不釣合いな彼女



「おーい、ミッツ。今日は絶対来いよ」
「分かってるよ」
梶原満雄は同じ寮の石井智久から声をかけられた。
「この前みたいにドタキャンしたら、ただじゃおかないからな」
「悪かったよ。今日は大丈夫だって」
満雄は大学に入ってから何度か合コンに誘われたことがあるが、いつも断っていた。
智久の強い誘いに渋々承知したのが一ヶ月前。
しかし満雄は約束していた合コンに行かなかったのだ。
特に何か別の急用が入ったわけではない。
合コンなんてそもそも興味がないため忘れていたのだ。

満雄は午前だけの授業だったので、一旦寮に戻って一眠りした。
充分な睡眠でもとらないと、合コンのようなつまらない場には行けないと思ったのだ。
寝てしまって遅刻してもいいとも考えていた。

「ミッツ。ここだ、ここ」
残念ながら合コンの2時間前に目が覚め、時間通りに合コンに行けることになった。
教えられた店に入るとすぐに智久が満雄の姿を見つけて、手を振ってきた。
「ミッツって何?もしかしてミッツマングローブみたいに女装が趣味なの?」
「違うよ。満雄だからミッツなんだ」
「でも確かに可愛い顔してるわね」
また始まった。
満雄は心の中で舌打ちをした。
満雄は身長がそれほど高くなく、色白で、母親似の顔立ちだった。
そんな満雄のことを女たちはすぐに「可愛い」と言うのだ。
ましてや合コンみたいな場では誰かがそんなことを言い出すと必ず全員が同調する。
そんなことがあったため、こういう場はうんざりだったのだ。

そんな満雄の気持ちなど誰も気づくことなく自己紹介が始まった。
「あたし、下田友紀。ユキちゃんって呼んでください」
さっき満雄のことを可愛いと言った女だ。
調子だけが良くて何も考えていないようなタイプだと思った。
「私は佐伯一美」
「前川久美です。よろしく。彼氏募集中でぇーす」
「小西信子。のんちゃんです」
「わたしは望月菜穂です。よろしくお願いします」
満雄と対角線にいる菜穂はおとなしそうな女性だった。
小柄で可愛い感じだ。
何となく感じられる上品な雰囲気を持っているところがいい。
男どももそれぞれ自己紹介した。
石井智久を皮切りに、東野英一、芳賀勇次、江川一敏。
最後は満雄だった。
「梶原満雄です」とだけ言ってすぐに座った。

自己紹介が終わるとそれぞれ近くの者との話が始まった。
満雄はそばに座っていた一美から話しかけられたが、生返事ばかりでほとんど聞き流していた。
そうこうしているうちに呆れられたのか一美は別の話の輪に入っていった。
満雄は誰からも相手にされず一人で食べて飲んでいた。
そのほうが気楽だった。
ただ対角線上に座っている菜穂のことを見ていた。
唯一人気になる女性だったからだ。
しかし菜穂は、隣に座っている智久の話を聞いて笑っているだけで、満雄の視線に気づくことはなかった。

「ねえ、ミッツくん。そんなところで一人で飲んでないでこっちにおいでよ」
急に友紀から声をかけられた。
満雄は友紀のほうをチラッとだけ見た。
何も答えず、少し離れたところにある唐揚げに手を伸ばした。
「ミッツ、お前、ノリ悪いぞ」
満雄は智久をジロッと見た。
お前が無理やり参加させたせいだろう。
そんな思いだった。
智久に対しても無視して、満雄は一人で飲んでいた。
「ねえ、のんちゃん。今日の頭、ウィッグでしょ?」
「そうだけど、こんなところで言わなくてもいいじゃない」
「そんなんじゃなくて…」
友紀が信子に何やら耳打ちした。
男たちは何が始まるんだろうという目で二人を見つめていた。
「はああん、なるほど…面白そうね」
「でしょ?」
友紀はみんなが自分たちを見つめていることに気づいた。
「ちょっと楽しいこと思いついちゃった。準備するからちょっと待っててね」
そうして信子を連れてトイレのほうに向かって行った。

二人は5分ほどして戻ってくると、信子の髪の毛が黒のショートヘアに変わっており、手にはおそらくさっきまでつけていたであろうウィッグがあった。
「それでは今からこのウィッグをミッツくんにつけてもらいまーす」
友紀が声高らかにそんなことを宣言した。
「えっ!」
満雄は驚いて声をあげた。
「いいぞぉ」
男たちから茶化したような歓声があがった。
「そんなこと、できるか!」
むきになる満雄に対して、友紀が諭すように言った。
「ミッツくんはひとりで飲んでるのが好きなのかもしれないけど、あなたがそんなだと周りが白けちゃうの。あなたも大人なら空気を潰すことはしないことね」
有無を言わさないような友紀の言葉に満雄は返す言葉がなかった。
「分かったよ、やればいいんだろ」
「そうよ。男はやるときにはやらなきゃね」
友紀は満雄の頭を撫でた。

「それじゃ始めましょうか」
満雄は信子にウィッグを被せられ、友紀に化粧された。
化粧なんてもちろん生まれて初めてだった。
妙に甘い匂いに頭がクラクラしそうだ。
「ほぉら、出来上がり」
友紀が全員に見せた。
その瞬間「おおおお」という歓声が沸き起こった。
「結構綺麗じゃん」という声が聞こえた。
どんな顔になったんだ?
満雄がそんな視線を友紀に向けると、友紀はコンパクトを満雄に渡した。
コンパクトを開けると小さな鏡がついていた。
ファンデーションで汚れていて全体が見づらい。
しかしその鏡の中には確かに可愛い女性がいた。
母親が若いときはきっとこんな感じだったのだろう。
どことなく菜穂にも似てると思った。
菜穂を見ると「すごく可愛いね」と一美と話しているのが聞こえ、軽蔑されているわけではないことにホッとした。
「それじゃミッツ改めミツコちゃんを交えてもう一度乾杯しようぜ」
智久の呼びかけに全員で再度乾杯した。

結局合コンの間、ずっとそのままの恰好をさせられた。
お開きになった。
「それじゃ男は金を集めるぞ。ひとり一万円な」
「ミツコは女性よ。ミツコも無料でいいわね」
友紀の一言に他の女性も「そうよそうよ」と同調した。
「分かったよ。ミッツ、お前もただでいいよ」

会計をしている間に満雄はトイレでウィッグを外し、石鹸で顔を洗って化粧を落とした。
トイレから出ると「二次会に行くぞ」という声を無視して、寮に帰った。
(合コンなんて絶対もう行かない)
満雄は心の底から決心したのだった。



「ねえ、ミッツくんでしょ?」
満雄は後ろから誰かに呼び止められた。
女性の声だった。
ゆっくりと振り返った。
そこにいたのは菜穂だった。
「えっ、あ…、はい」
思わぬところで一番気になっていた菜穂に声をかけられて、一瞬どう返事していいか分からなくなった。
何も言葉が出ず佇むだけだった。
「私のこと、覚えてる?」
満雄は必死に何度も首を縦に振った。
「良かった、ミッツくんとお話したかったんだ。でも、あのときは席が離れていて、ほとんど喋れなかったし。今、時間ある?」
「あ…はい、もちろん」
菜穂は近くの喫茶店に入った。
満雄は黙って後についていった。

菜穂と満雄の会話はあまり弾まなかった。
それでも菜穂のことは少し分かった。
菜穂はこれまでずっと女子校で、男性とほとんど話をしたことがなかったそうだ。
そんな菜穂を見かねた友人たちが菜穂のために企画したのがあの合コンだったそうだ。
前面に立って騒いでいた男性は何となく恐かったらしい。
隅の方でおとなしくしていた満雄に興味を持ったそうだ。
あまり男っぽく見えないところも菜穂にとってはプラスに働いたらしい。
(そんなこと言ってもあのときは化粧させられてたしな)
あの日の苦々しい思い出も菜穂との繋がりを作ってくれたと思うといい思い出になりそうだ。
「ねえ、また会ってくれる?」
「あ、はい、もちろんです」
「それじゃケータイ教えて」
満雄は菜穂に携帯電話の番号とアドレスを教えた。

(やったぁ!初彼女ゲットだぁぁぁ!!!)
菜穂と別れた満雄は人目がなければ大声で叫びたい気分だった。
寮に帰ってからも自然と笑みがこぼれ、周りの人間から気持ち悪く思われたほどだった。

しかし、次の日も、そのまた次の日も菜穂からの連絡はなかった。
満雄から連絡とろうにも、満雄は菜穂のケータイを教えてもらってなかったのだ。
もしかしたらからかわれただけなのかも?
そんな疑念が浮かんできた5日目のことだった。
ようやく菜穂からメールがあった。
短くシンプルなメールだった。
『明日11時に市ケ谷駅に来て。迎えに行くから。菜穂』

満雄にとっては待ちに待ったメールだった。
「やったあ、やったぜ」
まさに小躍りして喜んだ。
その夜は興奮して一睡もできなかった。
5時を過ぎたころには布団から出て、着ていく服を探し出した。
といっても持っている物といったらTシャツとジーパンくらいだ。
ほとんど疲れていたTシャツの中から一番疲れていないTシャツを探したのだ。
どれも似たり寄ったりの状態だったので、選び出すのに時間がかかってしまった。

約束の場所についたのはまだ10時をまわったばかりの時間だった。
そこで待っている間、本当に来てくれるかどうかずっとドキドキしていた。
10時40分を過ぎたときに電話がかかってきた。
『ミッツくん、今どこ』
「もうすぐ市ヶ谷に着くところ」
すでに着ていることを話すのは恥ずかしいように思い、小さな嘘をついた。
『そうなんだ。そしたら近くに交番があるでしょ?その辺りで待ってて』
満雄は辺りを見た。
道路の向こうに交番が見えた。
「分かった。交番だね」
『うん、私ももうちょっとで着くから。それじゃね』

電話を切って、満雄は交番のところに急いだ。
そこで10分ほど待っていると、目の前にBMW1シリーズの車が停まった。
運転席に座っているのは菜穂だった。

「お待たせ。乗って」
満雄は言われるままに車に乗った。
「すごいね、この車。望月さんの?」
「そうよ。免許を取ったら、お父様が買ってくれたの。BMWってあんまり好きじゃなかったんだけど、この車は可愛くて好きだわ」
「ふ〜ん、そうなんだ」
きっと菜穂の家は金持ちなんだろうな。
もしかしたら僕なんか全然合わないかもしれない。
そんなことを考え始めた満雄を現実に引き戻したのは菜穂の言葉だった。
「望月さんなんて呼び方、止めてよ。私たち恋人になったんでしょ?」
菜穂の口から"恋人"という言葉が出てきて、満雄は一気に夢見心地になった。
「も、もちろんだよ」
「だったら"望月さん"じゃなくて"菜穂"って呼んで」
満雄は生まれて初めて女性とつき合うのだ。
したがって女性を名前で呼び捨てにしたことなんて一度もなかった。
「それはちょっと…」
「ちょっと?何?」
「ちょっと…恥ずかしいよ。菜穂…ちゃんでいいかな?」
「ま、いいわ。許してあげる」
菜穂はニコッと笑った。
こんな笑顔が見られるのなら頑張って菜穂に釣り合う男になろうと心に誓った。

車はあるビルの駐車場に入っていった。
「どこに行くの?」
「いいから一緒に来て」
車を停めると、後ろの座席に置いてあった紙袋を持って出た。
そして満雄の手を握って歩き出した。
満雄にとっては菜穂と手をつないでいるという状況だけでも心臓が飛び出す思いだった。
菜穂が今どこに向かっているなんてどうでもよかった。
ずっとこのまま手をつないでいたい。
そんなことを考えていた。

連れて行かれたのはカラオケボックスだった。
(カラオケってあんまり好きじゃないんだけどな)
部屋に入ると、すぐにオレンジジュース2つを頼んだ。
「菜穂…ちゃんってカラオケが好きなの?」
「特にそういうわけじゃないんだけど、ちょっと待ってて」
菜穂は特に曲を選ぶ様子もなくただ座っているだけだった。
しばらくすると店員がジュースを運んできた。
そして店員が出て行くと菜穂が持ってきた紙袋を差し出した。
「これ、着てくれる?」
中の物を取り出すと、女の子の服だった。
予想もしなかった突然の申し出に驚くだけだった。
パフスリーブのボーダーTシャツに黒のレギンスと黒地に白いドットのついたティアードフリルスカート、そしてベージュのシンプルなブラジャーが入っていた。
「これ?」
「お願い、いいでしょ?」
「でも、どうして?」
「この前も言ったように私ずっと女子校だったでしょ?男の人と一緒にいるのって何となく緊張しちゃって。だからミッツくんが女の子の姿をしてくれるといいかなって思って。それに女の子だったら私のお家にも一緒に行けるかなって…。ダメ?」
菜穂から上目遣いに頼まれると断る選択肢なんてありえなかった。
「分かったよ。だったら着替えるの、手伝ってくれる?」
「うん」
菜穂が嬉しそうな顔をした。
この表情を見られるのなら女の子の服を着るくらいたやすいことのように思われた。

