強くなるのをやめれば楽になれるかも



俺は幼い頃いじめられっ子だった。
正確にはいじめられていたわけではない。
しかし俺としては不本意な扱いを受けていた。
俺は同年代の友達に比べて一回り小さかった。
だから戦隊ゴッコをするときは俺はいつも女の隊員だった。
幼いときは仲間外れにされるのが嫌だったから、自分から進んでその役をしていたように振舞った。
そのせいで「男女」と言われてしまうようになった。
それに対する反発で俺は強くなろうとした。
だから俺は親に頼んで空手教室に行かせてもらった。
空手の腕は上達した。
が、身体はやはり小さいままだった。
そもそも母親に似た顔だ。
俺の強さをひがんだ奴らからやはり「男女」とからかわれる始末だ。
俺の名前は佐藤明という。
だから「明子」なんて言われてからかわれることもあった。

俺が小学3年の夏のことだった。
俺には2つ下の妹がいた。
妹のスカートが脱ぎ捨てられていた。
家族はどこかに出掛けていて、家には俺ひとりだった。
何を思ったか俺は妹のスカートを手に取った。
なぜそんなことをしたのか分からない。
とにかく俺は妹のスカートを持った。
そして素早く自分の半ズボンを脱ぐと、そのスカートに脚を通した。
スカートが小さくウエストのフォックを留めることはできなかった。
妙な感じだった。
鏡を見た。
鏡に映った俺はショートヘアの女の子だった。
生まれて初めて穿いたスカートに俺の心は静かに落ち着いていた。

それから俺は何かあればスカートを穿いた。
いじめられたとき。
喧嘩に負けたとき。
親に叱られたとき。
何かあればスカートを穿いた。
スカートを穿けば俺は女の子になれた。
女の子になれると気持ちが軽くなった。
いつも強くなろうとしている自分から脱することができたのだ。


部活がある中学生になると俺は剣道を始めた。
やはり強くあり続けたかったのだ。
剣道に対してかなりストイックに取り組んだ。
中学から高校、そして大学に入っても剣道を続けた。
中学、高校と優秀な成績をあげることができた。
大学の県の大会では1回生から3年連続優勝という記録を作ることができた。
俺は強くなれた。
もちろんつらいことも数多くあった。
しかしさすがに家族の目を気にしてスカートを穿くことはなかった。
家族の目がなければ穿いていたかもしれない。
いや穿いていたと思う。
女の子になれたときの心の軽さが分かっているから、俺はつらいときを乗り越えてこれたのだ。
それでも相変わらず身長は伸びなかった。
何とか160センチに届くかどうか程度の身長だった。
母親に似た顔はそのままだった。
強くはなったが、俺の理想にはまだまだだった。


「剣道部の佐藤先輩って知ってる?」
大学の食堂で昼飯を食っているとき、近くのテーブルで女たちの声が聞こえてきた。
俺は興味を持ってその話に聞き耳を立てた。
「うん、知ってる、知ってる。すっごく強いんでしょ?」
「そうそう。でもちょっとおしいよね?」
「うん、あれで身長がもっとあればすっごく恰好いいのに」
「でもとっても可愛いよね」
「とても剣道の大会でずっと優勝してるなんて見えないくらい華奢だしね」
まただ。
いつも言われてることだ。
女たちにとって俺はペットみたいな存在でしかないらしい。
おかげで21年間女とつき合ったことなんてない。
それにしても本人がいないところで話しやがれってんだ。
言われ慣れていることでも、俺は俺で傷つくんだかんな。
心の中でブツブツ文句を言いながら、俺は暗い気持ちでアパートに戻った。
部屋に帰るとすぐにまるで俺の帰りを待っていたかのようにインターホンが鳴った。
「佐藤さん、宅配便でぇす」
「はぁい」
俺はドアを開けた。
そこには宅配のおじさんが立っていた。
「ここに判子かサインをお願いします」
「サインでいいっすか?」
「それじゃ」
俺はおじさんからボールペンを受け取り、指定された場所にサインした。


(誰からだろう?)
俺は箱に書かれた送り主の欄を見た。
そこには自分の名前が書かれていた。
もちろんこんな荷物には何の記憶もない。

少し気味悪さを覚えながらも、俺は梱包を解いた。
そして箱を開けると、そこには女物のスカートや服が入っていた。
明らかに着古した物ではなく、真新しい物だった。
(誰かと間違えてるのか?)
"明"という名前は女につけられることもあるのだから、俺と同姓同名の女に送ったのかもしれない。
だとしたらすぐに何か連絡があるかもしれない。
箱を閉じ、玄関先に置いておいた。


それから10日ほど何の連絡もなかった。
もう自分宛に来た物なんだから自分の好きにしていいだろう。
俺はそう思って捨ててしまおうと考えた。
しかし捨てる前に一度何が入っているのか確認しておこう。
そう思って、中身を確認することにした。
黒のミニのプリーツスカートに、ドット柄のトップスとベージュのカーディガン。
それに加えてショーツやブラジャー、キャミソールやパンストも入っていた。
さらに小さな箱が2つ入っていた。
1つは指輪だった。
そしてもうひとつにはピアスだった。
そのうち彼女ができたらプレゼントしてもいいかもな。
そう思うと捨てずに置いておいてもいいような気になった。

僕はスカートを手に取った。
(そういや昔こんなのを着て気分転換してたなぁ)
何だか懐かしい思い出だ。
女の子になることで日頃の自分から逃避できるのだ。
つまり強くならなくてはいけないという強迫観念に似た思いから解き放たれるのだ。
(誰も見てないし、久しぶりに着てみっか)
少しは日頃のストレスから解放されるかもしれない。
そんな期待があった。

ドアの鍵がかかっているのを再度確認した。
(何だか興奮するな)
ズボンを脱いでスカートを穿いた。
(キモイだろうな)
身体こそ華奢だが、すね毛は生えているし、剣道をやっているので筋肉質だ。
下半身だけ見ても男だと分かるに違いない。
そう思って鏡を見た。
そこには幼い頃のようにショートヘアの女性が映っていた。
脚にはすね毛がない。
綺麗な脚だ…。
………。
……どういうことだ?
俺は自分の脚を見るために視線を落とした。
そして俺の目がとらえたのは自分の胸だった。
「何だ、これ!」
俺は驚いてその膨らみを掴んだ。
「痛い!」
その感覚は確実の自分の胸から伝わってきた。
つまり俺は自分の肉体についている物を握っているということだ。
慌てて自分の着ている物を脱いだ。
そこには確かに乳房がついていた。
生の乳房を見たのは初めてだ。
その"初めて"がまさか自分の乳房とは考えもしなかった。
恐るおそる乳房に触れてみた。
手に柔らかさを感じると同時に胸からは触られた感覚が伝わってくる。
どうしてこんなことが…?

