ヤドカリ



「しのぶちゃん、あなたはヤドカリなのよ」
「ヤドカリ?」
「海にいるヤドカリさんは知ってるでしょ?あのヤドカリさんと同じなの」
「?」
「ヤドカリさんは自分が大きくなって、自分の身体に貝が合わなくなったら、合う貝を見つけて、新しい身体にできるでしょ?」
「そうなの?」
「そうなの。だからしのぶちゃんも大きくなったら、自分の合う身体に変えなくちゃいけないのよ」
「やだよ。僕は僕のままがいい」
「そんな我が儘言わないで。そうしないと死んじゃうから」
「でも身体を変えちゃうと僕はママの子供じゃなくなるんでしょ?」
「そんなことないわ。しのぶちゃんはいつまでもしのぶちゃんよ。どんな身体になったってママには分かるから」
「本当?本当に本当?」
「ママ、しのぶちゃんに嘘ついたことある?」
「ううん」
「でしょ。だからママを信じて」
「分かった。だから僕、ずっとママの子供でいさせてね」
「もちろんよ」


白鷺しのぶは中学3年生。
軟式テニス部に所属している。
来たる中学校生活最後の県大会を控えて毎日猛練習に励んでいた。

「白鷺、お前最近調子いいじゃねえか」
「そりゃそうさ。だってもうすぐ大会なんだからな。気合いも入るさ」
しのぶは親友の児島春樹と部活から帰宅するところだった。

春樹とは幼稚園の頃からのつき合いだった。
ほとんど似ているところのない二人だったが、結構ウマが合い、小さい頃から仲が良かった。

春樹は身長が178センチもあり、頭も顔もよかった。
軟式テニスでは力強いストロークで、まさに力づくで相手をねじ伏せるといった感じの試合運びだった。
当然女子たちにもてた。
しかし、春樹はそんな女子には見向きもせず、まさにテニス一筋で部活に頑張っていた。

それに比べてしのぶはまだ160センチに満たなかった。
女の子のように可愛い顔立ちで、身体は一見華奢に見えた。
部活で鍛えているのだから、それなりに筋肉がついてもいいはずだった。
しかし、いくら部活で筋トレしても、あまり筋肉がつかないのだ。
そういう体質なのだろう。
それでも、しのぶには天性のバネのようなものがあった。
軟式テニスでもその才はいかんなく発揮された。
しなやかなストロークからは予期せぬリターンが返った。
ちょっとした手首の使い方でストレートとクロスを打ち分けるのだ。
春樹でさえ読み切ることは困難だった。

そんな春樹としのぶは当然部活でもトップを争っていたのだ。
これまでの県大会でも当然二人ともシングルスでベスト16までは残った。
親友でライバル、とはまさに二人のことを言うのだろう。

「とにかく調子に乗りすぎて、怪我をしないように注意しろよ」
「もちろんだ。それじゃまた明日な」
「おう!」
しのぶは春樹に別れを告げ、自宅へ向かった。


結局最後の大会はしのぶにとって不本意な大会になった。
ベスト16までは完璧な勝利をおさめた。
この勢いでいけば大会の優勝も夢ではなかった。
しかし急に体調を崩してしまい、準々決勝をかけた試合はフルセットの末敗れてしまった。
一方春樹は何度か危ない試合があったが、何とか優勝することができた。
「白鷺、やったぞ」
「ああ、見てたよ。おめでとう」
ライバルが優勝する姿は嬉しくもあったが、悔しさのほうが強かった。
とにかくしのぶの中学生としてのテニスは終わってしまった。
明日からは来春の高校進学に向かって受験生として頑張るしかない。

しのぶの体調の悪さは大会が終わってもずっと続いていた。
しかし母は全く心配していなかった。
「しのぶちゃんもそういう年齢になったのね」
と感慨深く言うだけだった。
確かにあと10日ほどすると、15歳の誕生日を迎える。
それにしても15歳になることと体調の悪さがどういう関係なのかよく分からない。
母に聞いてもニコニコ笑っているだけだ。
ひとつだけ確かなことは誕生日には母の田舎に行くことになっているということだ。

母の田舎は最寄の鉄道の駅から車でさらに1時間近く行かなければいけない。
駅近くの形ばかりの商店街を過ぎると、すぐに山道に入る。
人家はほとんどない。
狐や狸しかいないような山道だった。
その山道を50分ほど走っていくと、急に集落が現れる。
それが母の田舎だ。
つまりかなりの僻地にあるわけだ。

小学校に入るまでは時々母に連れて行かれたが、かなりの期間行っていない。
田舎との往復だけでもかなり大変な負担だ。
体力的にも金銭的にも、だ。
しのぶの父親はすでに他界していた。
しのぶには父親の記憶などはない。
物心がついたときにはすでに亡くなっていたのだ。
原因は詳しくは知らない。
子供心にも母にはそのことを聞いてはいけないように感じていたのだった。
いずれにせよ母一人子一人でそれほど裕福な暮らしをしているわけではない。
往復するだけでかなりの出費になる。
したがってしのぶの電車賃が必要になる年齢になってからは田舎に帰ってないのだ。
しのぶもすでに中学生。
もちろん電車に乗るには大人料金が必要だ。
つまり幼いころに田舎に戻った頃より倍のお金が必要となる。
そんな金銭的な負担をしてまで田舎に帰らなければいけない理由があるのだろうか?
きっと何かあるのだろう。
しのぶは何となく怪しい雰囲気を感じながらもどうすることもできずにいた。
自分の体調の悪さから意識過敏になっているかもしれないとも考えたのだ。


いよいよ明日は誕生日だ。
しのぶは午前中の授業を終え、すぐに家に帰ってきた。
すぐに母の田舎に行くためだ。
幸いにも週明けの月曜日は祝日になっており、帰る日も学校は休みだ。
学校を休まずにすむ。
体調が悪いときにも皆勤を目指して欠席しないように頑張ったのだ。
母によると例え学校のある日でも休ませて行くつもりだったらしい。
母は何を考えているのだろうか?
しのぶが受験生という立場を分かっているんだろうか。
母の表情はどこかしら緊張していた。
しのぶが話しかけてもほとんど無言だった。
母のそんな雰囲気はしのぶに少なからず影響を与えた。
しのぶの緊張感も増していき、口数が少なくなっていた。
母の実家が近づくにつれ、二人が言葉を交わすことはなくなっていった。

母の実家に着いたのは、深夜だった。
日付は日曜に変わったばかりだ。
実家の人はもう寝ているようだった。
誰の気配もない。
「お爺ちゃんたちはどうしたの?」
「もう遅いから寝てるの。しのぶも今日はもう遅いから、もう寝なさい。明日の朝は早いから」
「えっ、朝からどこかに行くの?」
「本家へ行くの」
「本家?やだな」
しのぶにとって本家に行くと母が虐められるというイメージがあった。
それは幼い頃にそういう場面を何度も見たせいだった。
「どうしても明日は行かなくちゃいけないのよ」
「……分かったよ」
しのぶは渋々了解した。
「朝と言っても夜明け前に行くから4時ごろね。今から寝ても3時間ちょっとしか寝ないけど、それでも寝たほうがいいわ」
「そんなに早いの?」
「だから早く寝なさい」
母は部屋から出て行った。
そんなに早いんだったら中途半端に眠るよりは徹夜のほうがいいように思えた。
布団に入るだけ入って起きておこう。
そう思ったが、布団に入って10秒も経たないうちに意識がなくなってしまった。

「しのぶ、起きなさい」
いつの間にか眠ってしまったようだ。
時計はまだ3時半だった。
3時間ほど眠ってしまったようだ。
それに比べて母は全く寝ていなかったようだ。
目の下にうっすらクマができていた。
しのぶは何も食べずにすぐ本家に連れて行かれた。
まだ夜明けを迎えていないせいかすれ違う車もない。
10分ほどで本家に着いた。

「おはようございます。香代子です。息子を連れてきました」
「待っておった。門は開いておるから入ってまいれ」
「はい」
母は神妙な面持ちで本家の家に入って行った。
しのぶもその後にしたがった。

客間らしきところで待っていると、程なくして女の人がやってきた。
母よりも少し年上な感じがした。
「息子さんをこちらへ」
しのぶが母の顔を見ると、「行きなさい」というように軽く頷いた。
「何が始めるの?」
母にそう聞いても何も答えてくれなかった。
真っ直ぐ前方を見ているだけだ。
訳が分からないまましのぶはその女の人の後をついていった。

連れて行かれたところに、さらに女性が二人いた。
二人はさらに年上のようだった。
50歳前後といったところだろうか。
一人の女性がしのぶに服を全部脱ぐように命じた。
しのぶが躊躇っていると、有無を言わさぬ感じで服を剥ぎ取られた。
「何するんですか!」
「黙って、そこに座りなさい」
全身を湿った布で拭かれ、そして、白装束を着せられた。
「少し待っててください」
女3人が部屋を出て行った。

しのぶは正座した。
何となく厳かな儀式でも始まるように思えたからだ。
廊下から足音が聞こえてきた。
誰かが近づいてきているようだ。
いよいよ何かが始まるのだ。

足音が部屋の前で止まった。
そして音もなく襖障子が開いた。
そこには高齢の老人が立っていた。
おそらくこの老人が本家の主人の宗志郎なのだろう。
幼いころに会ったはずだが、全く思い出せない。
目の前の老人は立っているのもやっとに見える。
しのぶにはさっきまで聞こえていた足音と目の前にいる老人の姿が結びつかなかった。
足音がするほどの歩き方ができるとは思えないのだ。
しかし一歩足を踏み出すと、想像以上にしっかりした足取りなことが分かった。
確かにさっきの足音はこの老人のものだったのだ。

