嫉妬



「ありがとうございます」
「これからが本番だ。これからもよろしく頼むよ」
「はい、こちらこそよろしくお願いします!」
松村豊はついに大きな契約を成立させた。
彼が勤めているような弱小企業だとこの1件だけで年商の10%にも届きそうな契約だ。
ここまで来るのには並々ならぬ苦労があった。
他社が思いつかないような提案をするためプロジェクトメンバーで何日も徹夜したこともあった。
プロジェクトメンバーと言っても何人も投入できるほど余裕のある会社ではなかったので、専任の松村と他業務との兼任の2人の計3人だけのプロジェクトだった。
したがって、実質は松村一人がやり遂げたと言っても過言ではなかった。

会社に戻って仲間や上司に報告した後、プロジェクトメンバーを中心に集まった仲間で祝杯をあげた。
皆がこの成功を喜んでくれた。
話題の中心はもちろん松村だった。
松村はヒーローだった。
人生最高の夜だ。
その夜松村はこれまでの人生で最も酒を飲んだ。
まさに浴びるほどに飲んだ。
「それじゃそろそろお開きにしようか」
その言葉を合図に会は解散になった。

もともとアルコールに強い彼でさえさすがに足にきた。
本人が真っ直ぐ歩いているつもりでも実際は千鳥足状態だった。
松村が細い路地を歩いていると、前からフラフラと歩いてくる奴がいる。
(おっ、あいつも気持ち良さそうに歩いてるな)
松村は何となく親近感を覚えたときだった。
《グサッ》
松村は腹に鋭い痛みを感じた。
男が持っていたナイフで松村の腹を刺したのだ。
「何で?」
松村には意味が分からなかった。
男はナイフを抜いて、再び刺そうとした。
松村は避けようとしたが、アルコールと腹の傷の痛みでうまく動けなかった。
バランスを崩して道に転がった。
「畜生」
男は訳の分からないことを叫びながらナイフを振り下ろした。
松村は下腹部に痛烈な痛みを感じた。

まだまだ人の流れが途切れていない時間のため、松村が刺された様子は複数の人間により目撃されていた。
「人が刺されたぞ」
「救急車を呼べ」
「犯人はまだ包丁を持ってるぞ」
「逃げろ」
遠ざかる意識の中で人々のそんな声を聞いていた。

次の日になって松村が刺された事件は社内に広がっていった。
「松村が刺されたらしいぜ」
「女遊びのしすぎじゃねえの?振られた女の仕返しとか」
松村の成功に対する妬みからか社内では無責任な噂が飛び交った。

すぐに松村の同期の川合悟がプロジェクトリーダーに抜擢された。
川合は契約先に出向き、顧客との信頼関係の構築に心を砕いた。
そもそも松村の才能を買っての契約だった。
松村の不在は先方の会社にとっては契約を破棄しても致し方のないことだった。
それを川合は足繁く先方に通うことで契約破棄にならないように努力した。
また社内調整にも奔走し関係部署との関係が希薄になることを未然に防いだ。
おかげで松村が現場を離れた影響は最小限にとどめることができた。
というよりもこれからのプロジェクト推進を考えるとスピードアップさえできそうな勢いまで持って行くことができた。
いつの間にか契約締結自体も川合の手柄のように思われていた。

「ペニスに致命的な傷を受けた。睾丸はひとつは潰れていて、あと一つは現場に落ちていたそうだ。潰れていた睾丸は除去した。ペニスはとりあえず半分ほど残っていたのでそのままにしてあるが、生殖機能としては役に立たない。形成外科でもう少し元の形に近づけるか思い切って切り取るかした方がいい」
松村は運ばれた病院で死の宣告に近い事実を知らされた。
(男として死んだも同然じゃないか…いや死んだほうがむしろ楽だったかもしれない)
松村にとっては身体的な傷よりも精神的な傷のほうが大きかった。