「それじゃまずはこれからね」
「これって…」
渡されたのはブラジャーだった。
「大丈夫よ。私のだけど全然使ってないから」
(そういうことじゃないんだけどな…。菜穂ちゃんってちょっと天然なのかな)
そんなことを思いながらTシャツを脱いだ。
「ミッツくんって華奢に見えるけど、やっぱり男の子なんだ」
筋肉質だってことかなと思った。
しかしそんな一方、単に胸がないことを言ってる可能性だってあるような気もした。
ブラジャーのストラップに腕を通して背中に手を回しフォックを留めようとした。
しかしなかなか留まらなかった。
「手伝ってあげる」
菜穂が満雄の後ろでブラジャーを留めてくれた。
「すごく痛いんだけど」
「だよね?すごく食い込んでるもん」
菜穂がバッグから何かを取り出した。
「ちょっと待ってね」
背中で何かしている。
しばらくするとそれほどきつくなくブラジャーが留まった。
「これでいい?」
「これなら何とか」
満雄は腕を回して言った。
「何したの?」
「アジャスターで調整したの。念のためお母様のを持ってきて良かったわ」
お母さんのなのか。
何か複雑な気持ちだった。
「はい、これを入れて」
渡されたのはパッド6枚だった。
それぞれのカップに3枚ずつ入れた。
わずかだが膨らみができた。

次にボーダーのTシャツを着た。
満雄が着てきたようなダボッとしたTシャツではなく、身体にピタッと密着したようなTシャツだったため、必然的にブラジャーのラインが見えた。
何となくブラジャーのままよりも胸が大きく見えるような気がした。
(何か本当に女の子になったような気になってきた)
興奮して股間が大きくなっていた。

そしてジーパンを穿いたままスカートを穿いた。
ウエストの部分がゴムだったので楽に穿けた。
ジーパンを脱ぎ、レギンスを穿いた。
股間がレギンスで押さえられ、かなり痛かった。
菜穂にばれないようにやや前屈みになって耐えた。

「いい感じね。それじゃこっちに来て」
菜穂に化粧された。
菜穂の顔が数センチ先にある。
顔を少し前にやると、すぐにキスできそうだ。
そうしたい衝動を必死に抑えつけた。

「はい、できたわ」
鏡を見せられた。
合コンのときの友紀の化粧とは違う感じだ。
何となく菜穂と似た感じに仕上がっている。
服装も似た感じなので、並ぶと姉妹みたいに見えそうだ。
「何だか姉妹みたいね」
菜穂も同じように感じたようだ。
それにしても可愛い。
こんな女性がいれば大好きになりそうだ。
しかし紛れもなく自分なのだ。
何だか不思議な気分になる。
鏡に映る自分は自分のような気がしない。

「それじゃこれね」
サンダルを渡された。
「ヒールもそれほど高くないし、これだと少々サイズが小さくても履けるでしょ?」
確かに歩くことは問題なさそうだ。

「それじゃ行くわよ」
えっ、カラオケに来て歌わないの?
もしかして僕を着替えさせるためだけに来たの?
聞きたいことがいろいろ浮かんだが、口から出てきたのは「どこに?」という言葉だった。
「う〜ん、とりあえずその辺でショッピングかな」
菜穂のそんな返事に驚いた。
いくら見た目がおかしくなくても、さすがに真昼間に女装して外に出る度胸なんてあるはずがなかった。
「でも…やっぱり…」
満雄は部屋の外に出ることに抵抗した。
「グズグズ言ってないで、行きましょう。男は度胸よ」
女装させておいて『男は度胸』はないだろう。
満雄は心の中で突っ込んだが、それを口に出す勇気はなかった。
結局力づくで外に連れ出された。

スカートって心許ない。
レギンスがあるから少しだけ安心だけど、それでも下半身に何もつけてないような感じだ。
行き交う人たちからジロジロと見られるとどうしようもないくらい恥ずかしい。
座り込んでジッとしたい衝動すら感じた。
どうしてこんなことになったんだろう。
いくら菜穂の頼みとは言え、受けた自分が馬鹿だった。
そんなことを思っていたのは最初のうちだけだった。
きっかけになったのはこんなことがあったからだ。

「ねえ、彼女たち、俺たちとお茶しない」
外に出て、少ししたときに男二人に声をかけられた。
「ダメよ。私たち、デート中だもん」
「デート中?だって君たち女どうしだろ?」
「女の子どうしでデートしちゃいけないの?」
「女の子だけよりも俺たちといたほうが楽しいって」
「そうねえ…どうする、みっちゃん?」
急に満雄に矛先が向けられた。
菜穂はもちろん男たちの視線も満雄に集まる。
心臓が口から飛び出してきそうなほど鼓動が高まる。
満雄は思いっきり首を横に振った。
「…だって。そういうことだから」
菜穂は男たちにそう言って「行きましょう」と満雄の手をひっぱった。
満雄も逃げるようにその場から去った。
「みっちゃんって何だよ」
男たちからかなり離れたところまで逃げてから、菜穂にしか聞こえないような小さな声で満雄は聞いた。
「だって"ミッツくん"じゃおかしいでしょ?だから"みっちゃん"。ダメ?」
菜穂の「ダメ?」の前では拒否することはありえない。
だから「仕方ないな」と受け入れるしかなかった。
「ただし名前はミツコじゃなくミチヨってことにしてしておいてくれる?」
「別にいいけど、どうして?」
「だってミツコって母親の名前だし、少しでも離れた名前のほうがいいから」
これは嘘だ。
小学生での初恋の女の子が"美知代"という名前だったからだ。
「なるほどね。だったらミチヨでいいわ。だったら私もみっちゃんよりミチヨって呼ぶことにするわ。字は…そうねえ…未知からの代表で未知代ってのはどう?」
「漢字なんて書くことないだろうから何でもいいよ」
「未知代も私のこと菜穂って呼んでよ」
「呼ぶけど、この声じゃあんまり話せないよ」
「大丈夫よ。女の子だと思われてれば『声の低い女の子だな』くらいしか思われないから。ただし言葉遣いには充分注意してね」
「分かったよ…じゃなくて…分かったわよ」
「そうそう、その調子」
「それにしてもさっきの男の子たち、ずっと未知代のこと、見てたわね。やっぱり美人って得だな」
「何言ってんだよ」
菜穂がジロッと睨んで「言葉遣い」と声を出さず口の動きだけで注意した。
「何言ってるのよ。菜穂のほうが美人じゃない。私の態度が怪しいから見てただけよ、きっと」
そんなことを言っても満雄自身怪しんでいる視線かそうでない視線かは分かる。
さっきの視線は紛れもなく男性が綺麗な女性に対して向けられるものだ。
そう思うと妙な自信がついてきた。
慣れてくると見られている喜びみたいなものを感じるようにすらなった。
「何だか未知代、さっきより堂々としてるんじゃない?」
菜穂のそんな言葉もさらなる自信になっていった。

菜穂は時々店に入っては、品物を見ていた。
満雄は横に立っているだけだった。
菜穂が「これ可愛いね」とかいう言葉にニコニコ笑うくらいだった。
いくら女装しているからと言って一緒に「これ私に似合うでしょ?」なんてことはできなかった。
そんな満雄も密かな楽しみがあった。
満雄のことをチラチラ見ている男性を観察することだ。
男ってのは綺麗な女性がいると絶対にチラ見する。
そんな視線を見つけるのが楽しかった。
相手がカップルだったりすると、彼女に気づかれないように手を振ってやったりして、男が慌てる様を見て楽しんだりしていた。
満雄はすっかり自分の女装姿に自信を持つようになっていた。

菜穂がアクセサリを見ているときだった。
ふと尿意を感じた。
「ゴメン、ちょっとトイレ」
「分かったわ。ここで待ってるから」
満雄は菜穂を残し、トイレに向かったが、トイレの前で立ちすくんだ。
どっちに入ればいいんだろう?
迷うと余計尿意が強くなった。
(ええい、もうこっちでいいや)
満雄は赤いマークのついたほうに入った。
入ると女性が一人鏡に向かって口紅を引き直していた。
満雄の姿をチラッと見ただけで自分の作業を続けた。
(ばれてない)
ホッとしながら3つある個室のうち空いている一番奥に入った。
スカートを捲り上げ、レギンスをおろし、ブリーフを下げて便座に座った。
(ふぅ〜、間に合った)
満雄はそのとき無意識に便座に座って用を足していることに気づいて、苦笑した。
(気持ちが女の子になってたのかな?)
そんなことを考えたとき、とんでもない事実に気づいた。
(今、僕、女子トイレにいるんだ)
何となく犯罪的な匂いがする。
すると股間のものがムクムクと大きくなってきた。
(どうしてこんなタイミングで…)
満雄はゆっくりと大きく深呼吸して落ち着こうとした。
しかし落ち着こうとすればするほど興奮してくる。
(仕方ない)
そのままの状態でブリーフをあげて、レギンスをあげて、レギンスのゴムの部分でペニスを押さえるようにした。
スカートの下で大きくなっているものがあることは少なくとも分からないはずだ。
(これでばれないよね)
水を流し、個室を出ようとすると、二人ほどの待ち人がいた。
満雄が出たのを見ると、そこに一人がサッと入って行った。
手を洗うときに前の鏡に目がいった。
(確かに可愛いよな。菜穂ちゃんと結構いい勝負だよね)
そんなことを考えながら鏡を見ていると「邪魔よ」と言われて女が前に入ろうとした。
「ごめんなさい」と謝って、急いで手を洗った。
そしてハンカチを持っていないことに気づいた。
改めて周りの女性を見ると、皆小さなバッグを持っていることに気づいた。
そこにハンカチやら化粧品を入れているのだ。
(だから女の人はバッグを持ってるんだ)
そんな小さな真実に満雄は生まれて初めて気づいた。
満雄は仕方なく自然乾燥に任せてトイレを出た。

「ねっ、トイレ、どっちに入ったの」
「……女性のほう…」
「やっぱりそうしかないもんね。ごめんね、私も一緒に行ったほうが良かったよね」
そこで満雄はこの恰好をしているんだったらバッグは必要なんじゃないかと伝えた。
「確かにそうね。女の子の姿してても私にとってはミッツくんは彼氏だからあんまり変に思わなかったけど、やっぱりあったほうが自然ね」
満雄は『彼氏』と言われて嬉しかった。
とにかくこの姿でいるならばバッグが必要だ。
その店でバッグとハンカチを買った。
「これも必要よ」
菜穂がコスメのコーナーに連れて行った。
「いいよ、こんなの」
「だって未知代はこれからも私とつき合ってくれるんでしょ?だったら必要でしょ?」
「デートの度にこの姿になるの?」
「そうよ、ダメ?」
「…分かったよ…わよ…」
「ありがとう。だから未知代のことだぁぁぁい好き」
菜穂が満雄に抱きついてきた。
菜穂の顔が目の前にある。
再び股間の物が大きくなってきた。
菜穂に悟られないように腰をひいた。
周りを行き交う人は女の子同士の抱擁なんて誰も注目していなかった。
満雄一人が焦っていた。

「お腹空いてない?」
「うん、ちょっとね」
時刻は5時前だった。
そう言えば昼食も食べてなかった。
生まれて初めてのデート、さらに女装させられるという非日常の中、日常的な食事という物を忘れてしまっていた。
でもこんな恰好じゃ思いっ切り食べるわけにはいかないよな。
そんなことを満雄が考えていると、菜穂が携帯を取り出した。
「ちょっと待ってね」
どこかに電話をかけるようだ。
馴染みのレストランにでも行くのかな?
そんな予想とは全く異なるところへ電話をかけていた。
「あ、聡子さん、私、菜穂。お友達を連れて帰るから晩ごはん用意しておいてくださる?…大丈夫?それじゃ6時過ぎに帰るわ」
(帰るって、もしかして菜穂ちゃんの家?)
ドキドキが急激に高まっていくのを覚えた。
「今のって…」
「うん、家に電話したの。だってそのほうがゆっくりできるでしょ?」
家、ゆっくりできる…満雄の頭の中では妄想が広がっていった。
当然股間のものも反応してきて…。
「痛っ……」
「どうしたの?大丈夫?」
「あ…うん…大丈夫だから…」
満雄は愛想笑いを浮かべて返事した。
それから30分ほどウィンドウショッピングをしてから、菜穂の車に乗り込んだ。

「菜穂って本当に今までつき合ったことなかったの?」
「疑ってるの?」
悲しそうな眼差しにダジダジになってしまう。
「そんなわけじゃないけど、今日少し一緒にいただけだけどこんなに可愛くて優しいのになって思って」
「ありがとう。でも本当に誰ともつき合ったことなんかないよ。そういえば、この前の合コンにいた勇ちゃんのお家とはずっと家族ぐるみのつき合いをしてるんだ」
「勇ちゃんって?」
「あっ、芳賀くんのこと。芳賀勇次くん。小さな頃からずっと勇ちゃんって呼んでるから、それが抜けなくって。勇ちゃんって誰か他の人がいるところで"勇ちゃん"って呼んだらすっごく怒るの。別にいいのにね」
(怒るほうが普通だろうな)
そう思ったが「ふ〜ん」と相槌を打った。
「うちの父と勇ちゃんのお父様が同じ大学の同窓だから、昔はお互いの子どもを結婚させようと盛り上がってたらしいけど。私も勇ちゃんもそんな気、全然ないし」
(意外と芳賀のほうはその気かもしれないな)
もし勇次が菜穂にアプローチを掛けてきたら勝てるだろうか?
幼馴染みだから今さら異性に見られないだろうな。
いや昔から気心が知れてるだけに勇次のほうが有利かも…。
「どうしたの?怒ってる?」
そんなことを考えていると表情がきつくなっていたようだ。
信号待ちをして菜穂が満雄の顔を覗き込んできた。
「あ…いや…別に」
「大丈夫だよ。菜穂はミッツくんの彼女だもん、ネッ」
これまでの人生で見たことのない笑顔だった。
満雄の表情は一気にデレ〜ッとした表情に崩れた。
そうこうしているうちに車は停まった。

