願いが叶えば



妻と別れたい。
西尾亮は毎日そう願っていた。
妻への愛情は冷め切っていたのだ。
他に女ができたわけではない。
亮が妻と別れたい理由、それは一にも二にも妻の目に余る浪費癖のせいだった。

亮は真面目で誠実な性格だった。
大学を卒業すると、両親が望む通り公務員となった。
2つ離れた妹は短大を卒業すると、2年ほど家事手伝いをして、高校の同級生と結婚した。
そして結婚すると、地元を離れ、首都圏に生活の基盤を構えるべく越して行った。

亮は真面目に働いた。
時々両親に勧められるままお見合いをしたこともあった。
しかしいつも縁がなく、どちらかが断るということの繰り返しだった。
決して亮がブ男だったわけではない。
どちらかと言えば浅黒く精悍なやや濃い目の顔立ちだった。
学生のときには2回告白されたことがあったくらいだ。
しかし女性と話すことが苦手だった。
意識しすぎてうまく言葉が出てこないのだ。
大抵そんな亮の様子を見て、女性はうんざりするようだ。
告白されたときも10日ほどで振られてしまう有様だった。

そんな亮が35歳を迎えようかというときにお見合いしたのが瑠未だった。
瑠未とのお見合いしたときの印象は「今回もダメだろうな」というものだった。
瑠未は亮よりも一回り近く若かった。
そして間違いなく美人の部類に入る顔立ちだった。
こんな自分が相手にされるわけがないというのが亮の気持ちだった。
しかし、事態は亮の予想と違う方向に進んだ。
なぜか瑠未側が乗り気なのだ。
もちろん亮側に断る理由はない。
亮がうまく話せなくても、気にせず明るく話してくれる瑠未に心を奪われた。
そういうことで、トントン拍子に話が進んだ。
ある晴れた春の日に、亮と瑠未は晴れて結婚式をあげた。

亮の両親は息子夫婦に離れの建物を改装して一軒家にしてくれた。
亮は幸せだった。
家に帰ると、いつも笑顔で迎えてくれた。
待っていてくれる女性がいるというのは本当に嬉しかった。
給料は全部瑠未に渡した。
それほど多くはないが、いつも「ひと月間、ご苦労様」と言って笑顔を向けてくれることが嬉しかった。
瑠未を信用し、通帳も印鑑も瑠未に預けた。
役所勤めを始めたころに入った生命保険も受取人を瑠未に変更した。

しかし半年を過ぎた頃からおかしな空気が漂い始めた。
瑠未が家事をしなくなったのだ。
家事をしないどころか家を空けることが多くなったほどだ。
亮が仕事から戻ってもいないことすらあった。
そして家の中にはアクセサリやバッグが増えた。
しかもすべてブランド物だ。
亮の給料だけでは絶対に買えるはずがない。
もしかすると男がいるのかもしれない。
そう疑いながらも亮は何も言えなかった。
自分がそんなことを言い出すことで二人の間が壊れることを恐れたのだ。
やがてそんな我慢も限界を迎えることとなる。
ついに亮は瑠未に離婚を切り出した。
しかし瑠未は応じなかった。
亮に対する愛情はなくなっているはずなのに、離婚には決して応じようとしなかったのだ。


そんなある日、亮が仕事をしていると、強面の男が二人やってきた。
「西尾っちゅう奴はどいつや」
そこにいた全員の手が止まった。
そして男たちに視線が行き、その視線はそのまま亮のもとに集まった。
自分は関係ない。
お前たちが探しているのはこいつだと言わんばかりだった。
亮は仕方なく立ち上がり、男たちに対峙した。
「何ですか、あなたたちは?」
声は心なしか震えていた。
職場の人間がいなかったら、すぐにでも逃げ出したいくらいだ。

「借金さえ返してくれたらわしらはすぐに帰るで」
「借金?僕は借金なんかしてませんよ」
亮は周りの目を気にしながら言った。
「西尾瑠未っちゅうのはお前の女房やろ?そいつがわしらの会社から金を借りてくれんのはええけど、なかなか返しよらへんねん。せやから、こうしてお前のとこに返しにもらいに来たっちゅうわけや」
「そんな…。それは妻の借金であって、僕の借金じゃ……」
「おのれの借金やないっちゅうんか?可愛い嫁はんやないか。その可愛い嫁はんのために一肌脱いだろと思わんか」
「それは…」
「それとも何か?自分の嫁はんが借金のために身体売るようなことがあってもええっちゅうんか!」
亮は周りの視線が気になって仕方がなかった。
「そんな話はここじゃ迷惑なので…」
亮は男たちをどこか別の場所に連れ出そうとした。
「何や、金返してくれるっちゅうんか?金返してくれるんやったらどこでも行ったるで」
「…えっ?それは…」
「何や、わしらを追い出したいだけかいな。まあ、しゃあないな。今日はもう帰ったるわ。嫁はんの借金は300万やから準備できたらここに連絡してくれるか」
男たちは名刺を置いて帰って行った。

すぐに課長に呼ばれた。
「西尾くん、あんな連中とつき合ってるのか!」
「課長、話は聞こえてたでしょ?妻が借金しただけで、僕は関係ないんです」
「そうは言ってもあいつら、また来るぞ。君の方で何とかしなさい」
「そう言われましても…」
「とにかく、これ以上あんな奴らが来るようなことがあったら、君の処遇についても考えなきゃならんからな」
「そんな…」
その日はそれで終わった。

しかし次の日になると、別の業者がやってきた。
理由は同じだった。
瑠未が150万の借金をしているのだそうだ。

そしてその後、同じようなことが続いた。
結局、数日のうちに5つの業者から合計850万円の借金をしていることが分かった。
課長からはしばらく仕事を休んで、金を工面して来いと言われる始末だった。


「はあ〜〜〜」
その日、亮は課長に言われた通り仕事を休んで、金の工面に奔走していた。
しかしお金を貸してくれる知り合いなんてそもそもいるものではない。
会ってすらもらえない。
それでも走り回って、何とか100万円ほどが集まった。
しかしこうしている間にも利息が増えているのだろう。
いったい何のためにこんな苦労をしないといけないんだろうか?
亮は空しさを覚えた。

そんなことを考えながら俯きがちに歩いていた。
すると、自分を呼び止める声に気づいた。
顔をあげると、そこに占い師がいた。
その占い師と目が合ったのだ。
「そこの人、何か悩みを抱えておるな」
見るからに胡散臭そうな占い師だ。
亮は無視して立ち去ろうとした。
それでも占い師は亮に声をかけ続けた。
「見料はいらん。しかしもしうまくいけば10万円いただく。これでどうじゃ?」
何だかよく分からない話だ。
しかし無料だというのなら話を聞いてもいいような気がした。
その話が何かの参考になれば儲け物だ。
「ただで話を聞くだけならいいけど」
「それではここに座りなさい」
亮は言われるままに占い師の前に座った。
亮が座ると、占い師は何も言わずに亮の顔をじっと見た。
別に手相を見るわけでもなく、筮竹で占うわけでもない。
ただただ顔をじっと見ている。
その目は何かを見通すような光を放っているような気がするほどだ。
「今、奥さんのことで悩んでいる」
占い師は静かに言った。
「はあ…」
「それはお金も絡んでいる」
「…そうです」
「そしてなかなかいい解決策がなく途方に暮れている」
「はい」
「そなたが自殺すれば全てうまくいく」
何だ、それ?
確かに亮には保険がかかっている。
死亡時には5000万円が支給される。
だから亮が自殺すれば、そのお金は瑠未にいき、問題は万事解決できるはずだ。
しかし、亮は死んでしまうのだ。
「そんなことしたって僕には何も得はないじゃないですか!」
「いや、そなた自身の運命が好転するのじゃ」
意味が分からない。
自殺すれば自分の運命が好転するって何なんだ?
「もういいです」
「いざとなったら儂の言葉を思い出すのじゃ」
「はいはい、分かりました。僕が自殺すればいいんですよね!」
亮は自嘲気味に言い放った。

それからも何もうまくいかなかった。
連日のように取り立てがやってくるため、亮はついに閑職に追いやられた。
それでも取り立て屋たちは容赦ない。
職場だけでなく、家にまでやってきた。
まだ両親のところには行っていないようだが、それも時間の問題のように思われる。
こんな事態になっても、瑠未の奴は夜遅くまでどこかに出かけていた。
どんなに遅くに帰ってきても、朝になるといつの間にかいなくなるという繰り返しだった。
もちろん相変わらず離婚には応じなかった。

亮は追い詰められていた。
公務員だからクビになることはないはずだった。
それでも確実に追い詰められていた。
職場に行っても完全に無視された。
誰に話しかけても何も反応がなかった。
まるでそこに亮がいないかのようだった。
仕事がなくても何とか耐えられた。
しかし完全無視は精神的につらかった。
やがて職場に向かうのもつらくなってきた。
自ら退職せざるをえない。
そう思うほどだった。

家に帰ると、そこら中に張り紙が貼られていた。
金返せ!
泥棒!!
盗人夫婦!!!
死んで返せ!
罵詈雑言の嵐だった。
おかげで両親にもばれてしまった。
「大丈夫なのか?」
「ああ、何とか…。あてがあるから」
両親に心配させたくないばかりに嘘をつくしかなかった。

次の日も重い足取りで職場に行った。
しかしそこには亮の机はなくなっていた。
誰に聞いても答えが返ってくるわけがない。
もちろん誰もが亮を無視するのだ。

もう生きていても仕方がない。
亮は廃墟ビルの屋上に立っていた。
亮が死ねば保険金がおりる。
亮も借金取りから解放されて楽になるのだ。
それで万事解決だ。
妻に保険金が渡るのは納得できないが、それでも借金がなくなれば、少なくとも両親には元の静かな生活が戻るはずだ。

とにかく全てに幕をひくのだ。
もう思い残すことは何もない。
亮は目を閉じた。
そしてゆっくり身体を傾けた。
ふと先日の占い師の顔が脳裏によぎった。
(俺の人生がうまくいくなんてありえないよな)
足が建物から放れるのを感じた。
身体が重力にしたがって速度をあげていた。
なぜか妻の顔が浮かんだ。
自殺の原因になった妻だが、なぜか恨めない。
妻がどうしてあんなことになったのか。
それを知りたかった。
でももう遅い。
自分は死ぬのだ。
いよいよ地面が近づいてきたときに亮は気を失った。

グシャッ!
身体が砕ける嫌な音が辺りに鈍く響いた。



枕元のスマホが着信を告げている。
亮は無意識にスマホを取り、耳に当てた。
「もしもし」
まだ半分眠っているような状態で応答した。
『もしもし、西尾瑠未さんですか。こちら県警の大森と申します』
(瑠美?警察?)
亮は電話の主の意図が理解できなかった。
「はあ…」
どう返事していいのか分からないままにそう返事した。
その次に電話から聞こえてきた言葉は信じられないものだった。