悪いことは重なるもので、除去した睾丸から癌細胞が見つかった。
もしかすると体内に癌細胞が残っているかもしれない。
癌の進行を遅らせるためということで何かの薬が投与された。
それは女性ホルモンだった。

男性ホルモンを作るはずの器官がなくなった上に、癌予防として女性ホルモンを摂取しているため、松村の身体の女性化が進んだ。
髭はほとんど剃る必要はなくなり、肌はきめ細かくなっていった。
筋肉もずいぶん落ちてしまった。
筋肉が落ちた代わりに脂肪がついて、全体として丸みを帯びた身体になっていった。
週2回の入浴のたびに、どんどん女らしい身体に変化していく自分の姿を認めざるをえなかった。
3ヶ月もすると胸には小さな膨らみができた。
やがてそれはパジャマを着ていても分かるほどに育っていった。
髪の毛は伸びるに任せており、肩に届くまでに伸びていた。
そのため病院内を歩いていると松村のことを男性だと思う者はほとんどいなかった。
松村自身も自分が女性として扱われることにさほど違和感を感じなくなっていた。
ただ股間にある3センチほどのペニスの残骸を見る度に惨めな現実を思い出さざるをえなかった。
いっそのことこんなもの取ってしまって、女になってしまったほうがいいんじゃないかとすら考えることもあった。

「松村さん、あなたはもう体力的には十分回復しています。ある程度の手術にも耐えられるはずです」
担当医はそこで間をおいた。
「今のままだと不完全な男性器がどうしてもコンプレックスになるでしょう。そこでですね…思い切って性転換してはどうでしょうか?」
「性転換?」
松村にとって予想通りの言葉だったが、やはり実際の言葉として聞くと驚くしかなかった。
「松村さんにはまだしばらくの間、プレマリンを飲んでもらわないといけません。したがってまだもう少し女性化が進むと思います。ペニスを形だけ戻すこともできますが、それだと外見は女性なのに性器だけ男性というニューハーフになるだけです。性器を女性にすると外見と性器が一致しますし、希望されれば戸籍も女性に変更できると思います」
松村は何も答えなかった。
言葉を発することができなかった。
「そんなに簡単に決めることができる問題とは思ってません。松村さんのこれからの人生が大きく変わるかもしれないんですから。だからしっかり考えてください。決心がつけばいつでも言ってください」
担当医はそれだけ言って、病室を出て行った。

(女になる?この俺が?)
何となく漠然と考えていたことが実際の言葉にされた。
そのことで自分が女になることが、より現実味を帯びてきた。
松村は自分の身体を思い浮かべた。
どう見ても女にしか見えない身体を。
おしっこする度に絶望的になるペニスの残骸を。

今の自分の姿はお世辞にも男には見えない。
しかし自分は精神的には女になりたいというところはない。
松村はどうすればいいのか分からなかった。
何も考えられなかった。

(もうどうでもいいや)
半ば自棄になり、次の日、松村は言われるまま女になることを承諾した。
特に理由はなかった。
悩むことも面倒に思えた。
だから言われるままに性転換手術に同意しただけだった。

手術は即日行われた。
まるで松村の心変わりを恐れるかのように…。
松村が承諾することが分かっていたように準備が整っていた。

手術は成功裡に終わった。
しかし性転換手術は松村に何も希望を与えなかった。
そもそも松村は心が女だったわけではない。
心と身体の不一致が性同一性障害なら、今の松村がまさにその状態だった。
身体だけが女性になり、気持ちがそれについていかない。
松村はひどい鬱状態に陥った。

松村はこの世の不幸を全部自分が背負っているように感じていた。
ほとんど何もやる気が起こらない。
そんな状態でもなぜか膣拡張だけは真面目に行っていた。
何かひとつでも作業をこなすことで何とか精神状態を保っているのかもしれない。