大きな家だった。
100坪以上はあるだろう。
庭の片隅だけでも満雄の実家より広い部屋になりそうだ。
「お父さんって何してる人なの?」
思わず聞いてしまった。
「望月病院って知ってる?あそこの院長してるの。正確に言えば、お母様の病院で、お父様は婿養子なの。だから時々いじけちゃって。いじけたお父様ってとっても可愛いのよ」
菜穂は聞いてもいないことまで教えてくれた。
一気に緊張感が高まってきた。
そして車から降りようとしたときに自分の着ているスカートが目に入った。
家の迫力に押されて忘れてしまっていたが、今自分は女装してるのだ。
こんな恰好で菜穂の両親の前に行くことはできない。
いくら不釣合いな恋人でも第一印象が良ければ、万が一にも結ばれるということがあるかもしれない。
いくら何でも女装した男と結婚させる親はいないだろう。
満雄は小パニックに陥っていた。

菜穂は玄関を開けて「聡子さん、お友達連れてきたわよぉ」と大きな声を出していた。
(うわぁ、こんな姿を見られるわけにはいかない)
急いで車の中に隠れようとした。
「いらっしゃい。どうぞ」
時すでに遅し。
エプロンをつけた女性が満雄をにこやかな笑顔で迎えてくれていた。
覚悟を決めた。
こんな姿でも挨拶をしよう。
「未知代、早く来て」
満雄はその女性の前に立った。
「こちらお友達の…未知代さんって苗字何だっけ?」
ずっこけた。
「梶原よ」
「あ、そうだ。梶原未知代さん。と〜っても仲良しなの。こちらが吉井聡子さん。近くに住んでいて、うちの家事のほとんどをしてくれてるの」
何だか女友達として認識されてしまったような気がする。
「初めてじゃないですか。お嬢様がお友達を連れていらしたのって」
「そうね、そうかもしれないわね」
「これからもお嬢様と仲良くしてあげてくださいね」
「あ…はい、もちろんです」
これで紛れもなく単なる女友達だ。
さっきまでの緊張感はいったい…。

「ハンバーグでよろしかったですか」
テーブルにつくと温かいご飯とハンバーグと味噌汁・サラダが出てきた。
「聡子さんのハンバーグってすっごく美味しいのよ」
「お口に合えばいいんですけど」
菜穂と聡子が満雄のことをジッと見ている。
ハンバーグを食べて感想を言わなくちゃいけないんだろうな。
満雄はそんな空気を感じて、ハンバーグを一口口に入れた。
「美味しい」
満雄がそう言うと「やったぁ」と目の前の二人が小躍りせんばかりに喜んでいる。
それからは女?3人なごやかな食事の時間が流れた。
食事が終わって、聡子がお茶を出してくれた。
「それじゃ後は私がやっておくから聡子さんはもう帰っていただいていいわよ」
「そうですか。ああそういえば旦那さまと奥さまは10時くらいになるそうです」
「そう、分かったわ」
「それじゃこれで失礼します」
「お疲れ様」
聡子がエプロンを取り、帰って行った。

広い家に菜穂と二人きり。
満雄は興奮と期待で心臓が飛び出しそうだった。
今日一日でかなり心臓への負担が増えたような気がする。

「ミッツくん、私の部屋に行く?」
菜穂からさらに興奮度の高まる誘いがあった。
「う…うん」
満雄は即答した。
それでも異常な胸の高まりを気づかれないように必死に平静を装った。

菜穂の部屋はすごく良い香りがした。
菜穂の香りだ。
そんな香りに包まれていると自分の身体の中からどうしようもない衝動が湧き上がってくるのを覚えた。
とりとめもない会話をしながらその衝動を必死に抑えた。

会話が止まった。
菜穂が見ている。
満雄は衝動を抑えきれないことを悟った。
満雄が菜穂の肩に手をかけた。
菜穂はまぶたを閉じた。
何となくいい雰囲気だ。
ゆっくりと顔を近づけた。
菜穂の鼓動が伝わってくるようだ。
満雄の鼓動も共鳴するように大きくなった。
二人の唇が重なった。
ほんの2〜3秒のキスだった。

「私、ファーストキスだったのよ」
菜穂がはにかんだ。
「僕もファーストキスだったんだ」
満雄が言った。
「ファーストキスってハンバーグの味だったのね」
二人で笑った。
もう一度キスした。
今度はさっきよりも長かった。

「ミッツくんの、硬くなってる」
菜穂は満雄の身体の状態に気づかれてしまった。
「ぁ…ぅん…」
「私が欲しい?」
「うん…」
「嬉しい。でも、今日はいつ両親が帰ってくるか分からないからまた今度にしてくれる?いい?」
菜穂のはにかんだ顔が可愛い。
満雄は思わず菜穂を抱き締めた。
今日はキスできたんだ。
焦ることはない。
そのうちきっと…。

結局しばらく抱き締めてから、帰ることにした。
「それじゃ近くまで送っていくわ」
「着替えていい?」
「家を出るときに私の車に男の人が乗っているのを見られるかもしれないし」
「見られたっていいじゃないか」
「両親の耳に入るかもしれないでしょ?男の人を連れ込んだって」
「それは心配しすぎだよ」
「念には念を入れたいの。ダメ?」
従うしかなかった。
女装のまま菜穂の車に乗り込もうとしたときだった。
「ただいま」
男性の声が玄関からした。
「お父様だ」
菜穂が「お帰りなさい」と言いながら玄関に向かった。
「ああ、菜穂か。…あの人は?」
菜穂の父が満雄を見つめて言った。
「お友達の梶原さん。これからお家までお送りしようと思って」
「そうか。夜も遅いから気をつけて行きなさい」
「はい。それじゃ行ってきます」
満雄は「お邪魔しました」と言ってペコッとお辞儀した。

車が菜穂の家を出た。
「ねっ、女の子の姿のままで大正解だったでしょ?私が男の人を家に入れたって知ったら父はたぶん怒り狂ってたと思うわ」
確かにそうだろう。
娘が自分に黙って男を連れ込んだら父親として怒るだろうと思う。
そのうち話さないといけないときが来るかもしれないが、今はまだ早すぎるのだ。
帰り間際に菜穂の父親に出会ったことで、それまでの喜びが消えてしまったようだ。
車の中では無言だった。
しばらく走ってから車を停めてもらった。
着替えようとしたが、着ている服の上から元の自分の服を着るのにとどめた。
いちいち脱ぐのが面倒だったのだ。
上から着ればスカートも隠れた。
それにしてもかなり暑い。

寮の前まで送ってもらった。
「また連絡するね」
「うん、待ってるよ」
その言葉で菜穂との出来事を思い出し、幸せな余韻が蘇ってきた。


それから何度かデートを重ねた。
いつもカラオケボックスで"未知代"になり、菜穂と未知代で楽しい時間を過ごした。
一度満雄のままでデートしたいと菜穂にお願いしたことがあった。
そのとき菜穂が見せた悲しそうな顔を見て以来、満雄は菜穂が望む限りおとなしく未知代になろうと決めたのだった。
一見すると女友達のようなつき合いだが、キスまでした仲だ。
他人がどう思おうが僕たちは恋人だ。
満雄はそう考えることにした。
それでも女装するとは言え、満雄は普通の健康的な男だ。
早く次のステップに進みたくて仕方なかった。


そんなある日のことだった。
「明日の朝から両親が1泊2日の旅行に行くの。聡子さんにもお休みを取ってもらったから、明日は私一人なの」
菜穂からそんなふうに誘われた。
やっとこの日が来た。
満雄は心の中でガッツポーズをとった。
その夜は早漏対策のために3度ほど抜いておいた。
興奮して眠れなかったこともある。
満雄は生まれて初めて徹夜というものを経験することになった。。

いつものように菜穂に女装させられて、いつものようにデートした。
正直なところデートなんかどうでも良かった。
早く菜穂の部屋に行きたかった。
しかし菜穂はそんな満雄の気持ちを逆なでするような行動をとった。
「今日は聡子さんがいないから、どこかで食事しなくちゃね」と言って、たっぷり2時間かけてコース料理を食べる始末だったのだ。
それもきっと恥ずかしいんだろうな。
人のいい満雄はそう考えていた。


菜穂の家に着いたのは10時前だった。
家に入ると、すぐに菜穂を抱き締めた。
「菜穂、愛してる」
「ミッツくん、恐い」
菜穂が満雄の腕の中で震えている。
そうだ、菜穂は男に馴れてないんだ。
だから僕にも女装させてデートしてたんだった。
満雄目線だと時々そんな単純なことを忘れてしまう。
「ごめん、ちょっと焦ってた」
「私はどこにも逃げないから」
そして「お風呂入ってくるから部屋で待ってて」と浴室へ行ってしまった。
菜穂の部屋に入った満雄は所在なげにウロウロするだけだった。
裸になって待っていたほうがいいんだろうか?
いやいや、いきなり男の全裸を見せたりしたら泣き出すかもしれない。
そんなことを考えて、結局何もせずに女装を解かずにそのままの恰好でいた。

菜穂がバスタオルを胸に巻いて戻ってきた。
視線を落としたまま満雄の前に立った。
満雄は優しく抱き締めた。
風呂上りの良い香りが鼻をくすぐった。
やはり少し震えている。
菜穂は恐いくせに頑張ってるんだ。
そう思うと愛おしかった。
「菜穂、愛してる」
そう呟きながら髪に触れた。
「ミッツくんって優しいんだね」
「菜穂が優しいから僕も優しくなれるんだ」
満雄は菜穂に軽くキスをした。
「ベッドに行こ」
「うん。でも恥ずかしいから電気消して」
満雄が部屋の灯りを消して戻ってくると、菜穂は布団に潜り込んで布団を握り締めていた。

満雄はベッドの横で服ブラウスを脱いだ。
「ミッツくん。キャミとブラは着ていて」
菜穂の願いはかなえたい。
満雄はブラウスを脱いだだけで菜穂の待つ布団に潜り込んだ。
そのまま菜穂に重なり、激しくキスした。
被っているウィッグの髪が時々視界を遮るがそんなことは構ってられなかった。
手にはバスタオル越しに菜穂の華奢な身体を感じることができた。
満雄は菜穂のバスタオルを解いた。
月の光で菜穂の綺麗なバストが見えた。
「ごめんね、小さくて」
「そんなの謝んなくていいよ。菜穂はすごく綺麗なんだから」
満雄は菜穂の反応を見ながら、手をバストの上に重ねた。
一瞬菜穂の身体がビクッとしたが、拒絶されることはなさそうだ。
菜穂の乳房は満雄の手に見事におさまった。
満雄は優しく乳房を揉んだ。
柔らかかった。
女の人の胸がこんなに柔らかいなんて知らなかった。
菜穂は恥ずかしいのか顔を横に向けている。

満雄は手のひらで乳首を擦るようにした。
「あんっ」
菜穂が声をあげた。
「感じる?」
「ミッツくんって意地悪なんだ。訊かなくても分かってるくせに」
「そんなことを言うんなら」
満雄は乳首を舐め始めた。
「んっ…ゃ……恥ずかしい……」
満雄は右胸の乳首を舐め、指に唾をつけ、その手で左の乳首を摘まんだ。
「ひゃんっ」
菜穂が妙な声をあげた。
乳房と乳首に触れていると、乳首が硬くなってきた。
菜穂が感じてる。
そう思うとますます興奮してきた。

満雄は口では執拗に乳房への愛撫を続け、菜穂の様子を見ながらゆっくりと右手を下に這わせた。
ヘソの下にはわずかに湿り気を帯びた茂みがあった。
菜穂は脚を揃えた。
それ以上の進入を拒むかのようだった。
満雄は乳首を甘噛みした。
一瞬菜穂の脚が動いた。
その隙に満雄は中指を溝に沿って奥に滑り込ませた。
「ぃゃ…」
小さな声が聞こえた。
満雄はあえて聞こえない振りをして、その部分の様子を探った。
「ぁ……」
小さな突起物が指に触れた。
(これがクリトリス?)
満雄はゆっくり優しくその部分に触れた。
菜穂の息が荒くなってきた。