「お前が香代子の息子のしのぶか」
「…はい」
しのぶは真っ直ぐ老人を見つめた。
老人もこちらを見ていると思うが、定かではない。
「これから始まることは何か聞いておるか?」
「いいえ、何も…」
「そうか、何も聞いておらぬか。仕方ない、簡単に説明してやる」
その老人は小さく咳払いした。
「我が白鷺家では代々伝わる儀式がある。それは成人になるときに行うことになっているのじゃ」
「……」
「しのぶも今日で成人じゃ」
「ちょっと待ってください。僕はまだ15歳です。成人式にはまだ5年あります」
「そんな最近の法律の話をしているのではない。昔から大人になるときには元服というものをやってきたのじゃ。元服は大体15歳前後くらいにやるものじゃ」
「だから今日?」
「そうじゃ、今日お前にも成人の儀をしてもらわないといかん」
「具体的には何をすれば…」
「我が白鷺家では成人に迎えるにあたって身体を取り替える習わしになっておる。しのぶも身体を取り換えなくてはならぬ」
身体を取り替える?
何を言ってるんだ、この老人は?
しのぶは老人の話が理解できなかった。
老人はそんなしのぶを無視して神棚に向かって何かを唱え始めた。
お経か何かだろうか?
何を言っているのかさっぱり分からない。
それは30分近く続いた。
その間、しのぶは老人の後ろでずっと正座していた。
そして幼いころ母に言われた言葉を思い出していたのだ。

「しのぶちゃん、あなたはヤドカリなのよ」
「ヤドカリさんは自分が大きくなって、自分の身体に貝が合わなくなったら、合う貝を見つけて、新しい身体にできるでしょ?」
「しのぶちゃんも大きくなったら、自分の合う身体に変えなくちゃいけないのよ」
「そうしないと死んじゃうから」

もしかしたら今のこの状況のことを言っていたのだろうか。


「それではついてまいれ」
お経が終わったようで、老人が立ち上がった。
「ちょっと待ってください。もし身体を取り替えないとどうなるんですか?」
「そんなことは許されん。身体を取り替えなければ、お前は成人として認められん」
「でも僕は僕のままでいたいんです」
「取り替えないと死んでしまうと言い伝えられておる。しかし、これまで取り替えなかった者はいないから本当のところはどうなるか分からん。お前の意思の力で取り替えずに済むかもしれん」
とりあえずついて行って、何もせずに戻ればいいんだ。
もし死ぬとしても、身体を替えるくらいなら死んだほうがマシかもしれない。
そのときしのぶにはそんな考えが頭にあった。

しのぶは老人の後をついて行った。
廊下を突き当たりまで来ると、そこに地下に通じる階段があった。
地下なんてものが本家にあるとは思わなかった。
何が待っているのだろうか?
老人は階段を下りていく。
しのぶも階段を下りていった。
階段を下りて、少し歩くとそこに扉があった。
重くて、ちょっとやそっとでは開きそうにない扉だった。
その扉の前に立つと、老人が振り返り、しのぶに対峙した。
「ここから先はお前一人で行くのじゃ」
老人が言った。
「ここに入ればお前が思う通りに動けばいい。さっきも言った通り、ここに入れば身体がいくつもある。その身体には魂がないのじゃ。その中にはお前の次の身体になるべき身体もあるはずだ。お前は自分の思うがままに好きな身体を選ぶがいい。身体のほうもお前を求める。双方で求め合えば、お前は新たな身体を手に入れることができるのじゃ。もしお前が替わりたくなければ何も求めなければ良い。ただしその結果どうなるかは儂にも分からん。お前にその覚悟があればそうするのも良かろう」
老人が真っ直ぐしのぶを見た。
しのぶも見返した。
どうやら逃げることはできないようだ。
とにかくこの中に入るしかない。
そう思った。
「それでは行ってきます」
扉が独りでに開いた。

しのぶがそこに入ると、すぐに扉が閉まった。
真っ暗で何も見えない。
「灯りはないのかな…」
そう言いながら、手探りで数歩進んだ。
すると急に眼の前が明るくなった。

「えっ……」
目の前には信じられない光景が広がっていた。
身体が何体もあったのだ。
年齢はいろいろだった。
男の身体も女の身体もあった。
どれも全裸だった。
生きているようには見えず、蝋人形のようだった。
どれだけの数の身体が並んでいるのだろう。
しのぶが見えている範囲は全て身体が並んでいた。
まさに圧巻だった。

「こんな中から身体を選ぶなんて…」
同年代の男らしくて背の高い男の身体を選べば、もてるかもしれない。
そんな邪な考えも浮かんだ。
(いや僕はこのままの姿で戻るんだ)
そう思い、そのままそこから出ようとした。
しかし、どこにも出口は見当たらない。
懸命に探したが、やはり存在しないようだ。
もしかすると、新しい身体を選ばないと、ここから出られないのかもしれない。
そう思っても、しのぶは必死に出口を探した。
そんなとき、綺麗な女の子の身体が目に留まった。
顔はもちろん身体もすごく綺麗だ。
全裸なのに全然いやらしくない。
年齢もちょうどしのぶくらいのようだった。
しのぶはなぜかその身体から目を離すことができなかった。
しばらくその状態が続いていたかと思うと、急にその身体が白い光に被われた。
その光が少しずつ強くなってきたかと思うと、一気に目も開けていられないほどの強さになった。
(眩しい)
しのぶはその瞬間目を閉じた。
すると、身体がフワッと浮いたような感じになり、それとともに意識が薄れていった。


どれくらい意識を失っていたのだろう。
気がつくと辺りはすっかり明るくなっていた。
そして目の前には心配そうな母の顔があった。
(あ、ママ……)
声を出そうとしたが、なぜか声が出なかった。
「しのぶちゃん、気がついた?」
その言葉に違和感を感じた。
"しのぶちゃん"なんて呼ばれたのは随分久しぶりだ。
呼ばれていたのは幼いころだった。
小学生になりいつの間にか"しのぶちゃん"が"しのぶ"に変わり、今に至っている。
どうして今ごろになって"しのぶちゃん"なのだろう?

起き上がろうとしたが、身体がうまく動かない。
自分の身体に何かあったのだろうか?
しのぶは自分の不安な思いを込めて母を見た。
母にはその視線に込めた意味が伝わったようだ。
「もう少しじっとしていたほうがいいわ。もう少ししたら新しい身体に馴染んで動かせるようになるから」
そうにこやかに言った。
しかし、その返事の中にさらなる不安要素があった。
新しい身体?
しのぶは身体を選んだ覚えはなかった。
選んでいないにもかかわらずどうして?
そう思ったときにある事実を思い出した。
あの身体に目が離せなくなったことを。
……まさか…。
「あ…ああ………」
言葉を発しようとするが、言葉にならなかった。
ただ言えることは、その声は以前のしのぶのものに比べて高いものだったことだ。
いやな予感が頭をよぎった。

しのぶは身体を動かそうともがいた。
少し経つと、ようやく指を動かせるようになった。
指を動かせるようになると、手も腕も動かせるようになるのにそれほど時間を要さなかった。
動かせるようになった手を自分の胸に移動させた。
予想通り、そこには柔らかな膨らみがあった。
「わあああああああ……」
しのぶは叫んだ。
言葉にはならない。
しかし大声を出さないと気が変になりそうだった。
「いやだ、いやだ、いやだぁぁぁぁぁ……」
いつの間にか言葉を発することができるようになったらしく、大声で叫んでいた。
その声は声変わりする前よりも明らかに高い声だった。

そんな騒ぎを聞きつけて、何人かの者が駆けつけた。
その中に朝の老人もいた。
本家の主人の宗志郎だ。
「何を騒いでいるんだ?」
駆けつけた者の中の一人が聞いた。
「すみません。しのぶが新しい自分の身体に驚いていまして」
母が言い訳するように説明した。
「どういうことなんだ?新しい身体は自分で選んだんだろう?そうでないと身体は手に入らないはずだし…」
「そうだと思いますが…」
母のそんな言葉が聞こえた。
「ボクはこんな身体を選んだりしていない。ボクはボクのままでいたいんだ」
「しのぶ、どんな身体でもあなたはあなたなの。ママは分かるって言ったでしょ!」
「だけど、こんなことって…」
違う身体になっただけでもきっとショックだろうに、まさか異性になるなんて…。
しのぶには到底受け入れがたいことだった。
自然と涙が出てきた。
そんな様子を見ていた宗志郎が口を開いた。
「しのぶ、そんなに言うなら、もう一度、あの部屋に入ってみるか?ただしさっきと違って何も起こらないかもしれんぞ。そなたがそれでも良いのなら、もう一度入ることを許すが、どうじゃ?」
「はい、もう一度連れてってください。お願いします」
しのぶは目の前の老人にお願いした。
「わかった。それでは参ろうか」
宗志郎が部屋を出て行こうとした。
しのぶはついて行くために立ち上がらなければいけない。
そのために身体を反転させてうつ伏せの状態になった。
そして腕の力で上半身を上げようとするが、まだ身体が思うように動かなかった。
「ちょっと待ってください。まだ身体を自由に動かせなくて」
「そうか。ならば動けるようになれば廊下の突き当たりまで参れ」
「あ、でも、待っていただくのは申し訳ないので、ボク一人で行きます。さっきの場所ですよね?大丈夫です、一人で行けますので」
「地下室は儂でないと行けないのじゃ。つまり儂が一緒でないと地下には行けん」
「……そうなんですか。でしたらすいませんがお願いします。すぐ行きますので」

しのぶがうつ伏せになって身体を浮かそうとすると、視界に長い髪の毛が入ってきた。
白く華奢な腕が見える。
そして何よりも胸の膨らみが重力に引っ張られているのを感じる。
自分の身体が女性のそれになっていることを思い知らされるのだ。
(畜生……)
しのぶは歯を食いしばって懸命に立ち上がろうとした。
3分ほど経ったころ、ようやく何とか立ち上がることができるようになった。
しのぶは壁伝いに懸命に歩いた。
しのぶは相変わらず白装束を着せられていた。
下着はまったく身につけてなかった。
体重を壁に預けて歩いていると、どうしても胸の膨らみが気になった。
胸の先が着物の裏地に当たって痛いのだ。
身体が思うように動かせないのと、胸の膨らみのせいで、いつもだと1分もかからない廊下の突き当たりまで数分要した。

