希美の返事はなかった。

それから何度か希美として小用を足しているとトイレに行くことは特別なことではなくなった。
しかしやはりトイレのときは希美の反応は少なかった。



恭司は徐々に回復し、ようやく退院する日を迎えることができた。
病室で入院服を脱ぎ、希美の母親が持ってきた服に着替えた。
ベージュのニットのインナーと同じ色のニットのカーディガン、そして白の膝丈のプリーツスカート。
見慣れたいつもの希美だった。
(相変わらず希美は綺麗だな)
身体の中の希美に話しかけた。
『当然よ。だからわたしのことを好きになったんでしょう?』
(そりゃまあそうだけど外見だけじゃないぜ)
『わたしって性格もいいもんね』
希美も退院が嬉しいのか軽口をたたいていた。

「支度できた?」
希美の母親が退院の手続きを済ませて戻ってきた。
「うん」
「うんって、この娘はお化粧もしないで。年頃の娘がノーメークで外に出られるわけがないでしょ?」
「えっ、だって…」
恭司にとって化粧なんて全く未知のものだった。
「文句言ってないで、口紅くらいしときなさい」
恭司は慌てて希美に相談した。
希美は『ママ、やってって言えばいいわよ』という返事だった。
「それじゃあ、ママやってよ」
恭司は顔を赤らめながら希美の母親に頼んだ。
「もうこの娘ったら甘えちゃって」
そんなことを言いながらも嬉しそうな顔して、バッグから口紅を出した。
「それじゃこっちにいらっしゃい」
「はぁーい」
恭司は希美の母親に近づくと、希美の母親が口紅をしてくれた。
生まれて初めて経験する口紅はあまり気持ちのいいものではなかった。
変な油を唇に塗られた感じだった。

「どうもありがとうございました」
ナースステーションでお世話になった看護師さんたちに挨拶して病院の前で待っていたタクシーに乗り込んだ。


希美の母親がタクシーの運転手に自宅の住所を告げた。
「ねえ、お母さん、恭司さんにお線香あげたいんだけど」
「そうね、そのほうがいいわね」
希美の母親は改めて恭司の家の場所を告げた。

30分ほどで恭司の家に着いた。
「それじゃあなたの荷物も多いし、私は先に帰ってるわね」
「うん、分かった。ありがとう」
恭司はタクシーを見送り、久々の"我が家"を見つめた。


恭司は大きく深呼吸し、インターホンを押した。
家の中から「はい」という声がし、恭司の母親が顔を出した。
「あら、希美ちゃん。元気になったの?」
「はい、今日退院しました」
恭司は油断すると恭司としての口調になってしまいそうだった。
したがって言葉を選びながら話した。
「あの…恭司さんのお参り、させてもらっていいでしょうか?」
「ぜひそうしてあげて。きっとあの子も喜んでいるわ、希美ちゃんがこんなに元気になって」
恭司は母親の後ろにしたがった。

仏壇の前には恭司の写真が置かれていた。
(ああ、やっぱり俺って死んだんだ)
仏壇に置かれた自分の写真を見ると、改めて自分の死を認識せざるを得なかった。
希美は泣いているようだ。
そんな希美の状態は外面にも影響を及ぼした。
なぜか涙が零れてきたのだ。
(どうして涙なんか…。俺の身体は死んだかもしれないけど、俺はここにいるんだから)
そうは思っても涙は全く止まらなかった。
恭司は鼻を啜りながら線香に火をつけ、手を合わせた。

(俺、何に手を合わせてんだろう?)
涙を流しながらもそんなことを考えていた。
自分の写真に手を合わせているのだが、その自分自身はここにいるというのは恭司にとって動かしがたい事実なのだ。
と言っても今の自分の姿を鏡で見ると、そんな自信はどこかに飛んで行ってしまいそうだが。
神妙に手を合わせている姿とは程遠いことを考えながら恭司は手を合わせていた。

しばらく手を合わせたあと、恭司は自分の母親に向きあった。
「この度は……申し訳ありませんでした」
仮にも恭司の母親から見れば、息子は死んでその婚約者だけが生き残った形なのだから、謝ることが必要だと思ったのだ。
「何を言ってるの?こちらこそ恭司がもっと安全に気をつけていれば希美ちゃんにひどい目に遭わせずにすんだのにね」
恭司の母親は優しい言葉をかけてくれた。
「そんな…わたしはもう大丈夫ですから」
「希美ちゃんだけでも元気になってくれて良かったわ。恭司の分まで生きてね」
「はい」
「それから希美ちゃんに好きな人ができたら迷わず結婚してね。恭司もきっとそれを望んでると思うわ」
(俺、そんなこと望んでないぜ。…それにしても俺がこのままなら、俺は希美として誰かと結婚しなくちゃいけないのか?そんなの絶対いやだ。俺が男と結婚するなんて有り得ねえ、絶対)
母親のそんな言葉に否定的な考えばかりが浮かんでくる。
その後も母親の言葉に適当な相槌を打ち、自分の家を出た。

普段は10分ほどの道のりを20分近くかけ希美の家に戻った。
「ただいまぁ。シャワー浴びてくるわね」
病院では身体を拭いてもらうばかりで風呂には入れなかった。
しばらくは湯舟には入れないが、シャワーだけならOKという許可はもらっている。
恭司は少しでも早く熱いお湯に身体で洗いたかった。
恭司は何の躊躇もなく服を脱いだ。
希美の身体になってから数週間経ち、希美の裸にも無頓着になっていた。
しかし希美は未だに恥ずかしさがあるようだ。
恭司はシャワーを頭から浴びた。
「ふぅ〜、やっぱりシャワーは気持ちいいや」
肌に当たるお湯が気持ちいい。
『何普通にシャワー浴びてるの!恭司はわたしの身体になったのよ?恥じらいってものはないの?』
「あっ、そうか。もう少しリアクションが必要だよな」
恭司は全身が見えるところに移動した。
『えっ、なに、やだ』
希美は焦っている。
「へへへ、希美の身体ってプロポーションいいよな」
『あんまり見ないでよ』
「そんなこと言っても自分の身体なんだからちゃんとチェックしておかないとな」
『…もうあんなこと言わなきゃよかった……』
恭司は胸を突き出すようなポーズをとった。
「希美って着痩せするタイプなんだな」
恭司は重さを量るように手に乳房を乗せた。
『スケベ!エッチ!変態!……』
希美は思いつく限りの悪態をついた。