一方で松村は他人との接触を極端に嫌がった。
担当医の問診でもほとんど何も話さないようになった。
話さないだけでなく、目も合わさないような状態だった。
そんな中、一人の看護師が松村に誠心誠意看病してくれた。
名前を大橋貴子と言った。
貴子は背の小さなおとなしめの笑顔が素敵な女性だった。
松村が入院した当初からいろいろと世話をしてくれた看護師だった。
特に忠告らしいことを言うわけではない。
松村の反応がなくともただ明るく優しく接してくれただけだ。
決して松村の心の中に踏み込むことは全くなかった。

貴子は松村のことをいつの頃からか豊の"ゆ"をとって"ゆうちゃん"と呼んでいた。
"ゆうちゃん"。
呼ばれた始めたころは馴染めなかったが、自分が女性になってしまったせいか、だんだんそう呼ばれることに違和感がなくなってきた。

そんな貴子の態度に松村の閉ざされた心が少しずつ開いてきた。
貴子の言葉には「うん」とか「ううん」とか簡単な反応を示すようになったのだ。

松村は単純な受け答えだけでなく、貴子と少しずつ会話を交わすようになった。
会話をすることで、松村の精神状態は改善されつつあった。
季節が暖かくなると、病室にこもりがちだった松村は病院の中庭くらいには散歩に出るようになった。
すでに入院してから1年近くの歳月が経っていた。

ある日、松村が中庭を歩いているときだった。
「ねえ、お姉ちゃん」
4歳か5歳くらいだろうか、小さな女の子が松村に話しかけてきた。
お姉ちゃんという言葉に違和感を感じないわけではないが、今の自分の姿からするとお姉ちゃんが相応しいのかもしれないなと考えるしかなかった。
「なあに」
松村は女性らしく接しようと努めた。
「お姉ちゃんってあんまり笑わないね」
「そう…かな?」
「だって由宇、ずっとお姉ちゃんのこと見てるけど、いっつも悲しそうな顔してるんだもん」
「由宇ちゃんって言うんだ?お姉ちゃんもゆうちゃんって呼ばれてるんだよ」
「あたしは大塚由宇って言うの」
「由宇ちゃんって可愛い名前だね?」
「うん、由宇、由宇のお名前だぁい好き」
「お姉ちゃんも自分の名前好きだよ」
松村は無邪気な由宇の姿に思わず微笑んだ。
「あっ、お姉ちゃんが笑った。お姉ちゃんって本当に綺麗。由宇も大きくなったらお姉ちゃんみたいに綺麗になるの」
「綺麗?わたしが?」
「うん、お姉ちゃんってすっごく綺麗だよ」
「そう?ありがとう」
松村は小さな由宇から綺麗だと言われたことを嬉しいと感じた。
一方では綺麗と言われて喜ぶ自分の心境を不思議に思えた。

次の日も松村は由宇との時間を過ごした。
由宇はいろいろと話してくれた。
生まれたときから心臓に病気があること。
時々発作が起こって入院すること。
心臓に病気があるのに元気にしている由宇がすごいと思った。
そして、由宇と過ごす時間が松村に変化を与えた。
少しずつ女性も悪くないなと考えるようになっていったのだ。
女性の笑顔は周りを幸せにしてくれる。
自分も不本意とは言え女性になったんだったら周りを明るくできるはずだ。
実際由宇ちゃんを明るくできたんだから、自分にできないはずはない。
松村はそう考えられるまで回復したのだった。

そんな精神状態になることができてようやく松村の退院が見えてきた。
病院側の計らいで松村には女性の戸籍が用意された。

松村の退院を翌週に控えて、松村は病院から外出許可をもらって、貴子とショッピングに出かけた。
退院後の生活用品を揃えるのが目的だった。
一通りの買い物を終え、病院近くの喫茶店に入った。
「来週いよいよ退院だけど大丈夫?」
「ん…ちょっと不安…かな?」
「不安で当然じゃない?それでもゆうちゃんなら何とかやっていけるわよ」
「うん」
「それにゆうちゃんは美人だし、きっと男の人が言い寄ってくるんじゃない?」
「そんな…わたし、まだ男の人とつき合うなんて想像もできないわ」
「無理につき合う必要はないし、自分の気持ちに素直になればいいんじゃないかな?」
「恋愛のほうはともかく頑張っていくわ」
「何かあったらいつでも連絡ちょうだいね」
「うん、ありがとう」

