ため息



誰にでも癖というものはある。
やたら髪を触れることだったり、貧乏揺すりだったり、世の中には数限りない癖が存在する。
僕の場合それがため息だった。
別に仕事に疲れたり、人生を嘆いているわけでもない。
でも何かの折にため息をついてしまう。
それが周りの人間に少し暗い影を落とす。
僕が何かに疲れていたり、そのときの状況に退屈しているように感じるようだ。
その結果、周りの空気を少し重いものにしてしまう。
時には周りの人間は僕に対して必要以上に気を使う。
時にはあからさまに嫌な顔をされる。
そんなとき僕は「またやってしまった」と悔やむ。
少しの間、自分のため息を封印することに神経を尖らせる。
しかしそんな緊張がいつまでも続くはずがない。
気がつくと僕はまたため息をついてしまう。
僕の人生はそんな繰り返しだった。
取るに足らない癖。
…のはずだった。

だが、そんな癖が僕の人生を少しずつおかしな方向に変えていった。
そうでないと今こんな姿にはなっていない。
白いブラウスの袖から出た僕の手は白く指は細い。
爪にはネールアートが施されている。
胸元はそれほど大きくもない柔らかな膨らみがある。
そして膝丈までのスカートからは無駄毛のない綺麗な脚が伸びている。
明らかに女性の身なりだ。
30歳を目前に迎えているとは言え、まだまだ20歳代で通用すると思っている。
自分で言うのはあつかましいかもしれないが、よく美人だと言われる。
つまり他人から見ると僕は女性だということだ。
しかしほんの5年前までは僕は男だった。
別に女装癖があったわけではない。
ごく普通の男だった。
そんな普通の男が少しずつ変わっていく。
これから始める話はそんな話だ。



「はあ〜」
「どうしたの?さっきからため息ばかりついてるじゃない」
「えっ、そうか?」
「やだ、自分で気づいてないの?今日はいつもより多いよ。もしかして伊藤の奴からパワハラを受けてるとか」
「いや、別にそんなことないけど」
「それじゃそんなため息ばかりついてないで、早く帰っておいしいものを食べて元気をつけよっ」
由依は僕の手をとって早足に歩き出した。
僕はため息をひとつついて、由依に引っ張られて歩調を速めた。


僕は尾村直也、中堅商事会社に勤める25歳だ。
仕事ぶりは可もなく不可もなく、何とかノルマをこなしているレベルだ。
そういう意味では平均的な男性と言えるだろう。
ただ僕は身体的なコンプレックスを持っていた。
身長が少し低いのだ。
具体的には158.2センチしかなかった(皆には160センチと言っていた)。
運動が苦手だったせいか色白な点もコンプレックスだった。
性格は静かでおとなしいタイプだ。
そんな僕は自分より背の小さな女の子が好きだった。
これまで何人もの女の子を好きになってきた。
皆身長が150センチ前後だった。
でも自分から告白したことなんてない。
いつも遠くで見つめているばかりだ。
そして今の職場にも気になる女性がいる。
同じ課の一つ年下の松野由依だった。
いつもキャッキャッと笑ってる印象だった。
明るくて元気なタイプの女性だ。
ただ身長が159センチもあることが気になっていた。
だから好きとまで考えることはなかった。

そんな由依への感情に劇的な変化があったのは課の飲み会の後だった。
何と由依のほうから誘ってきたのだ。
そんなことは僕の人生の中では考えられないことだった。
「まだ早いから二人だけで抜け出さない?」
まさか女性から、それも由依からそんな誘いがあるなんて考えもしていなかった。
僕は誘われるまま由依についていった。
そしてその夜のうちに僕の童貞人生は終わりを告げた。
同時に好きな女の子の条件から身長が低いことが消えてなくなっていた。

僕は由依との結婚を真面目に考えていた。
それは由依も同じのようだ。
だから週末はデート代が勿体ないということで、一人暮らしの由依の部屋で過ごすことが多くなっていた。
今日も会社帰りに必要な買い物をして由依の家に向かうところだった。

由依は料理が美味い。
きちんとレシピ通りに作った料理が美味いのはもちろんだが、冷蔵庫にあった残り物で適当に料理するものも間違いなく美味い。
最初に由依の手料理を食べたときには感動すらした。
量が多かったにも関わらず、全て平らげたほどだ。
今日も由依の料理は美味かった。
食欲が満たされると、性欲が減退するという話を聞いたことがある。
しかし今日の僕は、食欲と性欲とは完全に独立していた。
洗い物をしている由依の背中を見ていると自分の衝動を抑えることができなくなった。

僕は由依の背中に抱きついた。
「直也、先にお風呂入ってて」
すると由依から風呂に入るように促されたのだ。
おそらく体臭なんかが気になるのだろう。
いつもだったら言われるまま風呂に入っていたと思う。
この日の僕はなぜか由依をすぐに抱きたかった。
僕は強引に由依を振り向かせ、キスをした。
由依の手には洗いかけの皿が握られていた。
「どうしたの?」
「今すぐ抱きたいんだ」
「食器洗うまで待てないの?」
「うん」
由依は「仕方ないわね」と呟いて洗いかけの皿をシンクに戻した。

由依の身体からほのかに汗の匂いがした。
僕はそんな匂いが好きだった。
必要以上に鼻をクンクンさせると由依が嫌がるのが分かっていた。
だから僕は密かに由依の匂いを楽しんだ。
由依の服を脱がせ、由依を抱いている間ずっと僕の嗅覚はフル回転していた。

いよいよ結合というときになると、僕はいつものようにコンドームをつけた。
コンドームなしで由依を結ばれたい。
そんな欲求を僕の薄給が押しとどめた。
今の給料で子供ができても満足に育てられるわけがない。
僕はいつものようにコンドームの中に精液を吐き出した。

「はあ〜」
セックスが終わったとき、無意識のうちにため息をついていた。
「どうしたの、私のナイスバディを抱いてため息つくなんて」
「疲れてるんだよ」
実際一週間の疲れはあったが、いつもの一週間ほど疲れていたわけではなかった。
いつもの通り単なる癖なのだ。
もしかしたらコンドームをつけたくない気持ちの現れかもしれない。
それでも何か言い訳をしたほうがいいのかもしれない。
僕は言い訳を考えながら、ベッドに脱ぎ捨ててあった由依のキャミソールを手に取った。
特に意味はない。
手の届く範囲にあった物を手に取っただけだった。
結構肌触りがよさそうだな。
そんなことを考えていた。

「なあに、直也ったら。女性の下着に興味があるの?何だったら着てみてもいいわよ」
「誰が!そんなのあり得ないって」
そのとき僕は間違いなく顔が真っ赤になっていたはずだ。
自分でも意識していない考えを当てられたような気がしたのだ。
心のどこかに着てみたいという気持ちがあったような気がした。
「遠慮しないで着ていいわよ。どうせセックスなんて他人から見たら変態みたいなもんなんだから」
「いや。いいって」
こういう状況になれば押しは圧倒的に由依のほうが強い。
僕は由依に言い負かされた体を装ってキャミソールを身につけた。
由依の身体の匂いに包まれている。
僕は初めて着るキャミソールの肌触りと由依の匂いとでかなり興奮していた。

キャミソールだけを着た男と真っ裸の女。
おそらく第三者から見ると、変態プレイでしかないだろう。
しかし着ているキャミソールによって由依の匂いに包まれている。
そんな状況に僕の興奮度は最高潮に達していた。
「直也、何か嬉しそう」
「そ…そんなことないよ」
由依の言葉に僕は慌てた。
図星だったからだ。
「キャミソール似合ってるわよ。女の子みたい」
「そんなこと言うんなら脱ぐぞ」
「言わなかったらずっと着てるの?」
由依が笑っている。
完全に由依に主導権を握られている。
キャミソールを脱がないとこのまま由依に主導権を握られたままだろう。
しかし僕にはこのままこの状態でいたいという欲求があった。
それでも僕は不本意ながらキャミソールを脱ごうとした。
「まだダァメ」
そう言って、由依は僕に覆い被さってきた。
「ほら、無理しないで。力を抜いて」
暗示にかけるような言葉に僕は意識せず身体の力を抜いていた。
「そう、楽にしててね」
由依は軽くキスをしてくれた。
そして由依がキャミソールの上から僕の乳首を舐めた。
「ぁ……」
くすぐったい。
でも気持ちいい。
自分の乳首がこんなに感じるなんて意識したことはなかった。
「直也、感じるの?」
僕は素直に頷いた。
「可愛い」
由依は舌の先で直也の乳首を攻めた。
最初は右胸の、続いて左胸の乳首を舐められた。
左のほうが感じ方が強かった。
左の乳首を舐められ、右の乳首を指で攻められるのが最高に気持ち良かった。
「直也の、すごく硬くなってる」
ついさっき射精したばかりなのに、もう一度挿入できるほど勃起していた。
由依はペニスを摘まんで自ら自分の中に導いた。
「ああ、すごい……」
由依は静かにゆっくり腰を沈めた。
騎乗位なんて初めてだった。
「ああ、いい……」
上に乗られて腰を振られてると、何か攻められているような気がする。
それが決して嫌なものじゃない。
むしろ攻められる感じに興奮する。
「ああ…んんん……」
僕は声を抑えることができなかった。
こんな感じは初めてだ。
「ああ…いくぅ…いくぅぅぅぅぅ………」
由依のその声とともに僕はいっていた。

「良かった、でしょ?」
由依は僕の顔を覗き込んだ。
「あ…うん……」
「でしょうね。だってため息ついてないもんね」
確かにため息をついていない。
今さっきの行為に興奮して今は最高に満たされているからだ。
ということは僕のため息は癖だと思っていたのは間違いだったのだろうか。
やはり何か不満があるときだけため息をついているのかもしれない。

それから何度も由依と交わった。
数度に一度は由依の下着を着せられ、女のように攻められた。
正常な交わりより、変態的な交わりのほうが僕は好きだった。
しかし、そんな行為にもいつの日か飽きがやってくる。

「はあ〜」
「どうしたの?また飽きてきた?」
「あ…ため息…ついたか?」
「うん、ついたわ」
「そっか…」
「また別の刺激が必要みたいね。今度は何する?」
「別にいいよ、そんなの」
由依は何か考えているようだった。
そして少し後に明るい表情になった。