『ご主人の亮さんが昨夜亡くなりました』
「亡くなった?」
こいつ、誰の話をしてるんだ?
意味が分からない。
『はい、ビルの屋上から飛び降りたようです』
確かに昨夜自分はビルから飛び降りた。
だから死んだはずだ。
なのにどうしてこんな電話を受けるんだ?
『○○署までご遺体の確認をお願いできませんか?』
「あ、はい、分かりました」
電話が切られた。
亮の耳には電話の言葉が残っていた。
意味不明な言葉が。
亮の頭の中は疑問だらけだった。

とにかく起きよう。
亮は上半身を起こした。
頭がズキンズキンする。
まるで二日酔いみたいだ。
亮は頭を抱えた。
柔らかい髪が手に触れた。
自分の髪質と全然違う。
まるで女の髪の毛だ。
そう思った瞬間、嫌な考えが頭に浮かんだ。
亮は急いで自分の手を見た。
それは亮が知っている自分の手ではなかった。
白くて小さくて可愛い手だ。
薬指には指輪がはまっている。
ご丁寧にネールまで施してある。

亮は急いで鏡の前に立った。
鏡に映ったのは亮ではなかった。
瑠未だったのだ。

「何だ、これは……」
そのときになって初めて声も変わっていることに気づいた。
しかしそれは女の声ではあったが、聞き慣れた瑠未の声ではなかった。
瑠未は自分の声をこんな声で聞いていたのか。
気持ちの中の妙に冷めた部分でそんなことを考えていた。

亮はパジャマを脱いだ。
当たり前だが、女の身体だ。
妻の身体だから何度も見た。
しかしまさか自分の身体として見るなんて思いもしなかった。
自分の胸におっぱいがあると、こんなふうに見えるんだ。
それはある意味感動だった。

そんなことより……。
なぜこんなことになったんだ?
どうして瑠未になっているのだ?
考えても分かるわけがない。
そもそもこんな超常現象を理解できるはずがない。
そんな超常現象が自分の身に起こるなんて。

ふと占い師のことを思い出した。
あの占い師にはこのことが分かっていたのだろうか?
それとも占い師の持つ不思議なパワーでこんなことが起こったのだろうか。

とにかくまずは警察だ。
その後、あの占い師を捜そう。
もしかすると何か情報を得られるかもしれない。
亮はそう決心した。

そうなると出かける必要がある。
出かけるためには服を着なければならない。
亮は瑠未のタンスを見た。
しかし見るまでもなかった。
瑠未は亮よりもかなり若い。
瑠未は自分の脚が綺麗なことを自覚していた。
したがって短いスカートが好きだった。
というかミニスカートしか持ってなかった。
しかし亮には穿けるわけがない。

仕方なく亮自身のものを着た。
サイズが全然合わない。
鏡で見たが、見られたものじゃない。
こんな姿で外に出たら、絶対に怪しい女だ。

亮は仕方なく、瑠未の服を着た。
やはりこちらのほうが見慣れた瑠未だった。
(仕方がない。この恰好で行くか)
亮は鏡の中の自分の姿を見つめていた。


亮は自分の顔をずっと見ていた。
その顔はいつも見ていた瑠未の顔と違うことに気づいた。
(瑠未ってこんな顔をしていたのか)
鏡のせいで左右逆転しているせいかもしれない。
そう思って、あらためて見たが、そういうわけではなさそうだ。
あらためて瑠未の顔をジッと見ていると、その理由に気づいた。
化粧だ。
瑠未は朝起きれば、すぐに化粧をする。
スッピンを見たことがないわけではないが、化粧された瑠未の顔しか記憶はない。
瑠未はいつも念入りに化粧していた。
特に目の辺りを重点的に。

見慣れた瑠未の顔に比べて、少し平坦な印象だった。
しかし充分美人だ。
亮は化粧品の前で立ち尽くしていた。
外出するためにはやはり化粧すべきなのだろう。
しかし化粧なんて経験はない。
もう一度顔を見た。
「化粧なんかしなくたって充分綺麗だよな」
亮は自分に言い聞かせるように呟いた。
「でも…」
何となく顔色が悪いような印象がある。
それは唇のせいだ。
瑠未はいつもピンク系の口紅をつけていた。
せめてそれくらいはつけたほうがいいのかもしれない。
亮は生まれて初めて口紅を持った。
何だか緊張する。
唇を突き出すようにしながら、口紅を塗った。
口紅をつけると、唇が急に活き活きし出したように思えた。
顔の印象もグッと上がったようにさえ思う。
女にとって化粧は大事なんだな。
そう考えると、きちんと化粧の方法を覚えたほうがいいように思えてきた。
このまま瑠未として生きていかなきゃいけないのなら、そうすべきだろう。
亮は鏡の前に置いてある化粧品の詰まったポーチを手に取った。
出かけるときに持って行くためだ。
そして適当にバッグを取り出すと、そこに携帯と化粧ポーチを入れた。
スカートで(しかもミニで)歩く勇気のない亮は、タクシーを呼び、タクシーで警察署へ向かった。


亮は警察署の建物に入って、たまたま目が合った婦人警官に声をかけた。
「先ほどお電話いただいた西尾ですが」
しかし相手は何のことか分からないようだった。
そこで亮は言葉を続けた。
「主人が亡くなったので、遺体の確認に来てくれとのことだったのですが」
ようやく分かったようだ。
「少しお待ちください」
と言って、どこかへ走って行った。
「西尾瑠未さんですか?お電話しました大森です。わざわざご足労いただきありがとうございました」
30歳前後に見えるなかなかハンサムな刑事だった。
「それでは早速ですが、よろしいでしょうか?」
大森がどこかに向かって歩き出した。
きっと遺体の確認だ。
亮は自分の遺体を見ることになるのだ。
亮は大森のあとについて歩き出した。
手のひらに汗が噴き出していた。

薄暗い部屋に遺体が安置されていた。
顔のところに白い布切れが置かれていた。
「どうぞこちらへ」
大森が亮に対し遺体の近くに来るよう促した。
ついに体面するときがきたのだ。
大森が布切れを取った。
亮は恐るおそるその顔を覗き込んだ。
ひどく傷んで醜い顔だった。
「どうですか?」
どんなひどい状態でも自分の身体かどうかは分かる。
「はい、主人です」
そう言うと、自然に目から涙が流れた。

悲しみとは違う気がする。
自分の遺体を目の当たりにしての動揺なんだろうか。
よく分からない。
何とも複雑な感情だった。
自分が何者か分からなかった。
周りの景色が回っているような気がした。
マジでおかしくなりそうだった。

「それでは遺留品を確認していただけませんか?」
大森の言葉で我に返った。
自分の遺体を前にして立ち尽くしていた。
一粒の涙が頬をつたっていた。
「あ、はい」
亮は涙を拭った。
「こちらへどうぞ」
大森が部屋を出ようとしていた。
亮は大森のあとに続いた。

会議室のようなところに連れていかれた。
そこに遺留品が置いてあった。
それらは確かに前日自分が身につけていたものだった。
自分の持っていた物を遺留品として確認している。
何だか妙な感情が湧き上がってきた。
気がつくと、涙が次から次へと流れていた。
もう止まりそうにない。
一緒にいる大森も息をこらしていた。
夫の自殺の前にして悲しみのために涙が止まらない妻。
そう思われているのだろう。
亮はついには声をあげて泣き始めた。
どうしてそこまで泣けるのか亮自身にも分からなかった。
しかしどうしても泣かずにいられなかったのだ。

しばらくの間、大森は亮が落ち着きを取り戻すのを待っていた。
「それでは少しお話をうかがえますか?」
亮は勧められた椅子に座った。
すると大森は亮の自殺の原因について聴取し始めた。
亮は正直に、しかしあくまでも聞いた風を装って供述した。
もちろん原因となった借金は瑠未、すなわち今の自分が借りたものだと話した。
「いろいろとお話いただきありがとうございます。さらにお話をお聞きする必要なことが出てくれば、またうかがうと思いますが、よろしいですか?」
「はい、分かりました」
亮は帰るべく、椅子から立ち上がった。

そのとき大きな音を立ててドアが開いた。
亮の両親だった。
「亮を返して」
「息子を自殺に追い込みおって」
二人が亮につかみかかってきた。
無理もない。
息子を自殺させた張本人なんだから。
その中身が亮本人だなんて知るはずがない。
仮にここでそれを主張しても誰も信じるわけがない。
気が狂っていると思われるだけだ。
亮は二人の罵倒の言葉をじっと聞いていた。
「もうあの家から出て行ってくれ」
父親の力のない絞り出すような言葉を聞くと、頷くしかなかった。
「分かりました…」

亮はひとり警察署をあとにした。

家に戻ると、すぐに荷物の整理を始めた。
もちろん出て行くためだ。
ただすぐに出て行く先はない。
まずは荷造りしてしまって、それから引っ越す先を探そう。
今日からはどこかホテルに泊まるしかないだろう。
両親が今の自分の姿を見ると、息子を追い詰めた憎い嫁としか思わないだろう。
両親にそんな思いをさせないためには、とにかく自分が両親の前から消えるのがベストなのだ。
悲しいがそうすることが今の自分にできることなのだ。

亮自身の荷物はあまりなかった。
それに比べると、瑠未の荷物は最近買った物が多く、ものすごい量だった。
しかしそれらも絶対に必要な物はあまりないように思えた。
ブランド物のバッグや宝石類は質屋にでも持って行って換金すればいいだろう。
とりあえずそれぞれのものにまとめて、綺麗に片付けた。
当面の生活に必要そうな下着や服は鞄に詰めた。
亮はそれを持って、一旦家から出た。
両親はまだ家には帰ってないようだ。
亮は両親と会わないように、早足でそこから出て行った。

どこに行こうか。
とりあえず今日泊まるところを見つけないといけない。
ホテルでも探そうか。
そう考えたときに、ふとあの占い師のことを思い出した。
そうだ、まずあの占い師のところに行ってみよう。

亮は占い師に会ったところに行くと、相変わらずあの占い師がそこにいた。
亮はその占い師の前に立った。
「どうしました、お嬢さん?何か悩みでもあるのかな?どれ、占ってしんぜよう」
亮は黙って、椅子に座った。
「どれどれ、最近何かあったようだが、これからの運勢は決して悪くないぞ。どんどんいい方向に向かっていきそうだから、期待して待ってなさい」
「実は最近あなたに占ってもらったんですけど…」
その占い師は亮の顔をマジマジ見た。
しばらくそのままの時間が続いた。
「ああ、あのときの…」
分かったのか?
分かるわけがない。
そう思っていた亮だが、占い師は言葉を続けた。
「そうか、儂が言ったように自殺したんじゃな」
占い師は亮のことが分かっているようだった。
「そなたが自殺したことで、まずは二人は別れることができた。そなたが自殺したことで、もうすぐ借金のほうも保険金で何とかなりそうじゃ。そなたが奥さんの身体を奪ったことで運勢が好転すると占いでは出ておるのじゃ。これでそなたの悩みは解消じゃろ?」
確かに独身に戻った。
そして借金取りに追われるのは保険金さえ下りればそれで終わる。
そんなことは瑠未に出会う前の状態に戻っただけだ。
自殺したことで全てがうまく回り始めたわけではない。
第一両親からは恨みの対象になってしまったのだ。