満雄はさらに指をその奥に移動した。
柔らかい小さな穴の感触があった。
そこに指を入れようとする。
「そこ…じゃない……」
菜穂の小さな手が満雄の手を握って、別のところに導いた。
「ここ?」
菜穂からの返事はなかった。
満雄は人差し指をそこに入れようとした。
意外に狭い。
菜穂の表情も何となく痛そうに見えた。
「痛いの?」
「うん、少し」
こんな指で痛いのならアレのときはどうなるんだろう?
ゆっくり人差し指を入れたり出したりした。
やがて菜穂の反応に痛みがなくなったように思えた。
そうして今度は人差し指と中指の2本で、出し入れした。
今度も菜穂は最初は痛いようだったが、そのうち色っぽい声をだすようになった。
そろそろ準備はいいのかもしれない。

満雄は菜穂の手を握って、自分の股間にあてた。
一瞬触れただけですぐに手を引っ込めた。
さらにもう一度満雄がそこに菜穂の手を運ぶと、今度はその部分に手をあてたままその大きさを確かめるように軽く握ってきた。
「大きくなってる」
「うん。菜穂が感じてるみたいに僕も感じてるから」
そして少し間を置いて「いい?」と訊いた。
菜穂がかすかに頷いたように見えた。

満雄はスカートを穿いたまま、パンストとショーツを脱いだ。
「菜穂、力を抜いて」
「うん」
満雄はペニスを握って、菜穂の膣口を探った。
ペニスの先で菜穂の湿ったところを擦ることになった。
菜穂は感じるのか「んっ…」と悩ましげな吐息を吐いた。
「ここかな?」と満雄が呟くと「うん」と小さな返事が聞こえた。
満雄はゆっくりとペニスを押し入れた。
菜穂の顔が痛みに歪んだ。
「大丈夫?」
「うん、全然平気」
菜穂の中に満雄のペニスが完全におさまった。
「入ったの?」
「ああ」
満雄はゆっくりと動こうとした。
すると菜穂がそれを邪魔するかのようにキュッと締まった。
「あ」
思わず満雄が声を出して動きを止めた。
「どうしたの?」
「菜穂が強く締め付けてくるから」
「嘘っ。私そんなことしてない」
再び強く締めつけてきた。
「ほら、今も」
「嘘っ」
「嘘じゃないよ。きっと菜穂も感じてるからだよ」
「そんな恥ずかしいこと言わないで」
「何も恥ずかしいことじゃないよ。愛し合ってるから感じるんだ。相手が感じてくれてると思うとお互い幸せな気持ちになるだろ?」
「ミッツくんは感じてるの?」
「うん、菜穂のことを愛してるからね」
「私もいっぱい感じさせて」
満雄はもう一度動かした。
菜穂の表情が歪んだ。
「痛い?」
「少しだけ?」
満雄は菜穂の様子を見ながら、それでも休むことなく腰を動かした。
菜穂は痛みに耐えているせいか満雄をしっかり抱き締めていた。
満雄の背中には菜穂の爪がしっかりと食い込んでいた。

5分ほどで射精しそうになった。
いよいよというその瞬間、菜穂の中から抜け出て、菜穂のヘソ辺りに精液をぶちまけた。

満雄は暗闇の中ティシュを探り当て、菜穂のお腹に出した精液と自分のペニスを拭いた。
そうしてもう一度菜穂の横に寝た。
菜穂は腕で顔を隠し、息を荒げていた。
しばらくすると顔を満雄のほうに向けた。
「愛してる?」
「ああもちろんさ」
「"もちろん"じゃなくて愛してるって言って」
「ああ、愛してるよ」
「嬉しい。私も愛してる」
そうしてその夜もう一度交わった。


「お嬢様方、もう朝ですよ。いつまでも寝てないで、もう起きてください」
ドアの向こうから聡子の声が聞こえてきた。
聡子が来たのだ。
時計を見ると10時を回っていた。
「やばい、もう起きなきゃ」
二人は大慌てで起き上がった。
そのとき…。
「きゃあああああ」
菜穂が叫んだ。
シーツについていた赤い物がついていたのだ。
それを見て菜穂が驚いたのだ。
もちろんそれは菜穂が処女だった証だ。
そんなことには気づかず、ただただ血を見て驚いている。
「どうしたんですか?」
聡子が大慌てでドアを開けようとしている。
ここで部屋に入られたら厄介なことになりそうだ。
だが幸いなことに部屋のドアの鍵をかけていた。
「何でもないです。ゴキブリが出ただけです」
満雄は口からでまかせの言い訳を言った。
「まあ、大変」
「でももう大丈夫です。どこかに行ってしまったみたいなので」
「そうですか…。あ、あのぉ、それでは朝食の準備ができてますので」
「はい、ありがとうございます。もうすぐ行きます」
満雄は何とか聡子をやりすごすことができた。

「どうしよう?」
菜穂は血のついたシーツを前に途方に暮れていた。
しかし自分の破瓜の血であることは理解できているようだった。
「どうしようって言われても…」
女装しているとは言え、男である満雄には何もアイデアが浮かばなかった。
「生理の血がついたって言っても、私の生理がまだだって聡子さんは知ってるし…」
「それだ!」
菜穂の言葉がヒントになった。
満雄にあるアイデアが浮かんだのだ。
「えっ?」
「聡子さんは僕のことを女の子だと思ってるんだろ?だったら僕が寝てる間に生理になったってことにしたらいいんじゃないか」
「なるほど。でも、ミッツくんが生理って…。男なのにおかしい…」
菜穂はおかしくて仕方がないといった風だった。
せっかくこの場を何とかしようと言い訳を考えた満雄はやや呆れ気味に菜穂を見ていた。
(まっ、こういうところが可愛いんだけどな)
そう思うしかなかった。

言い訳はともかくこの状態を見られると怪しまれると思った満雄は血のついた布団カバーを取って、浴室に行った。
血のついた部分を漂白剤につけて揉み洗いした上で、洗濯機に放り込んだ。
そこに聡子がやってきた。
「あら、未知代さん。お洗濯でしたら私がやりますのに」
「でも私が生理になっちゃって菜穂のシーツに血をつけちゃって」
「ああ、だからさっきお嬢様があんな声を出したのね。ゴキブリなんておかしいと思いましたわ。だって、この家では見たことがないんですもの」
「そ、そう…なの。でも生理で汚れたシーツを人に洗わせるなんて失礼でしょう」
「きっと未知代さんのお母様の躾がよろしいのでしょうね。ご自分の粗相はご自分で始末するなんてなかなかできることじゃありません」
聡子は一人感心していた。
これ以上長く話しているとボロが出そうだ。
「洗い終わったら干していただいていいですか?」
あとは聡子に任せてこの場を離れようとした。
「それくらい私がやっておきます。大切なお嬢様のお友達にそこまでやらせるわけにはいきませんし」
とりあえずピンチは凌げたようだ。
ホッとして朝食のテーブルについた。


それからも菜穂の両親がいないときに抱き合った。
回数を重ねても満雄が女装している状況に変化はなかった。
女装しないとセックスをさせてもらえなかったからだ。
それでも少しの変化はあった。
「男の人ってお口でやってもらいたいって本当?」
どこでそんな情報を仕入れるのか分からない。
だが、菜穂が進んでフェラチオをしてくれるようにもなったのだ。
女装したままでのフェラチオ。
時々歯があたったりして決してうまいとは言えなかった。
それでも興奮して1分も経たないうちに菜穂の口の中に出してしまった。
菜穂は急に口の中で出されて咳き込んだ。

そんな菜穂に満雄もクンニで返した。
初めてクンニしようとしたときは菜穂から激しく抵抗された。
「やめて。恥ずかしい」
足をバタバタとして、何度も何度も菜穂から蹴られた。
それでも両手で菜穂の太腿を押さえて女性器に舌を這わせた。
さすがに強烈な臭いがした。
満雄はそのとき女性器というものを初めて見た。
グロテスクだがとても魅力的だと思った。
自分の舌の動きに翻弄されて、身を捩ってまで感じている菜穂を見て可愛いと思った。
強烈な快感に髪を振り乱す菜穂が魅力的だった。

二人はセックスの時には必ずシックスナインをするようになった。
全裸の菜穂と女装した満雄。
おそらく第三者が見るとレズがお互いの性器を舐めているように見えるだろう。
女装したままでのセックス。
倒錯的なせいかかなり興奮した。
そんなセックスに明け暮れる満雄と菜穂。
そして菜穂はいつの日か満雄の腕の中で必ずいくようになった。
第三者から見ると変態的だが、二人にとっては幸せだった。


ある日のこといつものように抱き合っていると、急にドアが開いた。
「部屋に籠って何をしてるかと思えば…」
菜穂の父・孝造が入ってきたのだ。
合体していた二人だが慌てて離れた。
「大事な娘に手を出しやがって」
満雄は孝造の手でベッドから引き摺り出された。
ウィッグを被り、スカート姿だった。
「おかまの分際で大事な娘を…」
満雄は頬を殴られた。
「すみません、すみません…」
満雄はただただ謝っていた。
しかしそんな言葉に耳を貸す孝造ではなかった。
もう一度殴られた。
殴られた拍子に床に倒れた。
「金輪際娘に手を出せない身体にしてやる」
思い切り股間を蹴られた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………」
絶叫をあげた。
そしてあまりの痛みに意識を失った。


(ここはどこだ?)
覚醒しかけた意識に周りの様子が入ってきた。
小さな部屋のようだ。
人の気配はない。
さらに待つと意識がはっきりしてきた。
それでも起き上がることができなかった。
身体に力が入らないのだ。
頭だけを動かして部屋の様子を見た。
最初の印象通り狭い部屋だった。
部屋の片隅にむき出しのトイレがあった。
小さな窓があるが、外に鉄格子がつけられているようだ。
ドアは頑丈なもののように見えた。
ドアの下のほうに何かを置くような台みたいなものがある。
(いったいここは?)
何だか牢屋のようなところだという印象があった。

ふと自分の腕を見ると、点滴が打たれていた。
(病院?)
だとすると、周りにナースコールのボタンがあるはずだ。
そう思い探したが、そんなものはなかった。
(点滴が終わる頃、きっと誰かが来るだろう)
そう思い直し、しばらく待つことにした。
それからしばらくすると、予想通り看護師がやってきた。
入るとすぐに満雄の意識が戻っていることに気づいた。
「先生、先生!」
そう叫びながら、慌てて部屋の外に出て行った。
「お…おい……」
声をかける暇もなかった。
(何なんだよ、いったい)
満雄は呆然とするしかなかった。

しばらくしてやってきたのは菜穂の父・孝造だった。
「気がついたようだな、夜這いおかまめ」
満雄を汚いものでも見るように睨みつけた。
「お父さん、誤解です」
「貴様に"お父さん"と呼ばれる筋合いはない。それにお前はもう菜穂とは何も関係ないんだからな」
「そんなことありません。僕たちは愛し合ってるんです」
「ふん、自分の身体に起きていることも知らんくせに」
「起きていること?起きていることっていったい?」
「あれからどれくらいお前が眠っていたのか知らんだろ!4ヶ月。4ヶ月も経っているんだよ」
「4ヶ月も?」
「だから手術の痕も綺麗なもんだ」
「手術?手術って?……いったい僕に何をした!」
「それを説明しに来てやったんだ。儂は医者だからな」
孝造の話は恐ろしいものだった。
「お前の睾丸は儂に蹴られたせいで、2つとも完全に破壊されてしまったんだ。だから医者としてお前の生命を救うため綺麗にしてやった。睾丸がなくなった陰茎なんてあっても仕方がないだろう。中途半端な男として生きていくより、女性として生きていったほうが君のためだと判断して、陰茎も切り取り、綺麗な女性器にしておいてやったぞ」
「嘘だ……」
満雄は手を股間に当てた。
孝造の言葉の通り、そこには何の膨らみもなかった。
「どうしてそんなことを…」
「お前なんかが菜穂を汚すからだ」
「汚してなんかいない。僕たちは純粋に愛し合っていたんだ」
「まあいいじゃないか。これからは君が男性に可愛がってもらうんだから」
孝造はいやらしく満雄を見た。

満雄は手を胸に当てた。
「気がついたか、そうだ、豊胸はしていない。せっかくなんでちょっとした実験をやろうと思ってな」
そう言って満雄の腹部に触れた。
「実はお前の腹腔に受精した卵子を移植しておいたんだ。3日前に撮ったエコーだ、見るか?」
「嘘だっ!」
しかし渡された写真には不完全ながら人間と呼べる形のものが写っていた。
「男のお腹でも子供は育つんだ、理論上ではな。それをお前の身体で実証しようというわけだ。男が妊娠したときに起こる身体の影響を論文にまとめればすごい反響だろうな」
「そんなもん発表したらお前もただじゃすまないぞ」
「もちろんそんなことしたら世間から批判が集まるだろう。しかしそういうデータを欲している輩はたくさんいる。そういう奴らのためにお前は役に立つんだ。つまりモルモットになってもらおうというわけだ」
「何てことを…」
「実際お前の身体は」と言って孝造が満雄の胸を摘んだ。
「痛い!」
「すでに乳首が大きくなってきている。そのうちに乳腺が発達してきて子供を育てることができるくらいにはなるだろう。お腹の子供がお前を母親に相応しい身体にしようとしてるんだ。その様子を記録させてもらうさ」
「畜生、そんなことさせるか。死んでやる」
「この部屋には自殺できるような道具は置いとらんよ。それにお腹の子供はお前と菜穂の子供かもしれんぞ。それでも自殺できるかな?」
嘘かもしれない。
いやきっと嘘だろう。
でももし本当だったら…。
そう考えると自殺するなんてことはできない。
二人が愛し合った証なんだから。
もう子供を残せなくなった自分としては、こんな異様な状態でも僕が産まないといけない。
そんな葛藤を抱えたままで自ら生命を絶つわけにはいかない。