「ちょっとここに座って」
由依が椅子を指差した。
僕は何が始まるのか少し興奮しながら椅子に座った。
「このピンで前髪を上げて」
「何するんだ?」
「お化粧よ」
「化粧?やだよ」
僕は一応ポーズで拒否してみた。
「嘘ばっかり。直也が本当にいやだったら、そこでじっと座ってるわけないでしょ?」
由依には形だけの拒絶は無駄だった。
全て見抜かれていたのだ。

僕はおとなしく由依に化粧された。
顔に塗りたくられた化粧品から女性の香りがした。
まるで自分がどんどん女性に近づいていくような錯覚があった。

「それじゃこれを着て」
出されたのは由依の服だった。
僕は催眠術にかかったようにそれを手に取った。
白いショーツに脚を通した。
ペニスが納まりづらかったが、何とか中に押し込めた。
ブラジャーは由依に手伝ってもらった。
カップの中にはティシュを丸めて詰めた。
そしていつものキャミソール。
キャミソールだけは着慣れていた。
ボーダーのTシャツは首回りがゆったりしていた。
どうしてもキャミソールのストラップが見えてしまう。
白いミニのフレアのミニスカートがくすぐったい。

「最後の仕上げね。髪に少しボリュームをつけてあげるわ」
由依がブラシでササッと何かをした。

「こんな感じね。見る?」
鏡の前に立たされた。
「えっ!?」
鏡に映る自分を見て驚いた。
自分がこんなに美人になるとは。
キャミソールのストラップが見える鎖骨が色っぽい。
少し脚の臑毛が気になる。
それを補ってあまりある美しさだ。
僕は鏡に映る美女を見つめていた。

「どうしたの?自分に見惚れてるの?」
現実に引き戻したのは由依の声だった。
「何ボーッとしてるの?」
由依のほうを見ようとすると、僕の顔を両手で挟んで唇を押しつけてきた。
「んんんんん…」
急なことで僕は呼吸することができず窒息しそうになった。
それくらい無防備になっていた。

「何するんだよ、いきなり」
「あなたはその恰好になったら私の妹よ。妹のナオ。奈良の"奈"に、中央の"央"で奈央。いいでしょ?」
「由依がそれでいいんなら」
「由依じゃなくてお姉ちゃんよ、お・ね・え・ちゃ・ん」
僕は由依の妹の"奈央"になった。

「それじゃこれから姉妹でファミレスでも行こうか?」
「そんなの無理だよ」
僕がそう言うと由依が鬼の形相になった。
「奈央、お姉ちゃんの言うこと聞けないの!」
「そんなのこと言ったって…」
いくら何でも女装して外出なんてできるわけがない。
「それにもう遅いし」
理由は何だっていい。
外出を思いとどまってくれればそれでいい。
時刻は11時を回っているし、女性だけの外出は危険だ。
僕は男なのに、そのときはそういう気持ちになっていた。
「ファミレスだったら、一晩中開いてるでしょ?」
「でも…」
「ごちゃごちゃ言ってないで。行くわよ」
由依が実力行使に出た。
僕の手を強く引っ張ったのだ。
「無理だって、絶対」
僕は力いっぱい抵抗した。
「奈央、いい加減なさい。お姉ちゃんの言うこと聞けないの!」
由依に"お姉ちゃん"と言われるとなぜか抗えないような気になってきた。
やばい、何となく由依のペースになってしまっている。
僕は何とか由依に思い留まらせようとした。
「だってこの姿になったのは今日が初めてで、こんな姿で外に出るなんて恥ずかしいし…」
「何言ってるの、奈央はこんなに可愛いのよ」
由依が鏡を見た。
それにつられて僕も改めて鏡を見た。
確かに可愛い。
もしかしたら由依に勝っているかもしれない。
そんなことを言ったらどうなるか。
恐ろしくて口に出せない。

ふと脚に目がいった。
これだ!
「あと臑毛を何とかしたいし…」
「あ…そうか。確かに無駄毛の処理とかしっかりした方がいいわね。それじゃ明日にでも無駄毛の処理をしましょう。脱毛剤とか買わないといけないわね。それじゃ今日はどうしよう?すぐに着替えるのも勿体ないしね」
それは僕も思っていた。
こんな美人がすぐにいなくなるのは勿体ない。

「それじゃ見たかったビデオがあるの。一緒に見ましょう」

由依の持ってきたビデオは『ブラックスワン』だった。
筋はともかく、途中ニナとリリーの絡みのシーンで僕の頭は妄想でいっぱいになった。

由依と女の子になった僕が抱き合う。
由依は僕の服をゆっくりと脱がせる。
脱がされた僕の胸には乳房がふたつ。
いつの間にか僕の身体は女になっていた。
由依の指が僕の乳房の先に触れた。
僕の身体に電気のような快感が走った。

そんな妄想していると、由依の手が僕の太腿を這うのを感じた。
「やっぱり男の人の筋肉ね。せっかくこんなに綺麗になったんだから、身体ももう少し女の子っぽくした方がいいんじゃない?奈央さえ良かったら女性ホルモン飲む気ない?」
僕は思い切り首を横に振った。
「そう?これで身体つきが女性っぽくなったらすごくいいと思うんだけどな。私、可愛い女の子って大好きだもん」
由依ってレズだったんだろうか?
だから華奢な僕とつき合っていたのかもしれない。
そう考えながら、僕の身体を這う由依の手を感じていた。
やがてこの夜2度目の結合を果たした。


次の日起きると、机の上に脱毛剤が2箱置いてあった。
「何、これ?」
「昨日奈央が言ったのよ、無駄毛が気になるって。無駄毛を綺麗にしたら一緒に出掛けるって」
「えっ、何もそこまで…」
「でも奈央は言ったでしょ?」
「…うん」
僕は仕方なく頷いた。
「それじゃお風呂場で綺麗にしてきて。使い方は箱に書いてあるから」
僕は置いてある箱をひとつ取って浴室に向かおうとした。
すると、背後から由依が声をかけてきた。

「もうひとつ持って行って。それで腋のほうも綺麗にしてね」
「えっ、腋も?」
「もちろんよ。腋の毛がぼぉぼぉの女の子なんて嫌でしょ?」
「そんなことすると半袖が着れなくなるし…」
「夏までには生えるわよ。それに最近の男の子って結構腋も剃ってるらしいわよ」
「でも…」
「ごちゃごちゃ言ってないで思い切って綺麗にして」
僕は渋々浴室に言った。

裸になり、脱毛剤の泡を脚に塗った。
脛毛については昨夜のこともあり脱毛する覚悟があった。
(腋もやらないと由依怒るだろうな)
腋については渋々脱毛剤を塗った。

数分経つとかゆみを感じたが、それを我慢して箱に書かれていた10分を待った。
(これくらいでいいかな)
シャワーで泡を落とすと、溶けたような毛が泡とともに排水口に流れていった。
何となく物悲しいような気持ちになった。
でも一方でさっぱりした気持ちにもなった。

濡れた身体を拭き、バスタオルを腰に巻いて、由依のところに戻った。
「女の子はそんな巻き方しないわよ」
由依に胸のところでバスタオルを巻き直された。
「綺麗になったわね」
由依は僕の身体に触れながら呟いた。
くすぐったいような心地よさだった。

「それじゃこれを着て」
出されたのは昨日とは別の服だった。
しかしやはりスカートは短かった。
チュールレースのついた女性らしいスカートだった。
無駄毛のない綺麗な脚がこのスカートから伸びたらどんなに魅力的だろう。
僕はこのスカートを穿いた自分がどれだけ綺麗になるか想像した。
僕は少なからず感じた興奮を抑えて服を着た。

鏡に映った僕は確かに綺麗だった。
顔はスッピンのままだから確かに僕の顔なのだが、こうして見ると女性として見えなくもなかった。
しかし、スカートから伸びた脚はお世辞にも女性の脚には見えなかった。
筋肉が男性的なのだ。
ストッキングを穿けば多少誤魔化せるかもしれない。
でも綺麗に脱毛しただけに無念さは拭えなかった。

「奈央、いつまでも鏡を見てないで一緒に朝食を食べましょ」
テーブルにトーストとスクランブルエッグが置かれていた。
「うん」
僕は椅子に腰かけた。
椅子の冷たさが直接太腿に伝わってきた。
「奈央って本当に可愛いわね。私も妬けちゃうくらい…」
僕は服が汚れないように注意しながらテーブルに出された物を食べた。
「とても女らしいわ。女の子の服を着ると、心まで女になっちゃうのかしら」
僕はそう言われて恥ずかしかった。
しかし嫌な思いはしなかった。

朝食を食べ終えると、由依が食器を手早く洗った。
一方、僕は鏡を見ながら歯を磨いた。
こういう状況はいつものことだ。
鏡に映る僕は確かに僕だが、いつもの僕とは違うように見えた。
洗面所にある鏡に映る僕の顔もは胸から上しか映らない。
服が女性物ということがあるのからしれないが、表情がまるで女の子なのだ。
僕の錯覚かもしれないが、そう見える。
僕は歯を磨きながらいろんな表情を作った。
どうすればより可愛くなるかを探っていたのだ。

「奈央、何してるの。早くこっちに来てよ。お化粧するんだから」
由依の言葉で現実に引き戻された。
僕は慌ててうがいをして、由依のところに戻った。

「ほら、そこに座って」
僕はおとなしく由依の前に座った。
由依は手早く僕に化粧してくれた。
化粧をされるのはまだ二度目だが、昨日ほど違和感を感じない。
化粧品の香りは確実に僕を心理的に女性にした。
出来上がりが分かっているし、早く綺麗になりたいという欲求が強かった。

「できたわよ」
僕は鏡を見て、出来上がりをチェックした。
うん、これなら大丈夫。
僕は鏡に映る僕に微笑みかけた。
「奈央ったら楽しそうね」
由依の言葉に顔が赤くなるのを感じた。
「そんなことないよ」
「照れなくていいわよ。女の子は誰だって綺麗になれれば嬉しいんだから」
由依は自分の顔を化粧しながら言った。
僕は由依が化粧する様子を見ていた。
いつもは見ているようでほとんど見ていなかったが、今はその手順を確認していた。
自分でもできるようになりたかったからだ。