亮はそんなことを悶々と考えていたが、そんなことより確認したいことがあったことを思い出した。
「どうして僕が瑠未になってるんだ?」
「そんなことは分からん。儂は、そなたが自殺すれば運命が好転するということが分かっただけじゃ」
占い師が何らかの不思議な力を持っていると思ったのだが、違うようだ。
一応念のために聞いてみた。
「それじゃどうすれば元に戻れるかなんて…」
「もうそなたは死んでおるのじゃろ?死んだ身体に戻れば、そなた自身も死んでしまうが、それでもいいのか?もっとも儂には戻る方法なんて分からんがの」
「……そうなのか…」
「それじゃあのときの約束通り、見料の10万をいただこうかの」
「そんなお金…」
「それは奥さんの荷物じゃろ?奥さんの財布にはきっとお金はあるぞ」
亮は瑠未の財布を見た。
そこには50万円以上は入っていた。
「そのうち、そなたの保険金も入ってくるじゃろうし、お金には困ることはないぞ」
この占い師には何がどこまで見えているのだろう?
それを問いただしたが、お金に困らないことが見えているだけらしいのだ。
「それじゃこれで」
亮はとりあえず財布から10万円を出し、占い師に渡した。
「また何かあればいつでも来なされ。また占ってしんぜよう」
占い師は渡されたお金が10枚あることを確認した。
亮はそんな占い師を見ることもなく、その場から離れた。

「あれ?西尾さん…ですよね?」
背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには大森刑事が立っていた。
「あ、刑事さん…」
「どうしたんですか、こんなところで。ご主人のお葬式の準備でお忙しいんじゃないですか?」
「先ほど聞いてらしたでしょ?主人の両親にとっては私が主人を殺したようなもんなんです。だから…」
亮は言葉遣いがおかしくならないように言葉を選びながら話した。
それが大森には何かに耐えているように感じた。

「ぁ…」
大森はいらぬ話題を出したと後悔した。
そしてその場の雰囲気を一新するかのように、わざとらしいほどテンションを上げて言った。
「晩飯、まだなら一緒に行きませんか?」
急に大きな声で誘われて、亮は一瞬驚いた。
しかしどうせ一人でいてもウジウジと考えるだけでいいことはないと思い直した。
亮は大森の誘いに乗ることにした。
「よろしいんですか、私なんかがご一緒しても」
「もちろんですよ。一人で食べるのも味気ないし、西尾さんのような方と一緒に食事できるなんて、とても嬉しいです」

大森に連れていかれたのは安い居酒屋だった。
大森は暗い雰囲気を何とかしようと無理に明るく振る舞っているようだった。
やがてそれは大森の地であることが分かった。
「僕は事件で知り合った人と、こんなふうに一緒に食事をするなんて瑠未さんが初めてなんだからね」
アルコールが入るにしたがい、大森の態度はどんどん砕けていった。
ついには亮のことを「瑠未さん」と下の名前で呼ぶようになった。

亮はまだ今晩泊まるところも決まってない。
とりあえずホテルでいいかとは考えているが、適当に切り上げて今晩泊まるところを確保したかった。
「ねえ、大森さん」
大森は亮に自分のことを「刑事さん」と呼ぶことは許さなかった。
もちろん、それは周りの視線を気にしてのことだった。
それも時間が経つにつれ、自分のことを「公平さん」と下の名前で呼ばせようとした。
しかし、亮は適当にあしらって「大森さん」と呼ぶのにとどめた。
「そろそろお開きにしません?今日泊まるところを探さないといけないし」
そう言うと、大森が亮の肩を抱いてきた。
「特に行く当てがないんなら、僕のところに来ない?どうせ一部屋空いてるしいいじゃん、いいじゃん」
刑事とは言え、男だ。
下心がないわけがない。
しかし一応刑事なんだから、強く拒絶すれば大丈夫だろう。
せっかくの誘いだし、わざわざホテルに泊まって無駄遣いすることもない。
若くて美人な女性は得だと思った。
占い師が言ったように、少しは運勢が好転してきたのかもしれない。

大森はかなり酔っており、真っ直ぐに歩けないほどだった。
亮の肩につかまっても、千鳥足になってしまう。
それでも10分ほどで大森のアパートに着いた。
外見はそれほど立派ではなかったが、一応小さなキッチンと2部屋あった。
亮は万年床のような布団に大森を寝かせた。
そしてちゃぶ台が置かれている部屋に、座布団を枕にして、横になった。
(あ〜あ、これからどうなっちゃうんだろうな?)
亮はしばらく悶々と考えていたが、いつの間にか眠りに落ちていた。


次の日の朝、亮は朝早く目が覚めた。
目が覚めた瞬間、自分がどこにいるのか理解できなかった。
見たことのない天井。
見たことのない部屋。
しかし起き上がって、自分が女の身体になっていることに気づき、全てを思い出した。
昨日大森刑事からの呼び出しで遺体を確認したこと。
たまたま街中でその大森に出会ったこと。
その大森と一緒に居酒屋に行ったこと。
その大森の家に泊まったこと。
そして何より亮が瑠未の身体になってしまったこと……。

亮は自分の服装を確認した。
昨日着ていた服のままで、何も乱れてなかった。
大森に抱かれたとは思えなかった。
キッチンに立つと、別の部屋からイビキが聞こえてきた。
大森が幸せそうに眠っていた。
無邪気なものだ。
亮は大森のことを可愛いと思った。

亮は泊めてもらったお礼に朝ごはんでも作ろうと思った。
米と水をジャーにセットした。
冷蔵庫を見ると、そこにはほとんど食べ物はなかった。
納豆がわずかと、残骸のようなわかめがあるだけだった。
亮はわかめの味噌汁を作った。
それくらいの料理は亮でもできるのだ。
ご飯が炊けた音がした。

亮は大森を起こしに行った。
「大森さん、朝ごはん作ったんですけど…」
大森は最初寝ぼけたように「もう少し寝かせてくれ」とか言っていた。
何度も身体を揺すり、亮が顔を覗き込むと、目を大きく見開き、そして跳ね起きた。
「あ、奥さん、おはようございます」
「おはようございます」
亮が微笑んだ。
「冷蔵庫にあんまりなくって、味噌汁くらいしか作れなかったんですけど」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
大森は走って、トイレに入った。

亮はごはんと味噌汁をちゃぶ台に並べて、大森を待った。
やがて顔を拭きながら、大森がやってきた。
「朝食なんて久しぶりだな。いつもはコーヒーだけなんですよ」
「身体が資本のお仕事なんですから、朝ごはんからしっかり食べないと」
「そ…そうですよね」
大森は亮と視線を合わせず、慌ただしくごはんを口に掻き込んだ。
「ご馳走様でした」
「はい、お茶どうぞ」
「ありがとうございます」
大森は急いでお茶を飲んだ。
そして歯を磨き、服を着替え、急いで玄関に行った。
亮は靴べらを手渡した。
大森は黙って受け取り、靴を履いた。
そしてドアを開けて、亮のほうに振り返り言った。
「もしどこにも行くところがないんなら、ずっとここにいてもらってもいいですよ。それじゃ行ってきます」
大森が仕事に出て行った。
亮は「行ってらっしゃい」とにこやかに手を振って、大森を見送った。

大森を見送ると、亮はいろいろな用を済ますために出かけた。
まず、トランクルームを借りた。
これは家にまとめた荷物を一旦そのトランクルームに預けるためだ。
そして、次に保険会社に行って、保険金の申請した。
これさえ手に入れれば、借金取りとは手が切れる。
当面の生活費も心配なくなるだろう。
そして家に戻った。
両親は目も合わせてくれなかった。
「お世話になりました。すぐに出ていきます」
聞いてくれているかどうかは分からなかったが、両親に向かって、それだけ言った。
自然と涙が出てきた。

感傷的になっている暇はない。
亮はすぐに引っ越し業者に電話を入れた。
すぐに荷物を運び出して欲しいと言うと、その業者は「いくら何でもそれは…」と躊躇した様子だった。
亮は通常の料金以上を出すと告げると、すぐに来てくれることになった。
やってきた業者は荷物の少なさに不満があったようだ。
そんなことは気にせず、借りたトランクルームの住所を告げて、そこまで運んでもらった。
荷物を実家から運び出すと、両親の家に向かって一礼をして、そこから去った。

とりあえず今日やってしまおうと思っていたことは全て済ませた。
亮は夕食の材料と料理の本を買って、大森の家に戻った。

その日、大森は7時前に帰ってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま。もしかしたらもうどこかに行ってしまったかなって思ってたんだけど」
そう言いながら、手にはケーキを持っていた。
亮がいることを信じていたのだろう。
「どこかに行くならちゃんとご挨拶してから行くから。それよりご飯にする?それともお風呂?」
「えっ、ご飯作ってくれたんだ」
大森は嬉しそうだ。
亮はハンバーグとスープをちゃぶ台に並べた。
ハンバーグは焼いただけ、スープは缶詰を温めただけだった。
それでも大森は「美味い、美味い」と言って綺麗に食べてくれた。
これだけ喜んでくれるんだったら、明日は頑張って自分で作ってみようかと思った。

「それじゃ、お休みなさい」
亮は初日と同じように、大森とは別の部屋で眠った。
大森がやってくることも考えていたが、結局何も起こらなかった。
それからも何事も起きなかった。
積極的に抱かれるつもりはなかったが、いずれそうなることもあり得るかくらいのことは思っていた。
それでも大森は手を出そうとしなかった。

買い物に出た時のことだった。
「よっ、奥さん、久しぶりだな。どこに隠れてたんだ?」
そこにいたのは借金取りだった。
「何?今お金はないわよ」
亮はその借金取りを睨んだ。
「どうせもうすぐ旦那の保険金が入るんだろ?金はそのときでいいさ。それより必要ならもう少し金を工面してやろうか?今なら借金を踏み倒すことはなさそうだしな」
「いらないわよ」
「それにしてもうまいことやったな。借金で汲々してたところに、信用度の高い公務員と結婚しやがって。おまけにその公務員が自殺してくれたおかげで保険金がたんまり入るんだからな」
亮と結婚したのは公務員という肩書きが目的だったのだ。
自分が好かれたとは思ってなかったが、何とも空しい思いだった。

「別に旦那に自殺して欲しいなんて思ったことなんかなかったんだから」
自分の気持ちに勘づかれないように、少し怒ったふうに言った。
「そりゃそうかもしれんが、いずれにせよ金が入るんだから、御の字だな。俺も分け前が欲しいくらいだぜ。何ならこれからもお前につきまとってやってもいいんだぜ」
「そんなことやめてよ」
亮は本気で怒った。
「それに今の私に変なことしないほうがいいわよ」
「どういうことだよ!」
借金取りが少し怖じ気づいたように言った。