廊下の突き当たりには宗志郎の姿はなかった。
おそらく待ちくたびれて自室に戻ったのだろう。
しかししのぶは宗志郎の部屋を知らなかった。
さらには、地下への階段も存在しなかった。
今朝は存在したはずのものが見当たらなかったのだ。
やはり宗志郎がいないと地下に行けないというのは本当らしい。
宗志郎を探さないといけないようだ。
しかし今の体調で無闇に歩き回る自信はない。
とにかく一休みしていよう。
しのぶはその場に座り、白装束の襟元を整えた。
必死に歩いてきたため、かなり乱れていたのだ。

しばらくそこで座っていると、やがて宗志郎がやってきた。
「かなりつらそうじゃが、大丈夫か?」
「は、はい、もちろんです」
「それでは参ろう」
宗志郎が地下への階段を下りていった。

どうして?
いつの間に階段が?
ついさっきまでは確かに壁だったはずだ。
しのぶは狐につままれたような気持ちだった。
……しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。
しのぶは震える足で必死に階段を下りていった。

しのぶは宗志郎と扉の前までやってきた。
「これまでもお前のように新しい身体に納得できず、再度部屋に入った者はいたと聞いておる。しかし、身体がさらに新しくなった者はいないとも聞いておる。それでも入るか?」
「はい、もちろんです」
「中で何が起きたのかは聞いたことがない。もしかするとお前にとってつらいことかもしれんが、それでもいいんじゃな?」
「はい、お願いします」
「それでは行ってまいれ」
「はい、行ってきます」
扉が開いた。


しのぶがそこに入ると、すぐに扉が閉まった。
やはり真っ暗だった。
手探りで数歩進んだ。
すると急に眼の前が明るくなった。
「えっ……」
目の前の光景はさっき見た光景とは全く違う光景だった。
無限の身体があったわけではない。
何と目の前にしのぶの元の身体が全裸で横たわっていたのだ。
他人になって自分の身体を見るとは思わなかった。
「ボクの身体……」
しのぶは手を伸ばし元の身体に触れた。
温かく、ただ眠っているだけのようだ。
魂が抜けているだけで身体は生きているのだろうか。
それよりも、どうすればこの身体に戻れるのだろうか?

しのぶはその身体の前で立っていた。
立って、その身体をジッと見つめていた。
そうすればさっきみたいに身体が光り出し、身体を手に入れられると考えたのだ。
しかしいくら待っても期待したことは何も起こらなかった。
ただ唯一の変化と言えば、眠っているような身体のペニスに変化が見られたことだった。
元自分のものとは言え、そんな変化は恥ずかしくて見たくなかった。
しのぶは顔を赤らめ、視線を外した。
なぜ魂が入っていないのにあんなところが変化するのだろう。
もしかするともうすぐ目覚めるから大きくなっているのだろうか?
まさに朝立ちだ。
再び身体を見た。
そこはすっかり大きくなっていた。

しのぶは魅入られたようにペニスから目が離せなくなった。
今の身体を見つけたときと同じだ。
ついに元の自分の身体を取り戻せそうだ。
もうすぐこの身体から光り出すのだろう。

しかしなかなか光らなかった。
光らない代わりにしのぶの中に妙な感情が湧き上がってきた。
大きくなったペニスに触れてみたい。
なぜかそんな欲求が湧き上がってきたのだ。
どうしてそんなことを考えるのだろうか。
しのぶは必死にその欲求を抑えこもうとした。
しかしそんな努力は無駄だった。
身体が意思に反して動いてしまうのだ。
ついに手を伸ばし、ペニスに触れた。
それは硬くなっていた。
握ってみた。
熱く力強く脈打っている。
心臓の動きも同期してきているようだ。
元の身体と今の身体が一体化している。
元の身体と今の身体の境界が意識の上で曖昧になっていた。
本当に一体になりたい。
そんな欲求が湧いてくることにしのぶ自身恐怖を覚えていた。

手の中のペニスがさらに硬度を増してきた。
それを手にしているうちにしのぶにはさらなる感情が生まれていた。
しかしそんなことは絶対に無理だ。
できるわけがない。
それでもその感情はどんどん強くなってきた。
やがて自分の行動を抑えることが難しくなるほど感情が強くなっていた。
意に反して身体が動いてしまう。
しのぶは自分の意に反しペニスに顔を近づけた。
(いやだ、やめてくれぇ)
頭の中ではそう叫んでいるのだが、身体が言うことを聞いてくれない。

ついに陰茎を舐めた。
さらには亀頭に舌を這わせた。
別にいやな臭いはしない。
最初はイヤイヤ舐めていたが、次第に何も考えずにその行為に没頭しつつあった。
尿道口を丁寧に舐めた。
そして陰嚢を舐めた。
何となく元の身体が喜んでいるように思えた。
そしてついにペニスを咥えた。
自分がそうすることが当然のように感じていた。
喉の奥まで陰茎を咥えた。
口を窄めて頭を上下に動かした。
しのぶは何も考えてなかった。
ただただ身体が動くままに動いた。

しのぶは白装束だけで下着はつけていなかった。
しのぶの股間はビショビショに濡れていた。
元の身体に跨がると、ペニスを股間にあてがった。
そうすることに何の疑念も浮かばなかった。
ゆっくりと腰を落とした。
大きく硬くなったペニスが身体に侵入してくる。
初めての感触だ。
被挿入感。
そこで我に返った。
僕はいったい何をしてるんだろう?
そうは思ってもほとんど無意識に腰を上下に動かしていた。
そして行為をやめることはできなかった。
「…あ…あああ……」
自然と声が出てくる。
快感だけを求めてその行為を続けた。
そしてさらに強い快感を求めて、さらに激しく腰を上下させた。
「…ああ……いく…いくぅぅぅぅぅ………」
身体の中に精子が吐き出された。
「…あああああ……いいぃぃぃぃぃ……………」
しのぶは身体を痙攣させていた。
最高の快感だ。


気づいたときにはすでに今朝気づいた部屋にいた。
目の前には母の顔があった。
今度は自由に身体を動かせた。
すぐに自分の身体を確認した。
予想通り女のままだった。
そんなことよりしのぶは自己嫌悪に陥っていた。
自分の元の身体とセックスするなんて信じられない。
女のセックスの快感で籠絡しようというのだろうか。
誰の意思なんだろう。
それにしてもそんなものにのってしまった自分が悔しい。
しのぶは母と視線を合わすことなく、横を向いて、涙を流した。

「しのぶちゃん、そろそろ帰らないと…」
母が促した。
「こんな姿で帰ったって誰も僕のこと分かんないよ」
しのぶは布団で横になったままの状態だった。
「それは大丈夫じゃ」
しのぶは声のするほうを見た。
そこには宗志郎がいた。
「我々一族には今朝までのしのぶの姿を覚えておるが、我々一族以外の者はすでに今のしのぶの姿しか記憶にはない。そのように記憶が訂正されておる。だからしのぶはしのぶのままなのじゃ」
しのぶには意味が理解できなかった。
「どういうこと?そんなことができるの?」
「大した訂正ではない。そもそも人の記憶なんてそれほど厳密的なものではないのじゃ。記憶に今のしのぶの姿を刷り込めば、人は勝手に矛盾のでないように己の記憶を書き換えてしまうのじゃ」
理屈は理解できないが、人の記憶なんてそんなものなのかもしれない。
「しのぶ、とにかく帰れ」
宗志郎がそう促した。
「もし3年以上経って、どうしてもその身体が嫌なら、また来るが良い。本来成人のときのみなのじゃが、過去に19歳のときに再び身体を入れ替えた者がいたと聞く。だからその身体が嫌だからと言って、己の生命を奪うという馬鹿なことはするんじゃないぞ」
「本当ですか!」
「ああ、だからその日まで己の魂を磨け。さすればそれに相応しい身体になるやもしれん」
「分かりました!」
しのぶは立ち上がった。
相変わらず白装束を着せられていた。
「帰ってくれるの?」
「仕方ないだろ、帰るよ。服は?」
「あ…そうね。ちょっと待って」
母が用意したのは古いセーラー服だった。
もちろん女の子の下着もあった。
「何だよ、これは?こんなの着れるわけないだろう」
「そんなこと言ってもこの家にあるのはこれくらいなの。これを着ないんだったら、どうやって帰るの?」
「僕が着てきた服があるだろう。それでいいよ」
母がしのぶの服を持ってきてくれた。
しのぶはその服を着ようとした。
「しのぶ、お願いだから下着だけは女の子のものを着て」
「どうして?」
「女の子の身体はデリケートなの。せめてブラジャーはつけて、お願い」
「……分かった、よ。ブラジャーはつけるよ。その代わり服はいいだろ?」
「ええ、そしたらそうしましょ」
しのぶは用意された女の子の下着を手に取った。
男のものとは違って、後ろ前がよく分からなかった。
「どっちが前?」
「こっちよ」
母が指差した。
しのぶはそちらを前にして脚を通した。
男のときと違ってピタッと股間につくのが妙な感覚だった。
「ブラジャーは初めてでしょうから、つけてあげるわ」
しのぶはブラジャーのストラップに腕を通した。
そして背中を母に向けた。
母が慣れた手付きでブラジャーのフォックを留めてくれた。
何となく締めつけられる感覚があった。
「ちょっと苦しいな」
「サイズが合ってないかもしれないせいかもしれないわね」
そしてしのぶは自分が着てきたものを着た。
少し大きかった。
身長がさらに低くなったようだ。
ズボンの裾を折って調整した。

おじいちゃんとおばあちゃんに挨拶するために一旦母の実家に戻った。
おじいちゃんもおばあちゃんもしのぶの姿を見ても何も言わなかった。
「お世話になりました」
しのぶと母は家に向かった。
家に着くまで、しのぶは母とまったく会話がなかった。