希美の悪態を聞きながら恭司は全身をくまなく触った。
(本当にスベスベなんだな、希美の肌って)
『もう…スケベなんだから…』
(いいじゃん、それに清潔にしとかないとダメだろ?)
『そりゃそうだけど』
(ならちょっとくらい我慢しろよ)
そして恭司は股を広げて自分の女性の部分にシャワーをあてた。
(ぁ…なんか…感じる…)
『もう…ホンットにやめてってば』
(いいじゃん、気持ちいいんだからさ)
恭司は股間の溝に指を這わせた。
「…んっ……」
急に襲ってきた快感に思わず声を出してしまった。
『…』
さすがに希美に悪いような気がして恭司は女性の部分にシャワーをあてるのをやめた。
身体をサッと拭いて、下着をつけ、大き目のTシャツを着た。


その日の夜、恭司は早々とベッドに入った。
風呂での手の感触がまだ残っている。
恭司は自分の好奇心を抑えることができなかった。
パジャマの上から乳房を揉んだ。
(やっぱり柔らかい)
乳房を揉んだ手の感触と胸を揉まれた感触が脳に伝わってきた。
『やめてよ、変態』
恭司は希美の言葉を無視して胸を揉み続けた。
人差し指で乳首の先を触るとすごい快感だった。
気持ちいい。
希美も感じている様子が伝わってくる。

恭司はパジャマの下に手を入れ、直接乳房を揉んだ。
布団の中でこんな行為をしていることに少なからず罪悪感を感じた。
しかしその罪悪感が興奮を高めていった。

恭司はほとんど何も考えていなかった。
欲望のままに身体の敏感な部分を指を這わせた。
恭司の手はショーツの中に入った。
希美が何か叫んだが恭司には届いてなかった。
恭司の指が希美の最も敏感な部分に触れた。
(気持ちよすぎ…る…)
快感に押しつぶされそうだった。
それでも恭司は執拗にその部分を触った。
(わああああああ…)
意識が飛んだ。


「やったぁ。身体が動くぅ」
希美の発した声が聞こえてきた。
視界が何となく変だ。
暗闇でテレビを見ているような感じだ。
聴覚もエコーがかかっているように感じる。
『えっ…どうなったんだ?』
「わたしと恭司の立場が入れ替わったみたいよ」
『どうして…?』
「あんないやらしいことするからよ」
確かクリトリスを触っていて意識が飛んだ。
絶頂に達すると入れ替わるのかもしれない。
『おい、希美。お前もエッチしてみろよ』
恭司は自分の仮説を確認したくて、希美に頼んだ。
「はい、それじゃお休みなさい」
希美は恭司の言葉を無視して目を閉じた。
『希美のやつ、無視しやがって…。でもまあいいか、どうせ希美の身体だもんな』
恭司はどうせまたすぐに入れ替わるだろうと思っていたのだ。
希美が眠りに落ちていくのとともに恭司の意識は薄れていった。


希美に身体の主導権が戻ると、希美の生活は以前の生活に戻った。
違う点と言えば実体としての恭司がいなくなったこと。
そして希美の独り言が多くなった点だ。
独り言は身体の中の恭司と話しているせいなのだが、そんなことは周りの者には分からない。
したがって独り言が増えたように認識されている。
だが婚約者を亡くしたショックのせいと周りは理解していた。

そんな些細な違いはあったが、同じように時間が流れ、平凡な毎日が過ぎていった。
身体の中での恭司との会話はすでに当たり前のことになっていた。
まるで生まれたときからそうであったような気さえするのだった。



ある日、街を歩いているときだった。
希美の気持ちが少し高揚することがあった。
前から男が近づいてきたときだった。
(あっ、横山先輩だ)
『誰だ、横山先輩って?』
(えぇ、知らないの?女子の中ではちょっと有名だったんだけどなぁ)
『俺は男には興味はねぇ』
恭司は意識を目の前の男に向けた。
身長はそれほど高くないが、優しげなマスクの甘い2枚目といったところか。
希美からの情報によると横山一成と言い、結構女子からキャアキャア言われていたらしい。
バスケットボール部のキャプテンをしており、マネージャとつき合っていたという噂はあったが、実際は特に決まった女性はいなかったようだ。
それにしてもバスケットボールをするには170センチ程度の身長は低い部類に入ると思うが、それでもキャプテンを務めていたというのはドリブルのテクニックやゴール下に切れ込むスピードが優れているのだろう。
いわゆる田臥のようなタイプなのかもしれない。
残念ながら希美はその辺りのことは全く分かっておらず情報を持っていなかった。

(やっぱり高校のときよりカッコよくなってると思うわ)
『へえ、希美ってあんなのがタイプなんだ』
(別に何とも思ってないわよ。ただちょっと良くなったかなあって思っただけよ)
『ふ〜ん…』
希美は恭司が意味ありげに笑っていることを感じた。
「だってそのころはわたしたちつき合ってたじゃない」
恭司に対する反論のつもりだった。
『でも誰かのことをカッコいいと思うのは自由だろ?』
「あぁそんなこと言って。恭司ったらわたしとつき合いながらいろんな子のことをそういう目で見てたのね?」
『何だよ、それ。何でここで俺が責められなきゃいけないんだよ』
「責められるようなことをしてたからでしょ?」
希美は周りの者から見られていることに気がついた。
「あっ!」
希美は口を押さえた。
また自分でも気がつかないうちに声に出していたのだ。
(もうまた恥かいちゃったじゃない)
『俺のせいかよ?』
(だって恭司がつまらないことで突っ込んでくるからでしょ?)