「よし、出来上がり。それじゃ行こっか」
「あのぉ…」
「なあに?」
「ストッキングを穿きたいんだけど…」
「どうして?そのままで充分綺麗じゃない。せっかく無駄毛処理したんだから、生足のほうがいいわよ」
「でも、脚の筋肉の感じが男だろ?」
「だろ、じゃなくて、でしょって言いなさい。奈央は女の子なんだから、言葉に気をつけなくっちゃ」
そう言いながら、由依の視線が僕の頭から爪先に、爪先から頭に、何度か移動した。
「でもスポーツしている女の子ってそんな感じよ。全然おかしくないわ。安心して」
「でも…」
由依は頑としてストッキングを穿くことは許してくれなかった。

「それじゃ外に行こうか?」
由依の言葉に僕は身を硬くした。
今さら行かないなんて選択肢があるとは思えなかった。
だから少しは覚悟していたつもりだった。
正直なところ、男性からどのように見られるかを楽しみにしていた部分もあった。
しかし現実に出て行く場面になるとさすがに尻込みしてしまう。
そんな僕の様子に由依もすぐに気がついた。
「大丈夫だって。奈央は女の私から見ても充分女の子らしいから」
「そう?」
僕は上目遣いに由依を見た。
「ほら、そんな仕草なんて女の子そのものじゃない」
だったら大丈夫なのかなと思い始めていた。
「ただ話すときは気をつけてね。声で男だってばれちゃうから」
「だったらどうしたら…」
「私にだけ聞こえるような小声で言えばいいんじゃない?ただ周りの人に聞こえるかもしれないから言葉遣いは注意してね」
「分かったよ…わよ」
「そんな感じでいいんじゃない。それじゃ行きましょう」

由依は僕の前にミュールを出した。
由依の足は24センチ、僕は25センチ。
由依の靴は僕には入らないのだ。
だから踵部分の開いているミュールでないと、という由依の判断なのだろう。
ただこのミュールはヒールが10センチ程あった。
たかが10センチだが、かなりバランスをとりにくい。
僕は履いてすぐによろけた。
「大丈夫よ、すぐに馴れるから。それじゃ行くわよ!」
奈央としての初めての女装外出が始まった。


この季節の外気は冷たかった。
「寒いよね?」
由依も同じようにミニスカートを穿いていた。
「女の子はファッションのためにいろいろと我慢するものなの」
そう言う由依はレギンスを穿いていた。
「僕もそういうの穿きたいんだけど」
「まあいいから、とにかく行こう」
由依に背中を押されて歩き出した。
いざ歩き出すと、ヒールのバランスに気を取られて歩くことに必死だった。
おかげで寒さのことを一旦忘れることができた。
さらにこけないように歩幅が狭くなり、男っぽさを出さずに済んだ。

「奈央って本当に可愛いね」
由依はそんなふうに冷やかしてきた。
そして急にスカートを捲られた。
「きゃっ」
僕は思わず声をあげてしゃがみこんだ。
「奈央ってやっぱり可愛いわね」
由依が僕の顔を覗き込んできた。
「由依ぃ」
「ははは、ごめんごめん。奈央を見てると悪戯したくなっちゃうのよね」
これで僕の緊張はすっかり解けた。

僕は由依とともに楽しい時間を過ごすことができた。
ほんの3時間くらいだったが、由依と一緒にショッピングしたりお茶を飲んだりした。
いつもは由依が服を選んでいる間ボォーッと立っているだけだったが、一緒に服を選ぶのは思った以上に楽しかった。
あまり大きな声を出すことはできなかったが、普通に会話できれば楽しさが倍増するのは容易に想像できた。
「これで女の子の声を出すことができたらもっと楽しめそうね」
「そうね。頑張って練習するわ」
今日の由依のデートで女性の言葉遣いには少しは馴れた。
ただ男の声のままだった。
女性の声の出し方をマスターしようと真剣に考えていた。


それにしても思った以上に疲れていたようだ。
家に戻ると、そのままベッドに倒れ込んだ。
「疲れたぁ」
ヒールのせいでふくらはぎの筋肉がパンパンに張っていたのだ。
「奈央、女の子がはしたないわよ」
由依の声がすぐ背後から聞こえた。
僕は身体を反転させた。
すでに目の前に由依の顔があった。
そしてそのままキスされた。
すぐにペニスが大きくなり、スカートを持ち上げた。
「こんなに大きくなってる」
由依の手がスカートの中に入ってきて、ショーツからはみ出したペニスを握った。
そしてその先を指で擦った。
「…ぁ…んん………」
「奈央、気持ちいい?」
「うん…」
「『お姉ちゃん、気持ちいい』って言ってみて」
「お姉ちゃん、気持ちいい……」
「よく言えました。それじゃご褒美ね」
由依の顔が下半身のほうに移った。
そしてペニスを銜えた。
「えっ!」
僕は思わず声をあげた。
これまで由依はフェラチオなんてしなかったからだ。
僕も自分からはあえて要求しなかった。
僕たちのセックスにフェラチオなんてなかったのだ。
だから予想もしなかったことに驚いた。
そんな僕の反応に由依がフェラチオを中断して話した。
「だって奈央は女の子なんだし、これはクリトリスでしょ?」
そういうことか。
ペニスはダメだけど、クリトリスならいいわけなのだ。
つまり由依にとって今してる行為はフェラチオではなくクンニなのだ。
由依は再びペニスを口に含んだ。
僕は初めてのフェラチオに感じていたが、射精しないように意識的にセックスとは関係のないことを考えた。
「お姉ちゃん、これ以上やると…」
由依は僕の言いたいことを理解したようだ。
「それじゃもういいわね」
由依はレギンスとショーツを脱いだ。

二人とも一見すると女性だった。
僕はショーツをずらされただけだし、由依はショーツを脱いでいるが、服もスカートも身につけている。
完全にレズのようだが、確実に性器は繋がっている。
僕は倒錯的でものすごく興奮した。
そのせいか、あるいはフェラチオのせいか10秒も持たず射精してしまった。
「はあ〜」
「あれ、またため息ついてる。どうして?」
「ちょっと早かったかなぁって思って…」
「それだけ興奮したってことでしょ?お姉ちゃんは怒ってないよ」
由依がキスしてくれた。
僕は次はもう少し頑張ろうと心に誓った。


その日から由依の部屋にいるときはいつも女装するようになった。
僕は正直なところこの状態が好きだった。
女性の服を着ることで、日常の自分から離れられるような気持ちになるのだ。
すなわち現実逃避だ。
別に日頃の自分に不満があるわけじゃない。
何かつらいことがあるわけでもない。
それでもいつもと違う自分になれることは何にも変えがたい気分転換になった。
結合している時間も少しずついつも通りの時間になっていた。
それでもなぜか正常位ではなく、騎乗位が多かった。
しかもスカートとブラジャーはつけたままだった。
僕は由依とのそんな行為に満足していた。


その日もいつものように由依と抱き合っていた。
僕のペニスをクンニした後、ベッドの下のほうに手を伸ばし、何かを取った。
「こんなの買っちゃった」
由依が見せたのはペニスバンドだった。
黒いペニスの形をしたものが股間のところについている。
僕のものよりは小さいようだ。
由依がそれを腰につけた。
「これで奈央を可愛がってあげるね」
「い…いや、いくら何でもそれはちょっと……」
正直なところ僕はすごく興味があった。
しかし素直に嬉しそうな反応をするには男としてのプライドが邪魔をした。
「お姉ちゃんに任せておけばいいの。初めは痛くないように小さめにしてあげたから」
そう優しく言われてキスされると無意識のうちに頷いてしまっていた。

「それじゃ、奈央、四つん這いになって」
僕はおとなしく由依の言う通りにした。
お尻に冷たい物が塗られた。
「何なの、それ?」
「奈央が痛い思いをしないでいいように潤滑ゼリーをつけてあげたのよ」
アナルにペニスバンドの先があてがわれたことを感じた。
僕は不安と期待でドキドキしていた。
「奈央、力を抜いて」
僕は深呼吸した。
「入れるわよ」
「痛くしないでね」
「もちろんよ」
そうしてペニバンが入ってくるのを感じた。
「痛い…」
「大丈夫、もう少しで全部入るから」
由依が腰をグイッと突き出した。
「全部入ったわよ。意外と大丈夫でしょ?」
僕は痛みよりも違和感に呻いていた。
由依が僕の腰をつかんだ。
「動くわよ」
由依が腰を動かした。
最初は違和感しかなかったが、ある時を境にして急激に快感に変わった。
「ぁぁぁぁぁ……ぃぃぃぃ………」
「奈央、気持ちいい?」
「気持ち…いいいい……」
「奈央、入れられるの好き?」
「うん、お姉ちゃん、大好き…。奈央、入れられるの、大好き……」
「奈央って本当にセックス好きね?」
「うん…お姉ちゃんにずっとこうされていたい……」
由依の腰の動きが速くなった。
「ぁぁぁ…すごい……おかしくなり…そう……」
そうして僕は意識が飛んだ。

「奈央、奈央ってば」
由依が僕の頬を叩いている。
「…えっ…どうしたの?」
「やっと気づいたんだ。急に意識なくすんだもん。びっくりしちゃったぁ」
「えっ、僕、気を失ってたの?」
「僕じゃなくて"私"でしょ?」
そう言われて思い出した。
由依のペニバンでいってしまったことを。
「奈央ったら、本当に気持ちよかったんだね。もう一度する?」
僕は恥ずかしそうに頷いた。


その日から僕は由依のペニバンの虜になった。
ペニバンを銜え、自分のアナルに迎え入れた。
女のように甘え、女のように喘いだ。
入れられる度に確実に感度が上がっていった。
さらには女として突かれていたせいか身体が女のようになっていくような気がした。
肌の感覚がきめ細かく、白く透きとおるような感じなのだ。
触られることにも敏感になっていた。
乳首を舐められたら、それだけでいきそうになるほどだ。
錯覚かもしれない。