しのぶは家に着くと、すぐに自分の部屋に入った。
母と顔を合わせているのが嫌だったからだ。
しかしすぐに母を呼ぶ羽目になった。
「ママ、この部屋、何なの!」
少女趣味とまではいかないが、明らかに女の子の部屋になっていた。
部屋に置かれているものは寒色よりも暖色のものが多いような気がする。
ベッドに敷かれた布団は淡いピンクだった。
そして一番ショッキングだったのは掛かっていた制服はセーラー服だったということだ。
タンスの中もおそらく…。

母がやってきた。
そして部屋の様子を見て、小さくため息をついた。
「何なのって言うから何事かと思っちゃったわ。いい?しのぶちゃん。しのぶちゃんの周りのいろんなことが今のしのぶちゃんに相応しいように変わってるの。この部屋もそうだし、学校だって変わってるはずよ」
「そんな…」
「とにかく少しずつ新しい環境になれなきゃいけないの。今日は疲れてるでしょうから、早く寝なさい」
母は少しの間しのぶの返事を待っていたようだが、しのぶが何も言わないと判断したのか黙って部屋に戻っていった。

母が去ると、しのぶは恐るおそるタンスの中をチェックした。
予想は当たっていた。
色とりどりの下着があった。
もちろんブラジャーもあった。
ブラジャーがカップの部分を重ねるよう綺麗に並べてあった。
スカートやホットパンツもあった。
スポーツ服が入っているところにはジャージに並んでスコートやアンダースコートまであった。
しのぶはアンダースコートを手にとった。
(こんなの着れるかよ…)
頭が痛くなってきた。

とにかく嫌なことは一旦忘れて寝よう。
しのぶはパジャマを探した。
タンスの下のほうの引出しに入っていた。
それは白地にピンクのハートマークが散りばめられたパジャマだった。
ネグリジェでなくて良かった…。
しのぶは少し安心した。

服を脱ぎ、下着だけになった。
寝るときにはブラジャーは外すのだろうか?
よくは分からないが、少し苦しかったので、外すことにした。
背中に手を回し、フォックを外そうとした。
すると一回で簡単に外すことができた。
ブラジャーを取るとかなり楽になった。

鏡で今の姿をあらためて見た。
顔は可愛いし、綺麗だ。
…と思う。
自分でなければきっと好きになっていた。
…と思う。
しかし残念ながら鏡に映っているのは自分自身なのだ。
自分だと思うと、裸を見ても、それほど興奮しなかった。
それより胸が少し残念な大きさなことが気になった。
(あ〜あ、もう少し胸があればなぁ…)
無意識に胸に手を当てた。
そしてそんな行為をした自分に愕然とした。
(こんなことを考えるなんて…。頭の中まで女になってしまってるのか…)
しのぶは鏡から離れ、パジャマを着た。
そしてそのままベッドに入った。
きっと疲れていたのだろう。
あっという間に眠ってしまった。


次の日、どういうわけか朝早くに目が覚めた。
自然と掛かっているセーラー服に目がいった。
マジでこんなものを着なくちゃいけないのだろうか?
2日前まで男だった自分がセーラー服なんて。
やっぱり無理だ。
こんなものを着て、学校に行くなんて。
こんなものを着て、児島に会えるわけなんかない。
しのぶは再びベッドに入った。
ドアの向こうから母の声がした。
「しのぶちゃん、そろそろ起きなさい」
しのぶは返事をしなかった。
「しのぶちゃん、入るわよ」
母がドアを開けて、入って来た。
「どうしたの?気分でも悪い?」
しのぶは何も言わなかった。
「今日は学校どうするの?」
「………行かない」
母は小さく溜め息をついた。
「そう…、分かった。ただし今日だけよ。明日からはちゃんと学校に行きなさいよ」
特に怒るわけでもなく、母はそう言って部屋から出て行った。

「確かにいつまでも家に籠ってるわけにはいかないよな…」
しのぶはベッドでゴロゴロしながら考えるともなく悩んでいた。
しかし解決策なんてあるわけがない。
とにかく現状を受け入れて行きていくしかないのだ。

グゥ〜〜〜。
お腹が鳴った。
そう言えば昨日から満足に食事を摂っていない。
食べる気にならなかったからだ。
時計は12時になろうとしていた。
丸2日ほど何も食べていないことになる。

「何か食べる物はないかな?」
しのぶはキッチンに行った。
母の姿はなかった。
食べ物は食パンがあるだけだ。
冷蔵庫から玉子を取り出し、それで玉子サンドを作って食べた。
それで何とか空腹感は治まった。
しのぶは再び部屋に戻った。
パジャマを着たままだ。
着替えるにも何を着ていいのか分からない。
下着くらいは着替えたほうがいいのだろうが、そんな気もない。
仕方なく、またベッドに横になった。

「しのぶちゃん、児島くんが来てくれたわよ」
母の声がしたかと思うと、「入るぞ」という春樹が入ってきた。
「どうしたんだよ、お前が風邪ひくなんて。クラブやめて気が抜けたか?」
学校の欠席の理由は風邪ってことにしたのか…。
それにしても…
「何で部屋に入ってくんだ…?」
「学校のプリントを持ってきたんだけど、おばさんが直接お前に渡してくれって言うもんだからさ。ほらっ」
「あ、ありがとう」
しのぶは春樹から紙を2枚受け取った。
「そういやお前の部屋に入るなんて初めてだよな」
「……」
しのぶは黙って春樹を見た。
「そんなに睨むなよ。別に襲おうってわけじゃないんだから」
「お、襲う!?そんなことしたら、殴るぞ!」
「な、何だよ、急に。本当に襲うわけないだろ。とにかく明日は来れそうだな」
「……えっ…あ…うん……」
「それじゃしっかり休めよ。明日は絶対学校に来ること。俺が誘いに来てやっから」
「ホント?ホントに誘いに来てくれるの?」
しのぶは一人で学校に行く勇気なんてなかった。
春樹が一緒に行ってくれるのなら助かる。
しのぶはそう思って嬉しそうに春樹を見た。
「…お…おお、分かった。明日来てやるから一緒に行こうぜ」
「うん」
春樹はしのぶの笑顔を眩しそうに見ていた。



次の日になった。
しのぶは随分早くから目を覚ましていた。
そしてパジャマを着たまま、ハンガーにかけてあるセーラー服を見ていた。
「はあ〜〜〜」
もう30分近くもセーラー服と睨めっこしたままだ。
「しのぶちゃん、児島くんが来てくれたわよ」
母の呼ぶ声がした。
「あ、分かった。すぐ行く」
しのぶは急いでパジャマを脱いだ。
そして適当にブラジャーを選んだ。
ストラップに腕を通し、背中でフォックを留めた。
意外に簡単に留めることができた。
そしてスカートに脚を通した。
どっちが前なのか分からなかったが、適当でいいだろう。
前でフォックを留めて、フォックの部分を左に回した。
何となくそうするほうがいいように思ったのだ。
そして服を着て、スカーフをつけた。
鏡で確認した。
スカーフの収まりが少しおかしいような気がするが、目立っておかしなところはなさそうだ。
スカート丈が膝を隠すくらいの長さなのが少し長いかもしれない。
それにしてもすごく似合っている。
似合っているが、まさか自分がこんな服を着ることになるとは思わなかった。

「しのぶちゃん、まだぁ?」
再び母の声がした。
「今行く」
しのぶは鞄を持って急いで部屋を出た。
「朝ごはんは?」
「時間がないからいい」
しのぶは母から弁当を受け取り、急いで家を出た。
そこには春樹がいた。

「ごめん。待たせて」
「別にいいよ。今日は元気そうだな」
「うん、ありがとう」
春樹が歩き出した。
「ねえ、ボク、何か変じゃない?」
しのぶは春樹の前に立ちはだかった。
「何だよ。別に変じゃないぞ」
「そうか、よかった」
春樹がなぜか顔を赤らめている。
しのぶにはそのことが不思議だった。
「それじゃいくぞ」
春樹が歩き出した。
しのぶも一緒に歩き出した。
一緒に登校しているのに春樹は何も言わない。
何となく気まずい雰囲気だ。
「なあ、何黙ってるんだよ」
しのぶがそう言っても何も言ってこない。
「どうしたんだよ、児島。何か怒ってるのか?」
しのぶは春樹の機嫌が悪いのかと思った。

そのとき!
「しのぶ、おはよう」
後ろから誰かに声をかけられた。
同じクラスの松木紗也佳だ。
紗也佳は同じテニス部でもあった。
「へえ、今日は児島くんと一緒なんだ?クラブを辞めてついにつき合いだした?」
紗也佳が面白そうに冷やかした。
そりゃそうだ。
男子生徒と女子生徒が一緒に登校するなんて二人はつき合っていると宣伝しているようなものだ。
しのぶは春樹の冷たい態度が理解できた。
女の子に対してどういう話をしていいのか分からなかっただけなのだ。
他の生徒からの視線もきっと気になっていたのだろう。
しかししのぶは自分がどう見えているかだけが気になっていただけだった。
春樹と二人で登校することがどう見えるかなんか全然考えてもいなかった。
「そ、そんなんじゃないよ」
しのぶはそう叫んで紗也佳を追いかけた。
春樹から離れたほうがお互いのためだと思ったのだ。
残された春樹はどういうわけか寂しそうな複雑な表情をしていた。
しのぶには春樹のそんな表情が何を意味するのか全く分からなかった。

校門を入ったところで紗也佳が待っていた。
「ねえ、しのぶたちって本当につき合い始めたんじゃないの?」
「だからマジで違うって」
「別にしのぶたちがつき合い出したって"やっぱりね"って感じだけどさ。クラブを辞めて受験モードに入ったんだから、それどころじゃないかもね」
「そうだよ、勉強しなきゃ」
「それで、スカートが長くなったのは受験対策?先生受け狙ってるとか」
受験対策?
先生受け?
何のことだ?
しのぶは紗也佳の言っている意味が分からなかった。