恭司とのやりとりに気をとられていたが、気がつくと目の前に横山が希美をじっと見て立ち尽くしてた。
(えっ、やだ、なに、どうしたの?)
希美が軽いパニックに陥った。
そんな希美に横山が声をかけた。
「もしかして北川さん?」
「えっ、ええ…ぁ…はい」
希美は驚いた。
まさか横山が希美のことを知ってるとは思わなかったのだ。
「僕、同じ高校だった横山って言うんだけど、僕のことご存知でした?」
「ぁ…はい。バスケットのキャプテンをされてて有名でしたから」
「嬉しいな、知っててくれたんだ。どう?その辺でお茶でも」
希美は思わず「はい」と返事してしまった。

二人は近くの喫茶店に入った。
「久しぶりだよね。5年振りかな?」
「7年振りです。でもわたし、高校のころには先輩と全然話したことないですよね?」
「うん、確かに。だから久しぶりっていうのはちょっと違うかな?初めましてのほうがいいのかもしれないね。でも僕にとってはやっぱり久しぶりっていう言葉のほうがしっくりくるんだけどな」
希美は横山の言っている意味が分からなかった。

「北川さんは時々僕の部活を見にきてくれてたけど大体誰かにつき合ってきてるって感じだったよね?」
「えっ、そんなこと覚えてるんですか?」
「うん。初めて北川さんを見たときから何となく気になっていて。でも北川さんは他の女の子ほどキャーキャー言ってなかったから、ああ友達の付き合いで来てるだけなんだなって思っててさ。それとなく友達に聞いたら北川さんはつき合ってる奴がいるって聞いてすごく残念だった」
「えっ、それって…」
「僕は北川さんのことが好きだった。どんなに他の子から騒がれてもやっぱり北川さんのことが好きだった。今はもう結婚してるの?」
「いいえ」
「そのときの彼は?」
「亡くなりました、交通事故で」
「…そうなんだ。もしかしたらまだ彼のことを好きなのかな?」
希美は頷いた。
「そうか…」
横山は何かを考えているみたいに見えた。
そして意を決したような表情で希美の顔を真っ直ぐに見た。
「そんなときに何なんだけどそういうタイミングで僕たちが再会できたのも運命だと思う。僕とつきあってもらえませんか?」
「えっ?」
「正直、高校卒業してからつき合った女性はいた。でもいつも君と較べてしまって長続きしないんだ」
「でもわたし先輩のことあんまり知らないし」
「誰でも出逢ったときにはお互いのことを知らないのが普通なんだ。だから知らないことはつき合うことの障害にはならない」
『何だよ、こいつ。さっきから歯の浮くようなことばかり言いやがって』
さっきからずっと黙っていた恭司が口をはさんできた。
しかし希美は恭司のことを無視した。
「これから時間をかけて僕のことを知ってくれればいい。僕も北川さんのことをもっと知りたいから」
希美は「少し考えさせてください」というのがやっとだった。
横山は手帳に自分の携帯番号とメールアドレスを書き希美に渡した。
「ここに連絡して欲しい」
希美は逃げるように喫茶店を出て行った。


その夜、希美はずっと横山のことを考えていた。
そんな希美に恭司はどう声をかけていいのか分からなかった。
『別に俺のことなんか気にしなくてもいいんだぜ。好きなんだったらつき合ってみろよ』
何とかそれだけ希美に言うことができた。
(うん、ありがとう)
希美は横山先輩の携帯番号を見ながら眠りについた。

希美は翌日すぐに横山に連絡を取った。
「まだ先輩のことを知らないし、これから先輩のことを知るということで、おつき合いさせてもらってもいいですか」
「うん、もちろん。ありがとう」
こうして始まった二人の交際はまるで中学生の交際のようなものだった。
仕事帰りに数時間会う程度で身体の接触は手をつなぐ程度だった。

二人の交際に進展が見られたのはつき合い始めて3ヶ月を過ぎたときだった。
いつものように短いデートとも言えないようなデートをして希美の家の近くまで送ってもらう途中だった。
「もうそろそろ交際を始めて3ヶ月になるよね?」
横山が急にそんなことを言い出した。
「そうね」
希美が相槌を打つと、横山が立ち止まった。
希美は2歩ほど進んで、横山が立ち止まったことに気がつき横山のほうに振り返った。
二人は向かい合うような形になった。
「もう僕のことを受け入れてくれたって思っていいかな?」
希美はどう言えば分からなかった。

横山が希美の肩に手を置いた。
ゆっくりと引き寄せられる。
希美は目を閉じた。
横山の熱い息を感じた。
次の瞬間一成の唇が希美の唇に重なった。
ほんの一瞬だった。
唇はすぐに離れたが、その代わり強く抱き締められた。
あまりに身体が密着してるので、横山の股間が固くなるのを感じた。
そのせいか希美の身体が熱くなった。
それは恭司も感じていた。
『希美のやつ、マジだ』
恭司は希美の身体の中で希美の"本気"を感じていた。
寂しい気はしたが、これも致し方ないことなんだろう。
恭司は存在しないはずなんだから。
恭司は希美の恋の行方にできるだけ邪魔をしないよう改めて決心した。