それに加えて、昼間、男のスーツに身を包まれていることに違和感すら覚えるようになった。
必然的に何かと理由をつけ、会社を休むようになった。

僕は自分の部屋を解約し、由依の部屋に同棲するようになっていた。
そして、由依の奥さんのように由依の身の回りの家事をするようになった。
僕は由依に黙ってある計画を実行しようとしていた。

その日も由依を送り出し、朝食の後片付けや洗濯、掃除を片付けをこなした。
そしてドレッサーの前に座り、出掛ける準備を始めた。
この頃には僕は自分で化粧するようになっていた。
鏡の中で自らを綺麗な女性に変身させていく快感は何ものにも代え難かった。
僕の中の女性的な面がどんどん花開いていくようだった。
女の子の声を出すこともできるようになっていた。
女の子の服を着ると僕は完全に女の子だった。
誰にも見破られない自信がある。
そして今日僕は一人で外出しようとしている。
僕の自信を裏付けるために。

今日の服装は白地に小さな花柄のついたブラウス。
膝が隠れる程度の丈のサーモンピンクのプリーツスカート。
そしてレースのカーディガンを羽織った。
そして今日の日のために買っておいた人毛のウィッグ。
肩よりも少し長めで、柔らかなウェーブが気に入っていた。

全身の映る鏡で出掛ける前にチェックした。
僕は鏡に向かって微笑んだ。
完璧だ。
女子大生くらいには見えるだろう。
僕はバッグを肩に掛け、足取り軽く外に飛び出した。


男たちの視線を感じる。
僕はさりげなく男のほうを見、わずかに微笑んだ。
男たちの表情が崩れる。
僕はそんな男を置き去りにし颯爽と歩き去った。
すごく気持ちよかった。

人通りの多いところを歩いていると、歩くのに邪魔になるほど声をかけられた。
「ひとり?どこに行くの?」
「ねえ、彼女、一緒に遊ぼうよ」
というのはマシなほうで、強引に腕を捕まれることすらあった。

女の子の一人歩きって大変だなと思っていると、後ろから肩を叩かれた。
またかと思い振り返ると、そこに男が立っていた。
30歳後半くらいの浅黒いハンサムな男だった。
(ちょっといい男かも)
性対象を男性として考えたことはなかった。
あくまでも由依が好きだった。
少し歪な形かもしれないが、由依に突かれるのが好きだった。
にもかかわらず僕はその男に興味を持った。
運命的な巡り合わせかもしれない。
そんなふうに感じた。

しかし…。
「君、男だろ?」
男が発した一言に僕の思考は完全に停止した。

どうして?
ばれた?
僕はパニックに陥りそうになった。
しかし、ギリギリのところで持ちこたえた。
心の中で深呼吸するような感じで落ち着けた。
「私、女よ。失礼ね」
背中に冷や汗を感じながら僕はシラを切った。
とにかくこいつと一緒にいるとやばい。
僕はその場から逃げようとした。
「ちょっと待てよ」
男が追いかけて僕の肩を掴んだ。
「大きな声出すわよ」
僕の脅しにも男は薄ら笑いを浮かべ、動揺する様子は見せなかった。
「出すんだったらどうぞ。ちょうど向こうから警官が来るし、助けを求めたらどうだ?」
僕がそんなことをするはずがないと分かった上での言葉だ。
もちろん僕はそんなことはしない。
というか、できない。
「どうすればいいの?」
「こんなところじゃなくてお茶でも飲みながら話さない?」
僕は男に誘われるまま、近くの喫茶店に入った。

店には客がまばらにしかいなかった。
奥の席が空いていたので、僕たちはそこに席をとった。
「アイスコーヒー。君は?」
「私も同じでいいわ」
注文を済ませると、男は軽い微笑みを浮かべ黙ったまま僕の顔を見ていた。
「何よ」
「いや、綺麗だなって思って」
興味を感じた男にそんなことを言われて、僕の顔は自然と赤くなった。
「そんなふうに照れてる君も可愛いね」
「からかってるの?」
「そんなことないよ。あっ、そう言えば自己紹介してなかったね。僕は飯野博一、36歳、独身。恋人なし。君は?」
「奈央…美よ」
由依から呼ばれている"奈央"という名前をこの男に伝えるのは何となく抵抗を感じ、とっさに"美"をつけたのだ。
「ナオミちゃんか。どんな字を書くの?」
「奈良の"奈"に、中央の"央"に、美しい、で奈央美よ」
「奈央美ちゃんか。いい名前だけど、もちろん本名じゃないよね?本名は直樹くんとか直志くんとかかな?」
飯野は僕の顔を覗き込むように見た。
「でも僕は偽名じゃないからね、ホラッ」
飯野は財布から名刺を取り出した。
一流都市銀行の経営企画課の課長。
かなりのエリートだ。
すでに社会人としてドロップしかけている自分とは雲泥の差がある。
「人からもらったものじゃないの?」
「あ、そういう見方もあるのか、なるほどね。奈央美ちゃんって頭良さそうだね」
飯野は財布から10枚ほど同じ名刺を出した。
「今はプライベートだから名刺入れは持ってないけど、これだけ持ってれば、僕自身の名刺だって信じてくれるだろ?」
「ええ、仕方がないから信じてあげるわ。それで私はどうすればいいの?」
「何か意地悪な言い方だな。僕が脅してるみたいじゃないか」
実際脅したでしょと言いたいのを堪えて、僕は一番聞きたいことを聞くことにした。
「どうして分かったの?ばれない自信あったのに」
「確かに奈央美ちゃんは女としてもかなり美人だもんな。でも自分の得意分野って普通の人が気づかない小さな違いにも気づくもんだろ?」
そこで飯野の表情が一気に真面目なものに変わった。
「僕は君のような人に興味を持つんだ。はっきり言えば一目惚れだ。つき合って欲しい」
「えっ!」
いきなりの告白に僕は頭の中が真っ白になった。
そのとき注文したアイスコーヒーが運ばれてきた。
二人は無言で目の前にアイスコーヒーが置かれる様子を見ていた。
ウエイトレスが離れると静寂が訪れた。
もちろん店の中は音楽とそれなりの雑音があった。
それでも二人の周辺は一種の静寂が訪れていたように感じた。
僕は飯野の顔を見た。
飯野は真面目な顔をして、僕のほうを見ていた。
からかわれているのかも。
そう思わないでもないが、目の前の飯野の表情を見るとそんなことは言い出しづらかった。
「そんなこと…急に言われても…」
仕方なく、会話の口火は僕が切った。
「確かに。奈央美さんはまだ僕のことを何も知らないんだから、判断できないよね。それじゃ僕という人間を知ってもらうために、返事を保留したまま何度かデートして欲しい。で、返事はその後にして欲しい。それでどうだろう?」
僕はどう答えていいのか分からなかった。
男から告白されているのに、嫌悪感を全く感じていなかった。
そのときは完全に自分のことを女性視していたのかもしれない。
「明日この時間、もう一度この店で待っている。もし良ければ、そのとき返事が欲しい」
そう言って飯野はアイスコーヒーを一気に飲み干して、席を立った。
「それじゃ明日」
飯野が伝票を持って支払いを済ませるのを見るともなく見ていた。
飯野が出て行くと、僕は目の前のコーヒーにミルクとシロップを入れてストローで混ぜた。
どうしよう?
僕はそればかりを考えていた。
しかし気持ちの片隅では明日もここに来ようと決めている部分が確実にあった。
無意識か意識的か自分のそんな気持ちに気づかない振りをしていた。

明日行くかどうかは決めてなかったが、明日着る服を買っておくことにした。
何しろ女の子は連日同じ服を着ていくなんてことはできないのだ。
少しでも可愛い服がいい。
そう考えて、可愛いミニのワンピースを買った。
明日会うかどうかは分からないが、もし会うんだったらこれを着て行こう。
そう思うだけで、気持ちがウキウキした。

由依が帰ってきた。
「おかえりなさい」
「あれ?奈央ったら、何だかご機嫌ね」
「そう…かな?そんなことないわよ」
「何かいいことあったんでしょ?言いなさいよ」
「別に何にもないってば」
結局僕は買ってきた服を見せた。
「もしかして一人で買い物に行ってきたの?」
「うん」
「ずる〜い。会社をサボって、ひとりで買い物を楽しむなんて…」
「でも可愛いでしょ?」
「いっそのこと、会社なんてやめて、私の奥さんになってよ。生活費は私がバンバン稼ぐから」
「それもいいかもね。マジで考えてみようかな」
「奈央ったら休みがちだから、会社が首切りを始めたら、真っ先にリストラ候補だよ」
「それじゃそれまで待つことにするわ」
「どうして?」
「だって今辞めたら自分の都合で辞めることになるでしょ?会社にクビを切られるのなら会社の都合だから退職金もしっかり出るんじゃない?」
「そううまくいくかなぁ…。そんなことになるときは会社側もあまりお金がないときだと思うよ。そうなるとほとんど退職金なんて出ないと思うよ」

そんな会話があったその夜も由依のペニバンに突かれた。
これが本物のペニスだったら。
そんなことを考えながら。


次の日、起きた瞬間からどこか気持ちが昂ぶっていた。
正直なところ、心が踊るのを抑えられなかった。
無意識のうちに鼻歌さえ出ていた。
その理由は明らかだった。
「どうしたの?今日も朝からすごくご機嫌ね」
「そ…そうかな。そんなことないと思うけど」
「だってさっきから何か口ずさんでるじゃない。奈央からため息以外が出るなんて信じられない。ところで今日は会社行くの?」
「行くわけないでしょ」
「大丈夫?本当にクビになるかもしれないわよ」
「そのときはそのときよ。たぶん大丈夫だって」
そのときの僕は飯野に会いにいくことだけを考えていた。

由依が会社に出掛けていくと、僕は出掛ける支度を始めた。
もちろん飯野に会うためだ。
いつもより念入りに化粧した。
ただしナチュラルに見えるよう細心の注意を払いながら。
どうしてこんなに一生懸命になっているのか自分でも理解できなかった。
ただ単純に飯野から「可愛い」「綺麗だ」ということを言って欲しい。
そんなことを考えていた。