「実はね、今、大森っていう刑事と一緒に住んでるの」
「旦那が死んだばっかりだってのに、もう次の男かよ。相変わらず男には手が早いな」
亮は借金取りの言葉に少し動揺した。
瑠未は確かに美人だが、それなりに真面目な女性だと思っていた。
それなのに…。
瑠未のイメージは確実に崩れていった。
「そりゃそれだけの美人なんだから、お前が言い寄れば、男なんてイチコロだろうよ。お前の正体を知ってる俺だって、迫られたら多分落ちるだろうからな」
「だったら一緒に来る。私を抱いてる姿を今の彼氏に見てもらおうか?」
「わざわざ刑事に喧嘩売るようなことはしないよ。とにかくまた金が必要になったら、貸してやるから、いつでも来いよ。それじゃあな」
借金取りは強く借金を取り立てることなく、去って行った。
大森のところにいることがこんな効用があったとは。
借金を返し終わるまでは大森のところに居座ってやろう。
亮はあらためてそう決心した。

大森の部屋に同居し出して2週間が経った。
その間、亮は妻のように身の回りの世話をした。
近所の人たちとも顔なじみになっていった。
彼らは亮のことを当たり前のように「大森さん」とか「大森さんの奥さん」とか呼んだ。
亮もそう呼ばれることを受け入れていた。
亮は何の苦もなく主婦らしく振る舞うことができた。
近所の人と世間話を交わすこともあった。
自分にそんな才能があったなんて思いもしなかった。

しかし、大森との距離は全く変化がなかった。
どんなに妻っぽく振る舞っても、大森は他人行儀な態度を変えようとしなかった。
もちろん夜についても一線を越えようとしなかった。
大森はまったく手出ししてくる様子がなかったのだ。
もしかしたらホモなんだろうか。
それならばそれでこんな安全な居場所はない。
そう思い出したある夜のことだった。
その日、大森は晩飯を済ませてくるとメールがあったのだ。
亮は大森と暮らし始めて、初めて一人で夕食を食べた。
人生で初めての独りぼっちの夕食だった。
これまでは独身の時は両親が、結婚したら瑠未がいた。
いつも誰かが一緒にいてくれたのだ。
女になって、独りぼっちになってしまった。
そう思うと、夕食を口に入れながら、涙がこぼれてきた。

「ただいま」
11時を過ぎた頃、やっと大森が帰ってきた。
亮は夕食を前に呆然と座っていた。
「どうしたの?まだ晩ごはん食べてるの?」
大森が亮の顔を覗き込んだ。
明らかに涙のあとがある。
「どうした?何かあったのか!」
大森が亮の肩をつかんだ。
「痛い……」
「あ、ごめん」
慌てて掴んだ肩を放した。
「でもマジでどうしたんだ?」
大森がジッと見つめている。
亮の目からはまた涙が流れてきた。

「淋しかった……」
亮はそれだけ呟いて、大森の胸に飛び込んだ。
大森は優しく抱き締めてくれた。
大森に抱かれて声を殺して泣いた。
すると、大森の手が亮の顎にかかった。
そのまま顔を上げられ、唇に温かいものが触れた。
キスされてる!
男にキスされるなんて気持ち悪いはずだった。
しかし………。
亮は大森の背中に腕を回した。
なぜか心地いい。
優しいキスだった。

「瑠未さん、愛してる」
唇が離れると、大森の唇がそう動いた。
亮の心の中に温かいものが流れ込んできた。
亮は大森の腕に支えられて床に横たわった。
大森が覆い被さってきた。
ついに抱かれるときが来たのだ。
これまで何となく覚悟はしていた。
それでもさすがに実際の場面になると、胸がドキドキする。

大森の手が胸に触れた。
そして亮の反応をうかがいながら、ゆっくりと揉み出した。
「あ…はぁ……」
亮の口から甘い吐息が漏れた。
初めて他人から胸を揉まれた。
気持ちよかった。
唇を重ね、舌を絡ませ、胸を揉まれる。
やはり気持ちよかった。

やがて大森の手がスカートの中に入ってきた。
内股に触れたときに、急に恐怖に襲われた。
「やっぱりダメ。やめて!」
しかし大森はさらに力を入れて、ショーツをずらそうとした。
「やめて!……やめろ。警察官だろ!」
亮は必死に抵抗した。
しかし大森は聞く耳を持たなかった。
亮は必死にめちゃくちゃ手足をばたつかせた。
そしてその足がたまたま大森の股間をとらえた。
「うっ……」
鈍い声を漏らし、大森が亮の横に倒れた。
その隙に亮は立ち上がり、身なりを整えた。
大森は股間を押さえて倒れたままだ。
「ごめんなさい。大丈夫?」
「あ…うん、大丈夫だ……」
しばらく見守っていたが、大森が立ち上がる気配はない。
「救急車呼ぶ?」
「いや、大丈夫だから」
「本当に?」
「ああ、だから瑠未はもう寝ていいよ」
こんな状況になり、どんな顔をして顔を合わせたらいいんだろう。
だから倒れたまま亮が立ち去るのを待ってるんだ。
大森の言葉でそう思った。
「分かった。食器は明日洗うから置いておいてね」
亮は自分の部屋に入った。

その日の晩は全然眠れなかった。
ようやく眠ったのは4時を過ぎたころだった。

亮が目覚めた時は10時を過ぎていた。
すでに大森の姿はなかった。
仕事に行ったのだろう。
『昨日はごめん。ちょっと性急すぎたみたいだ。でも愛してるって言ったのは本当です。もう少し二人の関係を作ってから、またチャレンジします!』
そう書かれた一枚の紙が置かれていた。
昨夜の汚れた食器は綺麗に洗われていた。
大森の気遣いが嬉しかった。
だからこそ大森に合わす顔がないと思った。

『いろいろと大変お世話になりました。大森さんにあんなひどいことをして、もう合わせる顔がありません。私は出て行きます。こんな紙切れでのご挨拶になって申し訳ありません。本当に今までありがとうございました』

亮は大森が書いた文章の下にそれだけを書いた。
そして亮は自分の荷物をまとめて、大森の部屋を後にした。


あ…キスされてる……。
酔っているせいか意識が半分以上朦朧としている。
どうやら男と二人だけでエレベーターにいるようだ。
そこで亮は男にキスされていた。
二人しかいないためか熱く濃厚なキスだった。
男の舌が亮の口に入ってきた。
そして亮も男の舌を受け入れていた。

次に認識したときはすでにベッドで絡み合っていた。
二人とも全裸だった。
男は亮の乳房に舌を這わせ、亮はそれに応えるかのように喘ぎ声を出していた。
このままだと犯られてしまう……。
頭の片隅ではそう考えたが、身体はすでに受け入れ態勢になっているようだ。

そして次に気がついたときには、男のペニスを受け入れていた。
亮は夢中に腰を振っていた。
「あぁぁぁぁぁ………、いぃぃぃぃぃぃぃぃ………」
アルコールのせいで素直に快感に反応してしまう。
身体がとろけてしまいそうだ。
女の快感に完全に翻弄されていた。
膣の中に朗の熱いモノを感じた。
「いくぅぅぅぅぅぅぅぅ…………」
亮は全身を痙攣させて気を失った。


気がつくと、朝になっていた。
ベッドには亮以外誰もいなかった。
昨夜の微かな記憶は夢だったのだろうか?
それともやはり事実だったのだろうか。
しかし男の姿はすでになかった。
亮は何も着ていなかった。
亮がベッドから起き出した。
すると、何かが内股を流れるのを感じた。
手でそれを拭った。
精液だった。
自分の膣から精液が流れ出ているのだ。
やはり昨夜男に抱かれたのだ。
男に中出しされたのだ。
どこの誰とも知らない男の精子が、今自分の身体の中で泳ぎ回っている。
もし妊娠でもしたらどうするのだ。
父親不明の子供になっちゃうじゃないか。
無意識にそう考えて、背筋が凍る思いがした。
いくら何でもこの自分が妊娠するなんて考えたくもなかった。
そもそも昨夜のセックスなんて、アルコールのせいだ。
自分から求めたわけでは決してない。
亮は自分にそう言い聞かせた。

身体を綺麗にするためにシャワールームに入った。
コックを開くと、熱い湯が飛び出した。
熱い湯が身体を打つ。
(ああ…気持ちいい……)
その自分の言葉で、昨夜の記憶が蘇った。
男に抱かれて身体がとろけるほど気持ち良かったことを。
記憶も洗い流したかった。
亮はずっと頭から湯をかぶっていた。
そしてバスチェアーに座り、股間を開いた。
中まで綺麗に洗うべく、シャワーの湯を股間に当てた。
「あ……」
思わぬ快感に思わず声を出してしまった。
そんな自分の反応をいやだと思いながら、押し寄せてくる快感に抗えなかった。
亮は執拗にシャワーの湯を股間に当てた。
気持ちはいいが、なかなかいけなかった。
シャワーの勢いを最大にし、指で乳首を摘まんだ。
いけそうだ………。
亮は乳首を押さえつけるようにして、乳房を扱いた。
やがて、軽く意識が飛んだ気がした。
やっといけた…。
同時にものすごい自己嫌悪に陥った。
男に抱かれた次の朝、風呂場でオナニーしてるなんて……。
俺って最低だ…。
風呂場から出て、しばらくベッドで落ち込んでいた。


大森の家を出たとは言え、亮には行くあてがなかった。
とりあえず亮自身の実家に戻ろうかと考えた。
しかしそれは実現しづらい考えだった。
今さらどの面下げて両親に会えると言うのだろう。
とにかくホテルに泊まるしかない。
しかし変に安いところに泊まりたくなかった。
亮はビジネスホテルよりは少し高いホテルに電話をかけた。
空き部屋はあった。
亮はすぐに向かうことを伝えて、ホテルに向かった。

ホテルに入る前にATMでお金を下ろした。
残高を見て、驚いた。
いつの間にか保険金が振り込まれていたようだ。
これですぐにでも借金を返すことができる。
しかし借金を返すのは明日でいいだろう。
今から借金を返しに行く気力がなかったのだ。

亮はホテルに着くと、すぐにチェックインした。
部屋は比較的広かった。
ベッドも大きくゆったり眠れそうだ。
亮は少しの間身体を休ませるためにベッドに横になった。

いつの間にか眠ってしまったようだ。
気がつけば9時を過ぎていた。
グゥ〜〜〜。
腹の虫が鳴った。
考えてみれば今日一日何も食べていない。
亮は最上階のバーに行くことにした。

ふと自分の服装が気になった。
少しカジュアルすぎるような気がしたのだ。
こんなとき女は面倒だ。
亮は荷物から少しでもマシに見えるワンピースを取り出した。
鞄に詰め込んでいたせいで、少し皺がついていた。
こんなことだったら部屋に入ってすぐにハンガーにかけておけばよかった。
そう思ったが、あとの祭りだ。
皺を気にしないようにして、そのワンピースを着た。