キスをしてから次のステップに行くまでにそれほど時間は必要なかった。
「ちょっと寄っていかないか?」
初めてのキスから一ヶ月も経たないデート帰りのことだった。
「うん」
希美は少しの期待と大きな失望の予感を胸に返事した。
初めての横山の部屋は掃除が行き届いた綺麗な部屋だった。
部屋が2つと小さな流しだけがある台所があった。
「その辺に適当に座って。コーヒーでも入れるから、インスタントだけど」
「先輩こそ座ってください。私がやりますから」
「いや、今日は希美ちゃんがお客さんだから僕がやるよ」
インスタントコーヒーを前に他愛もない会話を交わした。
(あ〜あ、今日も特に進展なしなのかなあ)
希美がそう思ったときだった。
急に沈黙が訪れた。
目の前の横山が思い詰めたような顔をしている。
これは次のステップに踏み出そうとするときの顔だった。
「希美ちゃん」
希美の期待通り横山が近寄ってきた。

横山は希美を優しく抱き締めた。
「先輩」
希美は抱き締められることで、横山の身体の温もりを感じていた。
「いいかい?」
そんなことは聞いて欲しくなかった。
だから希美は黙っていた。
希美が返事しないでいると横山はもう一度聞いてきた。
希美は仕方なく頷いた。

希美は横山の腕に支えられながら、ゆっくりと畳の上に横たわった。
横山と目を合わせるのが恥ずかしく目を閉じた。
そのタイミングと合わせるように、横山の手が服の上から胸に触れた。
希美の反応を見ながら恐るおそるといった感じだった。

希美は横山にされるがままにされていた。
希美が嫌がらないことを確かめると、希美の服を脱がせようとした。
しかしあまり脱がせることはうまくないらしい。
もたもたして服が伸びてしまいそうだった。
「先輩、自分で脱ぎますから」
希美は上半身を起こし、服を脱ぎ、下着だけになった。
その間に横山は押入れの布団を敷き、自分は全裸になった。

再び布団で抱き合い、唇を重ねた。
キスをしながら背中に手を回し、ブラジャーのフォックを外した。
ブラジャーが乳房から外れ、その代わりに横山の手が乳房を覆った。
乳房を揉まれたり、乳首を摘ままれたりすると、気持ち良かった。
希美は声が出そうになるのだが、唇が塞がれたままだったので、うまく声が出なかった。
希美の快感を恭司も共有していた。
『女の感じ方ってすげぇな』
実際は希美が感じてるほどは感じていなかったのだが、それでも十分な快感を感じていた。

横山は唇を口から胸に移動させ、乳房の辺りに舌を這わせた。
希美は十分に感じていた。
ショーツの中は十分な湿り気を帯びていた。

横山の手がショーツに移動し、ショーツの上から恥ずかしい部分を触った。
それで希美のその部分が濡れていることに気がついた。
「希美ちゃん、感じてくれてるんだ」
希美は恥ずかしくて何も言えなかった。

横山が両手でゆっくり希美のショーツを下ろした。
横山が希美の股間に身体を入れ、恥ずかしい部分に顔を近づけた。
「希美ちゃんの女の子の部分って可愛いよ」
「先輩、恥ずかしいです」
「恥ずかしがることないよ、希美ちゃんのってとっても可愛いから」
そして横山の舌が希美のクリトリスに触れた。
「…んんんんん……」
ものすごい感覚だった。
恭司も快感でおかしくなりそうだった。
希美の意識がぶっ飛んだ。

急に感覚が直接的になった。
また希美と恭司の立場が入れ替わり、恭司が主導権を握ったのだ。
「…んんん………」
恭司は強い快感に気が狂いそうになった。
(男にあんなところを舐められて感じてるなんて)
さっきまで感じていた数倍はありそうだ。
(それにしても…こ…こんなにすごいとは……)
またいってしまいそうだ。
そう思ったときに横山の顔が恥ずかしい部分から離れた。

「希美ちゃんもしてくれないかな?」
横山は恭司の横に寝た。
そして恭司の手を横山の股間に持っていった。
「えっ、何を?」
恭司は横山が望んでいることが分かった。
しかし、あえて分からない振りをした。
「分かってるんだろ?もしいやなら無理にとは言わないけど」
横山は寂しそうな顔をした。
『先輩に嫌われることはしないで』
希美の懇願する声が聞こえた。
絶頂を感じてもう一度入れ替わりたい気分だった。
しかし今ここでオナニーを始めるのはあまりにも変な行為のように思われた。
覚悟を決めて、希美の代わりにフェラチオせざるをえないのだろう。
(分かったよ)
恭司は仰向けになった横山のペニスに手を添えた。
そして横山のペニスをまじまじと見た。
自分の物はしょっちゅう見たり握ったりしていたのだが、こんな形で他人の物を見るなんて想像すらしなかった。
それほど大きいものではなかったが、こんな形で見るとそれなりに迫力があった。
恭司は今度こそ覚悟を決めて横山のペニスを銜えようと行動を起こした。
口に入れる前、独特の臭いが鼻についた。
(臭いなあ)
恭司は一瞬口に入れることを躊躇った。
『恭司、お願い』
希美の声に押され、恭司は思い切って口の中に入れた。
嫌な味が口の中に広がった。
(どうしてこんなことしなくちゃいけないんだろう?)
『ごめんね、でも…』
(分かってるさ、希美のためだから我慢するよ)
恭司は鼻で息をしないようにして口の中のペニスに舌を這わせた。
そのほうが臭いを感じずにすむからだった。
そのうちに味も臭いも気にならなくなった。
むしろ自分の舌の動きに合わせたペニスの反応が面白くなってきた。
恭司は夢中になってペニスを舐め続けた。
やがてペニスの先から苦いものが出てきた。
(先走り汁が出てる…)
恭司はなぜか意地でもいかせてやろうという気になっていた。
だから苦いものを感じると、さらにペニスを舐めたり吸ったりした。
「希美ちゃん、もういいよ」
恭司の気持ちも知らず、横山は恭司の口からペニスを抜いた。