飯野との約束の時間までまだかなりの時間があった。
僕はアクセサリショップに寄った。
そしてそこでイアリングとペンダントを買った。
もちろん安物だ。
初めてつけるアクセサリに自分の女性度がかなり上がったように思えた。
近くのトイレに入り、イアリングをつけた自分をチェックした。
かなり可愛いと思う。
ペンダントも似合っている。
僕は自信を持って飯野との約束の喫茶店に向かった。

喫茶店に入ると、すでに飯野は来ていた。
昨日と同じ場所に座っていたので、見つけるのは簡単だった。
飯野のほうも僕が店に入ると、すぐに気づいてくれた。
僕は駆け寄るように飯野の席に向かった。

「来てくれてありがとう」
僕は飯野からなぜ礼を言われるのか分からなかった。
よく考えると、今日は来ない選択肢もあり得たことに気づいた。
でも昨日の時点で今日来ることをほぼ決めていたので、今日来ないなんてことは僕としてはあり得なかったのだが。

「今日は昨日と違って可愛いね。そんな奈央美さんも素敵だよ」
飯野は僕の期待していた言葉を言ってくれた。
僕はそれだけで幸せな気持ちになれた。
僕の気持ちは固まった。
正直なところ昨日のうちからほぼ決まっていたと言えるのだが、それでもそのとき本当に決心できたように思えた。

「それで早速だけど返事は?僕とつき合ってくれるのかな?」
僕は微笑んだ。
そして小さく頷いた。
「良かった。きっとつき合ってくれると思っていたよ。それじゃ行こうか」
注文を取りに来たウエイトレスを制して、僕の腰を抱いて喫茶店を出た。
少し離れたところの駐車場に白のフーガが停まっていた。
飯野は助手席のドアを開けて「奈央美さん、どうぞ」と促した。
もちろん僕は飯野に言われるまま助手席に座った。
女らしく見せることを意識しながら、スカートを押さえてお尻から座った。

連れて行かれたのは今まで行ったこともない高級料理店だった。
女性として扱われることはとても快適なものだった。
僕は飯野とのデートを楽しんだ。
飯野との時間はとても短く感じた。

夕方になると、僕は帰らなければいけないことを伝えた。
飯野は僕をマンションの近くまで送ってくれた。
別れ間際お互いのメルアドを交換した。
飯野の顔を見ると、飯野は真剣な顔をしていた。
僕はその場の空気に乗るように目を閉じた。
飯野の顔が近づいてくる気配を感じると、暖かいものが唇に触れた。
ほんの一瞬だった。
飯野とのキスは由依とのキスと違って新鮮だった。
「それじゃまた連絡するね」
「うん」
僕は少女のように顔を赤らめていたと思う。
車を降りて、飯野の車が見えなくなるまで見送った。

由依が帰ってくるまでに何とか夕食の支度を済ませた。
最近どんどん手際はよくなってきていると思う。
主婦として充分やっていけるはずだ。
僕は準備できた夕食を前にして何となくテレビを観ていた。

「ただいま」
由依が帰ってきた。
僕は手早く料理を温めなおした。
由依が席に着くタイミングを見計らって、御飯と味噌汁を並べた。
「奈央って私の奥さんみたいね」
そんな由依の軽口も耳に心地よく響いた。
(奥さんか…。相手は飯野さんかな)
ふとそんなことを考えた自分に自分で驚いた。
完全に自分のことを女性視している。
自分でもそんなことを考える自分をどうしようもなかった。
しかしそんな自分が決して嫌ではなかった。

由依は今日会社であったことを話した。
そんな由依の話を聞きながら、一緒に夕食をとった。
心は由依にはなかった。

そして夜はいつものように身体を重ねた。
やはり由依を別の誰かに重ねていた。
「最近感じやすくなったんじゃない?」
由依の指摘にそれは心理的な変化のせいだと思った。
しかし由依には分からないと答えた。
実際乳首の感じ方は最初の頃よりずっと強くなっていた。
いつもブラジャーをしているせいか胸も少し出てきたような気がしないでもなかった。
もちろんそんなはずはないと思う。
単なる願望がそう思わせるだけだろう。
最近は由依に突かれるばかりで自分のペニスは何の役にも立っていない。
僕は女になりたいのだろうか。
女装しているだけで満足なのだろうか。
自分でもよく分からなくなっていた。


しばらくすると会社から一通の手紙が届いた。
予想通り、解雇通知だった。
(やっとクビになったか)
僕の感想はそれだけだった。
そもそもこれだけ無断欠席した社員を、今までクビにしなかったことでも充分優しい会社と言えるだろう。
おそらく上司が尽力してくれたに違いない。
上司には申し訳ないと思ったが、クビになったことで心の枷が取れたように感じた。

会社をクビになったことで、僕はますます飯野との時間を求めるようになった。
しかし、飯野と会えるのはたいてい平日の午後数時間だった。
一度飯野にどうして平日にしか会えないのか聞いたことがある。
社外での打合せを装って僕に会いに来てくれるのだそうだ。
飯野としては土日でも会えるそうだが、それは僕のほうが、由依の手前があって、なかなか難しい。
それでもそのチャンスはやってきた。

「久美子って覚えてる?経理の梶田さんって言えば分かるかな?今度久美子と彼女の友達の麻実って子で旅行に行くことになったんだけど、いい?金曜の夜から日曜の夜までなんだけど、一人で大丈夫?」
僕は旅行に行く由依のことを羨ましい振りをしながら、飯野とゆっくり会えるかもしれない可能性にウキウキしていた。

すぐ飯野にメールした。
返ってきたメールは僕をさらに喜ばせる内容だった。



由依は会社から帰ると、すぐに準備していた旅行鞄を持って出掛けた。
「それじゃ行ってきます。くれぐれも戸締まりには気をつけてね」
「うん、分かった。由依も気をつけて」
「うん、ありがとう。じゃあね」
僕は由依が出て行くのを見送った。

「それじゃこっちも急がないと」
僕は急いで出掛ける支度をした。
飯野との約束の時間まで1時間もない。
僕は急いで外出用の化粧をした。
スカートは飯野と初めて出逢ったときのサーモンピンクのプリーツスカートと決めていた。
僕はこのスカートを結構気に入っていた。
ミニスカートは元気な女の子のような感じだが、このスカートを穿くと大人の女性のような雰囲気になる。
そこが気に入っているポイントだ。
ウィッグをつけ、入念に全身をチェックした。
完璧だ。
昼間に準備して押し入れに隠しておいた旅行鞄を出して、急いで通りに出た。
そこにはすでに飯野のフーガが停まっていた。
「ごめんなさい、ちょっと遅かった?」
「いや、ついさっき来たとこだから」
僕は後ろの座席に旅行鞄を置き、助手席に座った。

「こんな時間に会うのって初めてだね」
僕は飯野の肩に凭れるようにした。
「今日は僕の部屋で一泊して、明日一泊二日の温泉旅行に行く。これでいいかな?」
「うん、嬉しい♪」
僕は飯野の腕に腕を絡めた。
飯野は右手だけでハンドルを操作し、左手は僕の手をずっと握っていてくれた。
「それじゃどこかで夕食でも食べようか」
「それより私の手料理じゃダメ?」
「料理できるの?」
「もちろん。女ですもの」
「そうか。奈央美は女だから料理できるのは当たり前か。それじゃご馳走になろうかな」
スーパーマーケットに寄って、夕食の材料を買った。
(周りからは夫婦みたいに見えてるかしら)
そんなことを考えて一人でニヤニヤしていた。

「お邪魔しまぁす」
僕は初めて飯野の部屋に入った。
少しは散らかっているかと思ったが、予想以上に片付けられていた。
「意外と綺麗ね」
「奈央美が来るから、必死に片付けたんだ」
「少しくらい私が掃除できるように残してくれればよかったのに」
「次からはそうするよ」
「ふふふ、お願いね。それじゃお料理するわ」
僕は鞄からエプロンを出してつけた。
このときのためにフリルがついた可愛いエプロンを用意していたのだ。
「30分くらいで作るから、ちょっと待ってて」
僕は豚の生姜焼きと肉じゃがとわかめの味噌汁とシーザーサラダを作った。
30分かからずできそうだったが、肝心の御飯がまだ炊けてなかった。
「ごめんなさい。御飯がまだ炊けないから、もう少し待ってね」
僕は御飯が炊けるタイミングを見計らって、最後の仕上げをした。
料理を盛りつけ、飯野が出してくれた茶碗に御飯を装った。
「お待たせ。それじゃ食べましょう」
僕はエプロンをつけたまま、食卓についた。
「美味そうだ。それじゃいただきます」
僕は飯野が食べるのを見守った。
「美味い」
「本当に?」
「うん、本当に美味しいよ」
「よかった」
僕も食べ出した。
確かに美味く作れたと思う。
肉じゃがはもう少し煮込んだほうがよかったけど。

飯野は作った料理を綺麗に平らげてくれた。
僕が後片付けをしている間に飯野は風呂を沸かしてくれた。
「一緒に風呂に入る?」
後片付けが終わるのを待って、飯野が誘ってきた。
「一緒に入りたいの?」
「奈央美が入りたいのなら」
「今日はいいわ。明日温泉でね」
「そうか。そうしよう」

まず飯野が風呂に入った。
そして僕だ。
僕は念入りに無駄毛の処理をした。
初めての夜を迎えるのだ。
少しでも綺麗にしておきたい。

髪の毛をしっかり乾かし、ウィッグだけはつけた。
完全に男の姿になると嫌われるかもしれないという不安があったためだ。
そして口紅だけはつけ、バスタオルを胸の位置で巻き、飯野のところに行った。

「本当に私でいいの?」
ベッドに横になっている飯野の前で、僕は飯野に確かめた。
傷つくなら深みにはまらないうちでありたい。
僕は不安で不安で仕方なかった。
そんな僕に対して飯野は優しかった。
「奈央美だから好きになったんじゃないか」
そう言って僕の腕を掴み抱き寄せた。
そして優しくキスされた。
僕はそのままベッドに横たわった。
すると飯野が僕の髪をなでた。
「髪の毛はウィッグなんだろ?取ったほうがいいんじゃないのか」
「え…でも……」
100%自分をさらけ出すのはやはり恐かった。
「僕は奈央美の全てを知りたいんだ。だから取ってくれよ」
僕は仕方なくウィッグを外した。
真っ黒な自分の髪が現れた。
少し伸びていたとはいえ、まだまだ自分の理想には程遠かった。
せめて肩にかかるくらいの長さは欲しかったのだ。
それに真っ黒だ。
せめて染めておけばよかった。
そう後悔した。
思わずため息がこぼれた。