事件から1年半が経った翌週、松村はようやく退院した。


松村は松村祐子として会社に復帰した。
これは人事部長の計らいだ。
人事部長だけは松村の入院からの出来事全てを理解してくれていた。
松村にとっては"復帰"でも、会社のみんなから見れば中途採用で採った女子社員というだけだ。
松村なんて名字は珍しいものではないから、あえて同姓だということを注目する者もいない。
松村祐子が松村豊だと知る者は人事部長以外誰もいなかった。
祐子にとってはそのほうが都合が良かった。
性転換して復帰なんてことが知れたら、すぐにでも会社を辞めざるをえないだろう。

祐子は以前と同じく営業部営業一課に配属された。
上司は課長となった同期の川合だった。
川合は例のプロジェクトを成功させた功績を認められ、若くして課長に抜擢されたのだ。
それだけではない。
専務の娘と結婚し、将来は幹部と目されているらしい。
男のころならそういう川合に対してライバル視していただろう。
しかし、今の自分にとってそんなことはどうでもよかった。
再び働ける喜びが大きかった。
祐子は以前のように社外を飛び回るのではなく、外回りの社員のためにデータ収集や資料作成などを行うアシスタントという立場だった。
それでも祐子は働ける喜びから必死に頑張った。
飲みに誘われても全部断った。
祐子は仕事一筋の毎日を過ごした。

美人で仕事ができて付き合いの悪い祐子は女子社員から嫌われていた。
大声で嫌みを言われることもあった。
ロッカーの前に生ゴミを捨てられていることもあった。
しかし祐子はそんなことは気にもとめなかった。
そのせいもあって女性からの嫌がらせはなかなかやまなかった。

できる社員からは一目置かれる存在だったが、大抵の男子社員からは明らかに自分より仕事ができる女子社員なんてものは目障りな存在でしかなかった。
男はある程度仕事ができると周りに認められるが、女性の場合はそうでもないらしい。
男子社員には明らかに祐子を無視する者が現れた。

祐子は仕方なく、できる限りの誘いには応じるようにした。
皆と会話することで少しずつ祐子のことを理解してもらうようにするしかないと考えたのだ。
祐子の努力は実を結んだ。
女子社員のいじめはなくなり、男子社員のあからさまな無視はなくなっていった。

祐子の作った資料は分かりやすいとの評判だった。
そんな資料作りの功績が認められ、再入社して半年後ようやく外回りに同行させてもらえるようになった。
最初はメインの男性に同行するだけだった。
はっきり言って美人の祐子を客の興味を惹く材料として利用していたのだ。
祐子はそんなことは気にしなかった。
むしろチャンスととらえていた。
客によっては女があまり前に出てくるのを好まない客もいる。
祐子は出しゃばらず、効果的な言葉を発するように気を配った。
少しずつその努力が認められて一人で客先に行く機会もでてきた。
「御社にはこんな美人で優秀な社員がおられて幸せですね」
そう言われることすらあった。
祐子は主力戦力の一人として数えられるまでになり、大きな仕事が回ってくるようになった。

「松村くん、いつも遅くまでご苦労様」
祐子がいつものように夜遅くまで残業していると川合が外回りから戻ってきた。
「どうだ、たまには一緒に飯でも行かないか?」
川合がおじさんっぽく酒を飲むポーズを取りながら祐子を誘った。
「これを終わらせたら帰りますけど、あと1時間くらいかかりそうなんです」
祐子はやんわりと断った…つもりだった。
「よし、それじゃ僕も手伝うよ。その方が少しでも早く終わるだろう」
川合は祐子がやろうとしていることの一部を手伝ってくれた。
おかげで30分ほどで終えることができた。
(たまには課長にもつき合わないとね)
祐子はそう思い、川合の誘いに乗って帰り支度を始めた。