「もういいよ、ありがとう」
そう言って恭司を再び仰向けに寝かせた。
(ついにやられるのか)
そして自分のペニスを握り、恭司の女性器の辺りにペニスの先を当て何度か移動させた。
ペニスの先がクリトリスを擦る。
その度に「…ぁ…ぁ…ぁ……」と条件反射のように声が出てしまう。
気持ちいい。
恭司は男に入れられるという嫌悪感を覚えることはなかった。
入れて欲しい。
身体の中心から湧き上がる欲求に後押しされるように両脚を大きく広げて、横山のペニスを待った。

「希美ちゃん、いくよ」
恭司の女性器を刺激していたペニスの先が膣口にあてられた。
横山のペニスが入ってきた。
(な…何なんだ、これ……)
入れられることの違和感とそれ以上の快感が身体の中心から身体全体に広がった。
「んんんんんんん……」
何も考えられなかった。
身体の芯から快感が次から次に湧いてきた。
横山が身体の上で激しく動いている。
強い快感がうねりのように恭司の身体を駆けめぐる。
(……あああ……もうちょっとでいきそう……)
恭司は絶頂の予感を感じた。
希美も一緒に感じているようだ。
(もっと…もっと…強く突いてほしい…)
恭司も無意識に横山の動きに合わせて腰をふっていた。
(…あ…あ…あ…いきそう…)
横山の動きがさらに速度を増した。

しかし恭司がいく前に横山が恭司の中で精子を放出した。
横山が小さな痙攣をしながら精子を恭司の子宮に放った。
気持ちは良かったが、欲求は完全に満たせられなかった。
(もうちょっとでいけたのに…)
恭司は横山に不満を持った。
そんな感情のままさらに横山を求める自分に戸惑いを覚えた。
(何を考えてるんだ、俺は。これじゃまるで欲求不満の女じゃないか)

「希美ちゃん、良かったよ。希美ちゃんは?」
横山は嬉しそうな顔で恭司の顔を覗き込んだ。
(あ〜あ、男ってやっぱり聞いてくるんだ。女がいったかどうかなんて分からないから仕方ないけどな)
そんなことを思いながらも恭司は大人の回答をした。
「わたしも」
明らかに社交辞令だった。
実際は恭司はいけなかったのだから。



家に戻ると、風呂に入って、身体を綺麗にした。
そして自室に戻りオナニーを始めた。
胸を揉みながらクリトリスをいじった。
どこを触れば希美の身体が最も感じるのかは大体把握していたのだ。
(…ああ本当に気持ちいいや……)
恭司は乳首とクリトリスに刺激を与え続けた。
「…んんんんんん……」
ゆっくりと確実に昇っていく感じがあった。
そしてついにいくことができた。
その結果また主導権が希美に戻った。

「もう帰ってすぐにやらしいことしないでよ」
主導権の戻った希美は服装を整えながら立ち上がった。
『だって早く元に戻ったほうがいいだろ?』
「そりゃそうだけど、そんなに急がなくてもいいわよ」
『そうなのか?』
「恭司がわたしの身体を動かしても、そんなに変なことしないって思ってるし」
『それじゃ無理に入れ替わらなくても、流れに任せていいんだな』
「もちろんそれなりには主導権を返してもらえば嬉しいけど」
『どっちなんだよ、難しいな。でも分かったよ、身体を休ませてから戻るとかすればいいんだろ』
「うん」
その日から恭司と希美の関係にセックスという要素が加わった。


次の日も横山は会うとすぐに希美の身体を求めた。
キスしながら希美は横山の股間に手をあてた。
「今日はわたしからしてあげる」
希美はすぐに横山のペニスを銜えた。
前日恭司がフェラチオでいかせそうになったから、それに対する競争心からだった。
(わたしなら先輩を最後までいかせてあげられる)
希美は一生懸命ペニスを吸った。
しかしあまりにも対抗心が強すぎて力が入りすぎたようだ。
「い…痛い…。もういいよ」
横山は痛そうな顔をしながら希美の口からペニスを抜いた。
(どうしてわたしだとあんなに痛がるの?恭司のときはいきそうになったのに)
希美のそんな声が聞こえても恭司は何も言い返すことはできなかった。

横山は希美を押し倒し、服の下の乳房を触った。
しかしなぜかほとんど感じなかった。
フェラチオで感じてくれなかったことが精神的にダメージがあったのだ。
それでも感じていないことが横山に分かるのはまずいと思い、希美は感じている振りをした。
最初は本当に振りをしているだけだった。
しかし、感じている振りをしていることで本当に少しずつ感じてきた。
感じているうちに希美はいつの間にか全裸になっていた。
「希美ちゃん、今日はバックでやらないか」
希美は言われるまま四つん這いになった。
「希美ちゃんのお尻って魅力的だな」
横山の指が希美の肛門辺りをさすった。
「先輩、やめて」
希美は身を捩るように抵抗した。
しかし、それは形だけだった。
恥ずかしい部分を触られていることで希美は興奮していた。
(入れて…欲しい……)
そんな希美の願いに入れられたのは指だった。
しかも膣ではなく肛門だった。
「先輩、本当にダメだってば」

後ろから横山のペニスが入ってきた。
横山は希美の腰を持ち、腰を前後させた。
希美のお尻からパンッパンッと大きな声が響いた。
希美は腰の動きを少しずつ変化させた。
するととても感じるところがあった。
(あ…あ…すごい……)
希美は身体の中を掻き混ぜられるような感覚に襲われた。
何も考えられなかった。
目の前が真っ白になった。


希美の身体は絶頂に達したあとのせいか全く力が入らなかった。
恭司は手に力が入らず腰だけを浮かせて突っ伏した。
「うっ」
横山の短い声のあと、暖かいものが恭司の中に放たれたことを感じた。
横山はすぐに恭司から離れて、恭司の横に仰向けに寝転んだ。
恭司は横山の腕に抱かれるように横山に寄りそった。
(女のセックスに嵌りそうだ…)
恭司はそんな予感がした。