紗也佳はしのぶのキョトンとした顔を前に溜め息をついた。
「分かんないんだったらもういいよ。早く教室に行こ」
しのぶは紗也佳の後ろについていった。
歩きながら周りの女子を見た。
そのとき頭に閃いた。
女の子のスカートはどんなに長くても膝は余裕で見えている。
太腿の半分程度が見えているのが普通だ。
それに比べれば今のしのぶのスカートの長さは異常だ。
だから先生受けなのか…。
そんなふうに思われるのは望まない。
何か言い訳しなくては。
「まだ風邪が治ってなくって」
しのぶは前に行く紗也佳の背中に向かって言った。
「何なの、急に?」
「だからまだ風邪が治ってないから、スカートが……」
「あ、そういうことか。そんなことどうでもいいって。早く行こ」

しのぶは紗也佳とともに教室に入った。
席は今までと同じだった。
「しのぶ、おはよう」
「おはよう」
しのぶのことを特別視する者はいなかった。
普通のクラスメートのように接してくれた。

担任がやってきて、簡単に出席を取った。
そしてどうでもいい話をしたかと思うと、さっさと職員室に戻って行った。

「しのぶ、行くよ」
「えっ、どこに?」
「やっぱりあんた今日おかしいよ。まだ調子悪いんじゃない?無理しないで帰ったら?先生には言っといてあげるから」
「いいよ、そのうち治るから」
「そう?でも1時間目の体育は見学する?」
「体育!?」

しのぶの学校では隣のクラスと一緒に体育をする。
男子はしのぶのクラスの教室で着替える。
女子は隣の教室で着替えるのだ。
しのぶはついこの前まで男だったわけで、体育のときは自席で淡々と着替えていた。
わざわざ教室を移動する必要はなかったわけだ。
だから体育のために教室を移動する発想がなかったのだ。
「白鷺、松木、お前たち、いつまでいるんだ?」
「お前ら、男の裸が見たいんだろ?何なら見せてやろうか」
高木と岩井の馬鹿コンビがいやらしい顔をして言った。
「誰が!あんたたちの貧相な身体なんか見たくなんかないわよ」
紗也佳は「行こ」と言って、しのぶの手をひっぱった。
しのぶは慌てて体操服の入った鞄を持って隣の教室に行った。
そこは今まで見たこともない光景だった。
1時間目体育だから制服の下に体操服を着ている女子が半数以上いたが、それでも半数近くが制服を脱いで着替えている。
すなわちスカートにブラジャーだけの女子がそれなりの数いるのだ。
「しのぶ、そんなとこで立ってちゃ、外から見えるでしょ。早く入って」
「あ…はい」
しのぶは妙な返事をして教室に入った。
目の前で紗也佳が服を脱ぎ出した。
しのぶは驚いて見入ってしまった。
「何、見てるの?体育、見学するの?」
「ううん」
「だったら人のこと見てないで、早く着替えなよ」
「あ…、うん…」
しのぶがスカートを穿いたままブルマを穿いた。
こういうときスカートは便利だ。
そして制服を脱いだ。
すると視線を感じた。
紗也佳がジッと見ていたのだ。
「何だよ」
「しのぶったらクラブやめたらいきなり色気づいちゃって。いつもはスポーツブラなのに」
適当に選んだだけだ。
ライトブルーで綺麗だなとは思っただけだ。
全然おかしな意図はない。
「あっ、時間がない。急ごう」
言い訳する間もなく、しのぶは紗也佳と一緒に校庭に向かった。

女子としての体育は自分の身体の再確認になった。
まず、胸はそれほど邪魔にならなかった。
体育をする前はそれほど大きくないとは言え、胸の存在は邪魔だろうと思っていた。
しかしあまり気にするほどではなかった。
男だってアレが邪魔かと言えば、そうではない。
女の胸だって同じだ。
胸なんか運動にあまり影響はない(巨乳はつらそうだけど…)。
あと身体が以前より柔らかくなっていた。
男のときにも硬いほうではなかったが、今のほうがずっと柔らかい。
ただし、運動能力は何となく下がったような気がするのが残念だった。
走るスピードとかジャンプできる距離がわずかだが下がったように思えた。
それでもしのぶは女子の中では運動神経のいいほうだった。
体育の授業の間はずっと中心的存在になれた。

「ほら、児島くんが見てるよ」
体育が終わり、教室に戻る途中に紗也佳が囁いた。
しのぶは春樹のいるほうを見た。
春樹と視線が合った。
春樹は慌てて視線を外したが、確かに見ていたようだ。
「しのぶは児島のこと、どう思ってんのよ?」
「別に。単なる友達」
「ええ。そんな言い方すると、児島のやつ、悲しむよ」
「いいの、別に。あいつとはずっと友達なんだから」
「ふ〜ん、そうなんだ」

教室に戻って、着替えていると、背後から手が伸びてきた。
「せっかくそんな可愛いブラしてるんだから背中の肉を押し込まないと」
紗也佳が背後から背中の筋肉をブラジャーのカップに入れてきた。
「や、やめろよ」
「うまくやってあげるからおとなしくして」
「そんなこと別にいいから」
しのぶは紗也佳から逃げた。
「背中の肉をブラに入れたら、胸が大きく見えるよ。スタイルだってすごく良く見えるのに」
「そんなのいいって」
しのぶは急いでセーラー服を着た。
周りを見ると、スカートをウエストのところで巻き上げている。
どうやらそうやってスカートを短くしているようだ。
しのぶも試しにスカートを短くしてみた。
二重にすると太腿の半分近くが見えるようになった。
これくらいにしておけば、長くて目立つこともないだろう。
「しのぶ、もう風邪いいの?いつもみたいに短くして」
「体育したら元気になったみたいだ」
どういうわけかスカートが短くて恥ずかしいということは感じなかった。
周りの女子にはもっともっと短い女子がいる。
それに比べれば自分はまだ長いほうだ。
そういう心理だった。
周りから浮かない程度のほうがいい。

体育以降は退屈な授業ばかりだった。
しかしサボるようなことはせず真面目に授業を受けた。
そして女子学生としての一日が無事に終わった。

「おい、帰ろうぜ」
春樹が当然のようにしのぶを誘ってきた。
しのぶも何の躊躇もなく一緒に帰ろうとした。
するとどこかから「ヒューヒュー」と冷やかすような声が飛んできた。
自分たちの関係を冷やかしているのだ。
レベルが低いやつらだ。
しのぶは無視して春樹と一緒に教室を出た。

しのぶと春樹は帰宅途中の公園に寄った。
「なあ、白鷺、お前、高校はどこに行くんだ?」
「う〜ん、まだあんまり考えてないんだ。本当は考えないといけないんだろうけど」
クラブを辞めたばかりで、そんなものはこれから考えればいいと思っていた。
「まあお前だったらどこでも通るだろうな」
実際しのぶの成績は良く、近隣の高校ならほぼ大丈夫だろう。
少し離れた進学校でもこれからの頑張り次第で可能になるかもしれない。
「まさか星心女子とか考えてないよな?」
星心女子はいわゆるお嬢様学校だ。
昔は一定レベル以上の家庭の生徒ばかりだったという話だ。
さすがに今はそんなことはないが、それでもそういう伝統は守られている。
男子からは憧れの女子高と言えるだろう。
「星心女子!女子高なんて無理!絶対無理!」
女子高なんか選んだら、自ら自分は女性であることを認めたことになる。
何より女ばかりのところに3年間も通うなんて想像しただけでも頭が痛くなる。
しのぶが強く否定するのを見て春樹がホッとしたような表情を浮かべた。
「そうなのか。あそこはテニスが強いし、進学校だから、お前なら志望するかもって思ってたんだが…」
「テニスの強い高校か…。成績だけじゃなくってそういうことで選ぶのもありだな」
しのぶの頭に何校かが浮かんだ。
「で、何でそんなこと聞くんだ?」
「いや…、その、何だ。…お前と一緒の高校に行けたらなって思って…」
「何言ってんだよ。ボクのことなんか気にしないで、お前はお前の行きたいところを選べよ」
しのぶのそんな言葉に春樹は複雑な表情を浮かべた。
少しの間何か思いつめたような様子だったが、やがて覚悟を決めたようにしのぶの顔を真っ直ぐ見た。
「なあ、高校に入ったら、俺たちつき合わないか?」
「な、な、な、何言ってんだよ、気持ち悪い」
しのぶは強く拒絶したが、春樹が迫ってきた。
春樹に強く両肩を掴まれた。
「痛いっ!」
思いのほか強い力で掴まれ、痛みとともに恐怖を感じた。
「ご、ごめん」
春樹は慌てて、しのぶから離れた。
二人の間に重苦しい沈黙が流れた。
「…とりあえず俺たち友達だよな?」
春樹がそう呟いた。
「ああ、もちろんだよ」
しのぶはそう答えた。
たとえ身体が女性になってもこいつとは親友でい続けたい。
異性であっても友達でいられるはずだと思いたい。
しのぶはそう願っていた。
「だから、もうそんなこと言うなよ」
それはしのぶの心からの願いだった。
「ごめん、悪かったよ…」
春樹は神妙な表情で答えた。

「…明日からも朝迎えに行っていいか?」
重い雰囲気を払拭するように春樹が明るく言った。
「もちろん。お前が面倒でなければな」
ここで拒絶すればさらに重苦しい空気になる。
だからしのぶはそう言わざるをえなかった。
「それじゃ、また明日な」
春樹が寂しそうな笑顔を浮かべて、帰って行った。
春樹が明日からどんな態度をとるのかしのぶは少し不安だった。


次の日の朝、約束通り春樹が来てくれた。
そして昨日のことはなかったかのように二人は話すことができた。
これからも友達の関係でいられる。
しのぶはそう感じ、安心した。