しかし次の飯野の言葉に救われた。
「ショートヘアのほうが可愛いな」
そんな飯野の優しさが嬉しかった。
飯野がキスしてきた。
今度は激しいキスだった。
僕も一生懸命飯野のキスに応えた。

いつの間にか胸に巻いていたバスタオルが取られて、飯野に胸を触られていた。
「奈央美、お前、女性ホルモンを摂ってるのか」
飯野が僕の胸を優しく揉んでいた。
「ううん、摂ってないわ」
「でもこの胸の感じは女性ホルモンを摂ってるはずだ」
「そう…なの?」
「間違いない。肌も綺麗だし、わずかだが膨らんでいる」

もしかすると、由依が食べ物に入れているのだろうか。
まさかとは思うが、それしか考えられない。
僕は女性ホルモンを飲んでないし、最近薬も飲んだことはない。
それにしても最近食事を作っているのは僕だ。
僕の目を盗んで、僕が食べる物に入れていたのだろうか。
何だか由依に対する信頼がなくなっていくような気がした。
それにしてもこんな自分のことを飯野がどう考えるのかが気になる。

「女性ホルモン、摂ったほうがいい?」
「奈央美は女性らしい身体になるのは嫌なのか?」
「そんなことはないけど…」
「奈央美が綺麗になるほうがいいに決まってるだろ」
「男の身体のままだとダメ?」
「男の身体でもいいけど、どっちかというと女性に近づいたほうがいいな。けど、本物の女は苦手なんだけどね」
飯野が困ったように笑った。
「だったらそうするわ」
「楽しみだ」
そう言って、飯野が僕の乳首を舐めた。
「ぁんっ」
急に全身に電気のような快感が走った。
僕は大好きな飯野に舐められていることで、興奮していた。
そのせいかかなり敏感になっていた。

飯野が僕のペニスを摘まんだ。
「あまり大きくならないんだな」
そうして僕のペニスを銜えた。
「あっ」
僕は思わず声を出した。
飯野はペニスを銜えながら、僕のアナルに指を入れてきた。
僕は自分の腕を噛んで大きな声を出すのを我慢した。
初めての夜にあまり乱れてはいけないと思っていたのだ。

飯野が僕の脚の間に身体を入れてきた。
いよいよ入れられる。
僕は期待と不安で緊張した。
「身体の力を抜いて」
それでもうまく力を抜けなかった。

飯野のペニスが入ってきた。
由依に鍛えられているので、簡単に受け入れることができた。
「大丈夫?」
飯野が聞いてきた。
「うん、平気」
「動いていい?」
「うん」
飯野が僕の様子を図りながらゆっくりと腰を動かした。
僕はやはり腕を噛んで声を出さないようにした。
すると飯野が僕の両腕を掴んで、唇を重ねた。
唇はすぐに離れた。
しかし腕は抑えられたままだった。
自ずと僕の口から喘ぎ声が漏れた。
「あああああああああ……」
僕は自分の出す声でさらに乱れていった。
さらなる快感を得ようと僕も腰を振った。
飯野が僕の中で弾けた。
僕も完全に意識が飛んだ。
僕は快感の中で意識朦朧だった。
最高のセックスだ。

僕は飯野に腕枕してもらって、まだ身体に残る快感の余韻を楽しんでいた。
由依のペニバンでアナルの経験は何度もしたが、生のペニスで突かれるのは全く違った。
突かれた部分にはまだペニスの温度が残っているような感じだ。
それに未だに身体の芯に快感の痺れた感じが残っているようにも思える。
僕は手を伸ばし飯野の柔らかくなったペニスに触れた。
ついさっきまで自分の身体に入っていたもの。
僕に快感をもたらしてくれたもの。
そう思うと愛おしいような気持ちになった。

「飯野さん、フェラしていい?」
僕は飯野に聞いた。
「そんなことしたってもうこれ以上できないよ」
「いいの、それでも」
僕は飯野のペニスに顔を近づけた。
かなりの異臭を発している。
それでも僕は息を止めて、ペニスを銜えて、口の中で飯野のペニスを舐めた。
少し硬いグミみたいだ。
舐めているうちに臭みがなくなってきた。
そして少しずつ硬度を増してきて、同時に大きくなってきた。
ついには銜えていることがつらくなってきた。
「大きくなってきたわ」
僕はフェラを中断して飯野に話しかけた。
「もういいよ」
飯野は僕を抱き寄せ、キスしてきた。
長いキスだった。
僕はキスをしながら眠りに落ちていった。


次の日、飯野が起き出すよりずっと早く僕は起きた。
男の痕跡を飯野に見せないようにするためだ。
シャワーで身体を洗い流した。
そのとき昨夜飯野に言われたことを思い出した。
僕が女性ホルモンを摂っていると。
そう言われて自分の身体を見ると、確かに少し胸が出ているように思える。
錯覚かと思っていたのだが、そうではないらしい。
元々薄いヒゲが最近生えてこないのは女性ホルモンのせいなのかもしれない。
由依が帰ってきたら、ことの真偽を確認しようと思った。

風呂から出ると、バスタオルを胸のところで巻き、全身に化粧水をしみ込ませた。
そしてできるだけスッピンに見えるように薄めに化粧した。
本格的な化粧は出掛けるときにやればいい。
朝はナチュラルに見えるようにしたかったのだ。

朝食の支度をして、飯野が起きてくるのを待った。
作り終わって朝のテレビを見ていると、やっと飯野が置きだしてきた。
「おはよう。朝飯作ってくれたのか、ありがとう」
そう言って、飯野が美味しそうに朝食を食べてくれた。
「普段は朝飯なんか食べないんだけどね」
「食べたほうが身体にはいいのに」
「そうは言っても朝は時間がないし」
「何だったら私が作ってあげようか」
「そのためには一緒に住まないといけないな。僕はそれでもいいけど、奈央美はどうする?」
「私もできればそうしたいけど…」
僕の頭に由依の顔が浮かんだ。
由依はどう思うんだろう?
そう言えば由依と僕の関係ってどう考えればいいのだろう?
由依にとって僕は男として思われているのだろうか?
いろんなはてなマークが頭の中に浮かんできた。
僕は無意識のうちにため息をついていた。

「それじゃそろそろ温泉に行こうか」
飯野の言葉で現実に戻された。
「うん。でもちょっと待って」
僕は朝食の後片付けをして、外出用の化粧をした。
結局出掛けたのは朝食を食べてから1時間以上が経っていた。
これから二人で旅行に行くんだ。
そう思うと、僕の心は喜びにときめいた。


着いたのは温泉地の落ち着いた、それでいて上品な感じのする旅館だった。
「いらっしゃいませ、飯野さま。こちらに記帳をお願いします」
飯野が宿帳に「飯野博一」の横に「妻 奈央美」と書いた。
それを見ると何だか嬉しくなった。
「ここでは夫婦なんだから、苗字で呼ばないで、名前で呼んでくれよ」
飯野が小声で言った。
「えっ?」
僕はすぐには理解できなかった。
「ほら、言ってみて」
「博一…さん?」
『これでいい?』というニュアンスを込めて、語尾を上げた。
「そう。そんな感じだ」
飯野は僕の言外のニュアンスを理解して答えてくれた。
僕たちはいいカップルになれる。
僕はそう確信した。

通されたのは山の新緑が鮮やかに見える部屋だった。
「わあ、素敵」
思わずそんな言葉が出てきた。
男の僕なら言うはずのない言葉だ。
何だか感性までも女性的になってきたような気がした。
「新婚さんですか?」
お茶を入れにきた仲居の女性が聞いた。
「そうなんですよ。僕が忙しくてなかなか旅行にも連れていってやれないので」
飯野のそんな言葉に僕は思わず涙が零れそうになった。
そんな僕の様子に気がついたのか仲居さんがニコニコ笑って言った。
「あら、奥様が感激しておられるみたいですよ。いいご主人でよかったですね」
何か話すと涙が零れてしまいそうだったので、僕は黙って頷くだけだった。

大浴場にはさすがに入れないので、部屋についていた露天風呂に二人で入った。
部屋の風呂にも温泉の湯が入っていた。
そして風呂上りには豪華な夕食とビール。
僕と飯野は温泉を充分堪能した。

その日の夜、前の夜にも増して僕たちは燃えた。
突かれるまでたっぷりの前戯を楽しんだ。
そのせいかあっという間に昇りつめた。
そしてその後も何度も気が遠くなるほどの快感を味わった。

その日は二人だけの旅行のせいで興奮しているせいかか飯野が二度目の挿入に応じてくれた。
二度目のせいかなかなか最後までいかなかった。
おかげで僕は疲れ切るほど突かれた。

「奈央美、愛してる」
セックスの後、そんな言葉をかけられた。
「博一さん、私も」
軽いキスをした。

「ねぇ、女性ホルモンって飲んだほうがいい?」
「奈央美の好きにしろよ」
「博一さんの意見が聞きたいの」
「前も言った通り、少しでも女の身体に近づいてくれたほうが嬉しい。ここだってもう少し揉み応えがあったほうがいいし」
そう言って、膨らんでいるとは言えない僕の胸を揉んだ。
「…分かった。それじゃそうする」
「できれば一緒に住もうぜ」
「本当に?」
「ああ、冗談でこんなことは言わない」
「嬉しい」
僕は飯野との生活に思いを馳せた。

楽しい時間はあっという間に過ぎた。
帰りの車の中、僕は由依にどう切り出そうか悩んでいた。
心は飯野との暮らしに向いていたのだ。

由依が帰ってくるはずの時間よりずっと早く家に帰った。
もちろん由依にばれないようにするためだ。
どちらかと言えばばれてしまったほうがいいのかもしれない。
それでも僕は無駄に由依を傷つけるのだけは避けたかったのだ。