(なあ、無理に戻らなくてもいいか?)
『どうして?恭司は女の感覚のほうがいいの?』
(……)
『そうなのね?』
(…ああ。俺、お前の身体で抱かれるの…好きだ…。だから…)
『いいわ、自然に任せましょ。無理に入れ替わるんじゃなく、自然に…』

その日から横山とのセックスの度に入れ替わることになった。
恭司で始まり、セックスが終わると希美になった。
希美で始まり、恭司になっていることもあった。
希美で始まり、一旦恭司になり、再び希美で終わることもあった。

そうしているうちに、希美だけでなく恭司も横山を愛するようになった。
言い方を換えると横山とのセックスが恭司にとって必要不可欠のものになっていた。


それから週末になると交わるようになった。
その日は希美の状態で終わった。

希美が横山の家から帰る途中だった。
希美が歩いていると白い乗用車が音もなく近づいた。
「すみません、駅ってどっちの方角なんでしょうか?」
運転手が地図を手に持って希美に話しかけてきた。
「ええと、駅はですね…」
希美が男の出した地図を覗き込もうとした。
すると男はスタンガンを希美の手にあてた。
「あっ」
希美は手を引っ込める間もなくスタンガンの電流が流された。

希美が気がついたのは知らない部屋だった。
壁の至る所に希美の写真が貼られていた。
高校のころから最近のものまで過去何年もの写真だった。
(何、この部屋?)
『希美、気がついたのか?』
(恭司、ここはどこなの?)
『分かんないよ、希美が気がつかないと俺も何の情報も入ってこないからさ』
(そりゃそうよね)
希美は手足を動かそうとした。
しかし手は後ろ手に縛られており動かなかった。
脚もガムテープで縛られていた。

「あ、気がついたんだ」
男の声がした方向を見ると、そこにはさっきの車の男がいた。
「何なの、あなたは?」
希美は男に恐怖を感じた。
「俺のこと知らないのか?ずっと希美ちゃんのことを見てきたのに、さ」
「もしかしてストーカー?」
「失礼だな、ずっと希美ちゃんを守ってきたのに。この前だって、悪い男と結婚するという噂を聞いたから、俺が排除してやったのにな。感謝してもらわないと」
「えっ」
希美は男の言葉に驚いた。
『こいつが俺を轢き殺したのか』
恭司は男に対する怒りがこみ上げてきた。
「俺がこんなに愛してるのに俺のことに気がつかずに次から次へと男とくっつきやがって、ちょっとお仕置きが必要かなと思って、さ」
男が嫌らしい顔をして近寄ってきた。
希美は恐怖で目を開けていられなかった。

男の手がスカートの中に手を滑り込んできた。
そして男の手がショーツの上から希美の敏感なところに触れた。
しかし希美は恐怖で何も感じなかった。
『希美、俺と入れ替わってくれ』
希美と入れ替わって、男を撃退しようと思ったのだ。

「脚を閉じられちゃ触りづらいな」
男は脚を拘束していたガムテープをハサミで切った。
希美は脚が自由になった。
「それじゃ脚を開いてもらおうか」
しかし希美は身体が固まってしまい身動きできなかった。
「仕方ねえな。俺の手でこじ開けてやろう」
男は希美のショーツの中に手を入れ、撫でるように手を動かした。
やはり希美は恐怖で何も感じることができなかった。
『おい、希美。リラックスだ、リラックス』
恭司は希美の緊張を解こうと必死だった。

希美は相変わらず何も感じなかった。
『希美、相手を横山だと思え』
恭司は何とか入れ替わろうと必死に希美に呼びかけた。
そんな恭司の呼びかけにも全く無反応だった。

「全然濡れないな。不感症か?」
男は手の動きを止めた。
「仕方がないな、それなら」
そう言って、希美のショーツを脱がせた。
そして自分の手に唾をつけ、その唾のついた手を再び希美の股間に伸ばした。

「俺の唾で濡らしてやるよ」
手についた唾を膣の辺りに塗りたくった。
そして指を膣の中に入れてきた。
(い…痛い…)
膣はまだ受け入れる態勢ができておらず、希美は痛みを感じるだけだった。
希美が痛がっていることにもかまわず、男は希美の顔を見ながら指を出し入れした。

『希美、愛してる』
そんな希美に急に恭司が話しかけてきた。
それもこんな場面なのに愛してるなんて…。
(な…何を言ってるの、こんなときに?)
『こんなときだからこそ言うんじゃないか。奴は自分の欲求を満たすためには俺を轢き殺す奴だぜ。希美とこうして話せるのも最後かもしれないじゃないか』
(恭司…)
希美は何かときめくものを感じた。

すると男の手の動きが気持ち良く感じられた。
「…ぁ…ぁ…んんん……」
「やっと感じてきたみたいだな」
男の声で一瞬恐怖心が戻りかけたが、それ以上の快感がの恐怖心を消し去った。
「…んんん……」
希美は昇り詰めようとする身体を抑えられなかった。
しかしこんなストーカーに自分が感じていることを覚られたくなくて必死に声を抑えた。
そんな姿は男をさらに燃え上がらせた。
男は2本の指を希美の膣に出し入れした。
(ぁ…ゃだ…いきそう…)
希美が絶頂を感じた。

やっと恭司が主導権を取れるようになった。
しかし絶頂を感じた身体は力が入らなかった。

「俺のフィンガーテクニックにオーガズムまでいっちゃったか?それじゃもっと天国を教えてやろう」
男は素早くズボンとパンツを脱いだ。
男のペニスは明らかに太くて大きかった。
(あんなの入れられたら裂けちゃうんじゃ…)
恭司のそんな考えが行動に現れることはなかった。
身体を動かそうにも全く力が入らないのだ。
それに男が恭司の両脚をしっかりと腋の下に抱えて脚を動かすことは不可能だった。