俺はスカートを穿いたせいかと思い、大急ぎでスカートを脱いだ。
すると元の男の身体に戻った。
(良かった…戻った…。それにしてもこれはいったい……)
狐につままれたようだ。

俺はもう一度スカートを穿いた。
俺の身体があっという間に女の身体になった。
速いモーフィングを見ているようだった。
やはりスカートを穿くと女の身体になるようだ。
脱げば元に戻れる。
何だかよく分からないが、とりあえず面白いアイテムが手に入ったようだ。

(とにかく全部着てみよう)
俺は湧き上がってくる自分の興味を抑えることはできなかった。
再びスカートを穿いて、自分の身体を女にした。
そしてブリーフを脱ぎ、ショーツを穿いた。
自分の股間にピッタリと下着が貼りつくのは奇妙な感じだ。
俺はブラジャーのストラップに腕を通し、膨らんだ乳房にカップを合わせた。
そして悪戦苦闘しながら背中でブラジャーのフォックを留めた。
少し締めつける感じがあるが、サイズとしてはピッタリのようだ。
ブラジャーを留めると、不思議と落ち着くような感じだ。
そしてキャミソールを着て、その上にドット柄のトップスを着た。
これで一応の恰好がついたはずだ。

俺は鏡の前でポーズをとった。
(へぇ、結構美人じゃん)
今まで気がつかなかったが、髪の毛が少し伸びていた。
そのせいか女性っぽいヘアスタイルになっていた。
おかげで結構女子大生っぽく見えた。
しかもかなりの美人だ。
どことなく妹の佳奈に似ている。
身体が女性になっているので、女装のような不自然なところもない。
普通に女性に見えた。
おそらく仕草が女らしくないとは思うが、そんな女はイマドキどこにだっている。
俺は今完全な女性だ。

女性であれば世間的には強くある必要はない。
男は度胸、女は愛嬌だ。
女は美しければいろんな意味で得をする。
もしかしたら元の姿よりこの姿でいたほうがずっと楽なのかもしれない。
何となく今の自分の姿でいたほうが得なような気がしてきた。

俺は外に出て、他人が自分の姿をどう見るか確かめたくなった。
外出するためにパンストを穿いた。
別にそのままでもよかったのだが、パンストを穿いてみたかったのだ。
パンストの滑るような感覚は何とも気持ち良かった。
残るは指輪とピアスとカーディガンだ。
指輪は右手の薬指に入ったので、そのまま填めていくことにした。
ピアスは穴を開けてないので無理だ。
カーディガンは寒いときの対策用に持っていくことにした。
そしてこのとき適当な鞄を持っていないことに気がついた。
俺の持っている鞄はデイパックくらいのものだ。
今の俺の姿には合わない。
(仕方ない。スーパーででも安物を買おう)
少しの出費でも今の俺には痛いが、女には鞄が必要だ。
とにかく俺は出かけることにした。

俺は部屋にあった紙袋にカーディガンと財布を入れた。
もちろん靴は送られてきたハイヒールを履いた。
これもサイズはピッタリだった。
ヒールの高さは7センチほどあったが、あまり気にならなかった。
(よし、行くぞ)
俺は深呼吸をひとつして表に一歩踏み出した。
出るとすぐ同じアパートに住む男と出会った。
俺はニコッと笑い「こんにちは」と声をかけた。
男は声をかけられるなんて思ってもいなかったのだろう。
真っ赤な顔をして慌てて「こんにちは」と返した。
(知り合いでもない美人が自分に挨拶してきたら確かに驚くだろうな)
俺は心の中で舌を出し、男に対して軽く会釈して駅のほうに向かって歩き出した。


男どもは俺の姿を見ると、まず俺の顔を見た。
少しの間俺の顔を見て、次に視線は胸と脚に移動して、最後にまた顔に戻ってきた。
男がそんなふうに俺を見ているときに何を考えているのか分かる。
俺は道行く男どもの頭の中で犯されているのだ。
それが分かるだけに何となく落ち着かなかった。
嫌な感じかと言えばそうなのかもしれない。
しかし魅力的でない女にはそんな妄想はしないことが分かるだけに嬉しいような困ったような妙な感情だった。


近くのスーパーで一番安いトートバッグを買った。
そして持っていた物を全て買ったバッグに入れ替えた。
それを右肩にかけてスーパーから出たところで、知り合いがやってくるのが見えた。
浅井秀人だ。
「おっ、浅井じゃん」
思わず声をかけた。
こいつとは剣道の決勝戦で毎度対戦している。
俺の連勝だ。
俺は立ち止まって浅井を待った。
浅井のやつは俺を不思議な顔で見ている。
「誰…だっけ?」
「俺だよ」という言葉を飲み込んだ。
このときになって今、女の姿になっていることを思い出したのだ。
女性として外出していることに緊張していただけに知り合いの顔を見たことで一瞬気を抜いてしまったのだ。
「あ…ごめんなさい。人違いでした」
俺は慌てて女として取り繕った。
「人違いって言っても俺は確かに浅井なんだけど、君は?」
「お…わたし…の名前?」
「そう。俺は今君としゃべってるわけだし」
「私はさ…斉藤明子よ」
佐藤を微妙に変えて斉藤と名乗った。
名前は子供のころにからかわれたときの名前を言ってしまった。
しまったと思ったときはもう口から出てしまった後だった。
「俺の知り合いに佐藤明ってやつがいるけど、そう言えば、君、何となくあいつに似てるな。妹かなんかか?って苗字が違うからそんなわけないか」
「そ…そう?それじゃ」
俺は浅井から離れようとした。
「ちょっと待ってよ。せっかくだし、お茶くらいつきあってよ」
「それってナンパ?」
「そうとも言える」
俺は面白半分で浅井とお茶することにした。

浅井と俺はスーパーの出入り口にあるコーヒー店に入った。
「俺、アイスコーヒーね。斉藤さんは?」
「お…わたしは……」
思わず"俺"と言いそうになって、言葉を飲み込んだ。
「わたしは抹茶ラテ」
何となく女子はコーヒーじゃないほうがいいのかなと思って、飲んだことのない抹茶ラテを頼んだ。
注文したものをトレイに置き、空いている席を探した。
店内は結構混んでいたが、運良く窓際の席が空いていた。
浅井が急ぎ足でその席を確保した。
「斉藤さん、こっちこっち」
店内に響くような声で俺を呼んだ。
おかげで店中の人に注目されてしまった。
その目は「バカップルのくせにうるさいんだよ」とでも言っているようだった。
「斉藤さんって大学生?」
席に座ると浅井が興味津々という感じで聞いてきた。
明らかに俺に興味を持っているのだろう。
まあ男は誰でも目の前の餌に食いついてくる生き物だ。
それが俺のような美女ならなおさらだろう。
「うん」
俺はそんな自分の考えを顔に出さないように平然と答えた。
「俺、4回なんだけど、斉藤さんは?」
マジで食いつくような勢いだ。
俺の正体を知ったら引くだろうな。
そう思うと何だかおかしくなってきた。
「わたしも4回生よ」
「へえ、どこの大学?もしかして一緒だったりして」
「わたしはA大学だけど」
「へえ、頭いいんだ。俺なんかD大学だもんな」
「D大学だって別に悪くないじゃない」
「A大学って剣道部に佐藤って奴がいるだろ?」
浅井は俺のフォローの言葉を無視した。
まあ浅井って奴は人の話を聞くような奴じゃないけど。
「わたし、あんまり剣道って知らないんだけど」
「そっかぁ。女の子はあんまり剣道とか興味ないかもな…」
「それでその佐藤って子がどうしたの?」
「俺、剣道やってんだけど、その佐藤って奴に全然勝てなくてさ。3年連続準優勝しかできないんだ」
「へえ、浅井くんって剣道やってるんだ。準優勝だってすごいじゃない」
「だけど同じやつにずっと負けてるなんて。今年こそ絶対あいつに勝ってやるんだ」
浅井は剣道に対する熱い思いを懸命に俺に話した。
女の子がそんな話を聞いて興味を持つと思っているのだろうか。
ある意味、剣道バカか?
俺はかなり呆れて浅井の顔を見ていた。
「ごめん。剣道の話ばっかりしてつまんなかった?」
俺の思っていることが表情に表れたのだろう。
浅井はふと我に返ってそう言った。
「ううん、そんなことないけど」
そして俺はわざとらしく時刻を見た。
「ごめんなさい、そろそろ行かなくちゃ。浅井くんの剣道への思いが聞けて楽しかった」
そろそろ退散することにした。
「また会えないかな?斉藤さんのメアド教えてくれないかな」
「私から電話するから電話番号を教えてくれる?」
「本当に?絶対だぞ」
「大丈夫。約束する」
俺は浅井から電話番号を教えてもらって、席を立った。