バーには男ばかり3人いた。
亮が入ると、一斉に視線が注がれた。
亮は気にせずカウンターの端の席に座った。
「何か食べ物はある?」
「サンドイッチやピラフのような軽食なら」
「それじゃピラフをお願い」
亮はピラフが来るまで店内を見渡した。

男二人組はテーブル席で談笑している。
ネクタイをしているし、出張か何かで二人で来ているようだ。
カウンターの逆サイドの男はジャケットを着て、少しカジュアルな服装だ。
それでも服自体は高そうに見える。
その男はチラチラと亮を見ていた。
バーテンダーと話をしていて、この店がまったく初めてというわけではなさそうだ。

そんな観察をしていると、目の前に温かそうなピラフがやってきた。
亮は一口食べた。
美味しい。
おそらくお腹が空いているせいだけではないのだろう。
今までこれほど美味しいピラフを食べたことはなかった。
あっという間に平らげてしまった。
すると目の前に飲み物が出てきた。
カクテルグラスに真っ赤な液体が入っている。
どうやらカクテルのようだ。
亮がバーテンダーを見つめた。
「あちらの方からです」
逆サイドに座っている男だった。
男は飲みかけのグラスを持って、亮の隣にやってきた。
「いいですか、ここ?」
男は亮の返事を待たず座った。
今さらダメとは言えないだろう。
そう心の中で突っ込みをいれたが、口では「どうぞ」と返事した。

「ここにはよく来られるんですか?」
亮は場をつなぐために聞きたくもないことを聞いた。
「えっ、どうして?」
「店の人と親しげに話されていたから」
「あ、なるほど。なかなか観察が鋭いですね」
男はそう言って、爽やかに笑った。
「あ、自己紹介してなかったですね。僕、西川アキラって言います?」
亮は自分の名前と同じである点に興味を示した。
しかも苗字まで「川」と「尾」の違いだけだ。
どうしても興味を示してしまう。
「西川さん、アキラってお名前なんですね。アキラってどんな漢字を書くんですか?」
「朗らかって書いてアキラです。もしかして昔の恋人と同じ名前だとか…」
「ええ、まあ、そんなとこです」
亮は男の名前に食いついた自分を悔いた。
「僕たちって縁があるんですね。それじゃ、二人の出逢いに乾杯」
背筋が痒くなるような台詞を吐く男だった。
「ウザい」と思いながらも、亮はその乾杯につき合った。

カクテルは美味しかった。
口当たりが良くて、飲みやすいのだ。
亮は何杯か飲んだ。
それがどういう事態を呼ぶのか考えずに。


亮はしばらくベッドに横たわっていた。
自己嫌悪のせいか何もする気が起きない。
どれくらいそうしていただろう。
しばらくすると電話が鳴った。
亮は気怠い身体に鞭打って電話に出た。
フロントからだった。
チェックアウトの時間が来たのだ。
亮は仕方なく起き出した。
もう一度汗を流そうかとも考えたが、思い直しそのまま服を着た。
あまり女性を意識したものを着たくなかったが、瑠未の服にはいわゆる可愛い服しかなかった。
仕方なく適当なものを選んで着た。
化粧はあえてしなかった。
机に何か紙切れが置かれていた。
西川からの手紙だった。

瑠未様
 素敵な夜をありがとう。
 仕事があるので先に行きます。
 もしよければ今晩もあのバーに来ていただけませんか?
Akira

クサい文面だ。
遊び人かもしれないな。
そう思い、その手紙を破り捨てた。


とにかく今日やろうと思ったことをひとつずつ片付けようと思った。
亮はホテルを出ると、銀行に行った。
必要なお金を引き出し、そしてその足で借金を返して回った。
これで借金の束縛からは解消された。
借金取りのせいで自殺し、自殺によってできたお金で借金を清算することができた。
占い師の言った通りになったわけだ。
ということは、これからも運勢があがるのだろうか?

借金を清算し終わった亮は美容院に行った。
そこでショートヘアにしてもらい、真っ黒に染めてもらった。
少しでも女性らしいものは排除したかったのだ。
そして次にTシャツにジーンズのパンツを買った。
その店の更衣室で買ったばかりの服に着替えた。
そんなことをしても瑠未の女性らしさは色褪せなかった。

少々のことでは女から離れることができないと分かると、亮の心理に微妙な変化が生じた。
今朝感じた自己嫌悪がほとんどなくなっているのだ。
時間が経ったこともあるのかもしれない。
そしてそれに反比例するように、もう一度西川に会いたくなった。
どうしてこんな自分を抱いたのか、その理由を知りたいと思ったのだ。


夜になった。
亮は昨日のバーに行った。
西川はすでに来ていた。
亮の姿を見て少し驚いたようだった。
「どうしたの?昨日とは打って変わってボーイッシュだな」
「そう?これが自分の正体だけど…」
「……確かにそうだったな。君は美人のくせに迫るときって男の子みたいな感じだったしな」
「えっ!」
何か変なことを言ったのかもしれない。
もしかしたら自分が男だと口走ったのかもしれない。
しかしそれを確かめる勇気はなかった。
何も言えないでいると、西川が隣の席に座るよう促した。
「とりあえず来てくれて嬉しいよ」
相変わらずクサいことを平気で言う奴だ。
でも今日はそれが何か可愛く聞こえる。
表情が緩みそうになるのを必死で抑えながら「ちょっと聞きたいことがあって来ただけだから」と言った。
「何?」
「昨日はどうしてあんなことになっちゃったの?あなたが無理やり迫ってきたんでしょ!」
「そんなことないよ。どっちかって言ったら瑠未さんのほうからだったよな?」
バーテンダーに同意を求めたが、笑っているだけだった。
「嘘!」
「嘘じゃないって。急に自分のことを"ボク"とか言い出したかと思ったら、『意外と胸が大きいんだぜ。触りたいだろ』とか言い出してさ」
「本当に?」
「本当ですよ」
バーテンダーが横から口を挟んできた。
二人の水掛け論になると思ったのかもしれない。
迫ったのは自分からだった。
しかも男としての地を出して。
恥ずかしい。
もう西川の顔は見ることができない。
「…それだけ聞ければいいから。もう帰る!」
そう言って、亮は店から出て行こうとした。

「そんなに急がなくてもいいだろ?」
西川が亮の手首を掴んだ。
「放してよ」
亮が握られた手を振りほどこうとするが、西川の力が強く振りほどくことができない。
「まあ一杯だけつき合ってくれればいいから」
結局無理やり席に座らされた。
「一杯だけよ」
「それじゃ、いつものやつを…。頼むよ」
西川がバーテンダーに注文した。
出てきたのは昨日のカクテルだった。
やはり美味しい。
しかし急いで飲むと、また酔ってしまう可能性がある。
亮は早く帰りたかったが、あえてゆっくり飲んでいた。

(あ…あれ?何か変……)
まだカクテルを半分も飲んでないのに、急激な睡魔に襲われた。
「瑠未さん、大丈夫?」
西川の呼びかけもどこか遠くの世界からのように聞こえる。
何か自分の周りが霞んできたようだ。
どうしたんだろう?
座っているのもつらくなってきた。
亮はそのままテーブルに突っ伏した。


「お目覚めかい?」
気がつくと、どこか知らない部屋にいた。
知らない部屋のベッドに寝かされていた。
そして目の前に西川の顔があった。
「ここはどこ?」
亮は目だけを動かして、辺りを見た。
「僕の部屋」
「西川さんの部屋?」
「そう。瑠未さんが寝ちゃうもんだから連れてきてあげたんだよ」
まだ頭の中に霞がかかっているようだ。
ついさっきのことも思い出すことができない。
そんな状態の中、西川からキスされた。
亮は慌てて、西川を突き放した。
「何、するんだ」
「そう、それそれ。そういう反応がいいんだよ」
「何、言ってんだ?」
「瑠未さんってすっごい美人だけど、本当は男なんだろ?」
昨日何か言ってしまったんだ。
だから亮の正体を見破られているんだ。
そう思うと、亮はどう言い返していいのか分からなかった。
「どうやら図星みたいだな。僕は瑠未みたい子を探してたんだ。完全に女性に見えるニューハーフを」
えっ、違う!
そう言いたかったが、そう言ったところで、そのあとどう説明していいのか思いつかなかった。
自殺して、自分の妻の身体を奪い取ったと言っても信じてもらえるはずがない。
大体亮自身が理解し切れてない。
説明したところで、気がおかしいと思われるだけだろう。
「別に隠さなくっていいじゃん。瑠未は最高の女性なんだから、さ」
"女性"という言葉に妙な抑揚をつけて言った。
西川の誤解を解いたほうがいいのだろうか?
誤解されていても、それはそれでいいのかもしれない。
そんなことを考えて何も話さないでいると、再び西川がキスしてきた。
「ん!……んんん…」
再び突き放そうとしたが、西川の力が強かった。
今度は突き放すことができずに、ずっとキスされたままだった。

「ぅ…んんん……」
西川の手が乳房に伸びてきた。
初めは拒絶しようとしたが、西川はそれを許さなかった。
身体を密着させることで、亮の身体の自由を奪ったのだ。
西川は亮の胸を揉んだ。
時々乳首を擦るように触れた。
亮は胸を揉まれているうちにスイッチが入ってしまった。
メスがオスを求めるように本能のままに西川を求めた。
積極的に西川の唇を求めた。
そしてしっかりと西川の身体を抱き締めていた。

西川は亮の胸を執拗に揉んだ。
「まるで本物みたいに柔らかいんだな」
「本物よ」
亮は喘ぎながら答えた。
「ということはホルモンでここまで大きくなったのか。ホルモンが効く身体なんだな」
「だから本当に女なんだってば」
「そうか。そうだったな」
西川は亮の反応を見ながら乳房を揉み続けた。

「それじゃそろそろ準備ができたようだし…」
そう言って西川が服を脱がせようとした。
亮は脱がせやすいよう、身体を浮かせたりした。
亮を全裸にすると、西川はいったん離れ、自分の服を脱ぎ、全裸になった。
ペニスはすでに大きくなっていた。

再び覆い被さると、股間に手を伸ばしてきた。
この身体は亮と結婚したときにはすでに処女ではなかった。
亮とも何度も交わった。
そしておそらく昨日西川とも交わったはずだ。
しかし、亮自身にとっては初めての経験だ。
西川の手の侵入を拒むように自然と脚に力が入った。

「瑠未、今さら抵抗するなよ」
そう言えば、いつの間にか瑠未と呼び捨てされていた。
馴れ馴れしい男だと思う一方、それを嬉しく感じていた。
西川が両手で力いっぱい脚を広げようとした。
さすがに力勝負では男には勝てない。
簡単に脚を広げられてしまった。
西川は亮の股間に顔を近づけた。
「やめてよ、恥ずかしいし」
「今の性転換手術の技術はすごいんだな。昨日も思ったが、これが作り物だなんて信じられないよ」
「だから本物だって言ってるでしょ」
「知らなければ、その言葉を信じてしまうだろうな。本当に瑠未は理想の"女"だよ」
相変わらず"女"に妙な抑揚をつけて喋る奴だ。