しばらくすると、ついにその日が来た。
初めての生理を迎えたのだ。
女性の身体になってからずっと母に言われていたので、準備はできていた。
ナプキンは必ず持ち歩くようにしていた。
いつその日がやってくるか分からないからだ。
それでもしのぶにとってもっとショッキングなことだと思っていた。
しかし不思議のことに意外と落ち着いて対処できた。
初めての生理なのに、何度か経験したような感じだ。

しのぶの身体が変わったとき、そのまま問題なく生活できるように周りの人間の記憶を変えたと言っていた。
もしかするとしのぶ自身にも記憶操作されているのかもしれない。
そうでなければもっと自分の身体に対して欲情してもいいはずだ。
そういう欲求はほぼなかった。
ということは、女として普通に生活できるようにしのぶ自身の意識も操作されていると考えたほうが良さそうだ。
そのおかげで、日常生活に大きな影響が出ずにすんでいると言える。
もしかすると、いずれこの身体を受け入れることになるかもしれない。
そんなのは絶対にいやだ。
高校を卒業すれば絶対にあの場所に戻るのだ。
そして自分の納得する身体を手に入れるのだ。
しのぶは生理の痛みに耐えながら、改めてそう決心した。

女子としての中学生活は可もなく不可もなくだった。
そもそもそれほど特別な生徒だったわけではなかった。
少し運動神経が良くて、とてもテニスが好きな中学生だっただけだ。
クラブを辞めてしまった今、とにかく高校受験を頑張るだけだ。
受験勉強なんて男も女もない。
それまでより少し頑張って勉強すればいいだけだ。
結局、しのぶと春樹は同じ高校に進学することになった。
しのぶはともかく春樹はかなり頑張ったはずだ。
当初は合格率は50%未満だったのだから。


高校に入ると、しのぶも春樹も硬式テニス部に入った。
高校のクラブにおいては男子と女子で別々の部になっていた。
練習日や時間が必ずしも一緒でないのだ。
それでもクラブの終わる時間が同じになることはある。
そんなときは大抵しのぶと春樹は一緒に帰った。
もちろんつき合い始めたわけではない。
しのぶにとって春樹との時間が唯一男であったときのように気を使わないでいい時間だったのだ。
春樹と一緒にいることが精神的に楽だったのだ。
周りの者の中には二人がつき合っていると思っている者もいた。
しのぶはあえて否定も肯定もしなかった。
つき合っていると思いたいやつには思わせておけばいい。
そう思われることでメリットがあったからだ。

しのぶはどういうわけか高校に入るともてるようになった。
しかししのぶが春樹とつき合っていると思われていることで、大抵の男は告白することなく諦めてくれる。
それでも中には性懲りもなく告白してくる男もいた。
そんな男に対しては、きっぱりと断った。
中途半端に「友達として」なんてことを言うと、馬鹿なやつを期待させてしまう。
そんな無駄な期待をもたせるのは悪だ。
しのぶはそう信じて断っていたのだ。

問題はそれ以上に女子からもてるようになったことだ。
1年の間はそれほど表立ってはもててなかった。
それでも影ではもてていたらしいのだが。
2年になってから、後輩の女子にもてるようになった。
クラブの間は女子からの黄色い声援が途絶えることがなかった。
彼女らから言わせると、しのぶは性格的に "男らしい" のだそうだ。
ある意味、それは正しい。
生まれてから15年間は男だったのだから。

女になったからといって男とつき合うことは絶対あり得ないことだった。
それでも、女同士でつき合うということには強い抵抗感があった。
もしかすると、記憶操作のせいかもしれない。
もしかすると、しのぶの保守的な性格のせいかもしれない。
とにかく恋人は人間ではなく、テニスなのだ。
しのぶはテニスに熱中していた。

高校で始めた硬式テニスは、軟式に比べてスピードが全然違った。
中学生と高校生の体格の違いはもちろんあるが、ボールの勢いそのものが全然違うのだ。
同じテニスというスポーツだが、軟式と硬式では全く違うスポーツだった。
しのぶには硬式テニスのほうが性に合っていた。
軟式のときのストロークは忘れて、ゼロから基本ストロークを練習した。
もともと身体が大きくないしのぶには攻撃の武器になるものを持つことが難しかった。
だからとことんコントロールにこだわった。
特に速いストレートを武器にすべく、徹底的に練習した。
その結果、1年の夏の新人戦にはベスト8まで勝ち進むことができた。
確実に強くなれるテニスが面白くって仕方なかった。

そんな状態でも勉強だけは真面目に頑張った。
おかげで高校でも成績は上位だった。
宗志郎に言われた『己の魂を磨け』ということを真剣に守っていたのだ。

テニスと勉強に明け暮れていたしのぶは高3になった。
しのぶはその頃にはすっかり女性の身体に馴染んでいた。
月一回のものは面倒だが、特別な思いはなくなった。
少々腰が重かったりするが、うまくやり過ごすことができるようになっていた。
それでも高校を卒業すれば再びあの場所へ行こうと思っていた。
勉強を頑張っていたのも、テニスを頑張っていたのも、自分を磨くためだ。
すなわち自分に最高に相応しい身体を手に入れるためだった。


さすがに高3になると周りは大学受験への意識が高まっていた。
それは春樹もしのぶも同じだった。
しのぶは地元の大学に入って、とことんテニスをやろうと思っていた。
もちろん男の身体に戻って、だ。
春樹は春樹で目標を持っていた。
「なあ、しのぶ。お前、大学はどうすんだ?」
「わたしはこっちで適当な大学に入ろうと思ってる」
しのぶは高校に入ってから、自分のことは"わたし"と言うようにしたのだ。
最初は何となく気恥ずかしかったが、すぐに何とも感じなくなった。
要は慣れの問題だ。
自分のことを"ボク"と呼べば周りから変な目で見られる。
それを"わたし"に変えるだけで、少なくともそんな視線で見られずにすむのだ。
しのぶとしても自分のことを"ボク"と呼ぶ女子は好きではない。
そういう面もあったことはあった。

「俺は東京の大学に行こうと思ってる。東京の大学に行って、建築の勉強をしたいんだ」
「東京?わざわざ東京になんか行かなくったって、こっちにも建築学科のある大学はあるんじゃないのか」
「確かにあるんだけど、俺がやりたいことの講座があるのは東京の大学なんだ。東京の大学ならいろいろ選ぶことができるしな」
「へえ、春樹って意外と真面目にいろいろ考えてるんだ」

しのぶは目の前のことだけで精一杯だった。
将来のことなんてまだ考えられない。
まずは自分の身体を何とかしなければならないのだ。
そうでなければ次の一歩を踏み出せないのだ。
そんな自分の運命が憎かった。
決して今の身体が嫌いというわけではないが、もっと自分の本来の身体を手に入れるのだ。
しのぶがそんなことを考えているとも知らずに、目の前で将来のことを春樹は誇らしげに話していた。
そんな春樹のことが羨ましくもあり、疎ましくもあった。

「おい、しのぶ。しのぶ!聞いてるか!」
大きな声で呼びかける春樹に気づいた。
完全に自分の世界に入ってしまっていた。
「あ、ごめん。考え事してた…」
「何だよ、それ。俺が必死に話してるのに」
「ごめん、ごめん。それにしても春樹ってすごいね。見直しちゃった」
「何がすごいんだよ。人の話、全然聞いてないくせに」
「だから、ほら。話を聞いてなくたって伝わってくるものがあるんだよ」
「どうだか!」
二人は思わず笑ってしまった。

「それでさ、しのぶも東京の大学、受けろよ」
「な、何だよ、それ!いつまでも二人でつるんでる年齢じゃないだろ。お前は東京で可愛い彼女でも見つけろって」
「お前は東京に行く気、ないのか?」
「う〜ん、考えたことないな。ママを残してどこかに行くなんて考えたこともないし」
実際しのぶと母親は仲がよかった。
同性になったせいもあるのかもしれない。
一人生活をするなんて、まだまだ先の話だと思っていた。
とにかく自分の身体を何とかする。
それが現在最も大事で重要な問題なのだ。

しのぶは夏の終わりまでテニス部で頑張っていた。
早くクラブをやめたところで、それほど真剣に受験勉強できるわけがないのだ。
だったらギリギリまでクラブをして、短期間に集中して頑張ったほうがしのぶの性格にあっていると思ったのだ。
もともと日頃から勉強は人一倍やっている自負もあった。
実際次々とクラブやめて受験準備に入っていく生徒が増えていく者が多い中で、模擬試験でもしのぶの順位が落ちることはなかった。

一方春樹は梅雨に入る前には完全に受験モードに突入していた。
その時点の春樹にとって、やや困難な大学を目指しているということがその理由だ。
クラブを続けているしのぶと完全受験モードに入った春樹。
自然と二人で過ごす時間も減っていった。
それでもしのぶは寂しさを感じることはなかった。
あいつも頑張ってんだな。
そう感じる程度だった。
しのぶはギリギリまでクラブを頑張って、そして夏休みの終わりになってようやく受験モードに入っていった。



卒業式が近づいてきた。
その頃にはしのぶは進学先が決まっていた。
地元の大学の経済学部だった。
別に経済に興味があったわけではない。
やりたいことがテニス以外思い浮かばなかったしのぶにとって、とりあえず知っておいても損はないかなと思ったのが経済だったというだけだ。
本当にやりたいことは身体を取り戻してから、大学生活の中で見つければいい。
そう考えていた。

春樹からは志望大学に合格したというメールがあった。
久しぶりに二人で会わないかとも書いてあった。
受験勉強で全然会えてなかったし、お互い合格を祝して祝杯をあげるのもいいかということで、その誘いに応じた。
指定されたのは個室風な席になっていることで評判のチェーンレストランだった。

「よっ、久しぶりだな」
しのぶが約束の場所にいくと、すでに春樹が席についていた。
「何だよ、学校で会ってるだろ?」
「そりゃそうだけど、学校じゃあんまり話してないしな」
「そう言えばそうだな。お互い真剣に勉強してたもんな」
「まあ、そんな頑張りのおかげでお互い志望校に合格できたよな」
「おぅ、お互いの合格を祝して乾杯しようぜ」
「乾杯!」
しのぶと春樹はジュースで乾杯した。