「菜穂は?」
満雄は話を変えた。
「お前が菜穂のことを心配せんでいい。菜穂は儂が幸せにしてやる」
「くそっ」
「そんな乱暴な言葉遣いはやめることだな。お腹の子供が不良になってしまうぞ。ははははは……」
孝造は馬鹿笑いしながら出て行った。
そんな笑い声が癇に障った。


トイレするために身体を起こそうとした。
しかし4ヶ月も寝ていたせいか自分の身体を思うように動かせない。
筋肉が弱っていたのだ。
何とか身体を動かし、ベッドの横に足をつけた。
そしてベッドに手をつけて、立ち上がろうとした。
しかしうまく立てなかった。
仕方なく四つん這いになって便器のところに行った。
便器に座ることができたのは、身体を動かそうとしてから20分後のことだった。

穿かされていた下着は女性のショーツだった。
ショーツを下ろすと、そこは菜穂のものと同じようになっていた。
手術されたなんて言われないと分からない。
言われても手術されているなんて信じられない。
それほど普通の女性器だった。
あんな奴だが手術の腕は大したものなのかもしれない。
そんな冷静な考えの一方、何とも言えない絶望感を感じた。
座ってしかおしっこすることができないのは屈辱的だった。
しかもお腹には子供がいるらしい。
性転換でなく、本当の女性になったようで、精神的に参ってしまいそうだった。

夕食がドアの下から配られた。
(何だ、この臭いは。気持ち悪い…)
何も吐く物はないが、便器に向かって生唾ばかりを吐いた。
「おや、悪阻か?」
背後に孝造がいた。
「ちゃんと栄養を摂らないとお腹の子に悪いぞ。栄養剤を点滴してやろう」
(悪阻なんて…。そんな…。本当に僕は赤ちゃんを産むのか)
悪阻らしきものを経験して、ますます女に近づいていることを思い知らされた。

食事はほとんど喉を通らなかった。
食べ物の匂いを嗅いだだけで吐き気をもよおすのだ。
そんな苦しい期間は1週間ほどで終わった。
終わった頃にはわずかだが身体の変化があった。
Aカップすらにもなってなかったが、胸が膨らんでいたのだ。
時間の経過とともに確実に女性の身体に近づいている。
満雄はそんな身体の変化が恐かった。

悪阻がおさまると嘘のように食欲が湧いてきた。
悪阻が終わって1週間、すなわち意識を取り戻して2週間目には乳房はCカップまで大きくなっていた。
さらにお腹の子供の存在を主張するかのように下腹が出てきた。
またお腹に赤ちゃんがいるせいか骨盤まで大きくなってきたらしい。
満雄には自覚がなかったが、日々の測定からそれは紛れもない事実だった。
お腹にいる赤ちゃんが母親に相応しい身体を作っているのかもしれない。

ある程度お腹が大きくなると赤ちゃんがお腹の中で動くのを感じるようになった。
自分のお腹に生命が宿っている。
そう実感することで、満雄は膨れるお腹に愛しさが募っていたのだ。
「元気な身体で産まれてきてね」
満雄は自分のお腹に触れながら、生まれてくるであろう子供に向かって話しかけていた。
満雄の中で母性が生まれていた。
お腹を突き出して歩く様子はもうすぐ母親になる喜びに溢れていた。
その姿はすでに母親と呼べるものだった。


ついに臨月を迎えた。
するといつ産まれても対応できるように隔離棟から一般病棟に移された。
部屋から出ていくことができるようになると、身重にもかかわらず病院内を歩き回った。
すると見知らぬ人からも「もうすぐ産まれるの?」と声をかけられたりした。
そんなとき孝造によって無理矢理こんな身体にされたことも忘れて、幸せな妊婦の喜びを味わうのだった。

そんなある日、病室で休んでいると孝造がやってきた。
その後ろには菜穂がいた。

どうして菜穂を連れて来るんだ!
菜穂にこんな大きなお腹をした姿を見られるなんて。
どこまで僕を貶めたら気がすむんだ。
満雄は孝造に睨みつけた。

「どうですか、身体の調子は?」
そんな満雄の気持ちに気づかないのか、孝造は良い医者を演じようとしているようだ。
しかし満雄はどう答えていいか分からず、黙っていた。
「実はこれはうちの娘なんですが、もうすぐ結婚することになったんです。そこでもうすぐ母親になるあなたからいろいろ有意義な話をうかがえればと思って連れてきたんですよ。どうですか、この娘に話をしてやってくれませんか?」
満雄は黙っていた。
「菜穂、少しこの人から話を聞いてみたらどうだ?」
菜穂にそんなことを言った。
満雄は下を向いていた。
すると孝造が近づいて、小さな声で告げた。
「お前の正体を菜穂に言っても構わんぞ。菜穂もお前のことをきっぱり諦められるだろうからな」
満雄は顔を上げることもできず、黙っていた。

「もうすぐなんですか?」
満雄の思いなど全く気づかずに菜穂が聞いてきた。
「えっ?」
一瞬何を聞かれているか分からなかった。
「お腹随分大きいようですけど、そろそろなんですか?」
「あ…ええ」
「初めてのお子さんなんですか?」
「ええ、まあ」
満雄は質問されるとボロが出そうに感じ、逆に質問することにした。
「院長先生がおっしゃってましたけど、もうすぐ結婚するの?」
「私はそんな気はないんだけど」
「それじゃどうして?」
「お父様が勝手に決めたの。相手は政治家の息子らしいわ。どうせ政治家に取り入って病院を大きくしたいだけなのよ」
「お父様のことを悪く言うもんじゃないわ。でも政治家の奥さんって大変だって聞いたことがあるけど、実際のところはどうなのかしら?」
「好きだったら大変なのもいいけど会ったこともないの。それに私がまだ彼のことを好きだと知ってるくせに」
「えっ、彼氏さんがいるの?」
「以前つき合っていた彼がいたの。でもお父様に反対されて……。彼は実家に帰ったらしいけど、私は卒業したら絶対彼のところに行こうと思ってるの。そんなことをさせたくないお父様は私の縁談を勝手に決めて…」
菜穂のそんな思いを聞くと、抑えていた満雄の想いが湧き出てきた。
そして満雄は「菜穂…」と思わず呟いてしまった。
菜穂と視線が合った。
菜穂が不思議そうに満雄の顔を見ている。
すると次の瞬間、菜穂の表情は見る見る驚きの表情に変わっていった。
「嘘……嘘でしょ?どうしてミッツくんが…そんな……もしかしてお父様が…」
「何を言ってるの?私はあなたの彼氏じゃないわよ」
満雄は慌てて否定しようとした。
「どうして…。どうして私の彼がミッツくんだって知ってるの?」
「あ…いや…それは……」
「ミッツくんがだってそんなふうになったって私がミッツくんの顔を間違えるはずがないじゃない。お父様はミッツくんは実家に戻ったって言ってたのに、こんなひどいことをするなんて…」
菜穂は泣きながら、病室を飛び出して行った。

数分後「キャアアアアアアア…」という声が外から聞こえた。
「飛び降り自殺だ」
「お嬢さんみたいだ」
そんな声が廊下から聞こえてきた。
菜穂は自らの命を絶ったのだろうか。
とにかく外のほうが騒がしくなった。

「嘘だろ…」
満雄は確かめるため窓際に足を運ぼうとした。
すると急激な痛みが襲った。
陣痛が始まったのだ。
その瞬間、菜穂のことは頭から消え、お腹の子供のことだけが心配になった。
満雄は必死にナースコールのボタンを押した。
「大丈夫ですか?」
スピーカーから看護師の声がした。
とりあえず来てもらえる。
助かるんだ。
そう安心した途端、満雄は気を失った。



気がつくと病室だった。
大きなお腹は小さくなっていた。
気を失っている内に産まれたようだ。
しかし赤ちゃんの姿はどこにもなかった。
(赤ちゃんは?)
満雄はすぐにナースコールのボタンを押した。
「赤ちゃんはどこ?」
やってきた看護士に満雄は聞いた。
しかし、そんな満雄の言葉に返って来たのは怪訝な表情だった。
全く的外れなことを聞いてしまった。
そんな空気が漂っていた。

「赤ちゃん?赤ちゃんだなんて何を言ってるんですか?」
気を取り直したかのように看護士が言った。
「だってお腹が小さくなってるし…」
看護士はその言葉に合点がいったような表情になった。
「……お嬢さんは妊婦さんと話されているときに急にパニックになってしまわれたので、鎮静剤を打ったんですよ。きっと記憶の混濁が起こってしまって、妊婦さんから聞いた話を自分のこととして記憶されているんでしょう」
「お嬢さんって何?」
「お嬢さんはお嬢さんですよ。院長先生のお嬢さんということです」
「えっ、どういうこと?」
満雄は嫌な予感がして部屋にかけてある鏡を見た。
そこに映ったのは予想通りだった。
菜穂の顔だったのだ。
(どうして…どうして僕が菜穂の顔になってるんだ?)
満雄には今の事態が飲み込めなかった。

すぐに孝造が検診に来た。
「気分はどうだ?もう大丈夫か?」
満雄は孝造の襟首を掴んだ。
「お前、どこまで僕をコケにすれば気が済むんだ?」
そばにいた看護師は危険なものを見るように満雄を見た。
「ちょっと席を外してくれ。どうやら娘はまた興奮してるようだ」
満雄は看護師が出て行くのを待った。
「どうやらもう自分の顔は見たようだな」
「どうして僕が菜穂の顔になっているんだ!」
「菜穂には婚約者がいると言っただろ?政治家との強いパイプを築くチャンスなんだ。何としてでも結婚してもらわにゃいかんのだ。なのにあんなことくらいで自殺なんかしおって」
「あんなことくらい?」
「菜穂はお前の正体を儂に確かめにきたんだよ。儂がそうだと答えると屋上から飛び降り自殺を図ったんだ。そのときお前が陣痛を起こしたんで、二人一緒に手術室に運んだ。そこでお前の赤ちゃんを帝王切開で取り出したあと、お前の顔を菜穂の顔に整形したんだ。菜穂のほうはお前が子供を出産してそのまま亡くなったものとして、もう火葬まで済ませたんだ」
「それでもお前は父親か!」
「何とでも言え。儂は何としてでもこの病院をもっと大きくしたいんだ」
「そのためには娘を殺すのか!」
「殺す?儂は殺してなんかいない。殺したのはむしろお前のほうだろ?自分の正体を菜穂に教えやがって」
「教えてなんかいない。菜穂が勘付いたんだ」
「いずれにせよ意識的にせよ無意識にせよお前がヒントを与えて気づかせたんだろ。お前が菜穂を殺したようなもんだ」
満雄は何も言い返せなかった。

「僕が自殺したらどうする?」
「貴様は自殺できん。自分が産んだ子供に会いたいだろう?」
「やっぱり僕は子供を産んだのか?」
「ああ、元気な子供だった。子供ができなくて悩んでいる夫婦に実子として預けたがな」
「え?」
「その夫婦は涙を流して喜んでいたぞ。お前が産んだ子供が役に立ったんだ。喜べ。お前も生きていれば、いずれ顔をみることもできるかもしれんが、死んでしまえば会うことはできんぞ」
「…くそぉ…」
「まあ儂の言った通りにすれば悪いようにはせんからな」

満雄の体調が戻らないということで1週間ほど入院させられた。
院長の娘ということで特別室だった。
その間病院の皆から特別な待遇を受けた。
これまでの待遇を思うと雲泥の差だ。
満雄はこのまま菜穂として生きて行くのも悪くないかと考え始めていた。
所詮もう満雄としての人生は存在しないのだ。
時間の経過とともに菜穂になり切ろうと決心していた。

退院すると、すぐに大学へ退学届を提出させられた。
そして、菜穂が結婚するはずだった男・児嶋太郎と入籍した。
早く児島太郎の父・一郎との繋がりを持ちたい孝造のごり押しのせいだった。
あるいは金づるが欲しい児島一郎の思惑が働いたのか。
いずれにせよ金づるを求める政治家と野心の塊の医者の思惑のための結婚だった。
当人同士の意思なんてものはそこにはなかった。
しかし満雄にとっては菜穂というアイデンティティを手に入れるために必要な儀式だったとも言える。
とにかく満雄は"児嶋菜穂"になった。
結婚式は身内だけの地味なものだった。
二人の新居は都心の高層マンションの最上階だった。
将来父親の政治基盤を受け継いで政治家になることが約束されている結婚は一見幸福なように見えた。
しかし太郎とは夫婦生活は全くなかった。
太郎は満雄に指一本触れようとしなかったのだ。
ある意味、その点はホッとしている。
いくら菜穂のアイデンティティを手に入れるためとは言え、男に抱かれるのは避けたかったからだ。