「それじゃ俺のチンポを味わってもらおうか。俺のチンポを味わったら、俺の虜になるのは確実だぜ」
男のペニスが入ってきた。
「…んんん……」
横山のものより太いせいか、より強くペニスを締め付けているのが恭司にもわかった。
(俺が希美を守んきゃいけないのに)
そんな思いも快感で流されてしまった。
「全部入ったぜ」
あんなに大きなペニスが恭司の中に入っているのだ。
信じられない思いだった。
恭司の膣全てに男のペニスが潜り込んでいる。
男が動かなくてもペニスの先が子宮をつついていた。
「…あ…あ…あ…あ…あ…あ…あ…」
男のリズミカルな動きに合わせて声が漏れた。
ペニスの先が子宮を強く押しているのだ。
恭司は何も考えられなかった。
ただただ感じたまま声を漏らしていた。

男の動きは数十分に及んだ。
しかし一向に射精しなかった。
その間、恭司と希美は何度も絶頂を感じた。
どちらが身体の主導権を取っているのか分からなくなっていた。

「ちょっと喉が渇いたな…」
男はペニスを抜き、立ち上がった。
恭司は焦点の定まらない目でその姿を追った。
どうやら今は恭司に主導権があるようだ。

男は冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
「希美ちゃんも飲むか?」
恭司は返事をしなかった。
というか返事ができなかったのだ。
「ははは、俺のチンポの魅力に痺れちゃって、口も利けなくなっちゃったってか」
男は一気にビールを飲んだ。
「プハー、運動の後のビールはうまいぜ。あ…まだ運動中だっけ?それじゃ続きをやりますか」
男は空いたビール缶をゴミ箱に投げ捨て、恭司に近づいてきた。

(今しかない)
恭司は頭がボーッとしていたが、それでも気力を振り絞って男の股間を思い切り蹴り上げた。
あまり思い切り蹴りすぎたため蹴ったあとバランスを崩して倒れてしまったほどだった。
それでも見事にヒットした感じが足の甲から伝わってきていた。
「ぐふっ」
妙な声を上げて男は口から泡を出して倒れた。
(よしっ、やった)
恭司は倒れた状態のまま、男が意識を取り戻さないうちに逃げようと必死にもがいた。
そのおかげで手首を拘束していたガムテープが少しずつ外れた。
ついに手足が自由になった。

恭司はフラフラと立ち上がった。
そしてすぐに自分がされたようの男の両手両脚にガムテープを巻いた。
床に転がっていたティシュを何枚も取り、女性器の辺りを拭った。
傍らに捨てられていたショーツに脚を通した。
そして110番に電話をした。

『恭司、ありがとう』
消え入るような希美の声が聞こえた。
(ああ)
そんな恭司の返事は希美には届かなかったようだ。
どうやら希美は気を失ったようだ。

警察はすぐにやってきた。
やってきた警察に、男に拉致されて乱暴されそうになったこと、男が以前の轢き逃げをしたと話していたことを告げた。
警察は男を連行した。
もちろん、恭司も警察に連れて行かれ事情聴取された。

ようやく恭司と希美の交通事故が解決されそうだ。
男は単なる轢き逃げではなく殺人として起訴されそうだという話が聞こえてきた。


警察の事情聴取から解放されると警察署の外には横山が待っていた。
「希美ちゃん、大丈夫だった?」
「ぁ…うん…」
「送っていくよ」
「ぁ…うん……ぁ………やっぱり……先輩と一緒にいてもいい?」
恭司はあんなことが起こった痕だから希美のために横山と一緒にいるべきだと思ったのだ。
しかし希美のためというのは言い訳だった。
恭司自身が横山を欲していたのだ。
そのことは恭司自身も気づいてなかった。

それまで恭司は横山というより男の性を求めていた。
女性としての性の快感に溺れていたのだ。
しかし今日は横山自身の愛が欲しかった。
横山の部屋に入ると恭司はすぐに横山の胸に飛び込んだ。
「先輩、恐かった…」
演技でも何でもなく涙がこぼれた。
横山は恭司のことを優しく抱きしめてくれた。
恭司は横山のそんな温かさが嬉しかった。

恭司は横山に抱き締められるがままにしていた。
横山は恭司の反応を確かめるようにゆっくりと顔を近づけた。
あんな事件があった後だけに男に対する嫌悪感が残っているのかを気にしたのだ。
恭司に嫌がる様子が見られないと分かると優しく唇を重ねた。
いつものように舌を入れるわけでもなく、ただただ重ねるだけだった。
恭司は横山のそんな優しさが嬉しかった。

「先輩、抱いて。あんな男のことは忘れさせて」
「分かった」
横山は恭司の全身を優しく愛撫した。
恭司はいつも以上に感じていた。
気持ちの繋がりがこんなに感じ方に違いを及ぼすとは思わなかった。
横山が入ってくると、恭司は簡単に絶頂に達した。

身体の主導権を取り戻した希美は横山の胸に顔を押しつけて涙を流した。
横山はそんな希美の頭を撫でてくれた。
希美の心の中が少しずつほぐれていくのが自分でも分かった。

横山が腰を動かし出すとあの男のときよりも希美と恭司の入れ替わりは激しく起こった。
横山が身体の中で弾けたとき希美と恭司はこれまでに経験したことのない幸福感に包まれていた。



事件があって半年以上経ったときに、希美の身体に変調があった。
「あの…先輩…」
「ん?何だい?」
「できたみたいなんです」
そう言って希美は自分のお腹を見た。
「えっ?本当に?」
「はい」
横山は何か困ったような顔をした。
希美は嫌な予感がした。
しかしそれは希美の杞憂に終わった。
「…いずれプロポーズしようと思ってたんだけど少し早まっちゃったな」
「えっ、それじゃ?」
「希美ちゃん、僕と結婚してください」
希美は満足な返事もできず、ただただ泣くばかりだった。
そんな希美を横山は優しく抱きしめた。
どれくらい泣いていたのだろう。
ようやく落ち着いてきた。
「本当にわたしでいいの?」
「希美ちゃんでないとダメなんだ」
「先輩…ありがとうございます。ふつつかなわたしですけどよろしくお願いします」