生温かいモノを股間に感じた。
西川が舐めたのだ。
ゾクゾクゾクッとした感触が背筋に走った。
「やめて……」
亮が西川の頭を放そうとした。
しかし西川は全く動じなかった。
内股に手を当て、しっかり脚を広げて、丁寧に女性器を舐めていた。
「やめてったら………」
亮の言葉は完全に無視された。
何度も西川の舌でイッた。
もうクタクタだった。
意識も半分朦朧としていた。

「何か今日は女っぽいな。昨日みたいなほうが萌えるんだけど」
そう言いながら、西川が亮の両脚を肩に担いでいる。
女らしい仕草がすでに身についているのかもしれない。
瑠未の姿でいて、亮の地を出すなんてことは恥ずかしくてできそうになかったのだ。
西川がちょっと動いたときに、ペニスの存在を股間に感じた。
(あっ、入ってる)
西川のペニスがいつの間にか入ってきていたのだ。
初めての経験に対する緊張は感じている間がなかった。
「あ……すごい……」
西川の腰の動きでもたらされる感覚は言葉で表現できるものではなかった。
亮は自然と腰を振っていた。
「瑠未、出すぞ」
「中はダメ…」
「それは笑えるな。本物の女になったつもりか?それじゃ妊娠しちまえ」
西川のペニスが脈動するのを感じた。
昨日と同じように中で出されたのだ。
出されたことを感じると、全身に痙攣が走った。
「ああ……、いくぅ………」
女のセックスは最高だ。
もっとしてほしい……。
亮は薄れゆく意識の中で、さらなるセックスを求めていた。



朝、目が覚めると、隣には西川がまだ眠っていた。
亮は西川のペニスに手を伸ばした。
これが昨夜自分の身体の中に入っていたのだ。
これに突かれてどうしようもなく感じていたのだ。
そう思うと、何だか不思議な気がした。
元々少し前まで自分の身体についていたものと同じもののはずなのに…。
なのに瑠未になり、女としてのセックスを経験したせいか、それが別のようなものに見えた。
妙に惹き付けられるものを感じて、思わず手を伸ばしてしまっていた。

西川のペニスに触れた途端、西川が目が開いた。
「おはよう、瑠未。そんなに気になるのか、これが?」
ペニスに触れている亮の手を西川が握ってきた。
亮の手がしっかりとペニスを握ることになってしまった。
ペニスに流れる血流を感じることができる。
亮は人差し指で先を撫でた。
「うっ」
西川の口から声が漏れた。
感じてくれてる!
そう思うと嬉しかった。
亮は西川に身体を擦り寄せた。
ペニスをジッと見ながら、ペニスを手の中で弄んだ。
無意識に少しずつ顔がペニスに近づいていた。
ある程度、顔を近づけると、くさい臭いが鼻をついた。
(何してるんだ、やめろ!)
頭の中では自分を制止する声がしている。
しかし自分でも訳が分からないがやめることができなかった。
ついに西川のペニスを口に含んだ。
「おっ」
西川が声をあげた。
亮は懸命にペニスを舐めた。
舐めているうちに臭いも気にならなくなった。
口の中でピクピクしているのが面白い。
男のペニスを銜えるなんてと思っていた。
でも実際やってみると、意外と面白い。
何より感じてくれているのが嬉しい。

「もうそろそろ仕事に行かないと」
そう言って亮からペニスを取り上げた。
食べかけのキャンディを取り上げた子供のように、亮は残念そうにペニスを目で追った。
「続きはまた今晩な」
うつろな目をしている亮に西川が言った。
「瑠未、ここに住まないか?どうせ行くところはないんだろ?」
「行くところがないって?」
「一昨日の夜、さんざん言ってたじゃないか」
一昨日の夜、どれだけのことを話したんだろう?
確かめるのも恐ろしい。
でもそのおかげで西川が気に入ってくれたのだ。
何が功を奏すか分からない。
毎日住むところを探す必要がなくなる。
しかも西川が何者か知らないが、結構な金持ちっぽい。
お金はとりあえずあるが、相手が金持ちであれば、そのほうが何かと嬉しい。
これは本格的に運が向いてきたのかもしれない。
亮は「住む、住む」と何度もうなずいた。
「それじゃこれ家の鍵な。どこか行くときは戸締まりくらいはしてくれよな」
西川が鍵を机の上に置き、仕事に出て行った。


何だか不思議な気がした。
瑠未になってから、ピンチらしいピンチがない。
借金取りに会ったときだって厳しく取り立てられることはなかった。
泊まるところがないときには大森に世話になることができた。
大森と別れると、すぐに西川と出会えた。
西川には酔った勢いで男であることをばらしてしまったみたいだが、それが良かったようだ。
西川の理解には少し勘違いがあるが、いずれ本当に女だということが分かるだろう。
その結果、西川と結婚できれば、まさに玉の輿だ。
そんないやらしい計算が亮の心に生まれた。


その日、亮は家事全てを頑張った。
ほとんど掃除が行き届いている状態だったが、それでも隅々まで掃除した。
午前中いっぱいを掃除だけに費やした。
午後になると、夕食のための買い物に出た。
おしゃれなメニューよりも家庭料理のほうがいいと考え、その材料を買った。
あまり作ったことがないものだが、料理自体は少しくらいはできる。
レシピを見ながら、悪戦苦闘しつつ、
結局作ったのは、味噌汁と焼き魚ときんぴらごぼうとほうれん草のおひたしなどだった。
喜んでくれるかな?
亮は一番可愛い服に着替えて、西川の帰りを待った。

「ただいま。瑠未、まだいるのか?」
西川が帰ってきたのは、もうすぐ9時になろうかという時間だった。
「おかえりなさい。ご飯にする?それともお風呂?」
言ってから「これって大森にも言ったよな」と心の中で思った。
亮を見た西川は不機嫌な顔になった。
「何だよ、それは。まるで普通の女じゃん。セックスしたくらいで女房面するなよ!」
西川はそのまま部屋に入った。

亮はテーブルで西川を待った。
なかなか部屋から出てこない。
30分ほど待ったが、部屋から出てこなかった。

トンットンッ。
亮は西川の部屋をノックした。
返事はない。
「入るね」
恐るおそる言いながら、静かにドアを開けた。
部屋は薄暗かった。
西川は帰ったままの服装で、ベッドに腰掛けていた。
「ごめん」
亮はできるだけ本来の亮の話し方で話そうと思っていた。
そのほうが西川が受け入れてくれると思ったからだ。
西川は何の反応もなかった。
「ごめん、怒ってる?」
しばらく沈黙が続いた。
それでもようやく西川が口を開いた。
「瑠未が女になりたい男だって分かってるんだ。でもあんなふうにされると、今までの女と同じかよって思ったら、何だか腹が立ってきてさ」
「ごめん。実は……。ううん、いい」
「実は?何だよ?言いかけたんなら最後まで言えよ。気になるだろ?」
「え…でも……。……やっぱりいい」
「言えって言ってるだろ!」
「……じゃ、言う。実は…その……初めてだったんだ」
「初めて?何が?」
分かってるくせに、と思ったが、はっきり口にしないと許してもらえないのだろう。
「その……男の人に抱かれるのが……」
「へえ。だとすれば、瑠未の処女をいただいたってことか」
西川の表情が急に二コニコし出した。


西川と亮のセックスの相性は良かった。
最初は雰囲気に流されてしてしまったフェラチオだったが、亮のお気に入りになった。
臭いが気になることもあるが、それは銜える前のことだった。
口に入れてしまうと、すぐに匂いなんて気にならなくなる。
それより与えた刺激に対して、面白いように反応するペニスが楽しかった。
自分が与えた刺激に対して、素直に反応してくれるのが嬉しかったのだ。

一緒に住み出して1週間程したときに、西川が不動産コンサルティングの会社の社長だということを知った。
道理であの年齢でこんなところに住めるのだ。
西川と一緒にいれば、これから食いっ逸れることはないだろう。
そんな計算が働いた。
亮は必要以上に女性っぽい服装にならないように気をつけながら、西川と同棲生活を営んでいた。

西川とは1週間に4〜5回は交わった。
1晩に2回3回と交わることもあった。
メインは正常位だったが、騎乗位もお気に入りだった。
後背位は動物的であまり好きでなかったが、感じることは間違いなかった。
要は西川に抱かれれば、どんな体位であっても、間違いなくイクことができた。
亮は女性として充実した生活を送っていた。
この幸せが永遠に続くと信じていた。

ほぼ毎日セックスを行っていた。
それがどのようなことを起こすかは容易に想像できる。

西川が仕事に出掛けた後に、亮がひとり家事をしているときに急激な胸焼きを感じた。
それは経験したことのないもので、あわててトイレに駆け込んだ。
実際何も吐かなかったが、胸焼けは全く治まらなかった。
亮はあらかじめ準備していたものを取り出した。
それを使ってあることを調べるためだ。
結果、陽性だった。
「やった……」
亮はその事実を確かめるために産婦人科に行った。
「おめでとうございます。妊娠3ヶ月です」
医者にそう告げられた。
これで結婚してもらえる。
亮はそう信じた。
これから先の人生、社長夫人としての悠々自適の人生になるだろう。
自分の人生が好転して、ついにここまで来たのだ。


亮は西川の帰りが待ち遠しかった。
きっと喜んでくれる。
その勢いでプロポーズしてくれるかもしれない。
そんなことを考えていると、自然と笑みがこぼれてくるのだった。

その日、西川は早くに帰ってきた。
まだ5時を過ぎたところだ。
まるで妊娠のことを知っていたかのようだ。
「お帰りなさい。今日は早かったのね」
「ああ、ちょっと疲れてたんで、早く帰ってきた」
「そうなの?大丈夫?」
「ああ、今日は早めに寝ることにするよ」
「それじゃすぐに夕飯の支度するね」
「うん、頼む」

亮は料理の腕はかなり上がっていた。
30分もあれば、適当な材料でも、それなりに調理できるようになっていたのだ。
まもなく食卓には6品ほどのおかずと味噌汁が並んだ。
「今日も美味そうだな」
西川が座ると、ワインを取り出した。
「ワインなんて珍しいな。なんかいいことあったのか?」
「それはともかくご飯食べましょう」
亮と西川はワインを飲みながら、食事をした。

「それで、何かあるんだろ?」
「分かる?」
「もちろん。瑠未が何となく機嫌良さそうだからな」
「実は、赤ちゃんができたの」
喜んでもらえると信じていた。
満面の笑顔が返ってくると思っていた。
しかしそれは裏切られることになるのだ。