それにしても太郎はほとんど家に帰って来なかった。
言い訳としては仕事が忙しいと言っていた。
実際のところはきっとキャバクラかどこかに行ってるのだろう。
もしかしたら愛人の家かもしれない。
所詮愛のない結婚なのだ。
二人の気持ちよりもとにかく児嶋家と望月家がつながっていればよかったのだ。
満雄は満たされない気持ちを感じながらも、できるだけそのことは考えないように努めた。

「どうだ、菜穂。太郎くんと仲良くやってるか?」
結婚してひと月ほどしたある日、孝造が遊びに来た。
満雄は結婚してから一度も夫婦生活がないことを話した。
「せっかく女の身体にしてやり、妊娠まで経験させてやったのに、まだ女の喜びを知らないとは可哀想だな。どうだ、儂が相手になってやろうか」
孝造が満雄の肩を掴んだ。
「やめろ」
「おや、乱暴な言葉遣いだな。機嫌が悪いのか?太郎くんにはそんな言葉遣いしてないだろうな」
「ああ、いくら何でもそんなに馬鹿じゃない。あいつにはばれないようにしてるよ」
「それなら結構。しかしいつも菜穂らしくしてもらわんと、いつばれるか分からんな。もっと女らしくなるためにはやはりセックスだろう。太郎くんがやってくれんのなら儂が相手になってやるよ」
満雄は孝造に組み敷かれた。
「やめろ、やめろ…」
しかし満雄の力は孝造の前では無力だった。
あっという間に全裸にされた。

「やめろ、やめてくれ…」
満雄は孝造に懇願するだけだった。
しかし孝造はそんな言葉が聞こえていないように満雄の乳房を舐めた。
「何だ、もう感じてるじゃないか。乳首が固くなってるぞ」
乳首の先を指で触れた。
「…ぁん…んんん……」
満雄の口から声が漏れた。
「感度はいいようだな」
孝造のネバネバした口が乳首を銜えた。
「は……はあ…ぁぁんんん……」
孝造の口の中で転がされるように乳首をもてあそばれると満雄は大きな声をあげずにはいられなかった。

孝造の手が満雄の股間に宛てがわれた。
「嫌だ嫌だと言ってももうすっかりグショグショじゃないか」
言われなくても満雄は本能的に男の"性"を求めていることに気づいていた。
心のどこかで嫌がっていたが、心の大部分では孝造の"性"を欲していた。
しかしそれを口にするには憚られた。
満雄はただただ黙って孝造の好きにさせていた。

「それじゃそろそろお前の処女をいただこうとするか」
孝造のペニスが入ってきた。
「少しは締まるようになってるようだな」
「僕は何もしてない」
「そうか。儂のものを銜えてキュッキュッと締めてくるぞ。あのころはそんなことなかったがな」
「あのころってどういうことだ?」
「お前を女にしてやったころさ。性転換したばかりのときは膣拡張が必要だからな。膣拡張をしないとせっかく作った膣が塞がるんだ。だから一日2〜3回は広げてやる必要があるんだ。基本はダイレータでやるんだが、時々は儂自らがやってやったというわけだ。お前が今一人前の女になったのは手術はもちろんそのアフターケアまで儂のおかげというわけだ。感謝しろ」
孝造のペニスが微妙に突くところを変えた。
「あああああ……」
「そうか。ここが感じるのか」
孝造はなおも執拗にゆっくりと突いてきた。
「もうやめろ。やめてくれ。おかしくなる」
「頼み方がなってないな。言い方ってもんがあるだろう」
「やめてください。お願いします」
「丁寧にはなったが、女らしさが足らんな。本当にやめていいのか?」
「お願い…やめて……」
孝造は動かしていた腰をとめた。
「やめてやったぞ。どうだ?これでいいか?」
満雄の動きが止まると、今度は満雄の内部から性的快感への欲求が湧き上がってきた。
それを抑えることはできなかった。
「お願い。もう一度動いて」
ついに満雄は孝造に求めた。
孝造は少しだけ動いてすぐに動きを止めた。
満雄は再び懇願するしかなかった。
「お願い。もっと突いて」
「そうか。お前の頼みじゃ仕方ないな」
孝造がゆっくりと腰を動かした。
「ああ、いい。もっと…強く……」
「ようやく調子が出てきたようだな。それじゃいくぞ」
孝造が激しく腰を振った。
満雄の快感がどんどん強くなった。
無意識のうちに腰を振っていた。
孝造が満雄の中に射精した。
満雄は気が遠くなった。
孝造も力が抜けたようだ。
満雄は孝造の全体重を感じた。
二人ともセックスの疲労に身を預けた。


満雄は泣いた。
孝造に犯されただけでも悔しい。
とても悔しい。
それなのに自ら孝造に求めてしまった。
自分の中の女の性に対して怒りすら覚えた。

そんな満雄に驚きの言葉がかけられた。
「ところで生理にはなったのか?」
理解できなかった。
(生理?何を言ってんだ、こいつ…)
満雄はそんな疑問をどう発していいのか分からなかった。
次の孝造の言葉を待った。
しかし孝造は何も言わなかった。
「生理って何だよ」
満雄は混乱した頭のまま疑問をそのまま聞いてみた。
しかし孝造はニタニタ笑っているだけだった。
「生理なんてものになるわけないだろうが」
満雄は少しイライラして怒鳴った。
「実はな…」
ようやく口を開いた孝造から話された内容は信じられない話だった。
「お前には黙っていたが、お前の身体には菜穂の子宮や女性器を移植したんだ」
「な、何だと」
「お前の身体を検査しているが女性ホルモンは成人女性並みにある。女性ホルモンを投与しているわけでもないのに、これだけ女性ホルモンが体内にあるのは分泌されてると考えられる。分泌しているのは移植した臓器からだろう」
「本当に菜穂の子宮が?」
「そのおかげでお前の身体は女性として女性らしさを保ててるんだ」
「そしたらお前は自分の娘を抱いたようなもんじゃないか」
「なるほど。言われてみたらそうだな。しかしお前は本当の菜穂ではないんだし問題はないんじゃないか」
「もし僕が妊娠したらどういうことか分かってるのか?」
「ほぉ、お前、妊娠するというのか。面白い。それじゃまた時間ができたら来てやるからな。それまで女を磨いておけよ」
孝造は服を着て、出て行った。

それから孝造は週2〜3回来るようになった。
最初のうちは拒んだが、やがて拒むのを諦めた。
孝造を憎んでいたが、抱かれることは嫌いではなかった。
抱かれる度に孝造への嫌悪感が少しずつ消えていくようだった。
いつの頃から孝造のことを『パパ』と呼ぶようになっていた。
孝造は満雄のことを『未知代』と呼んでいた。
さすがに娘の名前だと気が引けるのだろう。
満雄はほとんど孝造の愛人で、亭主である太郎とはずっと別居状態だった。

しかしそんな生活は半年と持たなかった。
その日はいつものように孝造がやってきた。
部屋に入るとすぐ「風呂に入る」と言って浴室に向かった。
満雄は孝造が風呂から出て来るタイミングを見計らって、冷蔵庫からビールを出しておいた。
「未知代も気がきくようになったな」
風呂から出てきた孝造は裸のままビールを飲んだ。
「それじゃ今日も可愛がってやろうか」
孝造が満雄の肩を抱き、寝室に行った。
孝造はいつものように満雄を満足させてくれた。
満雄は孝造の腕に抱かれ、セックスの後の余韻を楽しんでいた。

そのとき玄関のドアが開いたような音がした。
姿を見せたのは母親の菜美だった。
抱き合っていた満雄と孝造は慌てて離れた。
しかし全裸の二人が何をしていたか誰の目にも明らかだった。
「あらあら、まさか自分の娘に手を出すとはね」
「待っ……待ってくれ…。違うんだ」
「違うって何が?この子は娘じゃないって言うの?」
「そ…それは……」
「まあそんな細かいことはどうでもいいわ。とにかく離婚届に判を押して送って来てね、分かった?」
「悪かった。許してくれ」
「許すって?こんな状況を見せられて何を許せって言うの?」
「浮気したことは謝る。離婚だけはしないでくれ」
「無理よ。何ならこのことを公表してあげましょうか。自分の娘に手を出す父親ってね」
「な…何を言ってるんだ。そんなことして傷つくのは菜穂のほうだぞ」
「ふふふ」
「何を笑ってるんだ」
「私だって人の母親よ。自分の産んだ子とそうじゃない子の区別くらいできるわ。その菜穂は私の娘じゃないんでしょ?だからあなたも気兼ねなく抱くことができたんだわ」
「そんなことはない」
「それじゃ実の娘を抱いたって言うの?」
「それは……」
「もういいじゃない。とにかく離婚よ」
「く…くそ。離婚しても慰謝料なんか払わんぞ」
「どうぞご勝手に。どうせあの病院は私のものだもの。あなたには何も残らないわ」
「お前の好きにはさせんぞ。あの病院は儂のもんだからな」
孝造は悪態をついて出て行った。
その間、満雄は何も言えずじっと話の行方を見守っていた。
孝造の足音が聞こえなくなると、菜美は満雄がいるベッドに腰かけた。
「さてあなたね」
菜美は笑顔を浮かべていた。
その笑顔が逆に恐かった。
「結婚してるくせに人の亭主を奪うなんてとんでもないあばずれね。でもどうせあの馬鹿亭主の仕業なんでしょ」
満雄は何も言えず黙っていた。
「ところであんたの旦那、あれ生粋のホモよ。亭主の浮気を調査してもらってるうちにあんたとの関係が分かったんだけど、その現場が新婚家庭って言うじゃない。どうして新婚家庭で浮気なんかができるのかなって考えたの。そしたら太郎さんが全然この家に帰ってきていないことが分かったの。母親の目から見ても菜穂って魅力的な女性だと思うわ。心から愛してないとしても全然一緒にいないのってかなりおかしいわよね?それで太郎さんも調べさせてもらったわ。そしたら出るわ出るわ。男の人とキスしてるとことか一緒にホテルに入るところとか」
「本当に…?」
「ええ、本当よ。いくらあなたが本当の娘じゃなくてもかなり気の毒に思えて」
「あ…あの…どうして私が本当の菜穂さんじゃないって?」
「入れ替わって、家に帰ってきたときから、すごく違和感があったわ。亭主とよく話すのもおかしいと思ったの。それで観察してたら、いろいろと細かい仕草が雑なのよね。顔は確かに菜穂なんだけど、行動だけを見てると全くの別人だった。それに亭主の相手が菜穂だって報告があったので、やっぱり菜穂じゃないって確信したの。念のために聞くけど、正直に答えてちょうだい。あなた、菜穂じゃないでしょ?」
「………はい……」
「正直はいいことだわ。もともと菜穂に似た顔をしてたわけじゃないんでしょ?菜穂が自殺したものだから、体格の似たあなたを菜穂に仕立て上げたんでしょ。あなた、一体何者なの?」
「そ…それは……」
さすがに交際相手の恋人であり、男だったとは言えなかった。
「言いたくなかったら言わないでいいわ」
満雄が黙っていることを菜美は勝手に解釈したようだ。
「これからどうするの?……もしあなたさえよければ菜穂として家に帰ってこない?あなたは私の娘じゃないけど、急に娘がいなくなるのも寂しいしね。だからあんなホモ亭主、三行半つきつけて帰ってきなさい」
満雄は驚いて菜美の顔を見た。
「……本当にいいの?」
「もちろんよ」
「ありがとう、お母様」
満雄は菜美の手を握って泣いた。
菜美は満雄の頭を撫でてくれた。
何となくホッとした気持ちになれた。
そんな満雄に菜美の言葉が聞こえた。
「ただし、あなたには遺産は一切渡さないわよ」
冷たい響きだった。


満雄は菜美と一緒に実家に戻った。
「さっき話してた写真はこれよ」
帰るとすぐに数十枚の写真を見せられた。
そこには太郎が男と抱擁している現場が写されていた。
そんな写真が何十枚もあったのだ。

抱き合っているだけでなく、キスしているものもあった。
中には女性と思われる写真もあったが、アップで写されたものを見ると明らかに女装した男だった。
曲がりなりにも同じ籍に入った男がこんな男だったなんて考えたくなかった。

しかし考えてみれば自分も元男だったのだ。
もしかすると素直に打ち明けていれば結構仲の良い夫婦になれたのかもしれない。
そう考えると笑みがこぼれた。
そんな満雄の笑顔を菜美は違う意味にとったようだ。
「確かに笑うしかないかもしれないわね」
菜美はあまりにも数の多い証拠写真を見て半ば呆れたのだと思ったようだ。
満雄は菜美の思うままにしておいた。
「それにしてもこんな性癖があるくせに菜穂と結婚するなんて何を考えてるのかしらね」
「ホモじゃないって世間に思わせたかったんじゃないの」
「そうかもね。これから男性と結婚する前にはきちんと確かめないといけないわね」
そんな軽口を言って笑い合った。
「それじゃ離婚届に名前を書いて、写真と一緒に送ってやりなさい」
「大丈夫かしら?」
「何が?」
「だって相手は政治家なんでしょ?スキャンダルになりそうなことを揉み消すために何をされるか」
「それもそうね。それじゃ公然の事実にしちゃえばいいんじゃない?」
「そんなことしたら」
「嘘よ、嘘」
満雄は少し不安に思いながらも菜美に言われるままに数枚の写真とともに離婚届を送った。