二人は会社の近くの居酒屋に入った。
「せっかく松村くんのような美人と二人なのにこんなところで申し訳ないな」
「いえ、私、こういう店の方が好きですから」
実際祐子は高級料理店よりも気のあった仲間とこういう店で飲む方が好きだった。
「そう言ってもらえると助かるよ」
「いえ、本当ですから」
同期の川合と一緒だったせいかいつもよりアルコールの量が増えてしまった。
祐子はかなり酔ってしまったのだ。
普通に座っているのもつらかった。
睡魔が強烈に襲ってきた。
「松村くん、大丈夫か?」
「…はい…すみません……ちょっと疲れてるのかしら……」
「熱いお茶でももらおうか?」
「はい、すみません」
川合は店員に熱いお茶を持ってきてもらうように頼んだ。
祐子は熱いお茶を飲むと少し落ち着いた。
「それじゃもう帰ろうか?」
「はい」
松村が立ち上がろうとしたが足下がおぼつかなかった。
川合の肩を借り、川合に支えてもらうことで何とか立ち上がった。

店から出るとすぐに川合に抱きしめられた。
そしてあっと思う間もなく祐子の唇が何かで覆われた。
(あっ、キスされてる)
アルコールのせいで朦朧とした頭でそんなことを考えていた。
なぜか嫌な感じがしなかった。
祐子も川合の背中に腕を回した。
「松村くん…」
川合の絞るような声が聞こえた。
「課長……もっと……」
祐子はなぜかさらに川合のキスを求めた。
「松村くん、いいかな…」
川合は祐子の返事を待たずにタクシーを捕まえた。
二人がタクシーに乗ると、川合が運転手に行き先を告げた。
(やっぱり)
川合の言った行き先を祐子はなぜかそれほど驚かずに聞いていた。

二人はシティホテルの一室に入った。
ドアが閉まるのを待つことなく、川合は祐子を抱きしめてキスされた。
川合の舌が祐子の口に入ってきた。
祐子は川合の舌に絡めるように舌で応じた。
まだ酔いは残っていた。
酔いが残っているせいか川合とのキスは嫌なものではなかった。
むしろ祐子は女性として川合とキスしていることに喜びを感じていた。
キスした状態で二人はベッドに倒れこんだ。

川合が服の上から乳房をまさぐった。
祐子は服に皺が入るのが気になった。
「服が皺になっちゃいます」
祐子はそう言って身体を離した。
「自分で脱いでいいですか?」
「ああ」
祐子の言葉に川合は答えた。
祐子は川合と反対の方を向いて服を脱いだ。
これから男に抱かれるというのに自分でもどうしてこんなに平然と応対できるのか理解できなかった。

祐子はブラジャーとショーツだけになった。
ベッドに戻ると、川合もトランクスだけになっていた。
トランクスの前は大きくテントを張っていた。
「祐子くん」
呼び方が"松村くん"から"祐子くん"に変わった。
川合は祐子の手を引っ張り、祐子を抱き寄せた。
再び熱いキスを交わした。
祐子は川合の腕の中で感じていた。

川合のキスが祐子の首筋に移動した。
それとともにブラジャーの上から乳房をまさぐった。
「あぁ…課長……」
「課長なんて呼び方やめてくれないか?悟と呼んでくれ」
「悟…さん……」
「祐子…愛してる……」
「わたしも……」
その場の雰囲気とは言え、祐子は男に対して愛してると言ってしまった。
でも自分の心に嘘をついているとは思えなかった。
祐子は本当に川合のことを愛し始めていると思った。

祐子は男性だったときには何人かの女性との経験があった。
しかし女性として抱かれるのは今回が初めてだ。
にもかかわらず何の抵抗もなく抱かれていることが自分でも理解できなかった。
女性として振舞っているうちに身も心も女になってしまったのだろうか?
頭の片隅でそんなことを考えながらも身体は川合の愛撫に素直に反応している。
わたしは今この人によって女になるんだ。
そんな期待と不安が大きく心の中を占めていた。