この辺りでウロウロして、また浅井に出会うのも嫌なので、俺はもう帰ることにした。
本当はもう少しこの恰好で外出したかったのだが仕方がない。
俺はまっすぐアパートに戻った。
部屋に戻るやいなや急いで服を脱いだ。
しかし身体は元に戻らなかった。
女の身体のままだ。
(えっ、どうして?)
俺は焦った。
身体のあちこちを触って確認した。
そしてまだ指輪をつけていることに気づいた。
俺は指輪を指から抜いた。
すぐに元の男の身体に戻った。
(よかったぁ…)
女の身体になるのはスカートだけではなかったのだ。
送られてきたものの何かを身につければ女の身体になれるようだ。

俺は女性の服などを元通り箱に入れた。
もうしばらくは着るのはやめておこう。
そうでないと女でいることにはまってしまいそうな予感があったからだ。


前回女性になってからかなり時間が経った。
そのせいか女であることにはまってしまいそうな不安はすっかり薄れていた。
いやほとんどなくなったと言ってもいい。
明日は久しぶりに一日中予定は何も入ってない。
ということで「久しぶりに変身して出かけてみるか」そんな気分になっていた。
しかし一人で出掛けると、無駄にナンパされるかもしれない。
だからあいつを利用しよう。
俺は例の服の入った箱から指輪を取り出し、それをつけた。
指輪をつけて女に変身すると、すぐに浅井に電話した。
もちろん女になったのは声を女のものにするためだ。
「もしもし、浅井くん?わたし、斉藤明子」
『えっ、斉藤さん?やっと電話くれたんだ。どれだけ待ってたことか』
「そんな…嘘ばっかり。どうせわたしのことなんか忘れてたんでしょ?」
『そんなことないよ』
「そうなの?ところで、今、大丈夫?」
『もちろん♪』
浅井の声は心なしか弾んでいた。
「明日、久しぶりに時間があるんだけど、会えない?」
『えっ、明日は部活があるんだ』
「さぼれないの?」
『もうすぐ新人戦の大会があって、練習相手にならなくちゃいけないんだ』
確かにもうすぐ新人戦がある。
うちの大学では明日は後輩たちの自主練の日にあてているから俺はオフなのだ。
部活なら仕方がない。
浅井が部活をさぼるなんてことは考えられない。
しゃあない。
明日はひとりでカモになる男でも漁ることにするか。
「そう。それじゃ残念だけど…」
俺は電話を切ろうとした。
『ちょっと待ってくれ。部活のあと会おうよ』
必死になっている浅井が可愛いと思った。
「部活のあとだったらあんまり時間ないんじゃないの?」
『明日の部活は4時までの予定なんだ。だから4時からだったら会えるし、会おうよ』
俺としてはそこまでして浅井に会うメリットはない。
一瞬そう考えたが、ふとずるい考えが頭に浮かんだ。
「それじゃ部活を見てちゃダメ?」
D大学の練習を見ておこうと思った。
要はスパイだ。
スパイして得るものがあるのか分からなかったが、せっかくの機会だし見ておいても損はないだろうと思ったのだ。
『剣道場なんて寒いしつまらないよ』
「ううん、いいの。一度剣道を見てみたいなって思ってたし。それじゃ2時過ぎにD大学に行くね」
『場所分かんなかったら電話してくれていいからね』
「ありがとう。それじゃ明日ね」
俺は電話を切ると、すぐに指輪を外した。
身体が男に戻った。

「さぁて、明日は浅井のやつをどうからかってやろうかな…」
翌日のことを考えると笑いが抑えられなかった。


次の日10時過ぎに目を覚ました。
(さて出かける準備でもすっか)
俺はまだ半分寝ているような状態で指輪をはめた。
そしてトイレに行った。
朝起きるとまずトイレに行くのはいつもの習慣だ。
「あ……」
このとき自分の身体が女になっていることに気づいた。
指輪を外して男に戻ろうか。
そうも思ったが、女の身体で用を足すことにした。
今後女の身体でせざるを得ない場面があるかもしれない。
そんなときのために今慣れておいたほうがいいと考えたのだ。

俺は便座を下ろした。
そしてパジャマのズボンとブリーフを下ろし、腰をかけた。
(へえ、やっぱり何もないや)
俺は自分の股間を見つめた。
(どこからおしっこが出るんだろう)
俺は股間の割れ目を指で広げて前傾姿勢をとった。
おしっこを出そうと意識すると、ある箇所からおしっこが出てきた。
(へえ、ここから出るんだ)
指で広げていたため、少し指にかかってしまった。
しかしそんなことは気にせず俺は感慨深くその様子を観察した。
全て出し切るとトイレットペーパーで手とその部分を拭いた。
もちろん手は拭くだけでなく石鹸を使って綺麗に洗った。

俺はトイレから出ると、賞味期限の過ぎた食パンを食べて、さっさと服を着た。
2回目にして簡単にブラジャーのフォックをつけられるようになった。
えらく慣れたものだ。
俺って女の才能があるのかもしれない。
そんな馬鹿なことを考えたときにふと前回着たあと洗濯すらしていなかったことに気づいた。
(臭うかな?)
トップスに鼻を近づけ、クンクンと臭いを嗅いだ。
何も臭わなかった。
(大丈夫だ)
あらためて鏡で自分の身体をチェックした。
完璧な女性だ。
しかも美人だ。
少々臭ってもきっと大丈夫だろう。

前回女になってからかなり時間が経ち、季節が確実に変わっている。
たとえば前回は興味本位で穿いたパンストは今日は必須だ。
もしかすると穿いても寒いのかもしれない。
前回着なかったカーディガンももちろん必須だ。
カーディガンを着ても、すでに肌寒い季節になっていた。
動いている分には寒くないのかもしれないが、たぶんジッと剣道なんて見ていられない。
俺は自分が普段着ているジャンパーを着ることにした。
鏡を見てチェックした。
男物のジャンパーにミニスカートというのは意外に可愛い。
もちろん俺の美しい顔があってこそだ。

俺は男のときに履いているスニーカーで行くことにした。
どうせ浅井のことだ。
男のもののスニーカーでもハイヒールでも何も気づかないだろう。
ハイヒールもあまり苦ではないが、歩きやすいのが一番だ。
俺は一番汚れの目立たないスニーカーを選んで履いた。