2日後、電話が鳴った。
『児嶋だが、菜穂さんかな?』
「はい、そうですが」
『太郎に離婚届を送ったそうだが、本当にそんなことしていいのか』
「どういうことです?」
『儂の後ろ盾なしに病院を大きくできると思うのか』
「それはもういいです。病院を大きくしたいと思っている父も家を出て行ってしまいましたし」
『それじゃどうしても離婚するというのか』
「もちろんです」
『それは仕方ないが、あのことは他言せんでくれ』
「言われなくても誰にもいいませんから安心してください」
『そうか。頼んだぞ。スキャンダルは政治家生命にかかわるんでな』

それから少しして離婚届を出したと連絡があった。
孝造と菜美の離婚も成立したようだ。
満雄と菜美はバツ1の母娘として表面上仲良く過ごしていた。


病院の経営は菜美が行うようになった。
しかし、一人だけではなく外科部長の内田敦司と二人でやっているようだった。
どうやら菜美は離婚前から内田とつき合っていたらしい。
離婚して半年が過ぎると、菜美は内田と入籍したのだ。
そもそも孝造と満雄の関係を見つけたのも孝造の浮気を疑っての調査ではなかったのだ。
離婚話を少しでも有利に交渉できる材料を探すための調査だったようだ。
そういう意味では孝造と満雄の関係は菜美にとって好都合だったことになる。
菜穂を手元に置いていたのも孝造を家に近づけ難くするためだった。
内田との入籍を済ませると邪魔者を追っ払うかのようにわずかばかりのお金を渡されて家を追い出されてしまった。


一人の気ままな生活が始まって何日かしたときに滅多にならない携帯が鳴った。
液晶に『芳賀勇次』と表示されていた。
もともと菜穂自身の携帯であったため、携帯を使うことは菜穂のプライバシーを覗くような気がして、ほとんど携帯を使うことはなかった。
したがって誰が登録されているかなんて知る由もなかった。
(そういや昔は家族ぐるみのつき合いがあるって言ってたな)
ようやくそんな記憶が蘇ってきて、勇次から電話があることも納得性のあることのような気がした。

満雄は電話に出た。
『もしもし、菜穂か?』
聞き慣れた勇次の声が聞こえてきた。
「何?久しぶりにどうしたの?」
菜穂が勇次に話す口調を思い出しながら話した。
『離婚したって聞いたから元気ないかなって思って電話したんだ』
「何それ?勇ちゃんになぐさめてもらうことなんか何もないし」
『まあそういうな。どうだ、会わないか?』
どうやら口説こうとしているらしい。
満雄は話に乗ってみることにした。
「勇ちゃんは結婚してないの?」
『俺はまだちゃんと学生してるぞ。お前のほうこそ退学して結婚したかと思えば1年も経たずに離婚して何やってんだ?』
「いいでしょ、私の人生なんだから」
『意外と元気なんだな。せっかく励ましてやろうと思ったけど、必要ないな』
「久しぶりに会ってあげてもいいわよ」
昔の友人に会いたい気持ちが半分、女性として口説かれてみたい気持ちが半分という感じだった。
何となく心が弾むような感じだった。
『何かお前変わったか?』
そんな勇次の言葉に満雄はドキッとした。
「そりゃそうよ。いろいろ経験したからね」
焦りながらも満雄はそう返した。
『そりゃまあそうか。とにかく久しぶりに会おうぜ』
結局満雄は勇次と会うことにした。


大学の近くの喫茶店に行くと、すでに勇次が来ていた。
「菜穂、ここだ」
勇次が立ち上がって手を振った。
「勇ちゃんって久しぶりだけど、全然変わってないね」
「お前もバツイチになったから、どんなおばさんになったかと思ってたけど、意外とそのままなんで安心したよ」
「まだ大学生で通る?」
「ああ、もちろんだよ」
そしてそのまま二人でボーリングに行って、思い切り遊んだ。

その帰り公園のベンチで並んで座って話した。
「なあ、菜穂、誰か決まった男性はいるのか?」
満雄は内心で「来たっ」と思ったが表情は変えないようにした。
「そんなの、いないよ。だってバツイチになったばかりだもの」
「それじゃ俺とつき合ってくれないかな?」
「えっ、どういうこと?」
「俺たち、小さい頃から知り合いだったから、何かあんまり意識してなかったんだけど、お前が結婚したって聞かされてから……まあ、そういうことだよ」
「よく分かんないんだけど」
満雄は何故か意地悪したくなった。
「だから…そういうことだよ」
勇次は少しイラついたように言った。
「だから、どういうことなの!」
満雄の言葉に勇次が急に満雄を抱き締めた。
「俺は菜穂のことが好きなんだ。つき合って欲しい」
耳元でそう告白された。
満雄は静かに「うん」と返事した。


3回目のデートでキスをした。
昔の友人とこんな関係になるのは不思議な気がした。
それでも一人冷静になると何となく罪悪感に苛まれるのだった。
しかし満雄が勇次に心を寄せているのは事実だ。
そんなとき満雄は「自分はすでに女だ」と自らに言い聞かせた。
女なら男を好きになることは自然のことなのだ。
誰に対しても恥ずべきことではない。
そんな気持ちがあるからこそ、逆に勇次に対する気持ちが強くなっていった。


それから数回のデートを重ねたある日のことだった。
一緒にドライブした帰り、急に勇次が黙りこくった。
「どうしたの?」
勇次は黙ってハンドルを切った。

入って行ったのは一軒のラブホテルだった。
車を停めると勇次がようやく口を開いた。
「菜穂、いいだろ?」
満雄は静かに頷いた。

満雄の相手は孝造だけだった。
孝造は経験豊富で満雄の様子を伺う余裕があった。
しかし勇次はそうでもなかった。
ムードなんてものは微塵もなかった。

服を剥ぎ取るように全裸にされた。
自らも大急ぎで全裸になった。
そして満雄をベッドに押し倒し、覆い被さってきた。
「勇ちゃん、そんなに急がなくても大丈夫だから」
満雄のそんな言葉は勇次には全く届かなかった。
自らの欲望を満たすためだけに満雄の身体を求めた。
それは暴力的でさえあった。
前戯もそこそこに膣口にペニスをあてた。
そしてペニスを押し込もうとした。
「痛いってば」
前戯が不十分だったため、まだほとんど濡れてなかったのだ。
すると勇次は手にいっぱい唾をつけて満雄の股間に塗りつけた。
そしてペニスを押し込んでいった。
「痛いっ!勇ちゃん、まだだってば」
それでも勇次はペニスを根元まで挿入した。

すぐに激しく動き出した。
最初は痛みが強かったが、あるときから快感だけになった。
そうなると満雄の口から喘ぎ声が漏れた。
「あ…あ…あ…あ…あ…いい……」
しかし勇次は3分くらいでいってしまった。

満雄は全く欲求不満だった。
しかし最初のセックスで欲求不満だということは憚られた。
それでも火照った身体を鎮めるためにもう一度抱いて欲しかった。

満雄は勇次のペニスを握った。
すでに平穏状態に戻っていた。
「菜穂、もう疲れたから無理だって」
「勇ちゃんはジッとしてていいから」
満雄は勇次のペニスの先を指で擦ったり、陰嚢を撫でるようにした。
するとすぐに硬度を増した。
「ほら、大きくなった」
満雄は勇次の腰辺りに跨り、勇次のペニスを膣口にあて勇次の顔を見ながらゆっくりと腰を沈めた。
勇次は早速腰を動かした。
「あ…だめ…勇ちゃんはじっとしてて……」
それでも言うことを聞く勇次ではなかった。
下から満雄を突いてきた。
「や…だめだって……」
勇次は精神的に余裕が出たせいか満雄の反応を見ながら突いてきた。
それが恥ずかしく興奮度を高めた。
勇次が満雄の腰を持ち、満雄の身体を上下に動かした。
「す…すごい……あああああ……」
満雄は絶頂に達し、性器がつながったまま、勇次の胸に頭を埋めた。
「よかった?」
「うん」
「それじゃ続きしよ」
満雄は再び上半身を起こした。
すると勇次に反転させられた。
勇次が身体を起こしたため、満雄は四つん這いの体勢になってしまった。
その体勢のまま勇次が突き出した。
一度達したせいか満雄はすぐに昇っていった。
「勇ちゃん、すご…い……」
勇次はガンガンに突いてきた。
さっきよりもかなり長い時間突かれた。
「菜穂、出る」
「来てぇ」
さっきよりも大量の精子が放たれた。
満雄は再び絶頂に達した。


「この前、父さんに菜穂とつき合ってることを話したんだ。そしたら久しぶりに会いたいから一度連れて来いって言われてさ。これから行かないか?」
満雄はセックスの余韻で少し意識がはっきりしなかった。
そのせいか満雄には勇次の言葉が理解できなかった。
「えっ…」
「だから今から俺の家に行かないか?」
少しずつ頭が回りだしてきた。
これから勇次の両親に紹介されるということか。
その重要性が少しずつ分かってきた。

初めて両親に紹介されることなんて緊張するだけで何てことはない。
しかし、勇次の両親は菜穂の家族と家族ぐるみのつき合いだったということだ。
昔の話題なんかされたら話についていけない。
そうなると満雄が本物の菜穂か訝られる可能性だってないことはない。
考えすぎだと思っても会うことは恐かった。
できれば避けたいと思った。
何とかして行かない理由を探っている満雄に勇次の呑気な声が聞こえてきた。
「菜穂は小学校3年からうちに来てないからな。お前の変身振りに父さんも母さんも驚くと思うぜ」
「そんなに行ってなかったの?」
「ああ、そうだぜ。だから昔俺と菜穂の二人で庭の花壇を滅茶苦茶にしたとか言われても覚えてないっつうの。この前、俺たちの交際を話したときも全く覚えてない俺たちの思い出話を延々と聞かされたんだぜ。だから菜穂も覚悟しておけよ。覚えてる振りして相槌でも打とうものなら、さらに饒舌になるだろうから、あまりいい加減な相槌は打たないほうが身のためだぜ」
もしかしたら満雄が考えることは杞憂に終わるかもしれない。
というよりきっと何も問題ないだろう。
「分かったわ。それじゃ行ってもいいけど、今日はやめといたほうがいいと思うわ」
「どうして?」
「だってこのままじゃ行けないでしょ?やっぱりシャワーを浴びなきゃ。デートの後に連れてきた女性からシャワーの香りがしたらいかにもって感じでしょ?」
「恋人なんだから自然のことじゃないか」
「男の人が良くても女性は駄目なの。ご両親の印象が悪ければ後々大変でしょ」
「菜穂がそう言うんなら今日はやめとくか。それじゃあさ、明日でもいいかな」
「うん、明日のほうがいいと思うわ」
翌日に勇次の家に行くことになった。


次の日、満雄はおとなしめの白のワンピースを着て、勇次の家に行った。
「あら、本当にあの菜穂ちゃんなの?」
迎えに出てきた女性にいきなりそんなことを言われた。
「母さん、いきなり失礼だろ。彼女どう言っていいのか困ってるじゃないか」
「あら、そうね。とりあえずお入りになって」
菜穂は「お邪魔します」と小さく言って家の中に入った。

部屋に入ると老夫婦と勇次と男性がもう一人いた。
「望月菜穂です。よろしくお願いします」
満雄はまず自分から自己紹介したほうがいいと考えていたので、すぐに自己紹介した。
「まあそんな堅苦しい挨拶はいいから。昔は我が家に来ると、すぐに飛び跳ねていたんだから」
そう言ったのは父親の泰久だった。
「あなた、今は年頃の娘さんなんだからそんなことを言うのは失礼よ」
母親の久仁子が言った。
あと一人の男性は勇次の兄の陽一だった。

満雄は持ってきたロールケーキを久仁子に渡した。
「こんな気を使わなくてもいいのに。でも、このロールケーキって有名なんでしょ。あとで皆で食べましょうね」
それからは予想通り子供のころの話になった。
よく分からない話ばかりを聞かされた。
ときどき久仁子の手伝いに立とうとしたが、皆に押し留められた。
勇次の恋人としてニコニコして皆の話を聞くのが満雄の役目だった。
満雄は必死にその役目を果たそうと頑張った。


そのときどこからか赤ん坊の泣き声がした。
「兄さん、梨奈が泣いてるぞ」
「ああ、分かってるって」
陽一が部屋を出て行き、泣いている赤ん坊を抱いて戻ってきた。
陽一がいくらあやしても、赤ん坊はなかなか泣き止まなかった。
「抱かせてもらってもいいですか?」
満雄は泣いている赤ん坊に手を差し伸ばした。
「いいですよ。服が汚れちゃいますし」
「そんなことはいいですから」
陽一から奪うように赤ん坊を抱いた。
赤ん坊は意外と重かった。

満雄が抱くと赤ん坊はすぐに泣き止んだ。
しかも満雄の顔を見て微笑んでくれた。
満雄はその子の顔を見て愛おしいと思った。
無条件に赤ちゃんを可愛いと思える。
これが母性なのか。
そんなことを思った。

「やっぱり女の人がいいのかなあ」
陽一が悲しげな顔をして呟いた。
満雄はその言葉の意味することが理解できなかった。
満雄はその意味を問うように皆の顔を見た。
「実はさ…」
勇次が説明してくれた。