家に帰ると玄関に由依の靴があった。
「由依、帰ってるの?」
返事はなかった。
しかし何か変な声が聞こえる。
僕は部屋に入った。
そこで信じられない光景を目の当たりにした。
知らない男に抱かれ喘ぎ声を漏らしている由依の姿があったのだ。

僕は茫然自失で、由依と男のセックスを眺めていた。
ついさっきまで由依との別れをどう切り出そうかと悩んでいたことなんて頭から綺麗になくなっていた。
由依は喘ぎながらも僕の存在に気がついているようだった。
それでもその行為は続いていた。
由依の両脚は相手の男の腰に回されて、リズミカルに腰を振っていた。
男の腰の動きが激しくなった。
その動きに呼応して由依の乳房が揺れた。
「あっあっあっあっあっあっあっあっ……」
由依の声が部屋に響いている。
目の前で行われていることが現実のことだとは認識できなかった。
やがて僕の眼の前で二人はフィニッシュを迎えた。

「誰だ、こいつは?」
行為を終えてしばらくしてから男が僕の存在に気づいた。
「私の元カレよ」
「元カレ?女にしか見えないが」
「だから元カレ。元々は彼氏だったんだけど、今は見ての通りよ。言い換えると、今カノとも言えるわね」
「どういうことだ?由依ってレズだったってことなのか?」
「違うわよ。レズじゃないから徹とこんなことしてるんでしょ?」
「そりゃそうだ。女同士だったらこんなに気持ちいいことできないだろうしな」
「それにね……」
由依が意味ありげに少し間を空けた。
しかもそのとき僕の顔を見てニヤリと笑った。
嫌な予感がした。
「元カレのほうがネコで、私がタチだったの?」
「何だ?ネコとかタチとか?」
「知らない?男役がタチで、女役がネコなの」
「それじゃ何か?由依が男役で、男のこいつが突かれてよがってたってことか?」
「そうよ」
「へえ、そうなんだ。それじゃ俺ともアリかもな」
「だめよ、浮気しちゃ」
「いいじゃないか。今流行だろ、男の娘って。一度お手合わせしてみたいなと思ってたんだ。この娘、結構可愛いしな」
「徹って本当に好きね。つき合うのも考えなきゃね」
「そんなこと言うなよ。ただこれだけの男の娘ってなかなかいないぜ。一度だけいいだろ?」
「そんなに言うなら別にいいけど。奈央はどうなの?」
由依は僕のほうを見た。
僕は咄嗟に声は出ず、ただただ首を横に振るだけだった。
「嫌だってさ」
「由依とはニセモンのチンポだったんだろ?モノホンのチンポの良さを教えてやるからやらせろよ」
徹と呼ばれた男は僕の手首を掴んで、引き寄せた。
「や…やめて………」
僕は抵抗しようとした。
しかし、徹の力には全然敵わなかった。
自分がこんなに非力だなんてこのとき初めて知った。
徹は簡単に僕に馬乗りになり、僕の服をはぎ取った。
「何だ、あんまり胸はないんだな」
「まだ女性ホルモン摂って、そんなに経ってないからね?」
僕は由依のそんな言葉に驚いた。
「実は奈央には内緒にしてたんだけど、奈央をペニバンで犯してたとき、ゼリーをつけてて、そのゼリーにたっぷり女性ホルモンを混ぜてたんだ」
そうだったんだ。
僕はこんな状態になったおかげで真実を知ることができた。
「へえ、だから男のわりには肌が綺麗なんだな」
徹が僕の乳首を舐めた。
僕は恐くて何も感じなかった。
それでもしばらくすると自然と声を漏らしていた。
「おっ、調子出てきたみたいだな」
徹はスカートの中に手を入れ、ショーツを下ろした。
男の指がアナルに入ってきた。
「お願い。やめて…」
「そんなふうに言われるとますます燃えてくるぜ」
徹は僕をうつぶせにして、ペニスをアナルにあてた。
「一言言っておくけど、もし、腸の中に女性ホルモンが残ってたら、徹にも影響出るかもしれないわよ」
「このタイミングで言うなよ、ここで止めれるほど俺は我慢強くねえ」
徹のペニスが一気に僕の中に入ってきた。
「スゲェ、メチャ締まるぜ、こいつのケツマンコ」
徹はなかなかいかなかった。
僕は湧き上がる快感のため声を抑えることができなかった。
「あははは…奈央ったら嫌がってたくせに、結構喜んじゃってるみたいね」
僕は悔しくて涙がこぼれた。
それでも突かれている快感に喘ぎ声が漏れた。
「いくぞぉぉぉぉぉ」
徹が腰を打ちつけるようにして僕の中に出した。
「なかなかよかったぞ。チャンスがあったら、またやろうぜ」
徹が僕から出ていった。

「ひどい……」
徹の精液が漏れ出るのを感じながら、僕は小さな声で呟いた。
「奈央は犯されてつらかったのかもしれないけど、私のほうがつらいんだから」
僕には由依の言っている意味が分からなかった。
「私、金曜からの3日間ずっとここにいたんだから」
えっ!
一瞬意味が分からなかった。
どういうこと?
由依は友達と旅行に行ったんじゃ…。
僕は由依の顔を見た。
由依の顔はすでに泣き顔になっていた。
……もしかしたら由依は以前から知っていたのかもしれない。
今回のことはそれを確認するための罠だったのかもしれない。
自分は旅行に出かけた振りをして、僕の行動を見張っていたのかもしれない。
もしかしたらずっと後を尾けられていたのかもしれない。
由依がどこまで掴んでいるのか分からないが、それを確認する勇気もなかった。
そんなことをしても僕たちの関係はもう終わりなのだから。

僕は「ごめんなさい」と搾り出すのがやっとだった。
「謝らないで。私が惨めになるだけだから」
由依の泣きじゃくった顔がつらかった。
僕が再び「ごめんなさい」と言おうとしたとき、「出てって!」と由依が大声で叫んだ。
僕は黙って出て行くしかなかった。
僕は剥ぎ取られた服を着て、部屋から出ていった。


僕はタクシーで飯野の家へ向かった。
予想以上に早い訪問に一瞬奇妙な表情を浮かべた。
それでも僕の様子から何かあったことを察してくれたのだろう。
何も言わずに僕を迎えてくれた。

僕はシャワーで身体を洗った。
徹が僕の身体の中に出したものの形跡を洗い落とすように丁寧に。
そしてそんな記憶も塗り替えるように激しく飯野を求めた。
飯野は僕を優しく抱いてくれた。
僕は飯野の腕の中で何度も絶頂に達した。


「奈央美、俺と結婚してくれないか?」
セックスの後、思いもよらぬプロポーズを受けた。
「えっ、本気で言ってるの?今の日本じゃ同性の結婚なんて認められないでしょ?」
「奈央美にその気があるのなら性転換手術して女にならないか?」
「確かに身体は女性になれるけど、大丈夫なの?」
「大丈夫って何が?」
「博一さんって女の人はダメだって思ってたもの」
「別にダメってことはないさ。奈央美に出会う前はちゃんと彼女がいたさ」
そんな話を聞くと、何だか嫉妬してしまう。
そんな僕の心情を察したのだろう。
「もちろん今は奈央美だけだよ」
とってつけたような言い訳だ。
「分かったわ。でも身体は変えることができても、戸籍までは無理なんじゃないの?」
「医者の治療で性同一性障害とちゃんと認められれば、戸籍の性も変更できるし、変更できれば普通の女のように結婚もできるんだ」
「本当に?」
「ああ、本当だ」
「すぐに女性になれるの?」
「さすがにすぐは無理だろうな。カウンセリングを受けて、治療を受けて…。1年なのか2年なのか…」
「2年もかかったら、博一さんが飽きちゃうんじゃない?」
「確かにその可能性は否定できないな」
「でしょう?」
こういうところは飯野は正直だ。
だから信用できるのだが、悲しくもあった。
僕のそんな気持ちが表情に出たのだろう。
それをフォローするように飯野が言葉を続けた。
「でも奈央美以外は単なる浮気にしかならない。これは間違いない。これまで、そしてこれからも俺が本当に愛するのは奈央美だけだ」
臭い台詞だった。
そんな臭い台詞に心を打たれた。
なぜか涙が出てきた。
「うん、分かった………。私、女になる。女になって博一さんのお嫁さんになる」
僕は飯野の腕の中で幸せの涙を流した。


僕は次の日に病院を訪れた。
女性になるための治療を開始するためだ。

まずいろいろ聞かれた。
僕としてはあまり正直に話すとおかしなことになると思い、適当に脚色して話をした。
たとえば、子供の頃から男であることに違和感を感じていたとか。
もちろんそんな事実はない。
しかし、今となってはかなり昔から違和感があったような気がしないではない。
自分でもどこまでが本当でどこからが嘘なのか認識できなくなっていた。
女装を始めた時期やどれくらいの割合で女装しているかなどを話した。
そんないろいろ聞かなくても僕の今の姿を見れば僕が男より女に向いていることが分かるのに。
百聞は一見に如かずって言葉、知らないのかな?
そんなことを思いながら質問に答えていた。

「今日病院に行ったんだけど、質問されてばっかりだったわ。こんなペースだったら女性になれるころにはお婆ちゃんになってるかも」
僕はその日帰ってきた飯野に愚痴をこぼした。
「ははは、病院だっていろいろと手続き的な質問もあるんだろう。焦ったって仕方がないから、ゆっくりやんなさい」
飯野は僕を宥めるように言った。

その夜も飯野に抱かれた。
おっぱいくらいは早く欲しいな。
そんなことを考えながら飯野に抱かれていた。

それからも病院では身体の検査をされたりするだけだった。
結局、性同一性障害と認定されたのは6ヶ月程が経っていた。
それでもかなり早いらしかった。

「早く女性の身体にしてください」
さすがに痺れを切らして僕は医者に訴えた。
「大丈夫。今日からホルモン療法を始める予定だから」
そう言われて、ようやく注射を1本された。
注射の中の液体が身体に入っていくのを不思議な感じで見ていた。
この1本だけですぐに女性の身体になれるとは思ってない。
それでも、女性に近づける喜びみたいなものを感じることができた。