家を出て歩き出した。
周りの人の視線が変だ。
明らかに下品なモノを見るような目だ。
(何か変か?)
考えて、すぐに思い至った。
普段履いているスニーカーを履いているせいで、いつもと同じ調子で歩いていたのだ。
つまりミニスカートを穿いて、大股で歩いていたのだ。
確かに誰だってそんな女を見ると、顔を顰めるだろう。
俺は一旦引き返すことにした。
ハイヒールに履き替えるためだ。
女らしく振る舞うためにはやはりハイヒールは必要だ。

そして駅に向かっているときに、再び変な考えが頭をよぎった。
浅井のやつ、俺がこのジャンパーを着ているのを何度か見たことがあるはずだ。
まさかジャンパーをきっかけに俺の正体がばれるとまでは思わない。
それでも変に勘繰られたりするのは鬱陶しい。
俺はスーパーに入り、2000円くらいのフード付きのキルティングのベージュのコートを買った。

目にとまった女性トイレに飛び込んだ。
そして着てきたジャンパーを脱ぎ、買ったばかりのコートを着た。
まあまあ似合ってる。
というかとても可愛い。
俺が着ているから余計にそう見えるのだろう。

僕は着ていたジャンパーを紙袋に詰め、駅のコインロッカーに押し入れた。
そして駅にあるハンバーガー店に入ってハンバーガーを食べた。
そこで1時間ばかりの時間を過ごした。

そしてそこからD大学に向かった。
ここには何度か合同練習しに来たことがある。
だから剣道場がどこにあるのか分かっていた。
俺はまっすぐ剣道場に行った。

閉め切った剣道場から活気ある声が聞こえる。
俺は静かに扉を開けた。
打ち込み練習を行っていた。
しばらく扉を入ったところで練習を見ていた。
「よーし、一旦休憩しよう」
誰かの声が響いた。
すると一人の男が俺に近づいてきた。
「来てくれたんだ」
浅井だった。
垂れに「浅井」と書かれていた。
「浅井先輩の彼女さんですか?」
周りで後輩らしき連中が囃し立てている。
「まだ彼女じゃないよね?」
俺は意味ありげに言った。
「まだってどういうことですか?」
後輩のひとりが食いついた。
「自分の剣道している姿を見せて惚れさせようっていう魂胆だよね?」
俺は面の中の浅井の顔を見ながら言った。
「ええ、そうなんですかぁ?」
「浅井先輩って回りくどいことするんだ」
浅井の奴は面を取るに取れないようだった。

浅井が椅子を持ってきてくれた。
「あんまり余計なことは言うなよ」
俺にだけ聞こえるような小さな声で言った。

休憩が終わると、それまでのなごやかなムードは一変した。
激しい声と竹刀の音が響いた。
何だか浅井が恰好よく見えた。
スパイに来たのに、俺は何を考えてんだ?
俺はできるだけ平静を装って練習を見ていた。

練習が終わった。
「お待たせ。それじゃ行こうか」
浅井が僕の背中を押すようにした。
「先輩、頑張ってくださいねぇ」
背後から後輩たちからの冷やかしの声が聞こえてきた。
浅井は「うるさい!」と言い放ち、俺の背中を押すようにして剣道場から出た。

「どうだった?退屈だったんじゃないか?」
「ううん、そんなことないよ。ものすごい活気で圧倒されちゃった」
「新人戦があるから皆必死なんだ。もしかしたら斉藤さんがいたから張り切っていたのかもしれないかな」
「だったらこれからも時々遊びに来ましょうか?」
「いや、後輩たちの目があるから、もういいよ。それより、俺、腹減ってるんで、とりあえず食事に行ってもいい?学食だけど」
「別にどこだっていいわ。とにかく行きましょう」

俺たちは学食に入った。
デートで学食はないだろうとも思ったが、こんなところのほうが肩が凝らなくいいとも言える。
「俺はチキンカツ定食を食べるけど、斉藤さんは何か食べる?」
「まだそんなにお腹が空いてないけどサンドイッチくらいなら」
浅井がチキンカツ定食を食べ、俺はサンドイッチを食べた。
もちろん浅井のおごりだ。
俺は食べながら、浅井の話を聞いていた。
浅井の話は剣道の話ばかりだった。
しかも一方的に話すばかりだった。
女性として話すとボロが出てくるかもしれないので、聞き役だけでいるのは気が楽ではあったが、正直退屈だった。
俺が退屈だと感じていることに、やっと浅井が気づいた。

「そろそろどこか行く?」
「どこに?」
「車で適当に…」
「車、あるの?」
「失礼だな。車くらいあるよ、中古だけど…」
「それじゃ行きましょう」
俺たちは浅井の車の置いてあるところへ向かった。
あまり綺麗でない白のセダンだった。
俺は勧められるまま助手席に乗った。
車が走り出すと、浅井が音楽をかけた。
少女時代だった。
(浅井って少女時代が好きなんだ)
特に話すこともなく、ただ音楽を聞きながら車から外の景色を見ていた。
1時間近く走っただろうか。
「そろそろ帰らなくちゃ」
「そうか。それじゃそろそろ戻ろうか」
浅井は車を右に切った。
「ところで、さっき後輩たちに言ったことだけど…」
「どんなこと言ったっけ?」
「まだ彼女じゃないよねって言ってただろ?それって彼女になる可能性があるってことかな?」
「うーん、どうかしら?だって今は彼氏彼女の関係じゃないってことだけなんだけど。これからのことは分かんないわ」
「可能性はあるってことだよね?それじゃこれからも会うためにメアドを教えてよ」
「いいわよ。その代わりわたしからの返事は期待しないでね。そんなにマメじゃないから」
「俺もそんなに送らないけど、連絡を取りたいときにできたほうがいいし」
俺は浅井からスマホを受け取ると、浅井のスマホから自分へとメールを送った。
「やった!斉藤さんのメアド、ゲットだぜ」
「それじゃわたしんちまで送ってくれる?」
「もちろん!」
俺は自分のアパートの近くのマンションへ車を案内した。
「ここ?」
「うん、このマンション。それじゃね」
俺は嘘を教えた。
浅井が直接訪ねてきたりすると厄介だから、その予防のためだ。
俺はマンションに入り、浅井の車が去るのを待った。
浅井の車が去ると、別の出入り口から俺のアパートに帰った。
(なんかすっごく疲れたな)
俺の思惑通り浅井はその気になったはずだ。
慣れないそんなことをしたせいか異常な疲労感に襲われていた。
俺は男に戻り、そのまま爆睡した。


それから予想通り浅井からのメール攻撃が始まった。
俺は5通に1通程度しか返事を返さなかった。
基本的には他愛のない返事しかしなかった。
会いたいなんてメールに対しては絶対に返事しなかった。
それでも2ヶ月に1度くらいの頻度で浅井と会った。
剣道部の練習につき合ったこともあった。
浅井にとって俺は剣道の話ができる珍しい女の子程度のものだっただろう。
俺にとっても肩肘の張らない相手だった。
他の男だと下心が見え見えだったが、浅井相手だと安心できた。
しかも俺が女になることで(安いものばかりだったが)奢ってもらえるメリットがあった。

俺が浅井と会ったことでの変化と言えば、口紅を差すようになったことと、毎回同じ服は着づらいので女物の服が増えたことくらいだ。
浅井から「全然化粧ってしないけど、そういう主義なの?」と言われ、それが気になったからだ。
もちろん周りの人間から見ると、俺たちは恋人に見えただろう。
それは分かっていた。
俺もそれを楽しんでいた部分があったことも否めない。
しかしやはり俺と浅井は、ただ会って同じ時間を過ごしていただけだった。