横山はお互いの両親に話をつけて、すぐに入籍した。
そして入籍後に親族だけの簡単な結婚式を行った。

妊娠が分かってからは、あまり激しいセックスをしないせいか、それとも希美が無意識に抑制しているせいか絶頂まで達することはなく、ずっと希美が主導権を取ったままだった。
恭司はそれでもいいと考えていた。
希美の身体の中で、日に日に母親としての自覚が出てくる希美を嬉しいような寂しいような思いで感じていた。

今では希美にとって恭司の存在はかけがえのないものになっていた。
恭司との無駄とも思えるやりとりに相当助けられた。
『名前は何てするんだ?』
(今考えているところよ。赤ちゃんの顔を見て決めると思うわ)
『女の子だったらカナエってどうだ?』
(かなえちゃんか、可愛いわね。でもどうしてかなえちゃんなの?)
『もしもうひとり妹ができたらタマエにするんだ』
(かなえちゃんとたまえちゃんか。確かに可愛いけど…)
『お前の名前が希美だから母娘でつづけると…』
(ノゾミカナエタマエ……。望み叶え給え!?何よ、それ。ふざけてるの?)
『ふざけてないよ。いい名前だと思うけどなぁ』
(とても真面目に考えてると思えないけど…。まあ一つの意見として聞いておくわ)
マタニティブルーになりそうなときでもこんな軽口を叩いてくる恭司のおかげで乗り切れたと感じていた。


臨月を迎えた。
相変わらず身体の主導権は希美自身が持っていた。
(いよいよお母さんになるのね)
『産むまで俺と入れ替わるなよ、出産なんて勇気はないからな』
(分かってるわよ。わたしだって自分で産みたいもの)
希美は幸せそうにお腹に手を置いた。


お腹が急に痛んだ。
陣痛だ!
横山は会社に行っている。
希美はあらかじめ用意してあった荷物を持ち、タクシーで病院に急いだ。
『希美、頑張れ』
恭司の声に希美は助けられた。
それでもやはり横山にそばにいてほしかった。
希美は横山にメールを打った。
《もうすぐ産まれそう。病院に来て》
横山からすぐに返事が来た。
《今会議中。会議が終わったらすぐに行く》

病院に着くと、すぐに分娩室に行くと思っていたが、一旦別室で待たされた。
まだまだこんなものではないそうなのだ。
希美にとっては初めての出産だからどれくらいの痛みだといいのか想像もつかなかった。
とても不安だった。
(恭司、恐い)
『大丈夫だって。もうすぐ先輩も来るだろうし』
恭司は希美のことを一生懸命励ました。

痛みの間隔が短くなったころ、ようやく分娩室に運ばれた。
その頃には脂汗が出てるであろうくらい痛みが激しかった。
横山はまだ来ない。
『希美、しっかりしろ』
希美は必死に呼吸法をしながら赤ちゃんを産もうと頑張っていた。
時々痛みで気が遠ざかりそうになった。
それでも希美は必死に頑張った。


「オギャーオギャーオギャー…」
赤ちゃんの泣き声で意識を取り戻すと、分娩台にいたのは恭司だった。
主導権が恭司に戻ったのだ。
(せっかく希美が産んだのに俺のほうが産まれた赤ちゃんを抱くことになっちゃったな)
そう思っていると、産まれたばかりの小さな子供が目の前に運ばれてきた。
「元気な女の赤ちゃんですよ」
「ありがとうございます」
恭司は希美として希美の代わりに答えた。

出産後の手当てが終わると、分娩室から一般病室に移された。
そこには産まれたばかりの赤ちゃんを抱いている横山がいた。
「よく頑張ったな」
「ええ」
「可愛い女の子だぞ」
「本当にそうね」
恭司は出産直後の母親を演じた。
「ねえ、先輩。赤ちゃんの名前だけど香奈恵にしようと思うの」
「ついこの前は女の子だったら早紀子にしようと言ってたじゃないか」
「でもこの子の顔を見てたら香奈恵のほうが似合ってると思わない?」
あとから希美に怒られるかなと思いながら恭司は言った。
「希美が産んだんだから、自分で決めればいいさ」
結局赤ちゃんは香奈恵と名づけられた。

恭司は香奈恵におっぱいをあげたりしてバタバタと時間が過ぎていった。
そんな状態だったから希美としばらく話していないことに気づくのが遅れた。
(希美?)
希美との会話がないことに気づいてすぐに希美に話しかけた。
しかし希美からの返事がなかった。
恭司は身体の中の希美の気を探ったが、希美の気配を感じられなかった。
(もしかして希美の魂が消えてしまったのか…)
もう一度希美の気配を探った。
まったく感じることはできなかった。
(死んじゃったんだろうか?)
そう思うと涙が溢れてきた。
(きっと香奈恵に希美の魂が入ったんだ)
恭司はそう思うことにし、今まで以上に大切に香奈恵を育てることにした。

香奈恵が1歳半になるころには次の子がお腹にいた。
「香奈ちゃん、もうすぐ香奈ちゃんはお姉ちゃんになるのよ」
「それじゃ、ママのお腹に赤ちゃんがいるの?」
「そうよ。香奈ちゃんってよく知ってるのね?」
「女の子だったらたまえちゃんにするの?」
「!?」
「だってママ、あたしが産まれる前に言ってたもんね」
恭司は溢れる涙を止めることができなかった。
「やっぱり希美だったんだ、よかった」
恭司は香奈恵を強く抱きしめた。
「ママ、苦しいよ。あたしはもう香奈恵だよ」
「うん、そうね。でもしばらくはこうさせてね」
恭司は香奈恵になった希美の身体の温かさを感じていた。
(神様、ありがとう)
恭司は心の中でそう呟いた。


《完》

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