週に1本注射が打たれ、時々血液検査で異常がないかをチェックされた。

さらに2ヶ月ほどすると睾丸除去をするかを問われた。
すでに生殖器としての睾丸の働きはなくなっているらしい。
それでも女性ホルモンさえ止めれば姿かたちだけでも男として生きていくことができる。
睾丸を取ればもう後戻りはできない。
ここで悩む人は少なくないらしい。
でも僕に迷いはなかった。
「とってください。お願いします」
僕は医者に返答した。

睾丸を取ってからは女性ホルモンの効きが格段に良くなった。
乳房がすぐに膨らんだ。
初めて飯野に胸を揉まれたときには涙が出た。
僕は少しずつだが女に近づいている。
僕にとって最高の喜びだった。

胸が出てくると腰周りの太さが気になってきた。
僕はウエストニッパーで腰を絞り、ウエストを細くするよう努力した。
しかし自分の努力では65センチくらいにしかならなかった。
僕は医者に脂肪吸引してもらうよう依頼した。
そして吸引した脂肪はヒップに入れてもらった。
そのおかげでウエスト59センチ、ヒップ90センチまでになった。
少しは女らしい体形になれたんだろうと思う。

最後にようやく性器の性別適合手術が行われた。
ペニスが取られ、そこに女性器が作られた。
もちろん男性のものを受け入れるところも形成された。

手術後はペニスの喪失感、造られた物の醜さに涙が出た。
しかし時間の経過とともに、生まれたときからそこにあったような綺麗な女性器になっていった。
治療を始めて1年半以上が経っていた。

退院する前に裁判所から戸籍の性の変更が認められた通知が届いた。
同時に名前の変更申請も認められた。
これで今日から僕は『尾村直也』から『尾村奈央美』になった。

「これで本当に結婚できるの?」
「もちろんだ。退院したら、その足で婚姻届を出しに行こう」

術後2週間ほど入院し、退院することになった。
退院するときに飯野が婚姻届を持ってきてくれた。
『妻になる人』の欄に『尾村奈央美』と書いたときは感激した。
『証人』の欄はお世話になった院長先生と婦長さんに書いてもらった。

「それじゃ役所に行こうか」
飯野を信じてなかった訳ではないが、本当にそう言われたときは涙が出た。
本当に涙脆くなったと思う。
役所の窓口に提出するときはドキドキした。
受け取ってもらえなかったらどうしよう?
そんな不安しかなかったのだ。
「おめでとうございます」
そう言って受け取ってもらったときには嬉しさよりホッとした。
僕はこうして『飯野奈央美』になった。

「もうひとつつき合ってくれるか?」
連れて行かれたのは写真館だった。
「女性ってこういう記念は大事なんだろう」
そう照れたように言う飯野が愛おしかった。
飯野は記念ということで婚礼写真を撮ってくれたのだ。
嬉しかった。


新婚としての二人の生活が始まったが、すぐ彼を迎え入れることはできなかった。
もう少し時間が必要だったのだ。


ようやく医者からセックスの許可をもらったのは婚姻届を出してから1ヶ月以上が過ぎていた。

『OKだって』
僕はすぐに飯野にメールを送った。
飯野は普段どんなに早くても帰宅は9時を過ぎる。
その飯野が7時前に帰ってきた。
それだけ楽しみにしてくれているということだ。
そう思うと自然と笑みがこぼれた。

夕食もそこそこに飯野が僕に迫ってきた。
「女になっちゃったけど、本当に大丈夫なの?」
僕はホモである飯野が今の僕を抱けるのか不安だった。
「大丈夫だって。僕は奈央美が好きなんだから」
飯野自身は僕のそんな心配は無用だと言わんばかりだった。

飯野は僕の胸に舌を這わせながら、右手で僕の股間をまさぐった。
「まだ濡れてないな」
飯野がまさぐっていた手を確認した。
「少しずつ濡れるようになるだろうって言われたわ」
「ここは?」
「痛いっ」
飯野が触ったのはクリトリスだった。
濡れていないので痛みだけしか感じなかった。
「そうか。それじゃ今日はいつものを使うしかないな」
飯野がゼリーを僕の股間につけた。
ゼリーをつけられるとクリトリスに触れられても痛みはなかった。
痛みがないどころかすごく気持ち良かった。
「…ぁ…ぃぃ……」
「やっぱり濡れてないとダメなんだな」
飯野はしつこくクリトリスを擦った。
「…んんんんん……」
強い快感が襲ってきた。

「奈央美、それじゃそろそろ行くよ」
飯野が僕の脚の間に入ってきて、新たにできた女性器にペニスが宛てがった。
「何だか恐いわ」
「大丈夫だって。それじゃ行くよ」
飯野のペニスが入ってくるのを感じた。
「い…痛い……」
身体の中でミシミシという音がしているようだ。
気持ちの良さなんてかけら程もない。
文句なしに痛い。
「奈央美、大丈夫か?」
「うん、何とか」
本当は「痛いからやめて」と言いたかったが飯野のために我慢した。
「動いていいか?」
「動かないで」と言ったら本当に動かず我慢してくれるのだろうか。
確かめたい気がしたが、そんな意地悪はやめておくことにした。
僕は黙って頷いた。
飯野は僕の表情を確かめながらゆっくり動き出した。
痛みは少しずつ薄れていった。
それでも快感なんて程遠かった。
飯野は僕が痛がらないことに安心したのか抽送のスピードを速めた。
再び強い痛みが襲ってきた。
「…あああああああ………」
僕は痛みのため声を出した。
飯野はその声を僕が感じているせいだと思ったようだ。
「奈央美、感じているのか」
僕は飯野の期待に応えなければと考えた。
「んっ…んんん……気持ちいい……早く来て……」
飯野は嬉しそうな顔をして、さらに勢いを強めた。
痛みで気が遠くなっていった。
そして本当に気を失った。

気がつくと飯野の笑顔が目の前にあった。
僕の顔を見て微笑んでいたのだ。
「大丈夫?痛かったんじゃないのか?」
僕は正直に頷いた。
「やっぱり。だってほら」
飯野が指差すほうを見ると、そこには少なくない血がついていた。
「いきなり最初から激しすぎたかな?」
手術したどこかが傷ついたのかもしれない。
急に心配になってきた。
僕は明日医者に行くことにした。


翌日、僕を診た医者は患部を診た後笑ってこう言った。
「初めてのときは本物の女性は血を出すんだ。君はもう本物の女性なんだから血を出すのは当然じゃないか」
何てことはない。
破瓜の血だったわけだ。
それならそうと前もって言ってくれればよかったのに。
僕は恨み言を医者に言いたい衝動を抑えて病院を後にした。


2週間くらいは痛いだけで、気持ちよさなんて全くなかった。
クンニしてくれれば少しは気持ちよかったが、合体による快感はなかった。
もう感じることなんて一生来ないのかもしれない。
そんなふうに考え、手術したことを後悔し始めていた。

そんなある日のことだった。

「奈央美、ちょっと濡れてるぞ」
飯野に言われ、股間に手をやった。
かすかに湿り気があるような気がする。
その後もじっくり指で僕の女性器を甚振った。
「ほら…」
飯野が僕の顔の前で親指と人差し指をつけたり離したりした。
その指の間に粘液が糸を引いていた。
「今日はこのまま合体してみようか」
僕は少し恐かったが、頷いた。
「痛かったらすぐに言うんだぞ」
そう言って飯野がペニスを入れてきた。
半分も入ってない段階で痛みが来た。
「痛いっ!」
「やっぱりまだ無理なのかな」
そう言いながら飯野は僕の股間に顔を埋めた。
そして飯野がクンニし始めた。
いつも以上に丁寧なクンニだった。
僕もいつも以上に感じた。
そうして再び挿入してきた。
今度はスムーズに挿入できた。
「やっとゼリーなしでいけたね」
その日、飯野が腰を振るたびに部屋に響く音がいつもよりいやらしく聞こえたのは心理的な変化のせいだけではなかっただろう。

その日を境に僕は濡れるようになり、少しずつ快感を得られるようになった。
これで女性としての自信を深めることができそうだ。



僕が女性としての快感を感じられるようになったころ、ふと由依のことを思い出した。
由依のことを考えることができるくらいは気持ちに余裕ができたということだ。
何とか女性として生きていける自信が出てきたことで、周りのことに意識が向いたのだと思う。
僕は由依に手紙を送った。

由依様
お元気ですか?
ご無沙汰しております。
私は写真のようにある男性と結婚しました。
戸籍も女性になって法律的にも彼の妻です。
もしよかったらお返事ください。
元尾村直也改め飯野奈央美より


すぐに由依から返信がきた。

奈央へ
結婚おめでとう!
今は奈央美さんってことだけど、奈央の方がしっくりくるから奈央って書くね。
私はまだシングルです。
奈央に先を越されるとは思わなかったな。
ちょっとショックかも…。
私は女の幸せを捨てて仕事に頑張ってます。
何とつい最近係長になっちゃいました。(パチパチ)
私の携帯は前のままだから良かったら電話ちょうだいね。
どこかでお茶でもしよう♪


僕はすぐに由依に電話した。
由依は見知らぬ携帯番号だったせいか最初は警戒しているような声で電話に出た。
僕だって分かると急に涙声になった。
『本当に本当に奈央なの?』
「うん、ずっと連絡しなくてごめんね」
『そんなこと、もういい。奈央、今幸せ?』
「うん、幸せよ」
『奈央、奈央はずっと私の友達だよ』
「うん……」
二人とも泣きじゃくって会話にならなかった。
とにかく近々会うことを約束して電話を切った。



夫である飯野とのセックスではようやくいけるようになった。
そして、元カノの由依と仲直りでき、精神的にゆとりを持てるようになった。
男性から性転換した女性ではなく、ようやく普通の女性になれたのだ。
そんなふうに思うことができるようになった。


僕は今専業主婦だ。
飯野自身が僕が外に働きに出ることを望まないので、専業主婦になったのだ。
もちろん飯野の稼ぎが二人で生活するには充分すぎるものだったこともある。
時々由依と会って買い物なんかもするが、毎日家事をして飯野の帰りを待つ身だ。

「はぁ……」
退屈な時間の繰り返しに相変わらずため息をついている。
僕の癖は今も直ってない。
でもそんな退屈さが今の僕にとって幸せの証なのだ。


《完》

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