4回生になり、取るべき単位も僅かになったせいで時間に余裕が出た。
その時間の余裕を俺は剣道ではなく、女になって出歩くことに使った。
一人で歩いていると、男たちに声をかけられた。
鬱陶しかったので、やはり浅井を利用することにした。
ということで必然的に浅井と会う頻度が増えた。
週に2〜3回会うこともあった。
そうなると何かが起こるものだ。


いつものように2人で会って、いつものように車で送ってもらったときだった。
「おやすみなさい、浅井くん」
「それじゃ。またメールくれよ」
そう言って浅井に抱き締められたかと思うと、俺の唇に浅井の唇が重なった。
キスされたのだ。
ほんの一瞬のことだったが、俺は固まった。
俺をその場に残し、浅井の車は去って行った。
(あいつにキスされてしまった…)
人生で初めてのキスだった。
初めてのキスがよりにもよって男とのキスだなんて。
頭ではそう思っていたが、なぜか嫌悪感はなかった。
俺はキスされた唇を手で押さえた。
何だか身体が火照ってくるようだ。

気がつくと、自分の部屋に帰ってきていた。
どうやって自分の部屋まで戻ったのか全く覚えていなかった。
その夜、俺は男の身体に戻らなかった。
「浅井……くん……」
俺は自分の欲望を抑えることはできなかった。
俺は浅井のことを考え、身体の芯に指を這わせた。
女としての初めてのオナニー。
俺はその夜ひとりの女として自らを慰めたのだった。


(何やってんだ、俺…)
朝起きるとものすごい自己嫌悪に陥った。
昨夜自分のしたことを思い出すと穴にも入りたい気分になる。
この忌まわしい女の身体のせいだ。
俺は指輪を引き抜き、男の身体に戻った。
そしてシャワーを浴びて、昨夜の痕跡を洗い落とした。
男の身体に戻っても内腿には愛液が乾いたものがついていたのだ。
それを見ると、昨夜の自分の恥知らずな行為が思い出される。
俺は神経質なほどタオルで汚れていた部分を擦った。
シャワーの熱い湯のおかげか少し落ち着いてきたような気がする。
もう浅井には会わないでおこう。
浅井のメールは無視しよう。
そして剣道だけに打ち込もう。
俺はそう考えた。
それでもメアドを変えなかった。
メアドを変えれば浅井からのメールが届くことはなくなる。
本心ではそうなるのが恐かったのだ。
俺は完全に断ち切る勇気がなかったのだ。

そんな俺の弱さのせいか10日も経たないうちに浅井に会いたくなった。
もちろん女になって、だ。
一度そんな欲求が湧き出すと理性ではその欲求に太刀打ちすらできない。
俺はその欲求に負け、女になって浅井に会いに行った。
我慢していた分、俺は浅井に触れたかった。
だから浅井に腕を絡めたり、手をつないだりした。
そんな俺の態度に浅井は驚いているようだったが、それ以上に嬉しそうだった。

浅井は俺を人通りの少ない場所に連れていくと、そこでキスされた。
前回と違い、かなり長いキスだった。
俺はキスだけでうっとりした。
浅井がこんなにキスがうまいとは知らなかった。
俺は完全に浅井のキスに酔っていた。
しかし、浅井の手が胸に伸びてきたせいで我に返った。
「嫌っ、やめて」
「いいじゃないか」
なおも執拗に触ろうとする浅井を突き離した。
「俺、すごくアキのことが好きなんだ。大学を卒業したら結婚したいって思ってる。アキはどうなんだ?」
「えっ、わたしは…」
男どうしなんだから結婚できるわけないだろうと思っている反面、結婚したいと言われたことを嬉しく感じていた。
「もうすぐ大会なんだ。そこで優勝したら、俺、アキが欲しい」
そしてキスされた。
長い長いキスだった。
俺は無意識のうちに浅井の首に腕を絡め、自らもキスを求めていた。
二人の唇が離れた。
「いいだろ?」
「うん」
俺は浅井を欲していた。

それから俺の心の中にはいつも浅井がいた。
男に戻っているときでさえ浅井のことを考えていた。
それでも部活には行った。
ただしその時間以外は俺は女になっていた。
浅井に会えなくても女になっていた。
どうかしてると思うが、どうしようもなかった。
時には自己嫌悪にも陥ることもあった。
俺は浅井の可愛い彼女でいたかったのだ。



いよいよ四連覇のかかった大会を迎えた。
(今日は集中していこう)
俺は自らにそう言い聞かせるように大会に臨んだ。
目の前の試合に集中した。
そして順当に決勝まで勝ち進んだ。
このときになって、ようやく決勝の相手は誰かと周りのやつに聞いた。
「やっぱり浅井があがってきたぞ。今年のあいつは何となく鬼気迫る感じがあるから、油断するなよ」
そんなアドバイスがあった。
やっぱり浅井が勝ちあがってきていたのか。
自分の気持ちが微妙に揺れるのを感じる。
決勝を迎える緊張感からか、それとも……。
俺は目を閉じて浅井との試合を待った。

決勝戦が始まる。
試合場をはさみ俺と浅井は相対していた。
浅井の顔を見て一礼した。
そして歩を進め、蹲踞して剣先を交えた。
浅井と視線が交錯する。
股間がジュッと濡れるような感覚に襲われた。
今は男の身体だから、そんなことが起こるはずがないのに。
(ダメだ、集中しろ)
主審の「はじめ!」の声にお互いの攻防が始まった。
俺は浅井だと思わずに目の前の敵に集中しようとした。
やや防戦気味だったが、それでもほぼ互角の攻防だった。
確かに浅井の竹刀の動きはいつもより速かった。
俺も必死に応戦した。
竹刀のぶつかり合う音が響き渡った。
そしてそんな音が途絶えた。
睨み合いだ。
右に回り込もうとする浅井に俺も少しずつ位置を変えた。
一瞬浅井の表情が変わった。
今だ!
俺は奴の面をめがけて打ち込んだ。
その瞬間浅井はわずかに右に動き、俺の面をかわした。
やばい!
そう思ったときには浅井の竹刀は俺の面をとらえていた。

負けた……。
目の前で浅井が静かにガッツポーズしている。
俺は呆然としながら蹲踞して一礼した。
試合場から離れた浅井が喜びを爆発していた。
俺は黙って会場から外に出た。
敗戦はやはり少なからずショックだった。
それでも気持ちのどこかで浅井の優勝を祝う気持ちがあったことも否定できなかった。

『優勝したよ』
会場の外でひとり休んでいると、浅井からメールが届いた。
『おめでとう。すごい試合だったね』
俺はそう返した。
『見ててくれたんだ。今から会えるかな?』
『ごめん。ちょっと用事があるんで、もう会場出ちゃった』
『それじゃ会えるときにメールして』
『うん、分かった』
短い時間にそんなメールのやりとりがあった。