「瑠未、今何て言った?」
西川が不機嫌な顔になった。
きっと聞こえなかったに違いない。
「だから、赤ちゃんができたの。私とあなたの赤ちゃん」
西川がテーブルの食器を床に叩き落とした。
西川の態度の急変に亮は驚いた。
何を怒っているのだろうか?
「そんなわけないだろ。なんでお前が妊娠するんだよ!」
「だってあれだけ中に出されたらこういうことになることは普通でしょ?」
何を当たり前のことを聞いてるんだ。
亮は不思議に思った。
「だってお前は元 男なんだろ!男が妊娠するわけないだろう!」
まさかマジでそう信じてたのか。
あれだけ否定してたのに。
「だからそれは違うってずっと言ったじゃない!あなたが勝手に勘違いしただけでしょ」
「おかまの振りして俺に抱かれてりゃ、いずれ妊娠して、俺と結婚でもできると思ったのか?」
西川の言葉は完全に合っているわけではないが、完全に外れているわけではない。
亮は何も言えなかった。
「どうやら図星のようだな。そんなことあり得ないよ」
「それじゃお腹の子は……」
「おろしてくれるよな?」
西川は恐ろしい形相で言った。
「嫌だと言ったら?」
ビンタされた。
「こうすりゃいいんだろ!」
そう言って西川が思い切り亮の腹を拳で殴った。
「痛い!」
亮はお腹を押さえてうずくまった。
「そんなもん、俺が始末してやるよ」
西川が執拗に腹を蹴ってきた。
せっかく宿った生命なのに。
亮は生命を軽んじる西川を恨んだ。
亮はお腹に手を当てて、お腹を守ろうと必死だった。
それでも男に力いっぱい蹴られると防ぎようがなかった。
何度も何度も蹴られた。
やがて身体の内部から痛みを感じた。
蹴られるのとは違った痛みだ。
痛みで意識が途切れそうだ。
「救急車を呼んで……」
亮は西川にそう懇願した。
それでも西川は亮を蹴り続けた。
やがて亮は意識を失った。
床に赤いものが流れていた。

「お腹のお子さんは…お気の毒ですが……」
気がついたときは病室らしきところに寝かされていた。
そしてやってきた医者に言われたのがこの言葉だった。
「そんな……」
「流産は明らかに暴行を受けたせいですので、警察には連絡しておきました。じきに警察が来ると思います」
それだけ言って、医者は病室を出て行った。

するとまもなく病室をノックする音が聞こえた。
警察が来たのかと思って「どうぞ」と返事した。
入ってきたのは、高そうなスーツをバシッと着た40を過ぎたくらいの男だった。
男は西川の会社の顧問弁護士と名乗った。
「ここに500万円あります。これで今回のことは終わりにしてもらえませんかね?」
こういう状況になれば、西川のところに戻ることなんてできない。
別に金が欲しいわけではないが、何ももらわないのも癪だ。
亮はもう少し金額を上げてくれたなら考えてもいいということを話した。
結局800万円の慰謝料を約束させて、示談で済ませることにした。

亮は念のため一晩だけ入院した。
特に問題はないということで、次の朝、退院した。



瑠未の身体になって続いてきた幸運もついに尽きた。
順調に願いが叶っていくように感じていたが、掴んだ幸せが思わぬ形で逃げていった。
少し調子に乗りすぎたのかもしれない。
今晩眠る場所すらない。
ふりだしに戻ったようだ。
いや借金がないだけでもかなりマシかもしれない。
それに女としての経験値もかなり上がっている。
瑠未になったばかりのときよりはずっと状況は良いはずだ。
亮はそんなことを考えながら、街を彷徨った。

「おや、これは珍しいお客さんじゃな。すっかり女らしくなりおって」
気がつくと、あの占い師のところに来ていた。
自然と足が向いたようだ。
そしてあの占い師もあのときのようにそこにいた。
「私のこと、覚えてるんですね」
亮にとっては、自分自身が亮であったときは遠い昔のことだった。
亮であったこが、現実のことではなかったことのようにすら感じるくらいだ。
「もちろんじゃ。あとでちゃんと見料もいただいたしな。儂にとっては上得意のお客さんだし、おまけにこれだけ美人になったしな。姿かたちがここまで変わるお客さんなんてなかなかいないから忘れようにも忘れられないぞ」
しっかりと覚えているようだ。
ならば亮は聞きたいことを聞くことにした。
「それじゃお聞きしたいんですけど、あのとき自殺すればすべてうまくいくと言いましたよね?」
「ああ、確かに言ったな、覚えておる」
「それはもう終わったんですか?」
「終わった?何がじゃ?」
「私の運です。最近いいことがなくって。また昔みたいに自殺すれば運がよくなるんでしょうか?」
「何を馬鹿なことを言うんじゃ。自殺なんて何度もできるもんじゃない。あのときそなたがつかんだ運はまだ活きておる。嫌なことがあっても一時的なもんだと思って、気にしないことじゃ」
「子供を流産したんですよ」
「それは大変な目に逢ったんじゃな。しかしきっとそのほうがそなたのためだったんじゃろ。そんなふうには思えないか?」
「……分かりません。そうかもしれないし、そうでないかもしれないし…」
「その通りじゃ。今の状況が良かったか悪かったかを決めるのは、これからのそなたの生き方じゃからな」
「……分かりました」
占い師は優しい眼差しで亮を見てくれた。
何となく気持ちが楽になったように感じた。
「それじゃ、見料を…」
「今日は良い。特に見てないからな。また何かあればいつでも遊びに来てもらえばいい」
「ありがとうございます」
亮はとにかく前を向いていこうと思えるようになった。

とにかく今日の寝場所を探そう。
確かに当面はホテル暮らししても大丈夫なほどのお金はある。
しかし毎日ホテル暮らしをしているとあっという間にお金が底をつくことになってしまう。
ウイークリーマンションなんかで当座を凌ぎ、これからのことを考えればいいだろう。
そう思い、ネットカフェにでも行って、ウイークリーマンションを探そうとした。
ネットカフェを探していると、向こうから思わぬ人物が近づいてきた。
大森だった。

「あ、久しぶり…です」
大森のほうから何とも微妙な雰囲気で声をかけられた。
「あ、はい」
何と返事していいか分からない。
亮はその場から逃げたくて、足早に去ろうとした。
「あ、瑠未さん。大丈夫なんですか?」
質問の意味が分からず、思わず足を止めて、大森の顔を見てしまった。
「病院から通報があったんですよ。流産した女性に暴行を受けた疑いがあるって。病院に聴取しに行った奴から話を聞くと瑠未さんだって聞いて」
「確かに流産しましたけど、それは私が階段を踏み外しただけですから」
「いいえ、医師からの話では明らかに暴力を受けた痕跡が見られるということだったらしいです。だからあなたの話を聞きに病院に行ったそうですが、一足早く退院されたらしくて話を聞けなかったとか」
「……もういいんです」
「…まあ私は担当じゃないし、あまり無理強いはしませんが……。それよりこんなふうに会えたのも何かの縁だと思うんで、今日晩飯つき合ってもらえませんか?」
大森が恥ずかしそうに言った。
あんなひどい別れ方をしたのに。
どうしてこんなに優しいんだろう?
そう思うと涙が出てきた。
亮の涙で慌てたのは大森だった。
「ごめん、ごめん。何かひどいこと言った?」
急に以前の話し方に戻った。
何となく嬉しかった。
別れる前に戻ったような感じだ。
「ううん、何でもない」
亮は涙を拭った。
それでも大森は心配そうな顔をしている。
何かこの場を取り繕わなければ。
亮は焦って思わずこう言った。
「まだお仕事中でしょ?だったら、先に帰って、夕飯作っておきましょうか?」
そう言うと、大森が不思議そうな表情をして、そしてものすごい笑顔に変わった。
「何?何か変なこと言った?」
「あ、いや、別に…。それじゃこれ鍵」
そう言って鍵を渡された。
「今日は早く帰るからな」と言って大森がどこかに行った。
大森が見えなくなって、亮は忘れていた事実を思い出した。
二人はすでに別れていたことを。
そんなことを忘れて、夕飯の支度を申し出るとは。
いくら焦っていたとは言え、かなりうっかりしていた。
今から断ろうか。
一応携帯番号はまだ消さずに残してある。
だから断ろうと思えば断れる。
しかしさっきの笑顔を思い出すと、すぐに断るのは残酷のような気がした。
(ま、いいか)
あまり深く考えずに大森とともに過ごすのもいいだろう。
亮は夕食の食材を買って、大森のアパートに向かった。


西川との生活でそれなりに料理の腕も上がっていた。
だから大森のために腕によりをかえて料理を作った。
仕事から帰ってきた大森は「美味しい、美味しい」と言って綺麗に食べてくれた。
嬉しかった。
亮もつられて綺麗に平らげてしまった。
食事が終わると大森を風呂に入らせ、続いて亮も風呂に入った。
二人ともパジャマ姿になり、微妙な沈黙の時間が訪れた。
大森はどう接すればいいのかをはかりかねているようだ。

「大森さん、じゃなくて、公平さんでいいよね?」
大森の表情が少し緩んだ。
「前は急でびっくりしただけなの。今日は私もそのつもりだから」
そう言って、亮は大森のパジャマの裾をひっぱった。
「し…しかし……」
大森は何かにひっかかっているようだった。
すぐに抱き締めてくれると思っていた亮は意外だった。
こんな状況でも刑事としての理性が働くのだろうか。
少し考えて大森が考えていそうなことが想像できた。
流産したということは大森はすでに知っている。
流産するということは誰かに抱かれたということだ。
流産してすぐに他の男に擦り寄る女なんて何となく嫌なんだろう。
亮も男だったからその感じは分かる。
ある意味、当然のことだ。
「ごめんなさい。私なんて大森さんに相応しくないよね?」
亮は掴んでいたパジャマを離した。
「いや違うんだ。瑠未さんは勘違いしてると思う。あんなことがあったばかりで、身体に余計な負担を与えちゃいけないだろう?」
「私のことを思って?」
「そうだよ」
そう言われても、やはり拒絶されているような感は拭えない。
「公平さんは優しいから、そういう言い方するんだよね?やっぱり私なんて……」
「だから違うって言ってるだろ!」
大森が急に激しい口調になった。
亮は驚いて、大森から離れた。
「ごめん、そんなつもりじゃないんだ」
亮はその言葉を抱くつもりじゃないと理解した。
「…出てく……」
「えっ?」
「私、ここにいちゃ、いけないんでしょ?だから出て行く」
「何言ってんだ。もう遅いじゃないか」
「でもこれ以上ここにいられない」
「どうして!」
大森は詰問口調になった。
亮は無言で服に着替えようと立ち上がった。
すると大森に強く抱き締められた。
「どうして分かってくれないんだ。僕がこんなに我慢してるのに」
身体を密着させられたことによって、大森のペニスが大きくなっていることに気づいた。
「ここ、大きくなってる」
亮はパジャマの上から大森のペニスを握った。
大森は軽く腰をひいて逃げるようにしたが、亮はそれを許さなかった。
「ねえ、私のこと、好き?」
「…ああ、好きだ。だから大事にしたい」
「うん」
「あんなことがあればどうしても身体が傷ついてる。だからお医者さんからの許可が出るまでは控えたほうがいいんだ」
「公平さんのほうが女の身体のことよく知ってるのね?」
「一応刑事だし」
「それじゃ今日はこれで我慢してあげる」
亮は跪き、大森のペニスを取り出した。
大森は身動きしなかった。
亮は見上げるように大森の顔を見ながら、目の前のペニスを銜えた。
大森はまぶたを閉じた。
亮は含んだペニスに舌を絡ませた。
口の中でのペニスの反応が楽しい。
感じてくれているのが分かるからだ。
しばらくの間ペニスを舐め尽すと、口を窄めて頭を前後に揺すった。
大森には射精まで行ってほしかったのだ。
でも、なかなか最後までいかなかった。
「もういいよ」
大森が亮からペニスを取り上げた。
「どうして?良くなかった?」
「いや、すごく良かった。でも僕、女の人の口に出すのって何となく抵抗あるんだ」
「本当?」
「うん、嘘じゃない」
「お医者さんから許可出たら抱いてくれる?」
「瑠未さんが良ければ」
その夜は大森に腕枕されて眠った。