二人は出てくる料理に舌鼓を打ちながら、テニスの話で盛り上がった。
やがて食事が終わって、デザートのケーキが出てきた。
二人は最後のケーキも綺麗に平らげた。
「この店、初めて来たけど、結構うまかったな。これからも来ようかな」
「俺は東京に行くけどな」
そんな春樹の言葉で、空気が微妙なものに変わった。
「そうか、もうお前は東京に行っちゃうんだ……」
二人の会話が途切れた。
重苦しい空気が流れた。

「な、しのぶ」
「ん?何?」
「お前、俺のこと、どう思ってんだ?」
「そうだな……。一番の親友かな…」
しのぶは視線も合わせずに答えた。
春樹が唾を飲み込むのが分かった。
春樹は何かを言う気だ。
しのぶの脳裏には中3のときのあのときの光景が蘇っていた。

「俺はしのぶのこと、ただの友達として考えているわけじゃない」
しのぶは何も言わずにただ俯いていた。
「俺はしのぶのことが好きだ」
予想通りの言葉が飛び出した。
そんな言葉を聞いても中学のときのような強い拒絶感は起きなかった。
しかし拒絶感がないというだけだった。
好きというのと全く違う。
「しのぶはどうなんだ?」
「どうなんだ?」って聞かれても、しのぶにとって春樹は親友以上でも以下でもない。
しのぶはどう言っていいのか分からず黙っていた。
「なっ、しのぶ、何か言ってくれよ」
春樹がしのぶの手を掴んだ。
春樹の熱い思いがダイレクトに伝わってくるような思いだった。
しかしそれでもしのぶは黙っていた。
言うべき言葉が見つからなかったのだ。
「……やっぱりダメなのか?」
しのぶは小さく頷いた。
心の中でそれ以上言うなと願っていた。
それ以上言われたら春樹を傷つけるような言葉を放ってしまうかもしれない。
そんなことは言いたくなかった。

「分かった…」
手を掴んでいた春樹の手が離れた。
「俺、今日、しのぶに告ってダメだったら、キッパリ諦めようと思ってたんだ。おかげで諦めれそうだ。俺は東京に行くし、たぶんもう会えないと思う。今まで本当にありがとな」
春樹はそんな言葉を発して、席を立った。
「今までの感謝を込めて、今日は俺に奢らせてくれよな」
春樹は伝票を手に取り、レジに向かった。
しのぶは支払いを済ませる春樹の背中をジッと見ていた。

「それじゃ今までありがとう」
店を出ると、春樹がそう言って、右手を出した。
しのぶも右手を出し、春樹の右手を握った。
「東京行っても元気でな」
しのぶの精一杯の言葉だった。
「ああ、お前も頑張れよ」
春樹はそれだけ言うと、走って離れて行った。


家路に向かうしのぶの足取りは重かった。
何か心の中にスッポリと穴が空いてしまったようだった。
家に帰ると母親は留守だった。
しのぶはまっすぐ自分の部屋に入った。
そしてベッドに身体を投げ出した。
何もする気が起きなかった。
頭の中では春樹のことばかり考えていた。
もう春樹には会えないのか。
そんなこと今まで考えたこともなかった。
自分のそばから春樹がいなくなるなんて。
しのぶにとって春樹はいて当たり前の存在だった。
そんな春樹がいなくなるなんて考えられなかった。
考えれば考える程混乱してきた。
そしていつしか春樹に電話していた。

「何、どうしたんだ?」
春樹の声が聞こえた。
ついさっきまで一緒にいたのに、なぜか懐かしい。
その声を聞くと、湧き上がる感情を抑え切れなかった。
「会いたい……」
それがしのぶの口から出て来た言葉だった。

春樹はすぐにやってきた。
家の鍵をかけていなかったため、真っ直ぐしのぶの部屋までやってきた。
「はあはあはあはあはあ……」
走って来たのだろう。
春樹は息を切らしていた。
春樹の姿を見ると、しのぶは胸が熱くなった。
溢れ出てくる気持ちをどう処理していいのか分からなかった。
するとなぜか涙が出てきた。
どうして涙が出てくるのだろう?
しのぶにもその理由は分からなかった。
でも涙が止まることはなかった。

「しのぶ!」
しのぶは春樹に抱き締められた。
かなり力が入っているようだ。
少し痛い。
でもしのぶは拒否しなかった。
むしろ春樹の強引さをなぜか嬉しく感じた。

春樹の顔を見上げると、視線が合った。
春樹は視線を外さなかった。
ジッと見つめたままだ。
しのぶは目を閉じた。
すると春樹の熱い吐息を感じた。
そして温かいもので口を塞がれた。
キスされてる!
しのぶから求めたような行動を取ったくせに、しのぶには春樹に強引に唇を奪われたように感じていた。
春樹の手がしのぶの背中に回ってきた。
しのぶも春樹の背中に腕を回した。
春樹が身体を密着させてきた。
すると股間の部分が硬くなっているのを感じた。
春樹が自分とキスして興奮してるんだ。
そう思うとなぜか嬉しくなった。
しのぶは春樹のズボンの股間部分に手を当てた。
驚いたように春樹の唇が離れた。
「しのぶ……いいのか?」
しのぶは何も言わなかった。
興奮状態にある春樹には拒絶されなかったことは肯定と同義のように感じたようだ。
春樹は優しくしのぶをベッドに横たえた。
しのぶは春樹に身を任せていた。
しのぶは目を閉じた。
春樹の身体の重さを感じた。
「しのぶ、愛してる」
春樹の言葉が耳に飛び込んできた。
しのぶは目を開けた。
春樹と視線が合った。
「本当?」
「ああ」
「もう一回言って」
「えっ?」
「今の言葉をもう一回…お願い」
「あ、えっ……愛してる…」
「嬉しい」
しのぶは春樹の首に腕を回し、長いキスをした。
最初は驚いていた春樹だが、やがてそのキスに応じ、そして服の上から胸に触れてきた。
春樹の手が乳房を優しく揉んだ。
時々電気の走るような感触があったが、唇を塞がれていたしのぶは声を出すことができなかった。
春樹の手が服の中に入ってきた。
そして服の下でブラジャーのカップを捲り上げた。
春樹の手が直接乳房に触れ、そして掴まれた。
「痛いっ!」
思いのほか強い力だった。
「あ、ごめん」
春樹が手を引っ込めようとしたが、しのぶはその手を掴んだ。
そしてもう一度その手を乳房の上にあてた。
「優しく……」
「あ、うん」
春樹がおそるおそるといった感じで乳房に触れた。
「ぁ…」
乳首に春樹の手が触れる度に声を出さずにいられなかった。
それに気づいた春樹は乳首を摘んだ。
「痛いっ!」
春樹は悲鳴に近い声をあげた。
「ごめん、俺、初めてだから」
春樹が言い訳がましくそう言った。
しかししのぶはそれどころではなかった。
今の痛みで我に返ったのだ。
家に帰ってから自分が自分でなくなったみたいだった。
春樹に電話したのははっきりと覚えている。
しかし、その後のことはもやがかかったように曖昧にしか思い出せない。
キスしたような記憶はうっすらある。
乳房を触られたことも何となく覚えている。
というよりも、今この状況がそういった状況だったことを物語っている。

自分の服が明らかに乱れていた。
春樹がしのぶに覆い被さっていた。
男と女がそういった行為に及ぼうとしていたのは、未経験のしのぶにも分かった。
いや、しのぶにとっては未経験ではない。
あのとき、確かに元自分の身体と交わった。
しかし、あのときは自分の意思があったわけではない。
何らかの力によりあんな行為をさせられたのだ。
今また自分の意思と関係のないところで、関係に及びそうになったのだ。
そんなことに恐怖を覚えた。

「春樹、重いよ」
しのぶは覆い被さったままジッとしている春樹に言った。
「あ、ごめん」
春樹はしのぶからゆっくり離れた。
しのぶは自由になると、立ち上がった。
そして服装の乱れを直した。
服装を整えると春樹に言った。
「もう帰ってくれよ」
しのぶの言葉に春樹は狐につままれたような表情をした。
「な、何言ってんだ?」
春樹にはその言葉の意味が分からないような反応だった。
「だからわたしはそんな気はないんだって」
しのぶははっきりとそう告げた。
「だってお前が会いたいって電話くれたから、俺は急いで来たんだぞ。お前がいいって言うから…」
「だからわたしが嫌だって言ってるんだ!帰ってくれよ」
「嘘だろ?何怒ってんだ?」
「別に怒ってないよ。とにかく帰ってくれ」
しのぶが春樹を部屋から押し出そうとした。
しかし春樹は全然動かなかった。
「どうしたんだ、しのぶ?」
春樹がしのぶを抱き締めた。
「うるさい。帰れったら帰れよ」
しかし春樹は動じなかった。
それどころかしのぶを強く抱き締めた。
そして、自分の胸板にしのぶの顔を押しつけた。
苦しい!
息ができない。
しのぶは春樹から逃れようともがいた。
やっと呼吸ができるくらいは離れたかと思うと、すぐに口が覆われた。
キスされてる、ヤバイ!
頭がボゥ〜ッとしてきた。
キスが気持ちいい。
春樹の舌がしのぶの口の中に入ってきた。
しのぶはその舌の動きに応じた。
しのぶは無意識に腕を春樹の背中に回していた。
しのぶは春樹に任せようと考えていた。
雰囲気に飲まれていることは意識していた。
その雰囲気に抗うことが困難であることも意識していた。
それでも、それでも、自分の意志として春樹に応じたかった。
応じたことにしたかった。
長い長いキスの後、しのぶは自らの意思で身につけていたものを脱いだ。
そんなしのぶの様子を春樹は何も言わず見ていた。
しのぶは全裸になると、再びベッドに横になった。
「春樹も脱いで」
どうしても口調が女性っぽくなってしまう。
完全に雰囲気に飲まれてるな。
しのぶはそう思った。