俺は更衣室で着替え、家に戻った。

家に着く頃には自分の敗戦のショックはかなり薄まっていた。
逆に浅井の優勝を祝う気持ちが強くなっていた。
俺はすぐに指輪をはめた。
汗でまみれた身体をシャワーで洗い落とした。
とくに股間を念入りに洗った。
浅井に抱かれることを考えるとそれだけで身体の芯が熱くなった。
そこでピアッサーなるものを2つ買った。
これでピアスホールが開けられるらしい。
俺は家に帰って、鏡を見ながらピアッサーでピアスをつけた。
一瞬の強めの痛みがあったかと思うと、耳たぶにはピアスがついていた。
同じように逆の耳にもピアスをつけた。
どうやらこのピアスは1ヶ月近くつけたままにしておかないといけないらしい。
せっかく唯一使っていなかったピアスをつけようと思ったのに…。
ミスってしまった。

それでもピアッサーでついた青いピアスは似合っていた。
俺は何度も鏡を見てニヤニヤしていた。
ピアスのついた耳が魅力的に見えた。
ピアスをつけた俺はかなり色っぽいように思えた。
俺の女度があがったようだ。
こんな俺を見たら、浅井の奴、惚れ直すんじゃないだろうか。
俺は浅井へメールした。
『もう用事は終わったよ。今から会える?』
しかし、なかなか浅井から返事がなかった。
こんなに待っているのに。
そんなことを考えていると涙が出てきた。
自分の気持ちがうまくコントロールできなくなっている。
(わたし、どうしちゃったんだろう?)
そんなことを考えていた。
頭の中で一人称が「わたし」になっていることに気づき、苦笑いした。
(俺、完全に女の子になっちゃってるな)
泣いたり笑ったり完全に情緒不安定だ。
俺の内部で何かが変化しているのかもしれない。

7時を過ぎたときにようやく浅井からメールが入った。
『ごめん、後輩たちと飲んでいるから、今日は無理かもしれない』
何だか腹が立ってきた。
(わたしはこんなに会いたいのに…。男って本当に勝手なんだから!)
そんなことを考えているうちに少し眠ってしまった。

ぐぅぅ。
あまりの空腹に目が覚めてしまった。
もしかするとお腹の音で目が覚めたのかもしれない。
それくらい大きな音だった。
そう言えば今日はほとんど何も食べてなかった。
浅井なんて待っていても仕方がない。
それよりも何か食べよう。
家には食べ物のストックがない。
(仕方がない。外で食べよう)
俺は外に出た。
(どこで食べよう?)
うろうろしていると前から浅井がやってきた。
「アキ、遅くなってごめん」
突然の浅井の登場にどうしていいか分からなかった。
するとまた自分でも意味不明の涙が出てきた。
「どうした?怒ってるのか?」
浅井の言葉に強く首を横に振った。
気がつくと俺は浅井の腕の中で泣いていた。

「今日、いいわよ」
俺は思い切って、自分から誘った。
自分が負けたのだから仕方がない。
強い男は潔さも大事なのだ。
俺は浅井の返事を待った。
そのとき!
ぐぅぅ。
腹の音が思い切り鳴った。
一瞬訪れる沈黙。
そして…。
「ははははは……」
浅井が腹を抱えて思い切り笑い出した。
どうしても笑いを止められない様子だ。
一方俺は顔を真っ赤にして俯いていた。
「そんなに笑わなくてもいいじゃない」
俺は小声で呟いた。
少し拗ねていたのだ。

「とにかく何か食べに行こうか」
浅井は必死に笑いを堪えて言った。
「うん」
俺はブスッと返事した。
そして俺たちは車に乗って、近くのファミレスに入った。

「俺はカツ丼、アキは?」
「わたしはハンバーグ定食」
注文したものが来るまで、ずっと浅井の剣道話を聞かされた。
注文したものが来ても、浅井の話は続いた。
俺は話に相槌を打ちながらも目の前のハンバーグを口に運んだ。
少し味が濃かったが、空腹という調味料に勝るものはなかった。
あっという間に平らげた。
食欲が満たされると、何だかセックスする気がなくなってしまった。
でも今さら嫌だなんて言えるわけがない。
「もうお腹いっぱい」
俺はお腹に手を当てた。
「すごい食欲だったな。本当に腹が減ってたんだ」
「だってずっと浅井くんのメール待ってたんだから」
「あ、そうか、悪い。それでさ、今日なんだけど…」
いよいよ誘われる!
俺は固唾を飲んだ。
「今日は試合があったりしてすごく疲れてるからさ…」
浅井が少し黙った。
言葉を探しているようだった。
だから俺は浅井の言葉を待った。
「今日はなしにして、実はもうすぐ俺の誕生日なんだ。だからさ……」
文章が支離滅裂だ。
それでも何を言いたいのかは分かった。
「そのときに優勝祝いをってわけ?」
「まあ…な……。いいか、それで?」
「うん、いいわよ。誕生日っていつ?」
誕生日は3週間後だった。
「それじゃ素敵な場面を用意してね」
「えっ、俺の誕生日なんだぜ」
「わたしに準備させるの?」
「……分かったよ。俺が予約しとくよ。その代わり飛び切りの美人になってくれよ」
「それじゃ今のままで充分ね」

ファミレスから出ると、ドライブを楽しんだ。
わき道に車を停めると、車の中でキスをした。
わたしは浅井くんのことが好き。
キスしながらそんなことを頭の中で繰り返し叫んでいた。

「それじゃまた連絡するから」
「うん、待ってる」

俺は部屋に戻っても男の身体に戻らなかった。
浅井にあげるその日までずっと女の子でいようと思った。
四六時中、女の子でいることで、より女性らしくなろうとしたのだ。


俺は3週間後に備え、身体を綺麗にした。
これまでやったこともない肌の手入れをするために基礎化粧品なるものを購入した。
洗顔は泡立てが重要ということを知ると、それまで直接に顔をつけて洗っていたが、しっかり泡立ててから顔につけるようにした。
1週間もすると、自分でも実感できるくらい肌のキメが細かくなったように感じた。
自分が確実に磨かれている。
そう実感できることで、自らのケアにも気合が入っていった。

そうなると、化粧にも興味が出てきた。
それまでは口紅だけだったのが、いろんな化粧品を買った。
とくに目のまわりの化粧をするのとしないのではこれほど違うのかと初めて知った。
ビューラーをするだけでもかなり違う。
アイラインやアイシャドーのつけ方でもかなり印象が変わってくる。
俺はあまり厚化粧っぽくならず、ナチュラルに、可愛く見えるような化粧にこだわった。
俺の場合、アイシャドーは目立つ色よりもブラウン系がいいようだ。
口紅だけでなくグロスを塗ることでボリューム感が増すことも知った。
女が化粧にこだわる気持ちが分かってきた。
ちょっとした工夫でいろんな自分を発見できるのだ。
こんな楽しいことはない。

しかし浅井に会うときは以前のように口紅だけしかしなかった。
だからそれまでの自分とほとんど違わなかったはずだ。
でもスキンケアの成果は出ているはずだ。
その点は気づいてほしかった。
なのに浅井は何も言わなかった。
その点が少し(かなり)不満だったが、あえて何も言わなかった。
一番大切な日に驚かせてやるんだ。
そう決心していたからだ。
そんなサプライズをすることで、浅井から「綺麗だ」と言われることを楽しみにしていた。
もちろん着るものも吟味をつくした。