ついに川合の手が祐子の下半身に伸びてきた。
そのとき祐子は身構えた。
自分で見た限りは本当の女性の物とほとんど同じ物だと思っていた。
それでも経験豊かな男性には触っただけで分かるかもしれない。
もしばれたら川合を愛し始めた自分はすごく傷つくだろう。
祐子はそれが恐かった。

川合の指が若干の強引さを伴って祐子の新たな女性自身の箇所に滑り込んだ。
「祐子、感じてるんだ。すっごく濡れてるよ」
川合のそんな言葉にちゃんと女性として機能していることを知り、少しだけホッとした。
川合の指が祐子の最も感じるところに触れた。
「…ん……」
少しの痛みを感じた。
しかし痛みはすぐになくなり快感だけが身体を駆け巡った。
「…ぁぁあ……悟…さん……ぃぃ……」
もうばれることはなさそうだ。
祐子は川合の愛撫に素直に喘いだ。

「祐子の女性の部分を見てもいいかな?」
「いやっ…やめてください……」
膝が胸につくような体勢にさせられた。

部屋の明かりはついたままだ。
川合の目に祐子の部分ははっきりと映っているだろう。
祐子は性転換がばれないか再び緊張していた。
川合はあたかも観察しているようにじっと見ていた。
「…綺麗だ…」
川合が感心するように呟いた。
「…そんなに見ないで…」
ある程度見られてもばれないと分かると、今度は羞恥の気持ちが湧いてきた。
祐子は両手で顔を隠し恥ずかしさに耐えた。

「キスするよ」
そう言うと川合は祐子の股間に口をつけた。
「ダメェェェ…ヤメテェェェ……」
川合の舌が股間を這い回るのを感じた。
祐子の頭の中は真っ白になっていた。
何も考えられない。
息ができないほどの快感が身体中を駆け巡った。
「祐子も頼むよ」
いつの間にか祐子の目の前に川合のペニスがあった。
祐子は半ば必死に川合のペニスを銜えた。
ペニスを銜えることに抵抗感はなかった。
自分が感じている快感を相手にも与えなくちゃいけない。
その思いで必死にペニスを吸った。

川合が身体の向きを変え、正常位で祐子の膣口にペニスをあてた。
いよいよ川合のペニスを迎え入れる。
そのときにはばれるかどうかの心配なんて全くなかった。
早く入れて欲しい。
男のペニスを求める普通の女だった。

川合のペニスが全て入った。
川合のペニスを全て受け入れたときは不思議な幸福感があった。
川合が腰を動かすと祐子は突かれるたびに少しずつおかしな感覚に襲われた。
心と身体がバラバラになってしまうようだった。
言いしれぬ感覚で声をあげずにはいられなかった。
そうでないとおかしくなりそうだった。
「あああああああああ…すごい………」
川合のペニスが祐子の中で膨張したように感じた。
次の瞬間、川合の精液が祐子の中で弾けた。
祐子の意識も真っ白になった。
やがて祐子は少しずつ生気に戻ってきた。
そのときにさっきまで感じていた感覚が快感だということにやっと気がついた。
そして祐子の目から涙が流れた。
祐子は女として感じることが嬉しかった。
そして川合から女として認められたことが心底嬉しかったのだ。
祐子は本当に川合のことを愛してしまったと感じた。
したがって、川合から次の約束を聞いたとき祐子は反射的に肯いた。


その後も二人の関係は続いた。
祐子は不倫関係であることが少しだけ気にはなった。
それ以上に、自分を女性として愛してくれる川合を失うことは考えられなかった。
祐子は少しだけの罪悪感を感じながらも川合と何度も身体を重ねた。
祐子は川合から女性としての喜びを教えられた。
愛する喜び、愛される喜びはもちろん、女性としてのオーガズムも教えてもらった。
仕事時間でも川合の顔を見ると股間が濡れてくるような状態だった。