それから5日経ったとき、亮は医者に行った。
そこで晴れて問題なしとの診断をもらった。
すぐにメールで大森に知らせた。
その日の夕食はすき焼きにした。
お祝い事にはすき焼きというイメージがあったからだ。
「ビール飲む?」
「いや、今日はやめとこう。飲みすぎて寝てしまったらまずいからな」
大森が照れたように笑った。

食事が終わり、風呂に入り、いよいよそのときが来た。
「瑠未」
「公平さん」
いよいよ大森に抱いてもらえる。
亮は初めての夜のように緊張していた。
大森の手が亮の髪をかきあがた。
そして優しくキスされた。

二人はそのまま布団に横になった。
大森はパジャマの上から乳房を揉んできた。
風呂あがりのため、ブラジャーをつけていない。
そのため、手の感触が比較的直接伝わってくる。
大森は刑事のせいか手の力が強い。
揉み方も荒々しく少し痛い。
「公平さん、ちょっと痛い」
「あ、ごめん」
大森は少し力を加減したようだ。
それでも大森の触り方が不器用なせいかあまり感じない。

「公平さん、舐めて」
「ああ、うん」
大森が亮のパジャマを捲り上げた。
亮の乳房があらわになった。
大森の舌がその乳房を這った。
「ぁん……」
舌が乳首にあたる度に声が出てしまう。
亮が感じるということで、大森が執拗に乳首ばかりを攻めてきた。
そうなると感じるというよりも苦しくなってきた。
「あ…もうダメ…。苦しい……」
亮は大森から逃げようと身体をひねった。
しかし大森は亮の乳房を執拗に追いかけてくる。

亮は苦しさから逃げるために大森のペニスに手をあてた。
「フェラしてあげる」
「今日はいいよ。いざというときに役に立たなくなるといけないし」
「それじゃ早く来て」
亮は自らパジャマとショーツを脱いだ。
大森も全裸になった。
大森の股間は充分挿入可能な状態になっていた。
しかし亮のほうはまだ充分に湿ってはいなかった。
大森はそのまま覆い被さってきて、膣口にペニスの先をあてた。
「公平さん、私の準備がまだなの。もう少し感じさせて」
大森は少しの間どうすべきかを考えたようだ。
そうしておもむろに亮の脚の間に顔をうずめてきた。
「やめて。恥ずかしい。電気を消して」
部屋の照明はつけたままで、大森にははっきりと亮の女性器が見えているはずだ。
「大丈夫。とても綺麗だから」
大森は平然と凝視した。
西川に見られるよりも大森に見られるほうがどういうわけかずっと恥ずかしく感じる。
亮は手で顔を隠した。
こんな状況で視線が合ったりしたら恥ずかしい。
亮は興奮してきた。
すでに充分に湿っているのが自分でも分かった。
「ねえ、もう来て」
「だって準備がまだなんだろう?」
「公平さんに見られて興奮したから大丈夫」
亮は大森のペニスを握り、自分の女性器にあてた。
「早く来て」
大森のペニスが入ってきた。
西川のときと感じが違う。
大森が腰を動かし出した。
西川のほうがセックスはうまかった。
大森は比較的単調だ。
それでもどういうわけか感じた。
「瑠未さん、好きだ、愛してる」
そんな言葉をずっと言ってくれている。
それが感じ方を増してくれているようだ。
やげて亮の中で果てた。

身体を離すと、大森はすぐに寝息をたてて眠ってしまった。
きっと仕事に疲れていたのだろう。
にもかかわらず頑張って抱いてくれたのだ。
亮はその気持ちが嬉しいと思った。

次の日から、亮は大森の妻のように振る舞った。
近所の人も亮の顔を覚えていた。
「久しぶりじゃない?」
「喧嘩でもしてたの?」
「オメデタで実家にでも戻ってたのかと思ってたのに」
いろいろなことを言われた。
大森は毎日抱いてくれるわけではなかった。
週に1回あるかどうか。
しかも一度射精すればすぐに眠りに落ちていた。
そんな何てことのない日常生活。
そんなものに亮は居心地の良さを感じた。

「瑠未、結婚しないか?」
大森からそう言われたのは一緒に暮らし始めて3ヶ月が経った頃だった。
大森の手には指輪が入っているらしい小さな箱が握られていた。
「私でいいの?」
亮は「やっと言ってくれた」との思いとは裏腹に、そんな言葉を発した。
「僕は瑠未以外に考えられないんだ。たぶん今瑠未と結婚できなかったら僕は死ぬまで独身だ」
「そんなことないよ、良い人が絶対いるから」
「瑠未は僕と結婚したくないのか?」
「そんなことないけど……」
「なら、結婚しよう。いいよな?」
「あ、はい」
そして左手薬指に指輪をはめてくれた。
少し大きかったが、グルグル回せるほどではない。
それなりにフィットしていた。
指輪にはダイヤらしき宝石がついていた。

その日、久しぶりに抱いてくれた。
相変わらずそれほどうまくはなかったが、プロポーズ効果のせいか最高に感じた。
女性の感じ方は心理的な要因が大きいことをあらためて知った。

次の日、大森は非番だった。
前の番の勢いで、そのまま二人で婚姻届を出した。
「まとまった休みを取れないから、新婚旅行にも行けないけど、いいか?」
「うん、そんなのどうでもいい。その代わり一緒に行って欲しいとこがあるんだけどいい?」
「ああ、いいよ」

亮は大森を両親の元に連れて行った。
瑠未の両親ではない。
亮自身の両親だ。
瑠未の両親はすでに他界していたのだ。
結婚式で付き添っていたのは両親ではなかったのだ。
親戚でもなさそうで、どういう関係の人かは分からなかった。
その場を取り繕うための知り合いだったのだろう。

亮の両親はきっと会ってくれないと思っていた。
それでも結婚したことは伝えておきたかったのだ。
しかし意外にも亮の両親は会ってくれた。
そして大森との結婚を喜んでくれた。
これからも遊びに来てほしいとまで言われた。
亮は嬉しかった。
嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。
そんな亮を見ながら、両親は穏やかに笑っていた。

「あなた、行ってらっしゃい」
何気ない日常こそが亮が願っていたこと。
少し回り道をしたが、そのことに気づいて、本当によかった。
人生を一緒に生きていける伴侶にめぐり合うことができた。
大森の腕の中で「この人となら生きていける」と思うことができた。
これこそが亮が願っていたことだった。

流産したせいで妊娠しづらいかと思ったが、子供を身籠ることができた。
男の子を産んだ。
公一と名づけた。
優しい夫と可愛い我が子。
公一のおかげで両親ともさらに距離が近づいた。
両親も孫のように可愛がってくれた。
最高に幸せだった。


「奥さん、大森巡査部長が…」
一本の電話が亮の幸せの終わりを告げた。
犯人を捕まえるときに犯人に刺されたとのことだ。
すぐに病院に搬送されたそうだが、間に合わなかった。
失血死。
殉職だ。
自分の身体が死んだとき以上に悲しかった。
葬式の間、ずっと泣いていた。
何も言葉が出なかった。

大森の死後3ヶ月したころに、銀行口座に大金が振り込まれた。
保険金だった。
ついに銀行口座の残高が5000万円以上となった。


振り返ってみると、借金で身を滅ぼしかけたが、亮が自殺することで運勢が好転すると言われた。
実際、自分の自殺によって、借金以上の保険金を手に入れた。
そして次に出会った西川とはせっかく妊娠した赤ちゃんの死によって、慰謝料を手に入れた。
大森と出会えてお金には代え難い幸せを手に入れたと思ったが、結局は殉職のせいでまたまたお金が手に入った。
これが良い運勢と言うのだろうか?
お金はもういいから平凡な幸せが欲しい。
しかし出会った男とは最終的には良い結末にはならない。
きっとこれから先、異性との関係は持たないほうがいいのだろう。


亮は両親に勧められるまま、同居することにした。
元息子の元嫁というだけの関係なのに、こうして心配してくれる両親に感謝した。
もしかすると亮の正体を何か感じているのかもしれない。
そう思わないでもなかったが、真実は分からなかった。

亮は公一を両親に預けて働きに出ることにした。
別に働かなくてもすでに手に入れているお金や警察の遺族年金のおかげで食べていくことはできる。
しかし一日中両親と一緒にいると言わないでいいことを言ってしまって、つまらない喧嘩になってしまうことがある。
そういうことを避けることが目的だった。
両親は公一との時間が増えて喜んでいる。
これでとりあえず平穏な時間は掴んだ。
そう思ったころだった。

父が死んだ。

70歳を過ぎており、平均寿命には達していないが、寿命と言えば寿命だ。
しかし、ひとつの事実が亮を憂鬱にさせた。
父が死んで、初めて知ったのだが、養子にされていたのだ。
つまり遺産を受け取れる立場にいるわけだ。
最初は固辞したが、故人の意思だからと説得され、結局幾ばくかの遺産を受け取った。
また、人の死によってお金が手に入った。

自分の人生って何なんだろう?
未だに理解できないが、自分の自殺によりどういうわけか瑠未になった。
それからは人の死によって、お金を手に入れた。
まるで死神に魅入られたようだ。
こんな自分は死んだほうがいいのだろう。


そう真剣に自殺を考えているときだった。
「マ…マ……」
いつの間にか目を覚ました公一が危なっかしい足取りで亮に近寄り、そう言った。
初めて発した言葉だった。
「公ちゃん……」
公一のために生きなければいけない。
公一を一人前の人間にすることが何よりの願いだった。
死神に魅入られていようが、自分が死神であろうが、生きるのだ。
亮は開き直ってそう考えるようにした。

それからは母と公一の3人で何とか頑張って生きた。

それから23年後、公一が美しい女性と結婚し、ハネムーンに発った。
亮は自分の責任を果たした思いだった。
自分の願いが叶ったのだ。
その夜、亮は静かに自らの人生を閉じた。
幸せな人生だった。


《完》

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