ついに浅井の誕生日が翌日に迫った。
もちろんその日も俺と浅井はデートした。
「明日が誕生日だね」
「あ…ああ、○×ホテルに6時だからな」
「そんな高いところ、大丈夫なの?」
「アキとの記念すべき日だからな。少しくらい無理するさ」
「ありがとう」
「遅れるなよ」
「うん、それじゃね」
俺たちは翌日への期待と不安を胸に抱きながら熱く長いキスを交わして、その日は別れた。

その日は念入りに身体を洗い、念入りにスキンケアをし、早々に布団に潜り込んだ。
寝不足の顔で浅井に会うなんて許されない。
しっかり寝ることで化粧のノリが全く違うことも分かっていたためだ。
しかし興奮しているせいかなかなか寝つけなかった。
時計の音だけがやたらと耳についた。
時計を見ると午前2時を過ぎていた。
無理に寝ようとするからいけないんだ。
だから無理に寝ようと思わないでおこう。
そんなことを考えても、やっぱり眠れなかった。
(もう眠れないかもしれないな。いっそのこと徹夜しちゃおうか)
そう考えたら、それから10分も経たないうちに眠りに落ちた。


目が覚めたのは朝6時過ぎだった。
3時間ほどしか眠っていない。
それでも寝不足の感じはない。
頭は妙に冴えていた。
まだ約束の時間まで12時間もある。
俺はすぐに起き上がることはせず布団の中でウトウトと微睡んでいた。
気がついたときは11時を過ぎていた。
二度寝したせいか頭がボーッとしている。
こんなことならさっき起きたときサッサと起きればよかった。
後悔先に立たず。
今さら後悔したって仕方がない。
俺は頭をすっきりさせるためにシャワーを浴びた。

バスタオルを胸元に巻き、スキンクリームを全身に塗った。
そして冷凍パスタを温めて食べた。
食べ終わると、この日のために買っておいたシルクの下着を取り出した。
ショーツはウエスト部分がレースになっているミントグリーンで可愛い。
ブラジャーも同じ色だ。
いわゆる勝負下着というものだ。
俺はそのショーツとブラジャーを身につけた。
そして、鏡を見てポーズをとった。
すごくいい。
完璧だ。

そしてドレスを取り出した。
ネイビーのサテンワンピースのドレスだ。
軽く回転するとスカートがあがるのがいい。
女らしい優しいドレスだ。
肌にあたる感じがサラサラして気持ちがいい。

鏡を見て、完璧に決まったことを確認した。

そして気合いを入れて化粧をした。
厚化粧に見えないように細心の注意をしながら。
そして髪をアップにまとめた。
少しでも大人っぽく見えるように練習していたヘアスタイルだ。
化粧とヘアスタイルで予想以上に時間がかかった。
おかげで約束の時間にちょうどくらいのタイミングになった。

仕上げにピアッサーでつけたピアスを外して、送られてきたピアスをつけた。
キラキラ光っている。
ダイヤモンドなんだろうか。
単なるガラス玉かもしれない。
いずれにしても耳たぶにつけたピアスはキラキラと華麗な光を放っているように感じた。
自分で自分に見惚れるほどだ。


電話でタクシーを呼んだ。
ドレスを着た状態で街中を歩きたくなかったのだ。
しばらくの後、到着したとの電話がかかってきた。
俺は新たに買ったネイビーのハイヒールを履いてタクシーに乗り込んだ。


約束の時間より前に着いたのに、約束の場所にはすでに浅井が待っていた。
浅井が俺を見て、口をポカンと開けている。
見惚れているようだ。
そんな浅井の様子に満足した。
「どうしたの?変?」
俺は返事が分かっているのに、そんなことを聞いた。
「アキ、綺麗だ…」
予想通りの返事に俺は満足した。
しかしそれに比べ、浅井はほとんど普段の恰好をしていた。
本当にデリカシーがない。
ちょっと腹が立ったが、今日は責めないことにした。

食事はとても美味しかった。
ワインはできるだけ安いものを選んだが、口当たりのいいワインだった。

食事が終盤になると何だか緊張してきた。
胸の鼓動が激しくなってきたのだ。
おかげで美味しいはずのデザートの味がよく分からなかった。
食後のコーヒーを飲むと、浅井が席を立った。
「それじゃ行こうか」

連れていかれたのは、セミスイートの部屋だった。
浅井のやつ、この日のために奮発しやがったんだ。
俺は無条件に嬉しかった。

部屋に入ると、すぐに浅井が俺を抱き締めた。
抱き締められた俺は浅井にキスを求めた。
浅井はそれに応えてくれた。
二人は長いキスをした。
キスだけで俺の股間はすでに濡れていた。


優勝すれば抱かれると決めていた。
だから今こうされているのだ。
いや優勝しなくてもこうされたかった。
それは確かなことだ。
これ以上自分を偽るのはつらい。
自分のことを"俺"と呼ぶことも違和感を感じてきた。
もう自分のことを"俺"と呼ぶのはやめよう。
自分のことをいうときは『わたし』だ。
だってわたしは女の子だから。
大好きな男性と初めて結ばれることにドキドキしている女の子なのだ。

彼の手がわたしの胸に重なった。
そして遠慮がちにかすかに動いていた。
"揉む"というはっきりとした動きではない。
胸の上に置いた手がかすかに動いている程度のものだった。
そんな行為は決して嫌ではなかった。
それでも次に展開されるであろう行為を想像して、わたしは彼の腕の中で身を硬くしていた。

やがて彼が次の行動を起こした。
わたしの服を彼が無理やり脱がそうとしたのだ。
少し性急だ。
脱がせ方が分からないのかもしれない。
何となくドレスを破られそうで恐かった。
「自分で脱いでいい?」
「あ…ああ…」
彼に背を向けてわたしはドレスを脱いだ。
彼は背後でゴソゴソしている。
きっと服を脱いでいるのだろう。
わたしは下着だけになってベッドに横になった。
すると彼はすでに全裸になって、わたしの上に覆い被さってきた。
少し重い。
そうして身体をずらそうとすると、硬くなったものが太腿にあたった。
わたしの身体に彼が興奮している。
そんなことがわたしには嬉しかった。
男はどんな女でも相手が裸ならそういう状態になることをよぉく分かっているはずなのに、やっぱりわたしには嬉しいことだった。

じっくり時間をかけてわたしの全身を彼の舌が這いまわった。
くすぐったいような気持ちいいような感じだ。
わたしは感じていることを彼に伝えようと喘ぎ声を出した。
それほど感じているわけでもないくせに。

彼はわたしの乳房を大きな口で含むようにした。
時々歯が乳首に当たり、その度に身体がビクンとなった。
硬くなったペニスが股間にあたった。
わたしはそれを握った。
「初めてだから優しくしてね」
わたしは彼にそうお願いした。
「実は俺も初めてなんだ。うまくできるかどうか分かんないけど」
そんな彼のことを可愛いと思った。
こんな彼に"初めて"をあげられることが嬉しかった。

わたしから身体を離し、右手でペニスを握って、わたしの股間にあてた。
ペニスの先がやや後ろにあたった。
「そこじゃない…」
「ここかな?」
「うん」
わたしは目を閉じて、そのときを待った。

「んっ…」
ついに入ってきた。
かなり痛い。
それでも痛みに耐えた。
「かなりつらそうだけど、大丈夫?」
「う…うん……大丈夫…よ……」
そんなことは分かっているはずなのだから、わざわざ聞いて欲しくなかった。