あるとき一通りの交わりが終わった後、川合が話さないでいいことを話し出した。
「祐子って松村って言うんだけど、松村豊って知ってるか?」
急に昔の自分の名前が出てきて祐子は驚いた。
「…いいえ、知らないわ」
「俺の同期で松村豊っていうやつがいたんだ」
祐子は川合が何を言い出すのか予想もつかなかった。

「松村は俺よりずっと優秀でな、会社で誰も取ったことのないようなでかい契約を受注しやがったんだ。俺は松村に嫉妬した。自分を見失うような嫉妬だった。正気に戻ったときには松村が大怪我をして病院に運ばれたって聞いたときだった。本当にあのとき俺はどうかしてたんだ。若気の至りとはいえ、松村のやつには本当に悪いことをしたと思ってる」
川合の言葉に祐子は眩暈を覚えた。
そして自分の運命を呪った。
やっと女性としての自信を掴み、自分を女性として愛してくれる人を見つけたと思ったのに、その人が自分を陥れた人だったなんて。

数日後、川合に誘われた。
祐子は二人きりになったときに隙を見て川合を刺そうと思っていた。
しかし抱きしめられてキスされると心も身体もセックスを求めるだけだった。
川合の愛を身体全体で感じた。
川合の腕の中で祐子は身悶えた。

セックスが終わると川合は寝息を立てて眠ってしまった。
やや冷静に戻った祐子は眠っている河合にナイフをむけた。
しかし、祐子にはどうしても川合を刺すことができなかった。
祐子は女性として川合を愛しすぎてしまった。
憎むべき相手を愛してしまった苦しみ。
それから逃れるために祐子は自分の手首を切った。
手首から血が流れ出てきた。
(これで楽になれる…)
祐子は安堵の表情を浮かべた。
祐子の意識が少しずつ遠のいた……。


気がついたときは病院に運ばれていた。
祐子が自殺したことに川合がすぐ気づき救急車を呼んだのだ。
おかげで祐子は一命を取り留めた。
しかしこの自殺未遂のせいで、二人の関係が皆の知るところとなった。

川合と祐子の関係は社内の噂になった。
将来は幹部候補だった川合と嫌われ者の祐子の不倫は多くの社員には日頃の鬱憤を晴らすいいネタだった。
二人の関係は悪意を持って伝聞された。
ついには川合の妻の父親、すなわち専務の耳に入った。
川合は専務によってすぐに離婚させられた。
このような同族会社で重役から睨まれると、出世の道は断たれたも同然だ。
川合は閑職に追いやられ、永遠に出世の道が閉ざされた。

祐子は退社させられた。
さすがに懲戒解雇はできなかったようで、祐子が自ら進んで退職したように工作していた。
祐子の口座に気持ちばかりの退職金が振り込まれていた。
祐子は明日から生きるための収入の手段を失った。

祐子が退院する日、川合は祐子に結婚を申し込んだ。
川合は祐子の自殺を自分と一緒になれないせいだとでも思っているのだろうか?
祐子は悩んだ。
川合のそばにいられることで復讐の機会がいずれ訪れるだろう。
祐子は自分にそう言い聞かせて結婚を受諾した。
実際は復讐なんてことは絶対にしないだろうということもすでに分かっていた。


川合と祐子は二人きりで結婚式を挙げた。
純白のウエディングドレスを着て川合から指輪をはめてもらうと堰を切ったように涙が溢れてきた。
祐子はただただ嬉しかった。
自分はこの人のために生きていこうと思った。

祐子は普段はほとんど川合の憎しみなんか考えることはなかった。
それでも時々フッと川合への憎しみを思い出す日もあった。
そんなときナイフを握りしめながら川合の寝顔を見つめていた。
結局は殺すことなんてできないのだが。

川合の給料は低く生活は困窮した。
それがよかったのからもしれない。
生きていくために必死だった。
それが川合への憎しみを薄れさせた。



多くの月日が流れた。
川合は閑職に追いやられながらも何とか定年まで会社勤めを果たした。
会社での立場で心労がたまっていたのか、会社を辞めて間もなく祐子より先に寿命を全うした。
川合の葬儀は寂しいものだった。
葬儀が一段落して祐子は川合の身のまわりを整理した。
すると祐子宛の遺書が見つかった。