陽一の妻・梨花は生まれつき心臓が弱かったらしい。
日常生活を送る分には問題なかったが、ちょっとしたことがすぐに心臓への負担になったとのことだった。
だから外で走り回って遊ぶことすらできなかった。
そんな中、陽一と知り合い、陽一から結婚を申し込まれた。
真面目な梨花はそんな陽一からの申し込みを断った。
結婚すれば子供が欲しくなる。
しかし妊娠なんてことになると梨花自身の生命が危ぶまれる。
だから結婚そのものに対して慎重にならざるをえないのだった。
それでも陽一は懸命にプロポーズした。
何度断られても必死に梨花にプロポーズした。
陽一の熱心さに折れる形で梨花は陽一と結婚した。
結婚すると子供が欲しくなるのが人の心だ。
それでも妊娠するのは梨花の生命を危険に晒すことになる。
そんな葛藤に苦しんでいるときだった。
タイミングよく生まれたばかりの赤ん坊を世話してくれる人がでてきた。
陽一も梨花も喜んで、その赤ん坊を養女に迎えることにした。
名前を梨奈と名づけた。
子供ができてから梨花は生活に張りができたせいか元気になった。
しかしそれは一時的なことだった。
子育ての無理がたたったのか梨花は3ヶ月前に亡くなったそうだ。

「たとえ半年くらいでも梨花は梨奈と過ごせて幸せだったと思うよ。梨花は亡くなったが梨奈は僕たちの子供だ。僕は一人でも梨奈を育てていこうと思ってる」
梨奈を抱きながら、陽一のそんな言葉を聞いていた。

しかし満雄の頭にあったのは別のことだった。
(だれかからの養女?時期と言い、もしかしたら…)
そんな考えが頭の中を巡っていた。


勇次の家から帰ってからも梨奈のことが気になって仕方がなかった。
(もしかしたらあのとき僕が産んだ子供かもしれない…)
満雄はそればかりを考えていた。
そうなるといてもたってもいられなかった。
勇次に会うことを口実に勇次の家へ行き、梨奈の顔を見に行った。

そんな満雄の行動は芳賀家の皆から訝られた。
勇次でさえ満雄のそんな行動に批判的だった。
「菜穂が梨奈のことを可愛がってくれるのは嬉しいけどさ。どうして俺がいないって分かっているときでも家に来るんだよ。おかしいじゃないか」

ただ一人、陽一だけは満雄の味方だった。
「菜穂ちゃんは梨奈のことが可愛くて仕方ないんだよ。今どき自分の子供でさえ虐待する親がいるのに、菜穂ちゃんが子供好きってことはいいころだろ?」

そんな状態だから、勇次は満雄と陽一の仲を疑った。
「菜穂、お前、兄貴とできてるんだろ!」
「何、馬鹿なこと言ってるの?そんなことあるわけないでしょ」
「だったら何であんなに梨奈にべったりなんだよ!おかしいだろ!」
「そ…それは……」
「ほらみろ、言えないじゃないか。お前は俺より兄貴を取ったんだよ」
正直なところ満雄にとって陽一も勇次もどちらも重要ではなかった。
梨奈、この娘だけが今の満雄にとって全てだった。
しかしそんなことを知らない勇次にとっては満雄が陽一のことを好きになったと思っていた。
満雄は成り行きに任せていた。
その結果、自然消滅の形で勇次との関係は消えてしまった。
それでも梨奈に会いに行くことはやめなかった。

自分と梨奈との本当の関係を知りたくなった。
そもそも調べることには抵抗があった。
もし調べて何ら関係がないことが分かったら、今の梨奈への感情はどうなるのか?
可愛さ余って憎さ百倍。
梨奈への憎悪すら沸くかもしれない。
そんなふうになるときっと自分で自分が嫌になるだろう。
だから何も調べずに今のまま梨奈のことを可愛いと感じているほうがいいような気がしていたのだ。
それでもどうしても自分の欲求を抑えることはできなかった。


満雄は梨奈の口の中から粘膜を採取し、自分とのDNA鑑定を依頼した。
結果が出るまでドキドキする毎日だった。
1週間後、結果が出た。
満雄と梨奈は99.999%以上の確率で親子だった。
父と娘なのか?
母と娘なのか?
それは分からないが、おそらく満雄と菜穂の娘なんだろう。
それを確かめる術が分からなかった。
菜穂が生きていれば鑑定できるのに…。
満雄は自分の身体の中に菜穂の一部が生きていることを思い出した。
このDNAは自分のDNAなんだろうか?
それとも菜穂のDNAなんだろうか?
そんなよく分からない方法でなく調べる方法を探った。

満雄は菜穂の母親・菜美に頼んでDNAと採らせてもらった。
結果、菜美との血縁関係である鑑定結果も出た。
梨奈は満雄と親子関係にあり、菜美と血縁関係にあるのだ。
間接的に満雄と菜穂の娘だと証明できたと言える。

それが分かると満雄はどうしても梨奈を手に入れたくなった。

梨奈を手に入れる方法。
それは梨奈の母親になること。
つまり陽一と結婚すればいい。
明快だ。

満雄は梨奈の面倒を見つつ、陽一からの誘いを待った。
梨奈を抱いてよく3人で出掛けた。
すると周りから親子のように見られることもあった。
陽一はそんな状況を好ましく思っているはずだ。
満雄は3人でいるときの空気感でそう感じていた。

そんなある日、梨奈を寝かしつけていると、陽一が耳元で囁いた。
「菜穂ちゃん、僕と結婚して梨奈の母親になってくれないか?」
満雄は内心「やったぁ!」と思いながらもすぐに答えを返さなかった。
梨奈が傍にいたこともあったが、陽一を焦らす意味もあった。
「駄目か?」
「だって私はバツイチだし…」
「バツイチだったら僕も同じだよ」
陽一の目からは真剣さしか感じられなかった。
満雄は焦らすのが可哀想な気になった。
「我がまま言っていい?」
「ああ、何でもいいよ」
「私を抱いてほしいの」
「えっ…それってどういう意味……」
満雄は最初の離婚の理由を簡単に陽一に話した。
「僕は普通に女性を愛せるよ」
「だったらそれを証明してみせて」

満雄と陽一は梨奈が寝ている横で抱き合った。
陽一は性的には勇次よりも淡白だった。
前戯は乳房を揉むくらいだが、力が強く痛いだけだった。
乱暴にクリトリスに触れてくるし、快感よりも苦痛に近い状態だ。
だから挿入に際しては満雄自ら陽一のペニスを握り、ペニスの先で大陰唇を擦るようにして自分の性的興奮を高める必要があった。
ペニスは勇次よりもやや小さめだった。
そのおかげで少ししか濡れていなくても何とか迎え入れることができた。
ペニスが入ると、陽一が突いてきた。
その様子も単調だった。
しかも数分で果てる始末だった。
満雄は決して性的に満足できたとは言えなかった。
それでも梨奈の母親になるために陽一とのセックスに満足した振りをした。


陽一に抱かれた後、下腹に少し痛みを感じた。
それほど激しいセックスでもなかったのに「どうして?」と疑問に思っていたが、それが分かったのは数時間後だった。
女性器から経血が流れ出したのだ。
最初それが生理だとは思わなかった。
そもそも自分が生理になるなんて発想が満雄にはなかった。

それが生理と言われる現象なのだと理解すると新たな疑問が湧いてきた。
どうしてこんなタイミングで生理になるんだ?
とうとう菜穂の女性器が正常に動き出したのだろうか?
よくは分からないが、ついに自分が本物の女になったんだと感じた。
ずっと女だったような感覚はすでにあった。
それでも自分の身体に生理が起こったショックは大きかった。
それでもどこかに嬉しいような気持ちがあったことは否めなかった。
ショックを感じる反面、本物の女性になれた喜びを感じている精神状態を満雄はうまく処理できずにいた。


次の日も陽一から求められた。
「ごめんなさい、アレが始まったの」
「アレ?…アレって?…ああ、アレか。そうか、なら仕方ないな」
陽一に寂しそうな表情を見た。
「お口でやってあげましょうか」
そう思わず言ってしまった。
そんな自分の発した言葉に満雄自身が驚いてしまった。
これまでフェラチオをやったことはなかった。
求められなかったということもあったが、男のペニスを銜えるなどということはやりたくもなかったのだ。
「いや、そんなことはしなくていい」
陽一は満雄の申し出を断った。
しかし満雄は断られるとムキになるところがあった。
「やってあげるってば」
陽一の足首を掴んで倒し、彼の上にのし掛かった。
「いいよ、本当に」
陽一は断ったが、満雄は陽一の言葉を無視して、陽一の股間に手を当てた。
ズボン越しにでも大きくなっていることは明らかだった。
「こんなに大きくなってるじゃない。やってあげるわ」
満雄はズボンのファスナーを下げて、中からペニスを取り出した。
強烈におしっこの臭いがした。
(やっぱりフェラチオはちょっと無理かも)
ペニスを前にして臭いのせいで少し躊躇した。
そんな満雄の気持ちが陽一にすぐ伝わったようだ。
「菜穂ちゃん、そんな無理しなくっていいって」
そう言われると、逆にやってあげなくてはいけないような気持ちになった。
満雄は陽一に笑顔で応えてペニスを銜えた。
口の中にいやな臭いが充満した。
「うっ」
陽一が小さく呻いた。
満雄は息をとめながらペニス全体を舐めた。
やがて臭いは気にならなくなった。
そうなると気持ちに余裕が出てきた。
陽一の反応を見ながら舐め方に変化を与えることさえできるようになった。

口の中に苦いモノが出てきた。
「菜穂ちゃん、やばいよ。出そうだ」
「いいよ、出しても」
満雄は口を窄めて頭を前後させた。
「菜穂ちゃん、やめろって」
陽一は満雄の頭を掴み、自分から引き離そうとした。
満雄はそれでも銜えていようとしたが、陽一の力には負けてしまった。
満雄の口からペニスが抜けた途端、陽一が射精した。
陽一の精液が満雄の顔にかかった。
顔中に精液がかかった。
生臭い臭いが鼻をついた。

「ごめん」
陽一はそう言ってティシュで顔を拭いてくれた。
その弾みで口の中に精液が少しだが入った。
生臭く苦い味がした。
「ごめん、口に入っちゃった?」
「うん、別にいいわよ」
そう言って陽一にキスをした。
陽一にも精液の味が分かったようで、妙な表情を浮かべた。
「結構まずいね」
そう言ってディープキスをしてくれた。
梨奈の母親になるためだけに近づいた陽一だが、愛おしい存在に変わりつつあった。


生理が終わり、陽一の求めに応じた。
「陽一さん、本当に私でいいの?」
「もちろんだよ」
そう言って、満雄を抱いた。
陽一に抱かれていると優しさに包まれているような気がした。
満雄はそんな優しさが嬉しかった。
だが満雄には性的には満足できなかった。

二人の結婚は陽一の両親はもちろん菜穂の母親にも反対されなかった。
二人とも再婚ということで、式を挙げず婚姻届の提出だけで済ませた。
「梨菜ちゃんが陽一と菜穂さんのキュービットになったんだねえ」
陽一の母親がそんなことを呟いた。
確かにそうかもしれない。
満雄が産んだ赤ちゃんを陽一夫妻が引き取ったからこそ陽一と結婚したのだ。
とにかく満雄は陽一と結婚した。
晴れて梨菜の母親になれた。
満雄はかけがえのない娘と親子になれて嬉しかった。


結婚後、数回の生理を経験した。
周期は正確に28日だった。
しかし、しばらくしたときに予定日になっても始まらないことがあった。
(どうしたのかな?)
生理があることにも慣れてきた満雄にとっては、ないことにわずかな不安がよぎった。
それから2週間ほど様子を見たが、生理が始まる感じはなかった。
満雄は妊娠検査薬で検査した。
陽性だった。
すぐに産婦人科で診てもらった。
「おめでとうございます。3ヶ月に入ったところです」
(えっ、僕が妊娠!?)
前回は何らかの外科的手術で男の身体の中に受精した卵子を植えつけられた。
そして自覚のないまま梨奈を産んだ。
今回は自分の中に存在している子宮を使って妊娠した。
全然働かなかった子宮が陽一と梨奈に出会ったことで奇跡的に動き出し、実を結んだのだ。
このままいけば出産というものを経験することになるだろう。

ただ父親が陽一とは言い切れない。
どうしても性的に満足できない満雄は陽一の目を盗んで勇次と関係を持っていたのだ。
どちらから誘ったわけでもなく焼けぼっくいに火がついたような感じで抱き合うようになったのだ。
勇次とのセックスの相性は悪くなかった。
性的な喜びは勇次から与えてもらっていた。

やがて男の子を産んだ。
名前を陽介と名付けた。
陽一は優しかった。
勇次との関係も感づいているようだが、何も言わなかった。
しかし梨奈と陽介を育てる忙しさで勇次との時間も持つことはもうないだろう。
優しい夫、可愛い子どもたちに囲まれて幸せだった。
菜穂になってようやく掴んだ幸せ。
一生このままの幸せが続くよう祈る満雄であった。


《完》

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