目の前で春樹は慌てて服を脱いでいた。
そして全裸になると、雄々しくいきり立っていたペニスに目を奪われた。
昔、自分にもあんなモノがついていた。
今ではそんな感覚も忘れてしまったが、確かについていたのだ。
もちろん春樹のモノのほうが、かなり立派で大きい。
しのぶは初めて春樹のことを異性として意識していることに気づいた。

春樹が身体を重ねてきた。
「本当にいいのか?」
そんな春樹の言葉が悲しかった。
自分のほうから全裸になったのに…。
どうしてわざわざそんなことを聞くのだろう?
そんなことは聞かずに抱いてくれればいいのに…。
しのぶは何と返事すべきか迷った。
少し考えてこう言った。
「やさしくしてね」
その言葉を聞いて、ようやく春樹の手がしのぶの身体を愛撫し出した。
さっきの失敗を意識しているのか決して強い力は感じなかった。
フェザータッチのようにしのぶの身体の上を優しく撫でた。
しのぶは全身がゾクゾクするほど感じた。
乳首を口に含まれると、背中に電気が走った。
強い快感だった。
快感のせいで何も考えられなかった。
この快感にずっと身を預けてしまうと、気が狂ってしまいそうだ。
呼吸さえできなくなってしまいそうだ。
「もう…もう…ダメ……もうやめて…」
しのぶはそんな言葉を発していた。

春樹の口が乳房から離れた。
ホッとしたのもつかの間、股間に何かが動いているのを感じた。
春樹の手が股間に伸びていたのだ。
しのぶは思わず脚を強く閉じた。
自分でもどうして閉じたのか分からなかった。
早く欲しかった。
でも恐かった。
本能的な反応なのかもしれない。
恥ずかしいのかもしれない。
とにかく自分でも理由が分からず、春樹の手の侵入を拒んだ。
それでも春樹は強引にしなかった。
内股を優しく撫でた。
ゆっくり時間をかけようということらしい。
それでもしのぶは股間の力を抜けなかった。
「なあ、力抜けよ」
耳元で囁かれた。
春樹の息を耳に感じ、思わず全身の力が抜けた。
その隙に春樹の手がしのぶの脚の間に滑り込んだ。

しのぶは再度強く股を閉じた。
春樹の手を挟んだままだ。
「ほら、力を抜いて」
再び耳元で囁かれた。
それでも今度は力を抜かなかった。
すると、春樹は実力行使に出た。
挟まれた手の指を強引に動かした。
親指が股間の溝にそって蠢いている。
恥ずかしくもあるが、微妙に気持ちがいい。
「…ぁ…ぁぁ…んん……」
しのぶの口から自然と声が漏れた。
股間にある指にさらに強引さが加わった。
するとしのぶはいとも簡単に脚の力を抜いてしまった。
春樹の指が完全に谷間に入った。

春樹の指はすぐにクリトリスに触れた。
「痛いっ!」
あまり準備ができていない状態で、直接触れられると痛みしかなかった。
「ごめん」
春樹は気を取り直して膣口辺りをゆっくり撫でた。
恥ずかしかったが、痛みはない。
無意識のうちにしのぶは脚を開いていた。
手のひらで女性器を大きく撫でるように動かした。
その手の動きで、自分が大きく股を広げていることに気づいた。
恥ずかしい。
その思った途端、急いで脚を閉じようとした。
しかし春樹は許さなかった。
しのぶの内股に両手をあてて閉じられないようにしたのだ。

春樹の身体がゆっくり動いた。
そしてしのぶの股間のところに顔が来るような体勢になった。
「ダメッ!恥ずかしい」
「そんなことない。綺麗だ」
春樹は明らかにしのぶの女性器を見つめていた。
しのぶは恥ずかしくて、両手で顔を覆った。
春樹の息を股間に感じた。
恥ずかしさがさらに強まった。

「アアンッ」
全身に強烈な快感が走った。
春樹がしのぶの股間を舐めたのだ。
何度も何度も春樹は股間を舐めた。
しのぶは気が狂いそうだった。
「あああああ……いくぅぅぅぅぅ………」
その瞬間、意識が真っ白になった。

「しのぶ、可愛いよ」
春樹がしのぶの唇に軽くキスをした。
そして股間に違和感を感じた。
春樹の指が入ってきたのだ。
何だか変な違和感があった。
春樹がしのぶの表情を見ながら指をゆっくりと動かした。
クチュクチュクチュクチュクチュ……。
春樹の指が出し入れする度に淫らな音がするようになった。
その音は部屋中に響いていた。

一度少し間があった。
そして再び指が入ってきた。
今度は少し痛かった。
指が日本になったようだ。
それでも痛みは我慢できる程度だ。
しのぶは目を閉じて耐えた。
やがて痛みは薄れていった。
クチュクチュクチュクチュクチュ………。
身体の芯から快感が湧き上がってくる。
股間を舐められるのとは違う快感だった。
春樹のモノで満たされたい。
どこかにそんな渇望感もあった。

近くに感じていた春樹の身体の気配がなくなった。
春樹の身体がしのぶの両脚の間に入ってきたのだ。
膣口に何かがあてがわれたのを感じた。
いよいよだ!
春樹の脳裏に何年か前の感覚が蘇った。
元の自分の身体に跨ってゆっくりと腰を沈めたあのときの感覚だ。
強い快感に支配されて、無我夢中で腰を振った。
あのときの快感をもう一度感じることができるのだ。
しのぶの胸は期待感に満ちていた。

春樹がわずかに腰を動かした。
亀頭が入ってきた。
股間からミシッミシッという音が聞こえた気がした。
痛い!
あのときの快感とは全然違う。
あれは幻だったのだ。
今この瞬間が本当に初めての瞬間なのだ。
そんなことを考えていると、さらにペニスが入ってきた。
「い…痛い…」
思わず口から出た。
「大丈夫?」
「うん、たぶん……」
実際はかなり痛い。
すぐにでも抜いてほしいくらいだ。
でも…。
しのぶの心の中には微妙な心理が生まれていた。
何だろう、この気持ちは。
しのぶは自分の気持ちに戸惑っていた。
嬉しいのだ。
痛み以上に春樹とひとつになれたことが嬉しくて仕方がないのだ。
春樹のペニスの血の流れを感じる。
ドクンドクンと血が流れていることを感じる。
春樹が今自分の身体にいる。
そんなことに感動していた。

春樹のペニスが全部入ったようだ。
「しのぶの中ってこんな感じなんだ…」
「こんな感じ…って?」
「すごく温かくて…すごく気持ちいい……」
春樹が微笑んでくれた。
それだけで感じてしまう。
「あっ」
春樹が小さな呻き声をあげた。
「どうしたの?」
「今キュッと締めただろ?」
「そんなこと…してないよ…」
恥ずかしかった。すると…
「あっ…また……」
しのぶの気持ちに変化があると、ペニスを締めつけてしまうようだ。

「動いていい?」
「…うん……」
春樹がしのぶの表情を見ながらゆっくりと動かした。
痛みが強くなった。
しかししのぶは我慢した。

春樹の動きが少しずつ速まった。
痛みだけが襲ってきた。
早く終わって欲しい。
しのぶは必死に痛みに耐えていた。
無意識のうちに春樹の背中に爪を立てていた。

やがて春樹がしのぶの中で爆発した。
射精されるとペニスの硬さが幾分なくなった。
すると痛みがかなりなくなり、それとともに快感がやってきた。
「あああ……すごいぃぃぃぃぃ……」
しのぶは春樹にしがみついた。
春樹のペニスがしのぶから抜けた。
それでもしのぶは春樹にしがみついていた。
しのぶにはそうしていたかった。
このままずっと春樹と一緒にいたかったのだ。

やがて春樹が身体を離した。
シーツには赤い血がついていた。
破瓜の血。
しのぶは確かに処女だった。
この身体を手にいれたときのあの経験は観念的なものだったのだ。
初めての相手が春樹であることが嬉しかった。
春樹が離れてもまだペニスが入っているような感触が残っていた。
そんな感覚が嬉しかった。

「東京に行ってもたまには帰ってくる?」
しのぶは春樹に話しかけた。
「もちろん。毎日電話するし、毎日メールするよ」
「そんなにしなくてもいいよ。あんまり頑張りすぎると、あきるのも早いし」
「そんなことないよ。中学からずっとしのぶのことが好きだったんだ。やっとしのぶとこういう仲になれたんだから」
改めて好きだとなんか言われたら照れてしまう。
しかし心の中は嬉しさでいっぱいだった。

「順番がちょっと逆かもしれないけど、しのぶ、俺とつき合ってほしい」
「わたしでいいの?全然女らしくないのに」
「俺はしのぶのことを好きなんだ。俺はしのぶを愛してる」
春樹からそうはっきりと言われた。
するとしのぶは自分の気持ちを抑えつけることができなくなった。
「わたしも愛してる」
しのぶは初めて自分の気持ちを口にした。
口にすることで感情が爆発した。
春樹に抱きつき、何度も何度もキスをした。
春樹は少し驚いたようだったが、すぐに応じた。
そしてそのまま第2ラウンドへ突入した。
まだまだ痛みが強かったが、それ以上に気持ちのつながりを感じることが嬉しかった。


「ママ、わたし、もう今の身体のままでいい」
「もう本家に行かなくていいの?」
「うん、もういい」
もちろん、こう決心したのは春樹とああいう仲になったからだ。
しかし、男と女の仲なんてどうなるか分からない。
すぐに別れるかもしれない。
それでも女性として好きな異性と結ばれることの素晴らしさを体験したことはしのぶの考え方に大きな影響を与えた。

「ふふふ、しのぶちゃんはやっぱりママの子ね」
母親が微笑んだ。
やっぱりってどういうこと?
しのぶの頭にひとつの考えが浮かんだ。
しかしそれを確認する必要性は感じなかった。
「でしょ?」
しのぶも母親に微笑みを返した。


《完》

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