祐子へ
お前がこれを読んでいるということは俺が死んだということだと思う。
お前にはしないでいい苦労を随分させてしまった。
すまない。
そして今までありがとう。

俺が死んだということで今まで隠していたことを言っておきたい。

祐子、いや松村、お前には本当に悪いことをした。
お前が先に大きな手柄を立てたとき、俺は敗北感で自暴自棄になっていた。
何とかして調子に乗っている松村に痛い目に遭わせてやろうと考えてしまった。
俺は街で見かけたちょっとおかしげな奴に『あいつがお前のことを殺そうとしてるんだぞ』と言って、ナイフを渡した。別にお前の命を奪うつもりじゃなかった。ちょっと恐い目に遭わせてやろう、ただそれだけだった。しかし、俺の思いとは違って、お前は重症を負った。重症を負って、病院に運ばれたことまでは知ったが、その後のことは全く分からなかった。しばらくすると、お前が死んだという噂が聞こえてきた。しかし、同じ会社の人間が死んだのなら人事から連絡が回ってくるはずだから、俺はその噂を信じなかった。
祐子が松村豊だということは初めて会ったときに分かった。俺は嬉しかった。どんな形にせよ松村が生きていてくれたことが。俺は念のために人事に探りを入れた。どうしてこの時期に新卒でもない女性を入れたのかと。すると人事部長の知り合いの女性ということで入ったらしいということを知った。俺は人事部長に直接聞きに行った。人事部長はなかなか教えてくれなかった。しかし、人事部長が定年を迎えるときにお前のフォローをするという約束で教えてもらった。
お前は姿が変わっても優秀なやつだった。俺なんかがフォローする必要はなかった。お前が男のときには勝手にライバル視していたが、女のお前は俺にとっては最高の女性だった。優秀で美人でよく気がきいて。俺は何とかお前と付き合いたいと思った。俺の願いは叶った。お前のことを好きになればなるほど、俺はお前に嘘をついているのがつらくなってきた。だからあのときの真相をお前に話した、お前が松村だと気づいていない振りをして。俺が犯した罪を祐子が裁くのなら甘んじて受け入れようと思った。その方が楽になるかもしれないと思ったからだ。お前が自殺を図ったとき、俺の告白が祐子を苦しめたのだと思った。俺は卑怯だ。何でも結局お前に押し付けることになってしまって。
それでもお前の自殺が原因で、俺は将来も妻もなくした。結果的にだが、少しは罰を受けて罪を償ったように錯覚した。
しかも俺は独身に戻れたんだ。
俺は祐子と結婚ができる可能性が生まれたことに喜んだ。松村祐子が女性として戸籍があることも調べた。俺は結婚後のことは全く考えずに祐子にプロポーズした。
結婚したら、毎日俺のそばに祐子がいた。しかしそれは重荷でもあった。目の前に罠にかけた人物がいるということはどれだけ重荷になるか、想像できずに結婚したんだ。祐子がそばにいることで俺は常に自分の罪を責められているように感じた。それでも一方で、祐子の笑顔で俺は随分救われた。
俺は決して出来のいい伴侶だったとは思わない。
しかし祐子は俺にとって最高の伴侶だった。
祐子、今まで本当にありがとう。
松村、本当にすまなかった。一時の嫉妬心からお前の人生を壊してしまい、本当に申し訳なかったと思っている。
もし可能なら今からでも俺よりずっといい男を見つけて、本当の幸せを見つけて欲しい。

川合悟 


祐子は遺書を読んで涙が止まらなかった。
川合は自分の素性を知った上で結婚してくれたんだということが嬉しかった。
これまで愛し合ってもどこかで憎む気持ちを持っていたことを悔やんだ。
祐子は残りの人生をずっと夫のことを胸に抱いて生きていく決心をした。


《完》

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