彼が腰を動かしても痛みだけだった。
セックスは女のほうが得だなんて嘘っぱちだ。
少なくとも最初は痛みしかない。
わたしは早く終わってとだけ祈っていた。
彼の動きが早くなり、ついに放ったときにホッとした。
これで痛みから解放される。
しかし彼がペニスを抜こうとすると、別の感情が湧いてきた。
「お願い。もう少しこのままでいて」
つながったままの時間をもう少し感じていたくなったのだ。
わたしは自分で自分の気持ちが理解できない。
ただそれは間違いなく自分の気持ちに正直になった結果だったのだ。

やがて彼がわたしの中から抜け出していった。
それでもまだ彼のペニスが入っているような感覚だった。
これからも彼のペニスをずっと感じるのだろうか?
それとも終わった直後だから?
とにかくわたしは彼とのつながりを確実に感じるようになったということだ。

しかしわたしは彼を、浅井を騙している。
それは事実だ。
斉藤明子なんて女性は本来存在しない女性だ。
望み通り抱かれた今、彼を欺いていることがすごく心苦しく思えてきた。

「なあ、大学を卒業したら結婚しないか?」
わたしが悩んでいるときに彼から発せられた思いもしない言葉に驚いた。
まさかそんなに真面目に考えてくれていたとは思わなかった。
これ以上黙っていることはできない。
わたしは覚悟を決めた。
「ねえ、わたしをよく見てて」
わたしは自分の指にはめられた指輪をじっと見た。
これを外せば男に戻る。
わたしは目を閉じて、指輪を取った。
これで男の身体に戻ったはずだ。
ゆっくりと目を開けた。
彼の姿が目に入った。
別に驚いている様子はない。
自分の身体を確かめた。
元に戻らなかった。
どうして?
セックスをしたせいなのだろうか?
「何?どうしたの?」
彼が不思議そうな顔をして聞いてきた。
わたしは少し考え、別の方法を思いついた。
「ねえ、ちょっとこの指輪つけてみて」
わたしは外した指輪を彼に渡した。
「こんな細いの入らないよ」
「小指でもいいからつけてみてよ」
「そんなに言うのなら」
そう言って、左の小指にはめてくれた。
「つけたけど」
わたしは彼の小指に指輪がついているのを見た。
しばらく彼を見ていた。
しかし、何も起こらない。
指輪の効力までもが消えてしまったというのだろうか。
わたしは狐に摘まれたような気分だった。

「どうした?もう取っていいか?」
彼の言葉に我に返った。
「うん、ありがとう」
「何だったんだ?何かの儀式なのか?」
彼が不思議そうな顔をしていた。
彼を欺いている後ろめたさはどこかに消えてしまっていた。
それよりも何とか取り繕わなければならないという意識が強くなっていた。
「何でもないの」
「でも…」
「そんなことより本当に結婚してくれるの?」
「ああ、もちろんだ。今日からでも一緒に暮らさないか?」
「本当に?」
わたしは彼に抱きつき、キスを求めた。
もう一度セックスすることで誤魔化そうとしたのだ。

「今日はありがとう」
「俺こそありがとう。今日言ったこと、本気だから、マジで考えてくれるか?」
そんな彼の言葉が嬉しかった。

部屋に戻って風呂に入った。
もうこのまま女の身体で生きていかなければならない。
これまで男と女の間を気ままに行き来してきたのとは訳が違う。
あらためて女になった自分の身体を見た。
今まで少しエッチな気分になっていたが、今日は何となく愛おしくすら思えた。
風呂を出て、洗面所の鏡の前に立ったとき、ふとある部分に目がいった。
(もしかしたら…)
わたしは指輪はもちろんピアスも外した。
身体はあっという間に男の身体に戻った。
あのときはつけ慣れていないピアスの存在が頭からなくなっていたのだ。
(元に戻れることは分かったけど、やっぱり明子のままでいよう)
わたしは少し考えたが、再びピアスをつけ、女の身体に戻った。

そして自分の部屋をまとめて浅井の部屋に向かった。
「本当に来ちゃったけどいい?」
わたしは同棲するつもりでやってきたのだ。
彼はわたしをしっかりと抱き締めてくれた。



まさか佐藤のやつが女になるなんて思わなかった。
『願いを叶える神社サイト』という眉唾なサイトを見つけて、佐藤のやつに勝ちたいとそこの"絵馬"に書いたのがきっかけだった。
管理人から「願いは3つ叶えることが可能です。1つでよろしいですか?」とのメールがきたのが、それから10日あまりが経ったときだった。
読んだときは何のことか分からなかった。
すでにそんなサイトのことは忘れていたからだ。
そのメールが少し前の興味本位で書き込んだサイトからのものだと思い至ったとき、俺は迷わず「可愛い彼女が欲しい」と「童貞から卒業したい」と2つの願いを書いて返信した。
半分以上冷やかしだった。
もちろんそんなことが現実になるとは夢にも思わなかった。

だがしばらくすると「対象に女になるアイテムを送った。あとはあなた次第です。頑張ってください」というメールがきた。
意味が分からなかった。

それから少し経ったときのことだった。
部屋でボォーッとしてると「対象が女になってスーパーにいますよ」とメールが入った。
俺は半信半疑でスーパーに行ったのだが、そこに可愛い女がいた。
どうやらこいつが"対象"らしい。
"対象"が苦し紛れに「斉藤明子」と言ったときには思わず吹き出しそうになった。
"対象"の名前は佐藤明だからだ。
佐藤はあまりに急なことでほぼ自分の名前のままに言ってしまったようだ。

それにしてもどんな方法で女にしたというのだろう?
そんなことは全然分からないけど、佐藤のやつは本当に可愛い。
俺好みの女だ。

俺は遊び半分で女になった佐藤とつき合おうとした。
だがそんな気持ちはすぐにマジなものになってしまった。
俺は佐藤のことを真剣に愛してしまったのだ。
佐藤のやつもまんざらではないようだ。

しかし、剣道については佐藤は俺とのつき合いも何ら障害にならなかったようだ。
決勝での佐藤はこれまで以上に手強かった。
俺が勝ったのは奇跡だと言っていいだろう。
強いて言うなら、あいつとセックスしたいという欲求が俺に奇跡を呼び込んだと言えるのかもしれない。

あいつとの初セックスは最高だった。
俺は佐藤とずっといたいと思った。
それにしても俺に指輪をはめてくれと言ったときはビビった。
おそらくあの指輪のせいであいつが女になったのだろう。
俺まで女にしようとしたのだろうか?
男に戻って、女にした俺を犯さそうと思ったのだろうか?
俺にはよく分からないが、あの指輪は佐藤にしか効かないようになっていたのだろう。

あいつが男に戻れなくなったんなら、これからもずっと一緒にいたい。
生まれたときから女のやつらは往々にしてわがままだ。
その点佐藤は理想的な女であろうと努力してくれる。
ずっと剣道のライバルだった奴と結婚するのは不思議な気がするが、俺はあいつのことを愛してしまった。

俺たちは大学を出てすぐに結婚した。
なぜか「斉藤明子」という戸籍が存在していた。
あいつが女になったことに比べれば、戸籍の捏造なんて大したことはないのかもしれない。

俺たちは夫婦になった。
あいつは俺の妻になってから別の意味で強くなった。
そこまで女にならなくてもいいのにな。
まあ、それでも俺はアキのことを愛してるんだけど。
とにかく俺は今幸せだ!


《完》

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